11月17日の朝日新聞「声欄」に「戒名断り、母は無宗教の墓へ」という投稿が載っていました。
お母様が亡くなり、戒名を巡って菩提寺ともめた、とのこと。
戒名を授けて本葬儀をしないと浄土に行けないと菩提寺から言われ、戒名50万、本葬儀60万のところを、計80万にすると言われたが、以前から戒名に不信感を持っていたので「要らない」と申し上げると「出て行ってくれ」と言われた、とありました。
菩提寺の墓から先祖代々のお骨も引き取り宗教的な制約のない墓に、母と先祖が俗名で安住することになった。
“これが正しかったのか。子孫のために良かったのか。”
と書かれておられました。
・・・
私はそれで良かったと思います。
「戒名が無ければ浄土に行けない」なんて、霊感商法そのものではありませんか。
「出ていってくれ」なんて、それが人心を救う宗教家のいう言葉でしょうか?
葬式が出来なくても、戒名が無くても、大丈夫なんです。
お経も必要なものではありません。
それらが無いと「浄土に行けない」なんてことは絶対にありません。
・・・
※この記事は18日に投稿しようとして保留にしてあったものです。
寺やお坊さんを全否定しているように取られそうですが、そうでも無いのです。
現時点では考えが纏まっていないので、そこの所をどう書こうか迷っていて保留にしていたのですがすぐには纏まりそうにないので、現在進行形で考えながらその都度書いていくことにします。
・・・
更に、私個人はお墓を残すことは子孫への負担(負債)を残すことだと考えています。
両親がお互いの「家」の墓守を巡って諍い、「両方の面倒を見てくれ」と言われて困惑している“一人っ子”を知っていますし
又、転勤族で遠方に住んだときの墓参りなど、墓があることが負担でしかないと言う方もいらっしゃいます。
もちろん、墓参りを心の拠り所にされている方もいらっしゃいますが、
(人生に躓いたときに)「墓参りをしないから、云々。先祖の祟り、云々。」なんていう、悪徳霊感商法に引っかかる元にもなります。
墓前に手を合わせなくても、その人の事を思い出したとき、考えたとき、
その時心(魂)はつながって、それが供養にも、又、癒しにもなると思います。
故人を偲ぶときに「(対象が)何も無いと心許無い」と、こうちゃんは言いますが、墓石なんかより写真や普段身につけていた物なんかの方が断然良いです。
ただ、大切な人を喪った残された人の為の、お別れの儀式のようなものは必要だと思いますが、私が死んだ時は、お坊さんにお経をよんでもらうことは止めてほしいです。
そして、参加者が数人になったとしても、義理の人には来てほしくありません。
お母様が亡くなり、戒名を巡って菩提寺ともめた、とのこと。
戒名を授けて本葬儀をしないと浄土に行けないと菩提寺から言われ、戒名50万、本葬儀60万のところを、計80万にすると言われたが、以前から戒名に不信感を持っていたので「要らない」と申し上げると「出て行ってくれ」と言われた、とありました。
菩提寺の墓から先祖代々のお骨も引き取り宗教的な制約のない墓に、母と先祖が俗名で安住することになった。
“これが正しかったのか。子孫のために良かったのか。”
と書かれておられました。
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私はそれで良かったと思います。
「戒名が無ければ浄土に行けない」なんて、霊感商法そのものではありませんか。
「出ていってくれ」なんて、それが人心を救う宗教家のいう言葉でしょうか?
葬式が出来なくても、戒名が無くても、大丈夫なんです。
お経も必要なものではありません。
それらが無いと「浄土に行けない」なんてことは絶対にありません。
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※この記事は18日に投稿しようとして保留にしてあったものです。
寺やお坊さんを全否定しているように取られそうですが、そうでも無いのです。
現時点では考えが纏まっていないので、そこの所をどう書こうか迷っていて保留にしていたのですがすぐには纏まりそうにないので、現在進行形で考えながらその都度書いていくことにします。
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更に、私個人はお墓を残すことは子孫への負担(負債)を残すことだと考えています。
両親がお互いの「家」の墓守を巡って諍い、「両方の面倒を見てくれ」と言われて困惑している“一人っ子”を知っていますし
又、転勤族で遠方に住んだときの墓参りなど、墓があることが負担でしかないと言う方もいらっしゃいます。
もちろん、墓参りを心の拠り所にされている方もいらっしゃいますが、
(人生に躓いたときに)「墓参りをしないから、云々。先祖の祟り、云々。」なんていう、悪徳霊感商法に引っかかる元にもなります。
墓前に手を合わせなくても、その人の事を思い出したとき、考えたとき、
その時心(魂)はつながって、それが供養にも、又、癒しにもなると思います。
故人を偲ぶときに「(対象が)何も無いと心許無い」と、こうちゃんは言いますが、墓石なんかより写真や普段身につけていた物なんかの方が断然良いです。
ただ、大切な人を喪った残された人の為の、お別れの儀式のようなものは必要だと思いますが、私が死んだ時は、お坊さんにお経をよんでもらうことは止めてほしいです。
そして、参加者が数人になったとしても、義理の人には来てほしくありません。