日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

どうなる? 民主党代表 神戸まつり

2009-05-16 11:15:24 | Weblog
民主党代表が今日決まる。マスメディアは鳩山由紀夫氏優位を伝えるが、鳩山氏は小沢氏が代表を辞任することがあれば幹事長として連帯責任を負うとつい最近も意思表示したばかりである。だから当然党役員を辞任して謹慎するのかと私は思ったのに、なんと、今度は党代表に立候補したのだから呆気にとられた。

私はかねてから鳩山氏の言葉遣いに引っかかっていた。聞いただけで鳥肌が立つのである。それは、なになにをさせていただく、という言い回しを多用することである。テレビ映りする機会が多いので目立つ面もあろうが、それにしてもほかの政治家と比べて鳩山氏の「させていただく」は突出している感じだ。なぜ「やります」と言えないのだろう。自分の積極的意志をアピールできない政治家はとにかくうろん臭い。そのうえ鳩山氏は第四代目世襲議員であるから、私はそれだけでもお断りである。それなのに「連帯責任」発言を含めてマスメディアはほおかぶりで鳩山氏優位とはしゃいでいる。民主党に期待はしないけれど、せめて岡田氏を代表に選ぶぐらいの気概を民主党は見せて欲しいものである。夕方には分かることだろう。

朝、ネットで

神戸の1人目の高校生入院 感染の有無、午後に確定へ

 厚生労働省は16日朝、神戸市環境保健研究所の詳しい検査で新型の豚インフルエンザに陽性反応を示していた神戸市の10代後半の男子高校生が、感染症法に基づいて同市内の医療機関に入院したと発表した。

 神戸市は男子高校生から採取した検体を東京の国立感染症研究所に送り、16日早朝に届いた。同研究所は感染の有無の確認を急ぐ。16日午後にも結果が出るという。確認されれば、検疫を除く国内で初めての発生例となる。 (後略)
(asahi.com 2009年5月16日8時28分)

と出た。では今日から始まる神戸まつりがどうなるのだろう、と上のタイトルを書いたが、早くも続報が現れた。

神戸市東灘・灘・中央区・芦屋市の一部学校 7日間休校

 神戸市の男子高校生が新型インフルエンザに感染した疑いがある問題で、同市は16日、第1学区(東灘区・灘区・中央区・芦屋市)にある市立の幼稚園、小中学校、高校を同日から22日までの7日間休校とし、同学区の修学旅行についても延期を決めた。市立の保育所、高齢者施設、障害者施設も休所とする。さらに、県などに対して同学区内の県立高、私立高、大学も休校にするよう要請した。

 また、同市内で15日に始まった「第39回神戸まつり」については、16日の東灘・灘・中央3区の催しを中止とし、17日のメーン行事「おまつりパレード」は全面中止とした。

 市は市民に対し「不要不急の外出を自粛してほしい」と呼びかけている。
(asahi.com 2009年5月16日9時41分)

いや、素早いというか早すぎる。機械的反応だから早く出来たのだろう。頭も働かさなければ退化する。せめて「さて、今日からの神戸まつりは皆が楽しみにしているから止めるわけにはいかない。けれど気にする人もいるだろうから、サンバ踊りには全員マスクをして貰おう」というぐらいは考えて欲しかった、とは犬の遠吠えである。

日常生活をいつものように維持しながらもことさら人混みに出かけるのを避け、日頃の習慣通り外出から帰宅後のうがいと手洗いを欠かさずにしようと思う。もし咳などが出だしたら人に迷惑をかけないようにマスクをするつもりであるが、さて、まだ買えるかな、である。国内での感染拡大をどのように抑えるか、これからの対策を注目したい。それにしても何故神戸に、なのだろう。

東北大院生自殺 「東北大学ハラスメント防止対策」がなぜ機能しなかったのか?

