日々是好日

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吉川英史著「日本音楽の歴史」にみる一弦琴

2006-04-19 14:49:01 | 音楽・美術

朝日の朝刊(4月18日)に日本伝統音楽研究家、東京芸大名誉教授吉川英史(きっかわ・えいし)氏の訃音が報じられていた。老衰で死去、97歳とのこと。ご冥福をお祈り申し上げる。

邦楽が伝統古典音楽として厳然と存在する日本国で、明治の御代からわれわれは小学唱歌を始めとする西洋音楽のみを義務教育で教え込まれてきた。考えてみたらまことに奇妙奇天烈摩訶不思議なことである。昨今小学校から英語を教えることの是非に論議が涌き起こっているが、考えてみるまでもなく邦楽を全廃して洋楽のみに徹したことは、語学教育に例えると国語を全廃して英語のみにすることに匹敵する。この蛮勇をふるった明治時代の音楽教育者の前には小学校英語教育論者も顔色を失うはずだ。

ウインフィルだかベルリンフィルだかヨーロッパの名だたる交響楽団の一員として活躍している日本人奏者が指揮者からその演奏に日本的リズム感覚が見え隠れしていると厳しい指摘を受けたとかいう記事を読んだ記憶があるが、さもありなんと思う。われわれは実は先祖伝来のリズム感覚を身体的に引き継いでいるのである。母親の胎内にいるときからたとえモーツアルトの音楽を聴かされてもその音楽が母親の皮膚を肉をそして羊水を通り抜けているうちに日本的音感でたっぷり味付けされて胎児に届くからであろう。

私は生まれた頃から父の謡が身近にあった。子守歌だったそうである。父は若いときから観世流の謡曲を嗜んでいた。戦争の惨事をくぐり抜けて残っている独身時代唯一の写真が播州高砂神社での奉納演奏の舞台姿で後列右から二人目が父である。



私にも謡を教え込もうとしたことが何回かあったが私の方が長続きしなかった。今から思えば残念である。私の結婚披露宴で父は『烏帽子折』のなかから奥州に下る牛若丸元服のくだりを謡ってくれたことを覚えている。そうしたこともあって私には日本伝統音楽の音感が紛いもなく伝わっていることを期待するのであるが、その能力を発揮する機会はたえてなかった。

縁あって一弦琴を始めだしてから日本音楽の歴史を勉強したくなって古本屋で買い求めたのが吉川英史著「日本音楽の歴史」(創元社)である。奥付を見ると昭和40年6月20日第1刷発行、昭和51年4月20日第11刷発行とあるからこの分野のベストセラーなんであろう。そして一弦琴についても五ページにわたってかなり詳しく記されている。

《一弦琴の歴史が明らかに知られるのは江戸時代以後である。岡山藩の儒者で雅楽にも造詣のある熊沢蕃山は一弦琴を演奏したと言い、彼は須磨に遊んで、去来する潮の声を聴いて「須賀ノ曲」を作曲したという。(中略)しかし、現在の一弦琴の直接の祖は河内国の金剛輪寺の僧・覚峰(1729~1815)と見るべきであろう。》

この時代にはすでに箏や三味線のような比較的複雑な楽器が流行しているのに一弦琴のような単純な楽器が出現するのである。しかも箏や三味線を習ったのちの人が一弦琴を演奏した。何故この時代にこのような単純な楽器、単純な音楽が行われたのであろうか、と著者は疑問を投げかけ、この覚峰が説く弾奏の心得をその答えのヒントとして紹介している。

《一、心を清浄にして無一物にて歌をもうたひ、琴をもひくべし。また居所をきよくし、念頭をすずしくしなば、おのづから声音の美妙もいでぬべきか。
一、此琴はかなき一すじのしらべなれども、いささか俗事のものうさを散じ、心の朦鬱をひらき、気をすまし、意を清くするの一助ともなるべき器なれば、あやなく児女のたはぶれごとにてはなすまじきものか。かつそうごん(荘厳)なるきらきらしきことは、このましからず。何のよそひもなく、ことそぎたるやめでたからん。只幾度もいくたびも心ただしく、音声のなほからんこそあらまほしけれ。・・・・》

そして著者は締めくくる。

《この教えは技巧主義・耽美主義でなく、道徳主義・精神主義であることが注目される。ここに、この単純な楽器の存在理由があるわけである。》

この箇所は私が一弦琴に惹かれる理由の説明にもなっている。まただからこそ同好の士の増えることを願うものである。そのためにも《あやなく児女のたはぶれごとにてはなすまじきものか》の箇所はわが尊崇おく能わざる今の大和撫子を慮りあえて現代語訳を止め措く。

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1 コメント

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一弦琴が途絶えたわけ (琴音)
2006-04-27 10:09:36
幕末の復古思想にのっかって

流行したこの琴が、途絶えてしまった理由は

なんでしょうか?

明治に、洋楽に取って代わられたのだ

というようなことが、よく言われますが

「筑前琵琶」はむしろ明治も中期頃から発展

してきたそうで…。

一弦琴と、他の邦楽の楽器との違いを考えると

いわゆる「お座敷芸」になりえなかった、というのが

原因のように思ったりします。

精神主義がそういう場で演奏するのをはばんだ、

ということなのでしょうか?
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