七夕の夕べ、50数年前に数年間一緒に学んだクラスメートたち7人と小さなクラス会をしました。
MiさんがキルギスのK市に日本語教師のシニアボランティアとして8カ月間(病気で1カ月早く帰って来たとか)行っていたときの話を聞きました。小学生から高校生だったか、日本語を学ぶための私学校だそうです。
寒かったこと、ホームステイ先を何度もかえたこと、お風呂はおろか、シャワーにも100日近く入れなかったこと、食事は肉ばかりで野菜が高いので出なくて自分で買ってくると家族に食べられてしまう(笑)などなど。1カ月報酬1万円、旅費などすべて自分もち、ほんとのボランティアの厳しいお話しでありました。Miくんにつづけ~なんて気分には、私達のだれひとりなれなかったこと請け合いです
もうひとり、キルギスのK市より1、2万だけ人口の多い熊本県の菊*市のMakiさん。クラス会をしようと声をかけてくれるのはいつも彼です。学生時代そのままの純朴な人柄の持ち主です。でも、かつて市長を2期やったことがあるんですよ。(3期め落選。)
そのかれが日本語学校を立ち上げるので、今回もそのために文部省に用事があったんだそうです。空き家がたくさんあるのでその有効活用なんかも考えているようでした。
帰りの電車の中で隣に座ったクラスメートが「終活しようとしていたけれど、考える」といった意味のことをいってました。
私ですか? 早く宿題をやってしまわなければ!!
さまざまな後期高齢者に会えた今年の七夕でありました。