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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

J:COMウルトラ160M回線が下り最低速度を記録  追記あり

2008-06-16 07:53:17 | Weblog
昨日辺りからウルトラ160M回線の下り速度が大幅に低下して今朝まで続いている。公称最大速度が160Mで、実測80M台を維持してきたのにさらにその20分の1近くまで下がっている。今朝は少々上がったもののそれでも7M台で上り速度よりも遅い。一体何が起こったのだろう。岩手・宮城内陸地震の影響でもあるのだろうか。それとも速度測定システムに異常が生じたのだろうか。J:COMからは何の知らせもない。これから二三日の旅に出かけるので、帰ってくるまでに復旧して欲しいものだ。上図が6月15日08:24、下図が6月16日07:16の結果である。





追記(6月19日)
旅から戻り今朝通信速度を測定しても下りが依然として遅い。J:COMのサービスセンターに電話をしてやりとりの結果、モデムに問題があるのではということになりモデム交換することになった。このシステムになって三台目である。ちなみに現在はモデムとルーターの電源をオフ・オンすることで下りの通信速度は81.92Mbpsに回復している。

老人におすすめ 近藤史恵著「賢者はベンチで思索する」(文春文庫)

2008-06-14 12:13:36 | 読書

文春文庫のこのタイトルを見て哲学者土屋賢二さんの新しい本かと一瞬思ったが名前が違う。私にはお初の著者で推理小説のようである。裏表紙を見るとファミレス常連の老人がある連続事件の解決に乗り出した、と紹介している。「老人」というのがいささか気がかりではあるが、私がかねてからなりたいとあこがれている素人探偵のようなので、いいお手本になるかもと思い、迷うことなく手を出してしまった。面白い。一気に読み上げた。

「老人」の年が分かった。七十二歳である。私よりすこしだけ若い。しかし正体不明。この老人と服飾関係の専門学校を出て目下フリーター、ファミレスでアルバイトをしている二十一歳の久美子が主人公である。話が三つに分かれていて、最初は公園に毒入り犬の餌がばらまかれ、被害を受ける犬が続出、それを解決する話で、二番目は久美子の勤めるファミレスで、食中毒とまでは至らないが客に出した料理に絡んでの事件が起きる。これらの事件を二人が協力して解決するのである。このような事件にからんで久美子も自宅に二匹の犬を飼う羽目になるのだが、この犬たちがまた可愛く脇役を演じる。

第一話では久美子がこう述懐する。「焦らなくても人生は長い。国枝(老人)と同じ景色が見えるようになるのには、気の遠くなるほどの時間があるのだ」。老人に対する偏見がこれっぽちも久美子にないのがよい。また第二話では老人が久美子にこう語りかける。「世の中にはもちろん、たくさんのルールがあって、それを守らなくてはならないが、だからといって、小さなルールを破ったくらいで、大きな罪を犯したのと同じ罰を受けるべきでないというのも、大切なルールのひとつだろうね」

こんな「老人」ならなってもいいな。ファミレスに行って可愛い、でも賢い女の子の注意をまず引くのが肝心。物語ではこの老人は一ヶ月前の古新聞を後生大事に持ち歩いたりして注意を喚起するのであるが、その代わりに英字新聞を国語辞典を引き引き読んでみるのもいいかな、と思ったりする。ところがこの正体不明の老人の正体が第三話、子供失踪事件から思いがけない形で明らかになっていくのだが、大団円の一歩手前で話が終わってしまう。乞う次回ご期待なのである。それが待ち遠しくなるなかなか上質の老人向けのエンターテイメントであるといえよう。

おことわり。写真の本の上に置いたナイフは殺人事件の起こることを暗示しているのではない。写真を撮るつもりで手にし二三ページ読み出したら止まらなくなり、そのまま読んでしまったので表紙がめくれ上がり、写真撮影に重しが必要になったからである。これはただのペーパーナイフである。