2009-05-14 09:54:10 | 学問・教育・研究
東北大学の地元紙である河北新報はこの事件を次のように伝えている。

東北大、院生自殺「指導に過失」 准教授が論文差し戻す

 東北大は13日、大学院理学研究科の男性大学院生=当時(29)=が、指導教官の男性准教授(52)から論文を差し戻された後の昨年8月、自殺していたことを明らかにした。東北大は「教員の指導に過失があり、自殺の要因となった」とする調査報告書を取りまとめた。准教授は辞職したが、大学側は近く懲戒処分を決める。

 東北大によると、准教授は2006年、大学院生が博士号を取得するために執筆した論文について、データ収集が不十分だとして、提出を見送るよう指示。大学院生は07年12月に論文を再提出したが、准教授は十分に説明しないまま差し戻した。

 08年1月、大学院生の論文が科学雑誌の審査を通らなかった際も、具体的な指導をしなかった。

 大学院生の自殺後、父親から「教員の指導に問題があったのではないか」との訴えがあり、東北大が調査委員会を設置して内部調査を進めていた。(後略)
2009年05月13日水曜日

三件の事例を挙げているが、事の起こりは2006年、平成18年のことである。1年後の2007年、平成19年にも大学院生は指導教員に提出した論文を受け取って貰えなかった。ここで報じられた内容をみると、大学院生が指導教員からいわゆるアカデミック・ハラスメントを受けた可能性が考えられる。アカデミック・ハラスメントとはたとえばこのように定義されており、その強調部分(筆者)が当てはまると考えられるからである。

 当NPOでは、『研究教育の場における権力を利用した嫌がらせ』と定義しています。例えば、教員の場合では、上司にあたる講座教授からの研究妨害、昇任差別、退職勧奨。院生の場合では、指導教員からの退学・留年勧奨、指導拒否、学位論文の取得妨害など

東北大学では以前からハラスメント防止対策に取り組んでおり、東北大学大学院理学研究科・理学部のホームページから>在学生>ハラスメントへと、その取り組みを辿ることが出来る。さらに全学的な取り組みとして「ハラスメント問題解決のためのガイドライン」を平成18年 1月25日 制定、平成18年 7月19日 改正、平成18年10月25日 改正という経過で公表している。この別紙2には「教育研究ハラスメントの事例」が詳しく挙げられており、一部を引用するが、そのいくつかが今回の事例にあてはまるように思われる。

(別紙2)教育研究ハラスメントの事例
(1)修学・教育上の権利の侵害
①教育的指導の不当な拒否及び放置
・求められた教育的指導を正当な理由なく拒否する。
・修学上必要な教育的関与を、修学に支障をきたす限度を超える期間にわたり一切行わない。
②修学上の不当な要求
・常識的に不可能な課題達成を強要する。
・長期にわたり休息不可能な、あるいは健康を害する可能性がある程度の努力の継続を強要する。
③学位取得論文の提出に研究科内での申し合わせ等による基準を著しく逸脱した条件の要求
・当該分野の学会誌等の査読付論文に関する基準を上回っていても学位論文の執筆をゆるさないと言う。
④自由な進路選択の侵害及びそのおびやかし
・学生に、他大学、他研究科、他研究室への進学や異動をゆるさないと発言する。あるいは、誓約を求める。
・個人の選択による就職先に対して不当な介入を行う。あるいは影響を与えるとおびやかしの発言をする。
⑤不当な評価及び発言
・成績の不当な評価を行う。あるいは評価に無関係なことがらを成績に結びつける発言をする。
・自分一人の権限の範囲外であるのにもかかわらず、自分が評価を左右するとのおびやかしの発言をする(“私が卒業させないぞ”など)。

ここで注目するのは、このガイドラインがまさに大学院生に対する「アカデミック・ハラスメント」とおぼしき行為がなされつつある時期に、やや先だって作成されていたことである。大学がこの取り決めをどのように構成員に周知徹底をはかったのかはわからないが、この「ハラスメント問題解決のためのガイドライン」が大学院生、指導教員とその周辺にまったく伝わっていなかったとは考えにくい。さらに東北大学ハラスメント防止対策にも「あなたがハラスメントを受けたと思ったら」とか「自分の周りでハラスメントを受けている人がいたら」と構成員に呼びかけて、当事者がいかになすべきかきわめて適切な指示を与えている。

大学としてこれほどしっかりしたハラスメント防止対策を講じていたのに、なぜそれが役に立たなかったのだろうか。まずこの大学院生に自分が「アカデミック・ハラスメント」を受けているとの認識があったのかどうかである。上の新聞記事の報じている通りなら、当然本人にもその認識があってしかるべきである。では「部局相談窓口」なり「全学相談窓口」に本人から相談が寄せられたのだろうか。

