哲学コンプレックスのかたまりである私はとにかく哲学書を避けて通る。と言いながら一方、理解しきれぬものへの憧憬もあってつい中身を覗いてしまうことがある。この本もそうであった。同じ題の本が隣同士に並べられていて、一方は文字の色が下のようで片方はグレイがかっている。どう違うのだろうと思ってつい手に取ってみたが、中身は同じであった。ついでにぱらぱらとめくると、ニーチェの名に怯んでいた私にも素直に理解出来るような文章ばかりが出てくる。嬉しくなって買ってしまった。

一ページに一つの文章が収められていて全部で二百三十二項目になる。ニーチェはこんな途切れ途切れの文章を書いていたのかとふと思ったが、「はしがき」を読んで納得した。このように説明されていたからである。
たとえばこのような文章がある。

まったくその通りである。ここに書かれたことは私の考えそのもので、ふだん気の合う友人とよく話し合っていることなのである。こういう話も出てくる。

これなんぞも私が前々回の小沢古年兵殿の呪縛 野間宏著「真空地帯」からで述べたばかりのことである。そして

なども、実は我々世代の方はとっくにご承知のことなのである。ニーチェは1844年生まれの1900年没だから55歳で亡くなっている。人生経験の蓄積が我々とそう大きく違うわけではなく、我々も自分の頭で考えれば自然と同じ意見が生まれてきても不思議ではない。それについてもニーチェは《自分の意見を持つためには、みずから動いて自分の考えを掘り下げ、言葉にしなければならない(088)》と説いているが、まったく同感出来るではないか。これをニーチェは日常のこととしてきた人であるから、我々が頭を未整理のままくだくだしく述べることのエッセンスをしっかりと把握して、それを簡潔かつ論理的な文章に仕上げているともいえよう。その意味では彼は我々の代弁者でもあり、だからこそ彼の言葉に多くの共感を覚えるのであろう。
なんせこの年になって始めてニーチェの言葉に触れた私である。ここに引用してきた文章がこれまでどのように翻訳されてきたのか比べようもないが、とにかく読みやすい。「超訳」たるゆえんだろうか。それにしても百年以上の隔たりがあるにも係わらず、考えが通じ合えるのが楽しい。そして自分の考えをニーチェの103番と同じであるとか、081番を見てほしいとか言って伝える番号遊びをするのも面白そうである。と考えを楽しんでいたら次のように釘を刺されてしまった。やっぱりニーチェは只者ではなさそうである。

編訳者の白取春彦さん、この文章を読んでどう思ったかしら。

一ページに一つの文章が収められていて全部で二百三十二項目になる。ニーチェはこんな途切れ途切れの文章を書いていたのかとふと思ったが、「はしがき」を読んで納得した。このように説明されていたからである。
ニーチェの名が今なお世界的に知られているのは、彼の洞察力が鋭いからである。急所を突くような鋭い視点、力強い生気、不屈の魂、高みを目指す意志が新しい名文句とも言える短文で発せられるから、多くの人の耳と心に残るのである。
その特徴は主に短い警句と断章に発揮されている。本書では、それらの中から現代人のためになるものを選別して編纂した。
その特徴は主に短い警句と断章に発揮されている。本書では、それらの中から現代人のためになるものを選別して編纂した。
たとえばこのような文章がある。

まったくその通りである。ここに書かれたことは私の考えそのもので、ふだん気の合う友人とよく話し合っていることなのである。こういう話も出てくる。

これなんぞも私が前々回の小沢古年兵殿の呪縛 野間宏著「真空地帯」からで述べたばかりのことである。そして

なども、実は我々世代の方はとっくにご承知のことなのである。ニーチェは1844年生まれの1900年没だから55歳で亡くなっている。人生経験の蓄積が我々とそう大きく違うわけではなく、我々も自分の頭で考えれば自然と同じ意見が生まれてきても不思議ではない。それについてもニーチェは《自分の意見を持つためには、みずから動いて自分の考えを掘り下げ、言葉にしなければならない(088)》と説いているが、まったく同感出来るではないか。これをニーチェは日常のこととしてきた人であるから、我々が頭を未整理のままくだくだしく述べることのエッセンスをしっかりと把握して、それを簡潔かつ論理的な文章に仕上げているともいえよう。その意味では彼は我々の代弁者でもあり、だからこそ彼の言葉に多くの共感を覚えるのであろう。
なんせこの年になって始めてニーチェの言葉に触れた私である。ここに引用してきた文章がこれまでどのように翻訳されてきたのか比べようもないが、とにかく読みやすい。「超訳」たるゆえんだろうか。それにしても百年以上の隔たりがあるにも係わらず、考えが通じ合えるのが楽しい。そして自分の考えをニーチェの103番と同じであるとか、081番を見てほしいとか言って伝える番号遊びをするのも面白そうである。と考えを楽しんでいたら次のように釘を刺されてしまった。やっぱりニーチェは只者ではなさそうである。

編訳者の白取春彦さん、この文章を読んでどう思ったかしら。