『商業捕鯨再参入、水産大手3社は否定 「良いことない」』 とは良いことだ

2008-06-13 20:53:10 | Weblog
引用したのはasahi.comの見出しである。そして《商業捕鯨の中核企業だったマルハニチロホールディングス、日本水産、極洋の水産大手3社は、商業捕鯨が解禁されても再参入しない方針を明らかにした。》(2008年6月13日20時11分)と伝えた。世界で魚を販売する企業として、鯨にかかわって良いことは全くない、というのがその理由である。消費者の鯨離れもその背景にある。

私は以前のブログ鯨が可哀相で商業捕鯨再開に反対の意見を述べているので、捕鯨の当事者からこのような結論が出されたことを大いに歓迎する。

この水産大手3社が捕鯨部門を統合して出来た共同船舶が調査捕鯨を行っているとのことであるが、この三社は2006年に共同船舶の株を農林水産省所管の5財団法人に譲渡し、すでに捕鯨からは完全に撤退している。ご多分に漏れずこの5財団法人は農林水産省官僚の天下り先であろうが、そう思ってみると水産庁遠洋課が「我々は捕鯨の技術を維持していくことを重視しているし、事業も採算はあうと思っている」と話しているのも腑に落ちるというものである。これを機に殺傷を伴う調査捕鯨も廃止し、その旨を洞爺湖サミットで大々的にアピールてはいかがだろう。日本株急上昇疑いなしである。


高齢者に医者離れのすすめ

2008-06-12 11:55:06 | Weblog
先月九十五歳という高齢で亡くなった角田文衛さんの著書「平安の春」(朝日新聞社)の最後に収められた「女のいのち」に、延喜二年(902年)の阿波国板野郡田上郡戸籍や延喜八年の周防国玖珂郡玖珂郷戸籍などに女性の高齢者の多いことの指摘がある。そして後者から22人の八十歳以上の女性高齢者の名前が列記されている。最高齢者は百二歳である。角田さんは医療が発達し、平均寿命が高くなった現代でも、長生きできる限度は千年も前の昔とさほど変わっていないようであるとの感想を述べておられる。これは面白い指摘だと思い、講義の材料に取り入れたことがある。



翁に媼と言う言葉があるように、昔から高齢者は存在した。律令の規定にも年齢の区分があって、続日本紀の天平宝字二年(758年)七月三日の条に「今より以後、六十を老丁とし、六十五を耆老とすべし」とある。耆老を訓読みにすると「ふるきおきな」で、すでにこの頃にも老人を年齢によって老丁と耆老に分けている。今流で言えば初期高齢者と後期高齢者である。今のシステムのはしりのようだが、この年齢による区別に文句が出たとは思えない。なぜなら昔は高齢者がよりよく手厚い扱いを受けるための区分であったからだ。老丁になると二十歳以上の丁が負担する調と庸が半分になり、耆老は調庸が免除される。今でいえば税金を納めなくてもよくなるのである。その上まだ先がある。八十歳以上の高齢者と身体障害者には侍一人を、九十歳には二人を、百歳には五人を国が支給するというのである。侍とは今で言う介護者で、基本的には親族の課役が課せられる成人男性から選ぶようにと定められていた。また老人で子供のいない独り者とか自活不能社には賑給として米が年齢に応じて高齢者ほど多く支給されていた。高齢者までが介護保険を払わされる現代と大違いである。



上の話は服部早苗著「平安朝に老いを学ぶ」(朝日選書)に出ているもので、八世紀の頃からから1300年もなっているのに、国家による高齢者の扱いはかえって低下しており、人間の社会は進歩するばかりではないことがよく分かる。残されている史料によると、この当時、出雲国出雲郡漆沼郷の人口1500人のうち高齢者が60人、すなわち全人口の4%というから決して少ない数ではない。古代人人口を推計した研究結果では今の計算法に従うと平均寿命が三十歳に届かないとされているが、年齢別人口では十九歳以下が五割近くを占める一方、六十歳以上が全体の5.7%で、若年死亡率が現代に比べて非常に高いのが特徴的である。と言うことは二十歳まで生き延びると現代と同じくかなりの高齢にまで達するということになる。