大学院生にとっていわゆる博士論文の提出は大きな出来事である。本人はもちろん、まわりも固唾をのんで成り行きを見守っている(少なくとも私が大学院生であった頃はそうだった)。提出すべき時期になって指導教員からその指示がなかったら、これはおおごとである。本人はもちろん周りもその理由を知りたがるだろう。もし本人も周りも納得できなければ今は昔と大違い、ちゃんと苦情を申し立てる制度が完備しているのだから、そこに本人なり、また周りが相談をもちかければよいではないか、と思ってしまう。それなのに「窓口」に相談が寄せられなかったのだろうか。

上記河北新報によると

大学院生の自殺後、父親から「教員の指導に問題があったのではないか」との訴えがあり、東北大が調査委員会を設置して内部調査を進めていた。

ということで、もしこの通りだとすると、周りも無関心すぎると言える。これではいかによく考えられた「ハラスメント問題解決のためのガイドライン」を作ったとしても、仏作って魂入れず、である。せっかくの「東北大学ハラスメント防止対策」がなぜ機能しなかったのか、東北大学の徹底した検証で問題の在りかを明らかにして、この対策が有効に働くよう努力すべきであろう。

最後に一言、この辺りの事情が明らかでない現状で、東北大学調査委員会の今回の結論を私は素直に受け取ることが出来ない。


これは便利 IKEAのラップトップサポート

2009-05-13 18:09:58 | Weblog
ネットブックHP Mini1000を購入以来、外に持ち出す機会は少ないが家の中で重宝している。無線LANを介してインターネットにつながるので、Yahoo!百科事典をはじめ各種大辞典を無料で利用できるし、また辞書もインストールしているので万能電子辞書として大いに役立っている。ただネットブック自体が小型なのでラップトップとして膝の上に置くとどうも不安定で、これぐらいは仕方がないものと諦めていた。ところがたまたま昨日、研究留学ネットで膝上PCボードの紹介記事を目にした。

便利グッズに、膝上PCボードというのがあります。「SANWA SUPPLY CR-HUS1 膝上PCスタンド」とか、いろいろ出ているのですが、評判がよいのがIKEAのBRADA-ラップトップサポート。各所で相当な評判。しかも安い(2490円)。

偶然にも今日はほかの用事でIKEAに行くことにしていたので、これはもっけの幸いと品物を手に取ってみることにした。IKEAには車で20分もかからないので、出かけるのが苦にならないのである。列19棚28で目指す代物、ラップトップサポート BRÄDAにお目にかかった。幅50センチほどの半円形のプラスチックボードの下にクッションがついている、ただそれだけの物である。大きさからして外出先にまで持ち運びするようなものではないが、家の中で使う分には問題は無さそうである。ということで早速購入した。



クッションはプラスチックボードに五箇所のホックで取り付けられており、ジッパーを開くともみがら?が入っているような内袋を取り出すことが出来る。クリーニングの便宜を考えたのだろうか。「もみがら」入りだからクッションが自在に形を変えることが出来、膝の上に自然に納まってくれる。その上にネットブックを置いてみると、膝を揃えてもまた組んでもとても安定にボードに乗っかっており、両手が素直にキーボードに触れる。デスクトップを使うよりは遙かにリラックスした姿勢を取ることが出来るので、これからますますネットブックの出番が増えそうである。



シリン・ネザマフィ作「白い紙」を読んで

2009-05-12 18:06:00 | 読書

三宮センター街のジュンク堂に入って「文学界」六月号を探した。このたび文学界新人賞を受賞したイラン人女性シリン・ネザマフィさんの受賞作「白い紙」を立ち読みしてやろうと思ったからだ。いろんな月刊誌が平積みされているが「文学界」だけが見あたらない。店員さんに聞いたところ、上の本棚に一冊だけ陳列されていたので、これは希少価値がありそうと思ってつい買ってしまった。物好きなことである。

