今日(6月30日)西村京太郎さんがかつて一世を風靡した競走馬ハイセイコーのことをネットのエッセイで書かれていた。
長めなのだけど、拝借。
「私の記憶にある名馬といえば、誰が何といおうとハイセイコーである。地方競馬(大井だったと思う)出身で、血統もよくわからぬ。何処の馬の骨ともわからぬが、大柄な馬体で、中央競馬に出てくるや連戦連勝、それもハナとか1/2馬身というケチな勝ち方ではなく、何馬身も引き離しての圧勝に、たちまち地方出身の若者たちや不遇を嘆く連中がハイセイコーのファンになった。」
そして、ダービー。圧勝かとの予想を裏切ってころっと負けてしまう。
ふつうだったら、ハイセイコーのやつ、なんだよ、馬鹿野郎!となるのに、ならなかった。
「それどころかコロリと負けたハイセイコーを、みんな一層好きになった。毎日一所懸命がんばってるのに、肝心の時ヘマをしてしまう連中も、ただの怠け者も、不遇な連中は、みんな自分をハイセイコーに投影したのだ。売れない作家の私も。」
ハイセイコーってそういう馬だったんだと初めて知った。心が熱くなる、いい文章です。
そして、じつに何十年ぶりかで、トキノミノルという名馬に夢中になったことを思い出した。ネットで調べてみたら、出自はやはりたいしたことなく、めだたず、馬主からもかえりみられず、名前もまともにつけてもらえなかったのに、出てくるや10戦10勝!しかも10勝目はダービーでの勝利
でも、その勝利から17日目にトキノミノルは死んでしまう。破傷風だった。1948年生まれで1951年に3歳で死んでしまったのだ。私はというと、そのとき8歳だったことになる。
当時住んでいた家の裏で濃ピンクの花を咲かせるハエトリソウの下に石を置いて、トキノミノルのお墓にした。トキノミノルが死んだときの新聞記事の切り抜きはずっと大事に持っていたっけ。
(ついに子供のころの思い出になってしまって、生き急いでいる?)
お母さまがあの有名な????(思い出せない)にお勤めされてたんでした?
小学生のころだったし、生き物が死ぬっていうことが受け止めきれなかったのね。