ここで話が飛躍するが、この当時に今の日本に見かける医師免許を持った西洋医はもちろん居なかったし、先端医療なんておよそ縁のない原始医療の時代であった。それにもかかわらずちゃんと高齢者がそこそこ生きていたのである。病い、健康とのかかわりはどうだったのだろうか。

平安朝時代に入ると長寿法として露蜂房(ロイヤルゼリー)や枸杞を飲んだ貴族の話がこの本に出てくるが、健康法という意識がすでにあったのであろう。医師は治療を施し漢方薬を処方したが、外科手術などはおこなわなかった。自分なりの薬療法について医師の意見を尋ねる貴族がいたというから、自分のことは自分でという自立精神が一般的であったのかも知れない。この貴族とは「小右記」を残した藤原実資で、今でいうおたふく風邪が流行った時には60年前の記憶を呼び起こして「顔貌赤く腫れ、まず発熱し、後大いに腫れる。五六日を経て平復すと。療を加えざるを良となす」とアドバイスをしている。医者にかからない方がよいといっているのである。健康維持そして治療に対してさえ、当時の人は自分の判断を第一としていたようである。

時代は下って江戸時代に入っても高齢者は結構多い。下のグラフは速水融著「歴史人口学で見た日本」(文春新書)に記載(131ページ)のものである。幕末百年分残っている「宗門改帳」を元に調べたデータで、著者は《濃尾地方の農村における死亡年齢と比べた結果、濃尾地方では、幼児のころはたくさん死ぬが、十歳過ぎるとあまり死なず、六十から七十歳くらいまで生き延びているのに対し、奈良の場合は、もちろん子供のときにもたくさん死ぬけれども、それから先、濃尾地方ではめったに死なない二十代、三十代、四十代も同じように死んでしまう。簡単にいってしまえばいつ死ぬかわからない、いつ死んでもおかしくないという状況になっている。》(129ページ)とこのグラフを解析している。都市の住民の方が早死になのである。しかし六十歳を超える高齢者がとくに農村地帯で思いのほか多い事実は注目に値する。今以上に医者のいない「僻地」であっただろうに。



立川昭二著「病と人間の文化史」、「いのちの文化史」(ともに新潮選書)には江戸時代の高齢者の生き方が紹介されている。前者では七十歳を超えても矍鑠と「為すべきこと」に励んだ杉田玄白、小林一茶、滝沢馬琴、神沢杜口などが出てくるし、後者には伊能忠敬ともう一度神沢杜口が出てくる。よく知られていることであるが、伊能忠敬は数え年五十六歳で蝦夷地に入り七十四歳で世を去るまで日本全国を歩きつくして最初の日本全図を作成した。測量距離は四万キロ、地球一周分というから凄いの一言に尽きる。

その伊能忠敬は若いころから病弱であったという。立川さんはこう記している。《忠敬には持病があり、旅先では下痢や腹痛によくかかり、ときには「おこり」(マラリア)にもおそわれた。そんなときは常備薬を服用していたが、医者に診てもらったという記録はない。晩年に歯が一本になったときも、歯医者にかかり入れ歯を作ることはしなかった。自分のからだを信頼し、歯が無くなれば無いなりに生きていくという信念を持っていた。》(146ページ)そしてこの生き方を「いき」という江戸の美学に照らして評価する。

《病気や老化しても意地を保ち、足を知り、ものに執着せず、心豊かに自己の世界に自足し、そのうえでライフワーク完成の夢に生きる。それこそ「いき」という洗練された魅力(色っぽさ)のある生き方である。》(147ページ)

私は実は現代でもこのような生き方をしている高齢者が大勢いると思っている。ところがマスメディアの取り上げ方ではなぜか「弱者」としての高齢者が目立っている。最近の「後期高齢者医療制度」での取り扱いでもそうである。だから世間は高齢者といえばおしなべてそうであると錯覚してしまうのではなかろうか。