一口に言えば「イラン・イラク戦争下の田舎町を舞台に、若い男女の恋と別れを描いた青春小説」であろう。イランと言えばその昔はペルシャ、ペルシャと言えば「千夜一夜物語」で、私が読んだ唯一のイラン産の物語である。バートン版であれマルドリュス版であれ、アラビア語原典の英語訳もしくは仏語訳からさらに日本語に重訳されたものだから、手間暇がかかっている。しかるこの受賞作はイラン人がイランにおける生活を日本語で書いているのだから、つくづく世の中が変わったものだと思ってしまう。ところが舞台がイランである上に登場人物がすべてイラン人で、日本語で書かれたこと以外は日本とは無縁であったせいか、まるで翻訳を読んでいるかのように感じた。非漢字圏出身者による初めての文学賞受賞作品という話題性がなければ、多分接することがなかっただろうにと思うだけに、この作品の伝えてくれるイランという国の生活実態がけっこう面白かった。

主人公である女子学生の父親は戦争医師として、最前線に近い病院に派遣されているが、週末には女子学生とその母親が首都テヘランから疎開してきた田舎町に戻ってきて、町医者よろしく住民を診察する。そして患者をなんと紅茶などでもてなすのである。所変われば品変わるで、随所に出てくるイランの生活風習が面白い。しかし男女の引かれ合う心の動きとか、男子学生が田舎町からただ一人の医学生として、夢に描いていた道がこれから開かれようとするその瞬間に、戦士として戦場に赴くことを決意するが、その心の葛藤などはいわば万国共通のテーマであって、エキゾチックな味わいを別にすると、類型的な小説仕立てに終わっているように感じた。

日本語で読む作品である以上、新人賞とはいえ文学賞が対象とする作品は、日本人と日本文化を描くものであるべきではないかと思う。そうでないと万国共通のテーマの小説仕立てに過ぎないのに、外国人が日本語を操るといういわば際物的な側面で他の候補作を抜きんでたのでは、とついげすの勘ぐりをしてしまう。

しかしそれにしてもシリン・ネザマフィさんは華麗な方である。システムエンジニアとして身を立てながら小説をも書くという何とも優美な生き方が羨ましい。ぜひ日本人と日本文化を描いてわれわれ日本人の心をがっちりと掴んでいただきたいものである。


足利事件とDNA型鑑定 鑑定とはどれほど科学的なのか?

2009-05-11 22:50:09 | Weblog
これは5月9日の朝日朝刊の記事である。このDNA型鑑定の報道に触れるまで私は足利事件については何一つ知らなかった。この事件を時事ドットコムは次のように伝えている。

足利事件

 1990年5月12日、栃木県足利市のパチンコ店駐車場で遊んでいた女児=当時(4)=が行方不明になり、付近の草むらで翌日遺体で発見された。県警は不審者として菅家利和受刑者を捜査し、91年12月に逮捕した。証拠の柱だったDNA型鑑定は警察庁科学警察研究所で導入されたばかりで、弁護側は信頼性に疑問があるとしたが、最高裁は2000年7月にDNA型鑑定の証拠能力を認める初判断を示し、一審無期懲役判決が確定した。
(2009/05/08-17:33)

身にまったく覚えがないのに、自分の遺留物が被害者の衣服に付着していることが最新の科学的分析法で証明されたなんて聞かされたら、誰でも途方にくれてしまうことだろう。それと同時に、これは絶対におかしいと科学に対する不信感も生まれてくるに違いない。どうしてこのような間違いが起こったのか、DNA型鑑定を含めて、裁判における鑑定のあり方になにか大きな問題点があるような気がする。そこで思ったのが次のようなことである。

足利事件の最高裁判決理由でDNA型鑑定の妥当性を次のように述べている。

 (前略)記録を精査しても、被告人が犯人であるとした原判決に、事実誤認、法令違反があるとは認められない。なお、本件で証拠の一つとして採用されたいわゆるMCT118DNA型鑑定は、その科学的原理が理論的正確性を有し、具体的な実施の方法も、その技術を習得した者により、科学的に信頼される方法で行われたと認められる。したがって、右鑑定の証拠価値については、その後の科学技術の発展により新たに解明された事項等も加味して慎重に検討されるべきであるが、なお、これを証拠として用いることが許されるとした原判断は相当である。(後略)
最高裁判所第2小法廷平成8年(あ)第861号200(平成12)年7月17日決定

