Music from Gen-dai

お気楽色の僕らのBlue

足し算引き算

2009-12-22 00:03:18 | 日記
小学生で先ず習う計算は「足し算」

物事でもそうだが、先ずは足して行く所から始まるものだ。

何かと何かを足す事で別の何かが生まれる。

ただ足し算を続けて行くと、ある時点で何か違和感を感じだすのである。



先月のバンド練習時に初めて練習テイクを録音してみた。

客観的に音を聞くと、演奏時には気がつかない様々な粗が見えて来る。



数ヶ月前までまったくの他人であった4人が集まって作り上げる音は

いろんな意味でまだお互いの「遠慮」の部分と「主張」の部分のバランスが悪く

トータル的なバンドの音としてはかなり精細を欠いたものになっていた。



結局はそれぞれのパートの音の「足し算」を重ねすぎた厚化粧な音なのである。

昨日行われた練習は今年の締めでもあり

いろいろな無駄をそぎ落とす作業に終始した。


必要な音を必要なタイミングで鳴らすことが最大のテーマで

極端に言えばその瞬間に一番必要な「相手の音」を生かすためには

「自分の音」は削っても良いのである。


一つのバンドサウンド構築する為の必要な音の「引き算」

そこで生まれる音の隙間も大事な5人目の音なのである。



Lee Dorseyの「Yes We Can」(1970)



海軍、ボクサー、自動車の板金工場などの様々な職を転々と流れた末に

たどり着いたのが音楽の世界。

おとぼけ調のノベルティソングを得意とした60'sを経て

70'sのスタートにAllen Toussaintとともに作られたのが本作。


Allen ToussaintとMetersが作り上げる「音の隙間」をも味方につけた無駄をそぎ落としたサウンド

それにのっかる彼の飄々とした声が、ニューオーリンズファンクの完成を

ここに高らかに宣言している。

商業的セールスの成功にはいたらなかった本作ではあるが

Pointer Sistersによる「Yes We Can」
Van Dyke Parksによる「Occapella」「Riverboat」
Ringo Starrによる「Occapella」
Little Featによる「On your way you down」

数多くのアーティストが本作収録ナンバーのカバーをこぞって作ったことが証明しているように

これこそ真の名作なのである。



今年最後の練習で僕らがおこなった音の「事業仕分け」をもとに

来年も「足し算」「引き算」を繰り返しつつ自分たちのサウンドを作り上げたい。




合い言葉はもちろん「Yes We Can」である。
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Enjoy

2009-12-21 00:04:35 | 日記
いよいよ来週から、本年度の仕事の山場へと突入する。



僕が今の仕事に就いたのが2001年の秋のこと。



それまで働いた職種とは全く畑の違う仕事であった。

入社後半年間の研修期間のあと2002年4月から本当のスタートが始まった。



まったくの新分野でのスタートは振り返ってみれば失敗の連続であった。

不十分な知識、経験では突然の事であろうが

何よりも自分自身に迷いがあったことが失敗へとつながる最大の原因であった。



そんな僕の迷いを振り払ってくれたのは、上司や同僚ではなく「お客様」であった。



彼らによって下される、僕の仕事へのダイレクトな「Yes」「No」の判定

毎日が「Live」の繰り返しであり、その場の空気を読みとっての

彼らとの真剣勝負が毎日のように繰り返された。

1年間の彼らとのかかわり合いが終わる頃に気がついたのは

「自分自身楽しむこと」



僕自身の楽しさが彼らにも伝わるし

彼らの楽しさが更なる僕の楽しさへと繋がるのであった。




The Specialsの「More Specials」(1980年作品)

センセーショナルなコステロのプロデュースによる1st(1979)から1年後

バンド内の不協和音を経て到達したタイトル通りの「more」なサウンドが展開される作品である。



「危うさ」を悟って、己を鼓舞するかのように連呼される「Enjoy Yourself」

憂いのあるリズムボックスに導かれ男女の声が絡み合う「I can't stand it」



スカやパンクといったくくりだけに囚われない彼ら流のPop Music

バンドが転がって行く上での「楽しさ」と「危うさ」がせめぎあって

完成された彼らの到達点がここにはある。



最後にもう一度繰り返される「Enjoy Yourself (Reprise)」




どんなに仕事の年数を重ねても「自分自身楽しむこと」を忘れてはならない。
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生(なま)

2009-12-20 00:05:29 | 日記
今年はもうすぐ終わろうとしているが、本当に何年かぶりに

「生(なま)」の体験する事が出来た。



「生(なま)」といってもお酒はまったくな僕なのでビールではなく

「生(なま)」の音楽である。



そんな中でも印象的だったのが

日本屈指のライブバンド「バンバンバザール」



現在のメンバーは三人であるが

今回僕が見たライブはホーンセクション、ドラム、ピアノを贅沢に配した

「バンバンバザールデラックス」仕様であった。



アコースティック・スウィング、ジャイブ、ニューオーリンズ、ブルース、ラテンetc...

