日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

ある開業医の投書から医療費抑制の話まで

2008-06-08 18:18:35 | Weblog

6月4日朝日新聞の「声}欄に名古屋で開業している医師の投書があった。何を訴えたいのかもう一つ分かりにくいが、新医療制度になって収入が激減したと嘆いていることはよく分かった。もしこれが本当なら後期高齢者医療制度が、少なくとも医療費抑制にいい形で効果を発揮したことになる。なかなか結構なことではないか。だがこの部分には首をかしげた。



問題はこの文章の読み方であるが、患者が医師に「MRIを撮ってください」とか「胃カメラで見て」と注文しているように受け取れる。そうするとこの医師は患者様は神様ですとばかりに、患者の言うがままにMRIで検査したり胃カメラを飲ませてきたのだろうか。変な話である。さらに変なのは、医師の主体性を疑われかねないこのような文章を公にするこの医師の感覚である。患者が医師に「MRIを撮ってください」とか「胃カメラで見て」と言えば注文通りにすることが(一部の?)開業医の間では当たり前のことになっているからなのだろうか。

もうかれこれ30年近く前のことになるが、職場で定期健康診断のX線撮影で引っかかったことがある。精密検査で撮ったX線写真でも引っかかり、胃カメラで検査することになった。私は根が恐がりだから胃カメラを飲むのが嫌で、消毒不完全の胃カメラでピロリ菌でも移されたら大変だとか自分なりの理屈をつけて後は運任せ、胃カメラから逃げおおせた。それ以来定期健康診断もお断りすることにして、そのおかげで検査値に一喜一憂するようなストレスもなくこれまで元気にやってこられた。その嫌な胃カメラで見てくれと自分から言い出す人がいるとは私にはなかなか信じがたいのであるが、そう思って上の文章を眺めるとMRIの話も引っかかる。

患者がいくらMRIを撮ってくれと言っても、この投書主の医院にMRI装置が備え付けられているとは思えないので、この医師は患者の要求に応えるとしてもMRI装置のある大病院に紹介することになるだろう。私としてはそこでこんなことにMRI検査は不要であると適切な歯止めがかかることを期待したいところであるが、もしこの大病院がある必要に迫られてMRI検査を熱心に行うようなところだとすると、歯止めは期待できないだろう。これ以上投書を論うことは控えるが、なぜこの投書にこだわったかというと、このような医師の存在が医療費高騰の原因になっている可能性が極めて高いと思ったからである。

ここで少し格好の悪い話をする。私の母は6年前に亡くなったが、残したものを整理していると「イソジン」と書かれた紙箱が出てきた。中にはうがい薬のイソジン瓶がぎっしり詰まっていて、妻がそれ以降1年に2、3本は使ってきたらしいが、まだ沢山残っている。中には使用期限96.11と書かれたのもあるから、物資欠乏時代を経験した母が長年かけて溜め込んだらしい。自分から欲しいと言ったのか、処方が出されるままに受け取ったのか分からないが、いずれにせよ医療費の無駄遣いであることは間違いない。

 


イソジンはそれほど高価なものではなし、それに患者が1割負担だとタダのようなものである。用心のために備えておくという軽い気持ちで医師に処方をねだることがありそうな気がする。しかしMRI検査となるとこれは費用がかかるから、必要性も乏しいのに安易に検査がなされたとすると、大変な無駄遣いになる。一回の検査で1万円を下回ることはなかろう。かって医学部学生を見学に連れて行った医療・科学機器メーカーで、出始めたばかりのMRI装置にお目にかかったことがある。輸入品の時代で価格が数億円であったが今でも結構高価なものであろう。その高価な装置でも早いと1、2年で償却できると説明を受けたように思う。検査料が高いのは至極当たり前の話なのである。MRIやCT検査が一ヶ月に2回以上行われるときは2回目以降の料金が大幅に減額されると聞く。医療に本当に必要な検査ならこのような措置はおかしな話で、明らかに不要な検査の存在を認めた上での弥縫策であろう。

高齢者が増えてくると医療費が増加するのはやむを得ない面があることだろう。しかし不必要な検査、投薬、処置による無駄遣いが医療費を大幅に押し上げているのは厳然たる事実であろう。私の山勘では(そして私の山勘はよく当たるのであるが)高齢者医療費の半分は無駄遣いのように思われる。言葉は悪いが「ミダス医師」(ミダスとは手に触れるものをすべて黄金に変えたといわれるギリシャ神話の神)にとって高齢者はもっとも身近な触れやすい存在なのであろう。患者が本当に必要な医療を適正に受けるためにも、不要な医療費支出を極力抑えるべきで、それには心ある現場の医師からいろいろと具体的な提言がいただけるものと信じたい。

一開業医の投書からつい話が膨らんでしまったが、この投書主の実在を疑いたい気分のあることを申し添える。