このようにいわゆるMCT118DNA型鑑定結果に証拠能力のあることを認めたのであるが、今回の再鑑定結果でその証拠能力のないことが明らかにされた。犯人と受刑者を結びつける物的証拠とされたものが否定されてしまったのである。

第一審において、DNA型鑑定の科学的原理を理解し、その技術にも精通している鑑定人が、自信を持って導いた結論であるということで裁判所がDNA型鑑定の結果を科学的証拠として採用したのであろう。ところが結果論になるが、この鑑定人の結論が科学的に間違っていたのである。と言うことはDNA型鑑定を個人識別に使うことが原理的に正しいことは間違いないとしても、その当時の実験手法に限界があったことになる。それなら鑑定人も、DNA型鑑定の科学的原理は正しいけれど、技術がまだそこまでは至っていないので、と現実への適用が時期尚早であることを主張できたのではなかろうか。これも結果論であるが、もしその限界が分かっていなかったとしたら、もともと鑑定人として適格でなかったことになる。それとも限界のあることを主張し難い何らかの状況でもあったのだろうか。

これが科学的研究一般のことであれば、研究成果を論文に発表する前にその内容を評価しうる複数の専門家の査読を受けることになる。本質的な問題点があればまずそこで浮き彫りされることになる。さらにその科学的発見が間違いのないものかどうかは、第三者による追試により確認されなければならない。査読と追試は科学的発見の客観性を確保するために科学界で広く認められた手続きである。DNA型鑑定もいわば科学的実験そのものであるから、それから導かれる結論の妥当性は元来第三者の精査を受けてしかるべきであり、また別人による追試が欠かせないものであることは言うまでもない。第三者による精査と追試を科学的立証の必須条件としておけば、鑑定法の原理や手法の妥当性に疑問が残されたまま現実に適用され、今回のような大きなミスを犯す恐れは大幅に減少するのではなかろうか。法曹界での現状を知らないまま今回感じたことを述べたが、どうもこの世界では一発勝負が大手を振ってまかり通っているような気がする。言うまでもなく一発勝負は科学とは無縁である。私の憶測が間違っていることを祈りたい。

「WHOを始めとして世界が振り回された」発言 撤回の弁

2009-05-07 13:01:07 | Weblog
私のブログ記事落ち着いてきた新型インフルエンザ騒動?に対して学生時代からの友人よりメールがあり、次のように窘められた。

『おそらく確度の低いデータによりWHOを始めとして世界が振り回されたのが今回の新型インフルエンザ騒動のような気がする』との見方は甘いと思う。私はもっと空港でのチェック体制も強化すべきと思っています。(中略)元研究者のブログであまり軽軽の発言は控えてほしいです。

私も事態を決して軽視しているわけではないが、マスクや保存食料を買い込むほどのことはあるまい、と思っていた。ただこの記事を書いてから一つ気になりだしたことがある。上のWHOを始めとして世界が振り回されたという部分である。確かに新聞報道では当初メキシコの死者が最大176人とも伝えられたが、いくら何でもWHOがそのようなあやふやな情報を鵜呑みするとは考えられず、当然新型インフルエンザによる感染者と死者の確認に努めているであろうと思い始めたものの、WHOの発表で直接に確認していなかったからである。そこでこの機会にWHOによる新型インフルエンザ感染者等の発表がどうなっていたかを国立感染症研究所・感染情報センターのWHO更新情報-アーカイブ(2009年~最新)で調べてみた。

まず4月24日の発表である。タイトルは「ブタインフルエンザ アメリカ合衆国とメキシコにおけるインフルエンザ様疾患に関する情報」となっている。

 2009年4月24日--アメリカ合衆国政府は米国内でブタインフルエンザA/H1N1の7人のヒトへの感染確定症例(カリフォルニア州が5人及びテキサス州が2人)及び9人の疑似症症例を報告した。7人の確定症例全ては軽度のインフルエンザ様疾患(ILI=Influenza-Like Illness)があり、1症例のみ短期間の入院をした。死亡者は報告されていない。