いざとなれば心置きなく医療のお世話になるためにも、日常は健康維持を自らの務めとして医者離れを心がけてはいかがだろうか。昔の人は定期健康診断にメタボ診断などなど余計なものがなかったから長生きできたのだと思えばよいのである。


ある開業医の投書から医療費抑制の話まで

2008-06-08 18:18:35 | Weblog

6月4日朝日新聞の「声}欄に名古屋で開業している医師の投書があった。何を訴えたいのかもう一つ分かりにくいが、新医療制度になって収入が激減したと嘆いていることはよく分かった。もしこれが本当なら後期高齢者医療制度が、少なくとも医療費抑制にいい形で効果を発揮したことになる。なかなか結構なことではないか。だがこの部分には首をかしげた。



問題はこの文章の読み方であるが、患者が医師に「MRIを撮ってください」とか「胃カメラで見て」と注文しているように受け取れる。そうするとこの医師は患者様は神様ですとばかりに、患者の言うがままにMRIで検査したり胃カメラを飲ませてきたのだろうか。変な話である。さらに変なのは、医師の主体性を疑われかねないこのような文章を公にするこの医師の感覚である。患者が医師に「MRIを撮ってください」とか「胃カメラで見て」と言えば注文通りにすることが(一部の?)開業医の間では当たり前のことになっているからなのだろうか。

もうかれこれ30年近く前のことになるが、職場で定期健康診断のX線撮影で引っかかったことがある。精密検査で撮ったX線写真でも引っかかり、胃カメラで検査することになった。私は根が恐がりだから胃カメラを飲むのが嫌で、消毒不完全の胃カメラでピロリ菌でも移されたら大変だとか自分なりの理屈をつけて後は運任せ、胃カメラから逃げおおせた。それ以来定期健康診断もお断りすることにして、そのおかげで検査値に一喜一憂するようなストレスもなくこれまで元気にやってこられた。その嫌な胃カメラで見てくれと自分から言い出す人がいるとは私にはなかなか信じがたいのであるが、そう思って上の文章を眺めるとMRIの話も引っかかる。

患者がいくらMRIを撮ってくれと言っても、この投書主の医院にMRI装置が備え付けられているとは思えないので、この医師は患者の要求に応えるとしてもMRI装置のある大病院に紹介することになるだろう。私としてはそこでこんなことにMRI検査は不要であると適切な歯止めがかかることを期待したいところであるが、もしこの大病院がある必要に迫られてMRI検査を熱心に行うようなところだとすると、歯止めは期待できないだろう。これ以上投書を論うことは控えるが、なぜこの投書にこだわったかというと、このような医師の存在が医療費高騰の原因になっている可能性が極めて高いと思ったからである。

ここで少し格好の悪い話をする。私の母は6年前に亡くなったが、残したものを整理していると「イソジン」と書かれた紙箱が出てきた。中にはうがい薬のイソジン瓶がぎっしり詰まっていて、妻がそれ以降1年に2、3本は使ってきたらしいが、まだ沢山残っている。中には使用期限96.11と書かれたのもあるから、物資欠乏時代を経験した母が長年かけて溜め込んだらしい。自分から欲しいと言ったのか、処方が出されるままに受け取ったのか分からないが、いずれにせよ医療費の無駄遣いであることは間違いない。

 


イソジンはそれほど高価なものではなし、それに患者が1割負担だとタダのようなものである。用心のために備えておくという軽い気持ちで医師に処方をねだることがありそうな気がする。しかしMRI検査となるとこれは費用がかかるから、必要性も乏しいのに安易に検査がなされたとすると、大変な無駄遣いになる。一回の検査で1万円を下回ることはなかろう。かって医学部学生を見学に連れて行った医療・科学機器メーカーで、出始めたばかりのMRI装置にお目にかかったことがある。輸入品の時代で価格が数億円であったが今でも結構高価なものであろう。その高価な装置でも早いと1、2年で償却できると説明を受けたように思う。検査料が高いのは至極当たり前の話なのである。MRIやCT検査が一ヶ月に2回以上行われるときは2回目以降の料金が大幅に減額されると聞く。医療に本当に必要な検査ならこのような措置はおかしな話で、明らかに不要な検査の存在を認めた上での弥縫策であろう。

