日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

関西三坂会 上御霊神社・御霊祭 新型インフルエンザ

2009-05-19 00:54:07 | 在朝日本人
今日の京都行きは関西三坂会出席のためだった。新型インフルエンザが広がりだしたが京都は今のところ感染者は0とか。そう言う空気を反映してか今年も出席者が44名で、東は東京、西は岡山から京城府立三坂小学校の同窓生が寄り集まった。出席者の年齢は89歳から72歳で、これからも回を重ねるとすると下は確実に毎年一歳ずつ増えていき、最年長者との年齢差は縮まる一方であろう。

新型インフルエンザについては、司会者が流行っているそうだからお互いに気をつけましょうと最後に挨拶をする程度で終わった。人生の荒波をかいくぐってきた猛者の集まりゆえ達観しきっている感じ。マスク姿は皆無であった。

会が終わって京都は久しぶりなのでぶらぶら歩くことにした。京都御所西の烏丸通りを北上していると、御所のなかに神輿が見えて人が群がっている。葵祭も終わっているはずだのに、と好奇心に駆られて近づいてみると御霊祭であることが分かった。平安時代の御霊信仰が隆盛になるにつけ各所で祭られた御霊社の一つ、上御霊神社の祭りなのである。その日が5月18日と決まっているので、月曜日であるにもかかわらず催されたのである。ちなみに御霊信仰を日本史広辞典は次のように説明している。

疫病をもたらすとされた御霊を恐れ、これを祭り祟りをまぬかれようとする信仰。奈良時代からみられるが、平安時代以降盛んになり、疫病の流行に際して、それを政治的事件により失脚して非業の死を遂げた特定の人物(御霊)の報復ととらえ、祭られるようになった。(後略)

なるほど、疫病払いご本家の行事なのでもある。富士川遊博士の「日本疾病史」によると、江戸時代だけで27回インフルエンザの流行があったそうだから、御霊神社はその当時から人々に頼りにされたのに違いない。インフルエンザをも追っ払うのだから、神輿の担ぎ手が誰一人マスクをしていないのもむべなるかな、である。神輿は三基あったが最初のはちょうど御所を出かけていた。





神輿を台車に乗せて運ぶのではなくて、実際に担ぎ手が担ぎ、また神輿を揺さぶるのが実に迫力があった。この神主さんは親子だそうで、私にも会釈してくださる愛想のよい方だった。京都新聞によると今日のはとくに記念すべき行事であったらしい。

140年ぶり 御苑に勇姿
上御霊神社・神輿巡行

140年ぶりに京都御苑内に神輿を進め、京都御所の朔平門前で神輿を揺らす氏子(18日午後5時45分、京都市上京区・京都御苑)

 上御霊神社(京都市上京区)の御霊祭(ごりょうまつり)が18日に営まれ、3基の神輿(みこし)が140年ぶりに京都御苑を巡行した。御苑では大勢の氏子が出迎え、京都御所北門に当たる朔平門(さくへいもん)前で神輿を差し上げて揺らす「神輿振り」に酔いしれた。

 上御霊神社によると、江戸時代には公家や宮家の屋敷があった現在の御苑内を神輿が練り歩いたが、都が東京へ移った後の1870(明治3)年以降は御苑内の巡行が途絶えた、という。
 この日夕方、3基の神輿は今出川御門から御苑へ入った。朔平門が特別に開かれ、その前で法被姿の担ぎ手が「ヨーサ」の掛け声とともに神輿を豪快に揺らした。小栗栖元徳宮司は「長年の悲願がかなって感無量です」と目を赤くしていた。
(Kyoto Shimbun 2009年5月18日(月))

帰りに三宮から地下鉄に乗ると乗客の7、8割がマスクを着用していた。往きは半分以下だったので急増である。かっての阪神淡路大震災の折に、京都から神戸に戻ってきた時に感じた落差ほどではないが、雰囲気の違いを大きく感じた。ところで個人個人がマスクを着用するなど自分なりの対応するのはよしとして、学校などを休校にしたり集会を中止させたりの規制は、全般的に感染が拡大しつつある現状でそれほど効果があるとは思えない。症状の出た人はもちろん体の調子がおかしいと思えば学校なり職場を休む。また人混みの中に出かけない。それを徹底させれば、罹るべき人がかかってそれで収束に向かう筈である。これまでの歴史を思い浮かべての私なりの判断である。

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