高松塚古墳検討会の渡辺座長、辞任へ 未公表問題で引責 (朝日新聞) - goo ニュース
何かあると最高責任者の辞職が飛び出す。高松塚古墳壁画の保存・維持の作業でいろいろな不祥事のあったことがここしばらく報じられているが、こうした一連の不祥事を公表しなかった責任を取って高松塚古墳検討会の渡辺座長が座長と委員を辞職するとのことである。
この報道は私にはちと納得しかねる。
この記事では一連の不祥事のあったことを(マスメディアに)未公表にしたことが辞任の理由のように受け取られる。何故未公表が一々責任問題になるのだろう。未公表にしたことが法律に触れるのなら確かに犯罪行為であるが、まさかそのようなことを定めた法律があるわけではなかろう。
高松塚古墳壁画の件で責任が問われるべきなのは、元来壁画の保存・維持を仕事とする機関がその任務を全うするどころか壁画を毀損したり、またカビの繁殖に適切な対応することを怠たりあまつさえ不用意にカビを石室内に持ち込み石室と壁画に損傷を与えたりしたことであるのではないか。
報じられた範囲ではあるが石室・壁画の取り扱いがあまりにも杜撰としかいいようがない。現場で作業する人から監督、管理する人までこの人たちの職業意識・職業倫理はいったいどうなっているのだろう。
昔昔読んで感動を覚えた幸田露伴の「五重塔」を思い出した。谷中感応寺五重塔の建立がモデルで、それを建てた総棟梁のっそり十兵衛の仕事にかけた熱意と造り上げた塔に対する絶大な自信と誇りが語られているのである。
総ケヤキ造りで高さ34メートルの五重塔は関東で一番高い塔である。ようやく出来上がり落成式を目前に控えて大嵐に襲われる。
以下に引用する原文は私も振り仮名を頼りに読み下せるもので、ちんぷんかんぷんの方も多いかもしれないが大意は掴んでいただけると思う。
「折角僅かに出来上がりし五重塔は揉まれに揉まれて九輪は動き、頂上の宝珠は空に得読めぬ字を書き、岩をも転ばすべき風の突っ掛け来り、楯をも貫くべき雨の打付り来る度撓む姿、木の軋る音、復る姿、また撓む姿、軋る音、今にも傾覆らんず様子に、あれあれ危うし仕様はなきか、傾覆られては大事なり、止むる術もなかい事か、雨さへ加はり来りし上周囲に樹木もあらざれば、未曾有の風に基礎狭くて丈のみ高きこの塔の堪へむことの覚束なし、・・・・」とばかりに十兵衛が呼びにやられる。ところがこれほどの暴風雨で倒れたり折れたりするような脆いものではない、と十兵衛は容易に御輿を上げようとはしない。上人の名を持ちだしての再度の懇望に十兵衛の心は痛く傷つき寺に向かう。上人は自分の技倆をその程度に軽んじられていたのか、と上人への信頼が揺らいでしまったからである。
「嵐の風のそよと吹けば丹誠凝らせしあの塔も倒れやせむと疑はるるとは、ゑゑ腹の立つ、泣きたいやうな、それほど我は腑のない奴か、恥をも知らぬ奴と見ゆるか、自己がしたる仕事が恥辱を受けてものめのめ面押拭ふて自己は生きてゐるやうな男と我は見らるるか、たとへばあの塔倒れた時生きてゐようか生きたかろうか、ゑゑ口惜い、腹の立つ、・・・」とばかり五重塔の天辺まで上り、万が一にも塔が倒れるときは我が身も諸共と六分鑿を握りしめる。いざとなれば鑿を口に含んで飛び降りる覚悟なのである。
しかしこの五重塔は釘一本もゆるまず板一枚剥がれることなく暴風雨を耐え、そして(モデルとなった実物は)関東大震災も東京大空襲をも生き延びたのである。
プロ意識に支えられた職人根性は日本人の誇りとするところであった。また責任の取り方の覚悟も並大抵のものではなかった。それにひきかえて国宝を引っ掻いて傷はつけるは保存の大敵カビを不用心にも蔓延らせてその対策を怠るやら、児戯めいたミスを積み重ねてそのあげく責任者が責任を取ると格好をつけてその実『面倒ごと』からヤレヤレとばかりに逃げ出すとはどこに職業人の倫理感があるのか。これでは『敵前逃亡』にほかならず銃殺ものである。
マスメディアも果たすべき責務を果たしえなかった責任者の責任を追及すべきであって、それを『未公表の責め』に矮小化すべきではない。