高齢者が増えてくると医療費が増加するのはやむを得ない面があることだろう。しかし不必要な検査、投薬、処置による無駄遣いが医療費を大幅に押し上げているのは厳然たる事実であろう。私の山勘では(そして私の山勘はよく当たるのであるが)高齢者医療費の半分は無駄遣いのように思われる。言葉は悪いが「ミダス医師」(ミダスとは手に触れるものをすべて黄金に変えたといわれるギリシャ神話の神)にとって高齢者はもっとも身近な触れやすい存在なのであろう。患者が本当に必要な医療を適正に受けるためにも、不要な医療費支出を極力抑えるべきで、それには心ある現場の医師からいろいろと具体的な提言がいただけるものと信じたい。

一開業医の投書からつい話が膨らんでしまったが、この投書主の実在を疑いたい気分のあることを申し添える。

おめでとう! 植田ジャパン 北京オリンピック出場

2008-06-07 22:19:36 | Weblog
世界ランキング6位のアルゼンチンを相手に12位の植田ジャパンがフルセット、それもシーソーゲームの延長戦をついに制した。これで北京オリンピック出場が決定、おめでとう! とにかく凄い試合だった。感動、の一言である。接戦に競り勝つ強さに植田ジャパンの実力を見た。男女揃ってのオリンピック出場、世界相手の活躍が楽しみである。

植田ジャパンのの胸のすくような快挙を明日の朝刊第一面にでかでかと報じる大新聞が一社ぐらいはあってもいいと思うがさてどうだろう。いつも鬱陶しい記事ばかりなので、気分転換にお願いしたいものである。


追記(6月8日)
朝日朝刊第一面のトップではないがその並びに「男子バレー16年ぶり五輪」の記事が写真入りで大きく出ていた。朝日新聞、日本経済新聞、読売新聞の一面をそれぞれ表示するウエブサイト、「くらべる一面」でみるかぎり、一面に取り上げたのは朝日だけなのかも知れない。ちょっと見直した。

日本国籍取得 おめでとう! でも国籍を認めた裁判官は×

2008-06-05 17:15:23 | Weblog
日本人の父とフィリピン人の母から生まれたが国籍法の適用外で無国籍(?)であった10人の子供が日本国籍を認めるように求めていた訴訟で、最高裁大法廷が10人全員の日本国籍を認める判決を下した。それを聞いて体全身でその喜びを表す女の子たちの姿をテレビのニュースで見て感動した。単に無国籍者(?)から脱するだけでなく、日本国籍を獲得する、すなわち日本人として認められることにこれほど大喜びする人々がいる、そのことに胸を打たれたのである。日本人でないとなれない警察官になりたいと将来の希望を語った女の子の表情がなんと輝いていたことか。自分が生まれながら日本人であることがいかに素晴らしいことなのかを彼女らの姿を見て改めて認識した。私なりの愛国心の発露である。

現在の国籍法では日本人の父と外国人の母との間に生まれた子供は、両親が結婚しておれば生まれながらの日本人である。しかし両親が結婚していない場合に、子供が生まれる前に父親が認知しておれば子供は日本人として認められるのに対して、出生後の認知では父母が婚姻しないと日本国籍を取得できないということになっているらしい。この婚外子で出生後の認知を受けた子供の国籍取得が今回の判決で認められたのである。