 メキシコ政府は3箇所の独立したアウトブレイク事象を報告した。メキシコの連邦地区のサーベイランスは3月18日からILIの症例の増加が始まった。症例数は4月まで徐々に上昇し、4月23日までに首都から854人以上の肺炎患者が報告された。これらのうち59人が死亡した。メキシコ中心部のSan Luis Potosiで24人のILI症例(うち、3人死亡)が報告された。さらにMexicali(アメリカ合衆国との国境付近)からILIの4症例(死亡例なし)が報告されている。

 メキシコ人の症例のうち、18例はカナダで検査の結果ブタインフルエンザA/H1N1であることが確認され、そのうち12例の株はカリフォルニア州のブタインフルエンザA/H1N1と遺伝子的に同一であった。(後略)


明らかにインフルエンザ様疾患(ILI)に罹ったものと、ブタインフルエンザA/H1N1であることが確認されたものとはっきりと区別されている。さらに4月26日には

 また、2009年4月26日現在、メキシコ政府は18例の検査確定されたブタインフルエンザA/H1N1の症例を報告している。メキシコにおけるこの疾患の広がりと重症度を明らかにするため、調査が続けられている。ブタインフルエンザを疑う臨床症例が、メキシコの32の州のうち19州から報告されている。

そして報告は次のように続く。

(4月27日)
ブタインフルエンザA(H1N1)の集団発生に関する現在の状況は急速に進展しつつある。2009年4月27日現在、アメリカ合衆国政府は40例の検査確定されたブタインフルエンザA(H1N1)のヒト症例を報告しており、死亡者はいない。メキシコ政府は同じウイルスのヒト感染確定例を26例報告している。カナダは6例を報告しており、死亡者はいない。スペインは1例報告し、死亡者はいない。


(4月28日)
 状況は急速に進展し続けている。2009年4月28日19時15分世界標準時(訳注:日本時間 4月29日午前4時15分)現在、7カ国がブタインフルエンザA/H1N1感染の症例を公式に報告している。アメリカ合衆国政府は64例の検査確定されたヒト症例を報告しており、死亡者はいない。メキシコ政府は、7例の死亡例を含む26例の確定ヒト症例を報告している。

この段階になって日本の新聞が次のように報じたのである(前出)。



さらに同じ更新情報でWHOは次のようにも伝えている。

 WHOは通常の旅行の制限や国境の閉鎖をなんら勧告していない。体調の悪い人は国際的な渡航を延期し、国際的な渡航ののちに症状を呈している人は医療機関を受診することを、国の当局の指針に沿って行うことが賢明であろう。

 十分に調理された豚肉や豚の加工製品を消費することで、このウイルスに感染するリスクもない。個々の人々は、定期的に石鹸と水でしっかり手を洗うことが勧められ、インフルエンザ様疾患の症状を呈した際には医療機関を受診するべきである。

これらはきわめて的確な指示であり、WHOは当初から冷静に事態に対処していたと言ってよい。私が新聞発表による「死者・感染者の確認状況」のメキシコでの死者が176人から正式に確認された12人へと劇的に減少したその対比に目を奪われて、WHOの発表で確認を怠ったことがWHOを始めとして世界が振り回されたという発言になったもので、確かに軽率であった。WHOが決して振り回されたわけではないことが明らかなので、ここでこの「軽軽な発言」を撤回させていただく。元研究者としておっちょこちょいをぜひ改めないといけないと思う。

なお感染症情報センター発表になる最近のWHO発表の確定例は次の通りである。




人体検知機能付センサーライトを買い換えたところ・・・

2009-05-06 23:33:19 | Weblog
人体検知機能付センサーライトとは写真に示したようなもので、底面が5センチ×10センチで高さが6センチほどで、底面に電気コンセントへの差し込みがついている。わが家では玄関を入って突き当たりのドアまで7メートルほどあって、その廊下の真ん中の床面近くにこのセンサーライトを取り付けている。2、3メートル離れていても人体の発する遠赤外線を検知してスモールランプが点灯する仕組みになのである。



私の主な生活空間は二階にあり就寝時には一階に下りるが、階段を下りて玄関ホールに達したたところで階段灯を消すと真っ暗になってしまう。ところがその瞬間にセンサーライトが点灯してくれるので無事寝室の入り口まで辿り着くことができるのである。そのセンサーライトが働かなくなった。暗闇で廊下を歩くのはやはり不便で、一度などは思いっきりドアにぶつかってしまった。