様々なジャンルが交錯する小細工のない「生(なま)」の音

僕と全く同世代のボーカル福島氏の軽快なトーク

そのライブ自体がDVDとして収録発売されると言うおまけつきだったこともあり

いろんな意味で家宝もののライブであった。



そんな彼らのアルバムの中でも一つあげるならば



「Suge Ban Ba」(2001年作品)



彼ら自身のレーベル「Home Work」から出された作品で

水森亜土との掛け合いが楽しい「JUST MOMENT PLEASE」

フォークタッチの美メロな「さよならと言ってくれ」

Rocking Timeの今野英明とのデュエット「色男で雨男」

いなたいカントリーワルツ風な「ニューオリンズにて」

センチメンタルな魅力の「シュラ」

ルイアームストロングの曲に日本語詩を乗せた「明るい表通りで」

など捨て曲なしの12曲のGood Time Music




勿論このアルバムからの曲もライブでは「生(なま)」で味わう事が出来た。

ちなみにそのDVDは「SELF」なるタイトルで現在発売中。



この日の「生(なま)」の感動を、是非お早めにご賞味いただきたい。
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Family

2009-12-19 00:01:52 | 日記
自分自身が所帯を持つようになって一番変わったことは

「個人」という「単体」ではなく

「家族」という「集合体」での活動であるということ。



元々「集団」での行動が嫌いなわけではないが

今までを振り返ると、学校、部活、職場、友人の輪、バンドなどの「集団」の中に属すると

なぜかしら突然に「孤独」を感じたるすることも多々あった。


そんなこともあって「家族」という「集合体」を構える事自体に自然と不安を感じていた

せいか、結婚も子供の誕生も世間一般と比べると年齢的に遅いものになってしまった。


ただ今の「家族」という「集合体」では、今までの集団の中でのような「孤独」を感じる事がない。

もちろん単体の「個人」としての自由は明らかに少なくなってしまったが

自分の「自由」を分け与えられるだけの何かがそこには存在するのだ。




Kenny Rankinの「Family」


二人の愛娘を両脇に抱えた、モノクロのフォトグラフがなんとも微笑ましく印象的な一枚。


1曲のオリジナル曲を除いては彼のお得意のカバーで埋め尽くされている。


Carole Kingの「Up On The Roof」
Beatlesの「White My Guitar Gently Weeps」「Dear Prudence」
Buffalo Springfieldの「Four Days Gone」
Bert Janschの「Needle Of Death」
Otis Reddingの「Sittin' On The Dock Of The Bay」

見事な選曲の妙と、すでに確立されていた原曲に

卓越した職人芸とも言えるアレンジで新しい息吹を吹き込んでいる。



アルバム唯一のオリジナルナンバーが「family theme」

子供のたちのVoiceも聞こえる素敵なナンバーだが、

この一曲をアルバムに収録した彼の気持ちが良く分かる。




仕事という「孤独」な戦場で気を張っている世の中の父親たちも

帰るべき場所はここ「Family」にあるのだろう。
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たじたじ

2009-12-18 00:13:04 | 日記
先日深夜に帰宅して目に飛び込んで来たのが扉の「落書き」

慌てて妻に聞いたところ、一瞬の隙に行われた息子の犯行らしい。



僕の目に最初に飛び込んで来た表面の落書きよりも

裏面の落書きの方がさらに派手派手しく書かれてあった。



最近は感情の表現がとてもストレートで、押さえきれない気持ちが

落書きとして現れたのだろう。

なんとなく「微笑ましい気持ち」と「父親としての威厳」の葛藤の中

翌朝本人に落書きについて聞いてみた。


「これ書いたの誰?」と聞くと彼は「○○(自分の名前)!」

さらに続けざまに、裏面の力作の方を指差して「こっちも、こっちも!」とのこと。

彼の中では最高のアート作品なのだろう。

日頃の落書き帳の小さなキャンバスよりも

大きな真っ白な扉のキャンバスの方が書き心地がよかったのだろう。

彼の無邪気なアピールにすっかり「たじたじ」になってしまい

叱る気持ちはどこへやら。

未だに彼の力作は我が家のリビングにしっかりと描かれたままである。



Taj Mahalの「Satified'N Tickled Too」(1976年作品)



冒頭からくつろぎムード満天のミシシッピジョンハートのカバー「Satified'N Tickled Too」

思わず口笛も飛び出してしまうTaj流のお気楽レゲエナンバー

5曲目「Ain't Nobody's Business」ラグタイムとスウィングにトロピカルパウダーを振りかけた

極上の仕上がりである。途中聞かれるスキャットもその魅力を増幅させている。

続く「Misty Morning Ride」で時折聞こえるフルートと跳ね上がるリズムの攻防。

8曲目「Old Time Old Love」のゆったりとくりかえされるトロピカル賛歌が終わると

ラストナンバー「We Tune」で楽しい一時を惜しむかのようなパレードが行進を始める。

アルバム全編を通して、彼のSmokey Vocalとトロピカルなアレンジが

どんな精神状態の心もほっこりとさせてくれる。




いつまでたっても

「息子の感性」と「Taj Mahalの音楽」には

「たじたじ」な僕なのである。

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