実はこの国籍法の説明は新聞などの解説でわかったもので、asahi.comでは次のように図解している。



婚外子でも出生前に父が認知しておれば国籍法第2条1号により日本国籍が取得できるというのは次の条文から理解できる。

《出生による国籍の取得)
第2条 子は、次の場合には、日本国民とする。
1.出生の時に父又は母が日本国民であるとき》

ところが国籍法第3条は素人の私にはなかなか上の解説のようには読み取れない。これが読み取れるとはやっぱり司法試験に合格した人は偉いんだなと素直に思ってしまう。

《(準正による国籍の取得)
第3条 父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で20歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。
2 前項の規定による届出をした者は、その届出の時に日本の国籍を取得する。》

それはともかく、共に父の認知を受けたにもかかわらず、出生後の認知に限って父母の婚姻を条件として求めているのは不合理な差別であり、憲法14条の「法の下の平等」に反するから国籍法は違憲であるとの判断が下されたと私は受け取った。この判断は私の常識とも合うから納得できる。ただ違憲判断は15人の最高裁判事の内12人によるもので、3人が合憲としているのは頭の片隅に置いておくべきことだろう。

この違憲判断は私にも納得できるが、この違憲判断から最高裁がなぜ直ちに原告の日本国籍を認めることに踏み込んだのか、私は原告の日本国籍取得自体は祝福するものの、手続きに疑念を覚えた。国籍法が違憲であるのならその法律を改めた上でその法律を適用すべきなのではないか、と思ったからである。多数意見によると次のような判断がなされている。

《国籍法の基本原則である父母両系血統主義を踏まえると、こうした婚外子の国籍取得の要件から父母の結婚を除けば、国籍法の規定を合理的、合憲的に解釈することが可能で、不合理な差別を解消し、違憲状態を是正することができる

 この解釈は不合理な差別を生む過剰な要件だけを除いているだけで、裁判所が新たな要件を創設して立法作用をしていることにはならない。原告は法相に国籍取得届を提出したことで日本国籍を得たとするのが相当だ。》(強調は引用者)

法律家が自分には合理的と信じる理由があるということで、法律のある部分を勝手に削除してそれをある案件に当てはめようとする。検察と弁護側がお互いにそんなことをそれぞれ始めたら法律がその機能を失い裁判は成り立たなくなるのではないか。既に存在する条文からある部分を削除したものを判断に適用するとは、たとえ最高裁判所の判事といえども、戦後最高の民主主義教育を受けたと自負する私の目には越権行為に映る。立法作用をしていることにはならない、と述べているが違憲状態を是正することができるのは立法府であろう。最高裁が自ら立法作用をしていることをここで認めているではないか。自己矛盾も甚だしいと私は思う。越権行為を働いたと言う理由で、国籍取得を認めた10人の最高裁判事には次の国民審査で私は×をつけることにする。

それにしてもこういう問題を作り出した日本人男性にそれぞれどのような事情があったのか、知りたいものである。


アジサイ かって京城三坂通神井台の庭に

2008-06-04 17:27:28 | 在朝日本人
梅雨に入り昨日も午前中は雨がわが物顔に降っていた。雨上がりの午後庭に出ると、日ごとにふくらみを増すアジサイの色が目を楽しませてくれた。鉢植えにしていたのを三株地植えにしたが、そのうちの一株だけがいち早く開花した。茎の高さはまだ50cmほどで、子供の頃の思い出にある身の丈ほどの高さにはまだまだ届かない。



昭和16年の夏休みに当時の朝鮮京城府の永登浦から三坂通神井台(しんせいだい)の家に引っ越した。庭は何段かになっており、その先は低い石垣があるだけで朝鮮神宮のある南山に繋がっていた。多分その山に向かって私が立っているのだと思うが写真が一枚アルバムに残っており、その下に「京城、三坂通、神井台庭内」と父が書き込んでいる。この写真には残念ながら写っていないが、庭の一隅に背の高さほどのアジサイが群生していて青色の大輪を咲かせていた。両親はもう亡いし5歳下の次弟以下は幼すぎたから、私の記憶だけにとどまっている花である。以前この家に住んでいた日本人が植えたのだろうか。



