日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

弘化生まれの美女と一つ屋根の下で暮らす話

2010-08-29 11:50:08 | 読書
昨日の読売新聞(静岡版)の記事である。

江戸時代生まれ 次々

県内最高齢111歳超え 数百人

 高齢者の所在不明問題で、県内の最高齢者(111歳)より年齢が上の人が戸籍上は生存しているケースが県内の自治体で相次いで判明した。江戸時代に生まれたことになっている人も次々と見つかり、中には1841年(天保12)生まれの169歳の女性が生きていることになっている例も。海外に移住し戸籍はそのままになっているなどのケースが考えられ、第2次世界大戦を挟んでいることも戸籍上の混乱が生じている一因とみられる。いずれの自治体も、生存しているかどうかを確認したうえで、法務局と協議して戸籍を抹消する手続きを進める方針だ。

■天保生まれ169歳

 全国でこの問題が相次いでいることから、県内自治体も高齢者の戸籍のチェックを進めている。静岡市では26日、戸籍上は120歳以上の「超高齢者」が171人生存していることになっていることが判明した。

 169歳の女性が戸籍上は生存していることになっているのは河津町。同町ではほかにも、1856(安政3)、1857(安政4)、1858(安政5)年生まれの人が1人ずついる。4人を含め、県内最高齢の人を上回る112歳以上の人は29人に上る。
(2010年8月28日 読売新聞)

戸籍上生存している江戸時代生まれの人が次々に見つかったとはなかなか興味深いことで、同じ読売新聞によると、長崎県壱岐市では文化7年(1810年)生まれの200歳男性の戸籍が残っているとのことである。この年には緒方洪庵やフレデリック・ショパンが生まれており、フランスでは皇帝ナポレオン・ボナパルトが在位していた。

上の記事では、生存しているかどうかを確認したうえで戸籍を抹消する手続きを進めることになりそうだが、ちょっと待て、こんな場合はどうなるのだろうと考えてしまった。梶尾真治著「つばき、時跳び」を読んだばかりだったからである。


熊本市の郊外。城下町からもはずれた花岡山の中腹に、「百椿庵(ひゃくちんあん)」と呼ばれる古い屋敷がある。四百坪を超える敷地のほとんどが庭で、七十坪の二階建ての日本家屋がある。ここに三十歳過ぎの主人公が一人で住んでいる。大学卒業後、一般の会社に就職してしばらく勤めたが、その間に趣味で書いていた歴史小説が娯楽小説コンテストの優秀作に入り、それを機会に専業作家の道を選んだというのである。曾祖父が戦後廃屋同然だったこの家を買ったのであるが、肥後椿が庭に無数に植えられており、もともとは細川家の家来の偉い方の隠れ屋敷だったらしいのである。

この家に女の幽霊が出るとの噂がかねてからあった。それまでに目にしたのは女性だったのに、この主人公が一日家に居るお陰でついにこの幽霊にお目にかかったのである。ところがこの幽霊と思われた女性は、同じ屋敷に住みながらある時は江戸時代に、ある時は平成の御世に、時の壁を乗り越えて往き来している存在であったのである。そして主人公もあちらの世界に時跳びする術を会得して、二人して江戸時代の心豊かな生活を共に過ごしているうちに・・・・、となるのであるが、そちらの成り行きは小説にお任せしよう。

この女性、つばきに主人公が「今、何年ですか?時代は」と尋ねると、「今は、元治の甲子(きのえね)だったと思いますが」と返事が戻ってきた。そこでその年を「日本史総合年表」(吉川弘文館)で私なりに調べてみると、元治の甲子は孝明天皇の元治元年(1864)に相当する。また、つばきがまだ独り身であることを、生まれが丙午(ひのえうま)なのでと言っていることから、彼女の生まれたのが弘化の丙午、すなわち孝明天皇の弘化三年(1846)であることが分かる。主人公は十八歳のつばきと出逢ったのである。

このあたりの年号を順番に並べると、文化(1804)、文政(1818)、天保(1830)、弘化(1844)、嘉永(1848)、安政(1854)、万延(1860)、文久(1861)、元治(1864)、慶応(1865)、明治(1868)と続く。だから上の新聞記事にあるような文化八年(1810)年生まれの方は、間違い無く歴史上の人物である。

もしこのような歴史上の人物が戸籍通り生きていて、現代と往き来する術を身につけていたとする。どれくらいの年月を時跳び出来るかはその人の能力次第として、たとえばつばきなら150年を飛ぶことが出来るのである。戸籍上百七十歳の人がその年格好の姿で存在しなくても、時飛びをして二十歳の姿形で今の世に存在している可能性を考えると、所在不明の歴史的人物の生存を否定する場合には、よほどの覚悟を定めて取り組む必要がありそうである。

暑さで頭がどうかなったとは思わないが、このようなこと、ぼんやりと考えて「つばき、時跳び」の余韻を楽しんでいた。

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