センサーライトはちょうど10年ほど使っていた。そろそろセンサーもくたばってきたのだろうと代わりの品を見つけに東急ハンズに行ったところ、驚いたことにまったく同じ品物があるのを見つけた。少々高いと思ったが背に腹は代えられず大枚4179円也を払って購入した。左側が今回購入したもので表示内容もよく似ている。次から次へと新製品が出てくる電器業界で10年前の製品が同じように売られているのには感動してしまった。



説明書を読んでみると点灯時間や受光感度を調節できるようになっている。そこでカバーを外した途端、嫌な思いに駆られた。小さなランプが目に入ったのである。私はセンサーライトが働かなくなったのはセンサーがいかれたのだろうと勝手に思い込んだのであったが、ランプのフィラメントが切れただけなのかも知れない、と反射的に思ったからである。そしてランプを取り替えて古いランプをもう一度試してみると、問題なく正常に働いた。センサーがくたばってしまった、なんて難しいことを考えるより先に、ランプが切れたのではないかとまず疑うべきだったのである。

仕事柄?と言おうか、ついつい物事を難しく考えるのが私の悪い癖とふだんから自戒しているつもりであったが、つい緊張感を欠いたというか落とし穴にはまったのである。それにしても妻に黙ってテストしていたのがよかった。ランプを交換するだけでOKということが分かれば、間違いなく「東急ハンズに返してきたら?」と言われるに決まっているからだ。自分に非がある上にプラスチックケースも破いてしまったし、返品だなんてそんな格好の悪いことを男ができるか、と言うものだ。

落ち着いてきた新型インフルエンザ騒動?

2009-05-04 13:46:39 | Weblog
マスクに保存食料などを買い込むべきか、別に慌てなくてもよいのか、新型インフルエンザの季節外流行で少しは考えたが結局静観することにした。正解だったようでWHOも含めて世間が今回の事態に過剰反応したように感じる。

4月28日の朝日朝刊は豚インフルエンザ感染状況として次のように伝えた。



また同日日経夕刊の一面に次の記事が大きく出た。



ここでメキシコ死者149人が目を引く。確かにこの数字に警戒心がかき立てられたのは事実である。その後も死者は増え続けた。4月29日からの感染者(死亡者も含む)データを朝日朝刊から引用すると次のようになる。




上の表ではメキシコの感染者数2498人、死亡者数159人であるが、括弧内には正式に確認された感染者19人、死者は7人と記されており、ここで感染者、死亡者ともに大幅に減少することになる。これが新型インフルエンザによる犠牲者の始めて正確な情報なのである。



この日で疑いを含む死亡者数は176人と最高に達したが、正式に確認された死者は8人で前日より1人増えたに過ぎない。そして翌2日からは正式に確認された感染者ないしは死者数としてデータが公表されることになり、死者数は一挙に十五分の一に減少した。「疑い例を含む」どころかほとんどが疑い例であったようだ。





今日の朝刊での最新データで死者は19人とあるが、前日の16人より3人増えたと言うよりは、死者のなかでさらに3人の死因が新型インフルエンザと確定されたと言うことなのであろう。この表の横にある「流行は一段落」の見出しがそれを物語っているようである。そもそもメキシコに限って死者が異常に多いことに対する疑問が最初からあった。次は4月28日の朝日朝刊の記事であるが、見出しを拾い読みすればその事情が推察できる。おそらく確度の低いデータによりWHOを始めとして世界が振り回されたのが今回の新型インフルエンザ騒動のような気がする。現場の方々にはご苦労なことながら、防疫活動のまたとない訓練の場として、これから迎える海外渡航者の帰国ラッシュを活用していただきたいものである。




野崎参りで思いがけないご利益

2009-05-03 19:38:46 | Weblog
事の起こりは4月30日日経夕刊の記事である。子供の頃よく耳にした野崎小唄がこの野崎観音を唄ったものであることを初めて知った。♪野崎参りは 屋形船でまいろ どこを向いても 菜の花ざかり、とは今でも口ずさめる。JRが通じているようなので「JRおでかけネット」で調べると、三宮駅から松井山手行きの普通電車で乗り換えなしに住道駅に行けることが分かった。尼崎まではJR神戸線で、そこからJR東西線に入り京橋からはJR学研都市線になって住道まで1時間7分の旅である。そこで絶好の行楽日和の昨日、三宮10時7分発の電車に乗り込んだが普通とあって座席はがら空きであった。