この神井台の家の前に石段があった。今の隠宅と同様、もともと山を切り崩して造成したからであろう。この石段に座っている私は当時国民学校一年生で、三角形の帽章が三坂国民学校のものである。帽子はまだ新しいが、運動靴はいかにもあわれな姿である。靴紐はないし、それよりなにより右靴が大きく破れている。すでに南洋からの輸入に頼らないといけないゴムが貴重品で、運動靴も配給制になっていたと思う。しかもぼろぼろであれ古い靴との引き替えだった。学校で交換したような記憶があるので、もしかしたら国民学校児童への特配があったのかもしれない。



石段を下りて前の道路を左へ歩いていくと自然と山の中に入っていったように思う。その途中、家の斜め向かい数軒先に吉田さんという上級生の家があった。少年倶楽部という雑誌が沢山揃っていて見せて貰うのが楽しみだった。一年生だったのに遠慮もなしに上級生の家によくぞ押しかけたものだ。よほどのおませだったのだろうか。

先日京都で催された関西三坂会で、同じテーブルの元上級生に住んでいたところを尋ねられて「三坂通りです」と答えると、さらに「神井台?」と聞かれた。私が以前三坂通りの旧居を訪ねたときに、この神井台の方は様子がすっかり変わっていてこの家(跡)を見つけることが出来なかったので、この方に当時の事情をお聞きしようと思ったが、同級生との話に戻られたのでそのままになってしまった。

夏休みにアジサイを手がかりにあの辺りを歩き回って旧居跡にでも辿り着ければ、と思うが、もう様変わりで無理なような気がする。


「大阪の芸人」でYahoo、Google二冠達成

2008-06-02 16:42:54 | Weblog
私のブログ「これぞ大阪の芸人 桂ざこば」に「大阪の芸人」をYahooで検索してアクセスしてくださった方がいる。その検索結果を見て驚いた。950万件のトップにランクされているのである。そしてGoogle検索でも4万2千件のトップに出ている。これらの検索マシンはそれぞれ独自の「ページランキングテクノロジー」でページランキングを決めているのであろうが、このような例は珍しいのではなかろうか。少なくとも私にとっては初めての経験である。それがどうした、と言われればそれまでのことであるが、人目に触れやすいところに自分の「作品」が置かれるのは面はゆいことではあるが嬉しくもある。そして願わくば同じ思いの方の後押しをいただければと思う。





「これぞ大阪の芸人 桂ざこば」は「ワッハ上方」の存続問題について、桂ざこばの「あんなもんいらん」とそれに続く一連の発言から、大阪の芸人の真骨頂に触れて嬉しくなった気持ちを綴ったものである。大阪府の財政難の折から「ワッハ上方」の存続が取りざたされ、私は大阪の芸人さんにお笑いの関係者が今こそ大家である吉本興業にその買収なり営業存続を訴えるべきでは、との意見をかって述べたことがある。昨日(6月1日)の読売新聞によると吉本興行側の賃料を半額に値下げする提案をも不十分として橋下知事が「ワッハ上方」の移転・縮小を決めたとのことでえあるが、やむを得ざる処置であろうと思う。

ついでに気になることと言えば今日(6月2日)朝日朝刊に《大阪府の橋下徹知事は、大阪センチュリー交響楽団を運営する府文化振興財団に支出していた4億円の補助金を、来年度から1億円程度に減額する方針を決めた。府はこれまで総事業費の半額を補助していたが、減額後は約8分の1となる。大幅な減額で、同交響楽団の存続は難しいとの見方が出ている。》の記事が出ていた。「ワッハ上方」と同じで財政難ではいたしかたあるまい。この交響楽団は創立20周年を迎える矢先のことであったらしいが、それだけの年月が経ったにもかかわらず、ずーっと補助金依存の体質を温存してきたことが今回の結果を招いたとも言える。存続を求める約10万7千人分の署名が府に提出されたそうであるが、この署名人が一年の間にたとえば1万円の入場料を払って演奏会に足を運べば、それだけで総計10億7千万円で、年間の総事業費は十分にまかなえることになる。署名はするがそこまでは金を出さない支持者ではいくら集めても仕方がないと私は思ってしまう。文化といえども創造と維持には金が要る。厳しいがそれが現実である。音楽を愛する府民にも出来なかったことを橋下大阪府知事を選んだ大阪府府民に広く求めるのはどう考えても難しいようである。

