日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

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鶴橋をぶらぶら キムチによもぎ餅

2009-02-27 17:16:53 | 在朝日本人
昨日は久しぶりにお日さんが照ったのでお昼前に家を出て鶴橋に直行した。あの辺りをブラブラしたくなったのである。しかし先立つのは腹ごしらえであるが、これと目指した店は皆満員で行列が出来ていた。それならと前にも訪れた鶴一本店に入ったが、すぐに二階に通されたとたんしまったと思った。一人なのに案内されたのは六人掛けの席で、テーブルの中央のコンロには炭火が勢いよく熾っていて、否応なしに焼き肉を注文せざるを得ない雰囲気なのである。メニューを見ても焼き肉がメインで、サイドオーダーとわざわざ断ったメニューにテールクッパなどが並んでいる。以前は焼き肉目当てで入ったからそれで良かったのが、今度は昼食にクッパが欲しかっただけなのである。と、ふと昔のあることを思い出した。

ニューヨークでほどほどのレストランに妻と入った時の出来事である。注文を済ませたところに若い女性の二人連れが入ってきた。少し離れた真向かいのテーブルに通されてメニューを時間をかけて眺めていたが、やがて相談がまとまったと見えて二人は席を立ちそのまま店を出て行った。値段が合わなかったのかなと彼女たちを見送っている私の視線をウエイターがとらえたかと思うと、「Happy girls!」と言って私にウインクを送ってよこしたのである。

私は「鶴一」をそのまま出ようかなと思ったが、メニューにお水、そしておしぼりを持ってこられてしまったので、格好悪い「A happy boy」になるのをあきらめて、ばらロースを余分に注文する羽目になった。もちろん焼き肉もテールクッパも申し分なく、思いがけなくヘビーな昼食を堪能してから探訪に出かけた。



私が通っている韓国・朝鮮語教室の先生は家庭料理の講師をも兼ねており、年末に教室の女性が何人か先生の自家製キムチを分けて貰い、なかなか美味しいと話し合っていた。それならと私も1キロ分けて貰ったが、熱々の白粥に冷たいキムチを載せながら頂くといくらでも食が進む。わが家で食べるのは私だけであるが、5、6回ほどで平らげてしまったのでその旨を先生に言ったら目を丸くしていた。私がキムチを食べ始めるとしばらくはキムチ漬けの日々が続くのである。そこでわざわざ鶴橋まで私の目に美味しそうに映るキムチを探しに来たのである。500グラム1000円で買ったキムチは生の牡蠣や木の実などを始め具が沢山入っていて見るからに美味しそう、あっという間になくなってしまいそうである。次はお餅を探した。



私が朝鮮で暮らしていた頃は朝鮮の人たちが食べているものを間近に目にすることはなかった。敗戦になって南大門広場に大がかりな闇市?が生まれ、白米を始めとする数々の食料品が実に豊富に出まわるようになり、露店で大勢の人が飲み食いするようになって食事の様子を始めて実見した。鉄原から引き揚げてきて日本に帰るまでの3ヶ月ほど明治町(今の明洞)にある会社の寮に入っていたので、毎日のように9歳下の弟を負んぶして、足の向くままあちらこちらを探検して廻っていた。食べ物などは珍しいので立ち止まってじっと眺めていると、時々オモニがお菓子などを呉れたりした。その時はじめて食べて美味しいとおもったのが朝鮮風のお餅である。

お餅といっても実に種類が多くて作り方もさまざまなようである。しかし臼と杵でつく日本のお餅と違って、朝鮮のは糯米やうるち米を粉にして、それにいろいろなものを加えて甑で蒸すのである。四角い型などに入れてカステラのように出来上がるとそれを適当な厚さに切って食べるのもあれば、ことさら型にはめずに日本の山菜おこわのように皿に盛るものもある。久しぶりの鶴橋で嬉しいことにいろんな種類のお餅を置いている屋台を見つけたので、よもぎ餅と蒸し餅をそれぞれ500円で買った。朝鮮でも決して食べ慣れたものではなかったが、子供の頃の思い出と重なって懐かしいのである。よもぎ餅は一夜でなくなってしまった。



3月20日には阪神電車の難波線が開通して難波で近鉄に乗り入れて、奈良まで乗り換えなしに行けることになる。すると鶴橋は難波から上本町の次の駅だから三宮から電車一本で気軽に行けるようになる。鶴橋詣でが増えそうである。



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