住道駅で降りて寝屋川に沿って歩くつもりであったが、川を見るなりげんなりとした。鉄材をぶち込んだ護岸工事のせいで味も素っ気もない。気のせいか異臭が漂ってくる。その上歩道が護岸壁の下を通っていて殺風景そのもの、そして自転車が前から後ろからやってくる。やがて寝屋川から分かれる谷田川沿いにしばらく歩くことになったが、道路そのものが工事中であった。これがしばらく続いてやっと遊歩道に達したが、なにはともあれ野崎観音への始点になる野崎駅を目指すことにした。ネットで調べた「ぶらり大東歴史の散歩道 野崎参りを歩く」の地図に従ったのだが、これは失敗で、最初から住道駅のもう一つ先の野崎駅で下車すればよかった、とは後の祭りである。

もうお昼も過ぎてお腹もぺこぺこ。参道入り口近くに北海道直送をうたった店が目に入ったので飛び込んだ。これが正解で、玉子雑炊にアスパラのバター焼き、桜エビの天ぷらをおいしく頂いた。その間、繰り返し参道スピーカーで流される野崎小唄を何遍耳にしたことやら。




野崎駅から野崎観音への参道は両側にびっしりと屋台が並んでいた。5月1日から8日まで野崎参り法要が開かれているので参詣の人々でごった返している。小学生に中学生だろうか子供の姿が結構目につくので嬉しくなる。食べ物の値段が安くてフランクフルトや焼きそばが200円、なかには焼きそば150円という店もある。子供たちが喜ぶはずである。金魚すくいにおたまじゃくしすくいなどもあった。ところがひよこ釣りには度肝を抜かれた。最初はひよこを売っているのかと思った。ところが割り箸のような釣り竿から垂れ下がった釣り糸にひよこが食いついてぶら下がっている。すでに釣り上げられたひよこだろうか、側に置かれたビニール袋にぐったりとなって横たわっている。こんな場所でひよこを見るなんて何十年ぶりと最初は昔懐かしく思いかけたのに、実体がひよこ釣りだったのにはショックを受けた。



参道を上り詰めると野崎観音である。境内にお染・久松の塚があるそうだが確かめるのをすっかり失念していた。見はらし台のベンチに腰をかけて周りを見渡していると吹き抜ける風がとても心地よい。ここまで来ると次の駅は四条畷である。案内図を見るとその途中に楠木正行の菩提寺十念寺があるようなのでお参りすることにしたが、それらしき寺が見あたらない。通りがかりの人に尋ねてみたら目の前であったが、入り口に「小楠公並一族菩提地」の石柱が立っているだけで、門は閉ざされていた。だから十念寺かどうかを確かめようはなかった。帰りは四条畷駅から西明石行きの普通電車に乗り込んだ。

ところで野崎参りをしたおかげで思いがけない発見があった。JR東西線が開通して10年は経つのだろうが、ここを走ったのは今回が初めてなのである。尼崎を過ぎるとやがて地下に潜ったが、大阪天満宮駅に停車した時に、地下鉄南森町駅乗り換えの標示を目にしてアレッと思った。というのは私はほぼ月に一度は用事で地下鉄南森町駅までやってくる。その時は阪急梅田駅から谷町線東梅田駅までてくてく歩き、そこから南森町駅まで一駅地下鉄に乗る。それが三宮から乗り換えなし、歩行移動無しで目的地まで行けるのであればこんなに便利なことはない。荷物を持っていても苦にならない。そこで四条畷からの帰りに大阪天満宮駅で下車して地上に出た。すると天神橋商店街の入り口を挟んで南森町駅とはちょうど反対側ではないか。これには驚いた。これまでJR東西線にはまったく無関心だったので、このような利用の仕方があるとは夢にも思わなかったのである。大阪天満宮駅から三宮までは540円、一方阪急三宮から梅田までは310円で東梅田から南森町までは200円なので計510円。靴の裏の減りと歩行移動のためのエネルギー消費を考えると差額の30円は苦にならない。野崎参りの思いがけないご利益であった。