何かあると最高責任者の辞職が飛び出す。高松塚古墳壁画の保存・維持の作業でいろいろな不祥事のあったことがここしばらく報じられているが、こうした一連の不祥事を公表しなかった責任を取って高松塚古墳検討会の渡辺座長が座長と委員を辞職するとのことである。
この報道は私にはちと納得しかねる。
この記事では一連の不祥事のあったことを(マスメディアに)未公表にしたことが辞任の理由のように受け取られる。何故未公表が一々責任問題になるのだろう。未公表にしたことが法律に触れるのなら確かに犯罪行為であるが、まさかそのようなことを定めた法律があるわけではなかろう。
高松塚古墳壁画の件で責任が問われるべきなのは、元来壁画の保存・維持を仕事とする機関がその任務を全うするどころか壁画を毀損したり、またカビの繁殖に適切な対応することを怠たりあまつさえ不用意にカビを石室内に持ち込み石室と壁画に損傷を与えたりしたことであるのではないか。
報じられた範囲ではあるが石室・壁画の取り扱いがあまりにも杜撰としかいいようがない。現場で作業する人から監督、管理する人までこの人たちの職業意識・職業倫理はいったいどうなっているのだろう。
昔昔読んで感動を覚えた幸田露伴の「五重塔」を思い出した。谷中感応寺五重塔の建立がモデルで、それを建てた総棟梁のっそり十兵衛の仕事にかけた熱意と造り上げた塔に対する絶大な自信と誇りが語られているのである。
総ケヤキ造りで高さ34メートルの五重塔は関東で一番高い塔である。ようやく出来上がり落成式を目前に控えて大嵐に襲われる。
以下に引用する原文は私も振り仮名を頼りに読み下せるもので、ちんぷんかんぷんの方も多いかもしれないが大意は掴んでいただけると思う。
「折角僅かに出来上がりし五重塔は揉まれに揉まれて九輪は動き、頂上の宝珠は空に得読めぬ字を書き、岩をも転ばすべき風の突っ掛け来り、楯をも貫くべき雨の打付り来る度撓む姿、木の軋る音、復る姿、また撓む姿、軋る音、今にも傾覆らんず様子に、あれあれ危うし仕様はなきか、傾覆られては大事なり、止むる術もなかい事か、雨さへ加はり来りし上周囲に樹木もあらざれば、未曾有の風に基礎狭くて丈のみ高きこの塔の堪へむことの覚束なし、・・・・」とばかりに十兵衛が呼びにやられる。ところがこれほどの暴風雨で倒れたり折れたりするような脆いものではない、と十兵衛は容易に御輿を上げようとはしない。上人の名を持ちだしての再度の懇望に十兵衛の心は痛く傷つき寺に向かう。上人は自分の技倆をその程度に軽んじられていたのか、と上人への信頼が揺らいでしまったからである。
「嵐の風のそよと吹けば丹誠凝らせしあの塔も倒れやせむと疑はるるとは、ゑゑ腹の立つ、泣きたいやうな、それほど我は腑のない奴か、恥をも知らぬ奴と見ゆるか、自己がしたる仕事が恥辱を受けてものめのめ面押拭ふて自己は生きてゐるやうな男と我は見らるるか、たとへばあの塔倒れた時生きてゐようか生きたかろうか、ゑゑ口惜い、腹の立つ、・・・」とばかり五重塔の天辺まで上り、万が一にも塔が倒れるときは我が身も諸共と六分鑿を握りしめる。いざとなれば鑿を口に含んで飛び降りる覚悟なのである。
しかしこの五重塔は釘一本もゆるまず板一枚剥がれることなく暴風雨を耐え、そして(モデルとなった実物は)関東大震災も東京大空襲をも生き延びたのである。
プロ意識に支えられた職人根性は日本人の誇りとするところであった。また責任の取り方の覚悟も並大抵のものではなかった。それにひきかえて国宝を引っ掻いて傷はつけるは保存の大敵カビを不用心にも蔓延らせてその対策を怠るやら、児戯めいたミスを積み重ねてそのあげく責任者が責任を取ると格好をつけてその実『面倒ごと』からヤレヤレとばかりに逃げ出すとはどこに職業人の倫理感があるのか。これでは『敵前逃亡』にほかならず銃殺ものである。
マスメディアも果たすべき責務を果たしえなかった責任者の責任を追及すべきであって、それを『未公表の責め』に矮小化すべきではない。