嫌なこった 「枯れ葉マーク」表示義務化

2008-06-02 00:45:15 | 放言
6月1日から75歳以上の高齢者が車を運転するときに「枯れ葉マーク」を表示することが義務づけられた。違反すると4000円の反則金を課せられるとか、私はまだ少々間があるが、それにしても馬鹿にするな!である。私は自分の納得できないことを強制されるのが大嫌い人間である。「枯れ葉マーク」をなぜ表示しないといけないのか、インターネットで調べまわってもその理由がどこにも出てこないこの非条理なことを押しつけ、その上違反者に罰則を科すというのだから、これこそ「後期高齢者」いじめとしか言いようがない。

高齢者ドライバーの事故増加を受けてのことと説明されているが、「枯れ葉マーク」を表示したら事故が起こらなくなるとでも言うのだろうか。「枯れ葉マーク」が怪力線でも発射して周辺に他の車や人が近づけなくなるとかの効果があれば事故を抑えることも出来ようが、そのような仕組みになっているとは聞いていない。

現に平成7年から17年にかけて高齢者による事故発生件数のデータがあるが、確かに事故件数は年々増加している。この標識が導入されたのは平成9年で、当初は75歳以上を対象にしていたのが平成14年には年齢が70歳に引き下げられているのである。ところがこのデータによると標識表示が導入された平成9年以降も事故件数が増え続けており、標識表示が高齢者の事故を減らすのに役立っていないことを示している。さらに言えば高齢者による事故件数が増え続けているのは高齢者人口が増えていることの単純な反映で、年齢別の事故の確率は70~74歳、75歳以上とも平均を下回っているのである。このことは以前のブログ運転免許証更新の高齢者講習は何のため?で指摘した。



これらのデータは高齢者ドライバーを特別視する謂われのないことを明らかに示しているのに、なぜこのような法律が国会を通ってしまったのか。これは自民党が小泉元首相が総裁であった頃に中曽根氏らをはじめとする年長者に議員定年制を導入したことによるところが大きいと思う。その当初は若い人たちに道を譲るには年寄りはいい加減退いた方がよいと私も思いその後押しをしたのであるが、その道を譲った若い世代議員に年長者を尊敬するというわが国古来の美徳が失われていることには私も思いが及ばなかったのである。後期高齢者医療制度の導入はその弊の最たるものである。自民党が、公明党が、民主党、そして諸々の政党が何を言おうと、現在の議員が高齢者の代弁者であり得ず、謙譲の美徳が通用しなくなったことが明らかになった現状で、高齢者の復権に向けて何か具体的な方策を打ち出すべき時が到来したと私は思う。

言うまでもないが、私の唱える高齢者の復権とは特権を要求しているのではない。同じ日本国民として年齢で差別されることをやめさせよう、と言うだけのことである。賛同していただけるだろうか。

私は75歳になっても「枯れ葉マーク」なんて表示しない。捕まえられるのなら捕まえてみろだ。しかしなかには「枯れ葉マーク」を表示している方が安心だと思われる方がいるかもしれない。それなら任意表示にすれば済む話で、その際は希望者に自治体が「枯れ葉マーク」を進呈するぐらいの敬老精神があってもよかろう。さらに、「枯れ葉マーク」の副章としてワッペンを作り、それを着用しておれば電車に乗ってもより若い乗客が席をすぐに譲り、それを怠れば違反金4000円也を徴収するぐらいのことをしてよいと思う。そうなれば私も一考の余地あり、となるかもしれない。