「皇室典範改正、通常国会で成立を」首相 (朝日新聞) - goo ニュース
「いずれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
学校をでた日本人なら誰でも知っている源氏物語の冒頭である。
「女御更衣」とは平安時代に生じた後宮女官制度の一つ、その公の勤めは天皇の寝所に侍ることで、目的は天皇の血筋を絶やさないことであった。だからこそ天皇系図に従うと初代の神武天皇以来第125代目の今上陛下に至るまでの皇統が維持されてきた。
その間女性天皇は10代8方。奈良時代以前が8代6方で江戸時代に2代2方で125代のうちのわずか10代に過ぎない。しかもすべて男系女性である。
「皇室典範に関する有識者会議」の報告書にはこのような部分がある。
「伝統を踏まえたものであること
憲法における天皇の位置付けの背景には、歴史的・伝統的存在としての天皇があると考えられるため、皇位継承制度も、このような天皇の位置付けにふさわしいものであることが求められる。
伝統の内容は様々であり、皇位継承についても古来の様々な伝統が認められるほか、戦後の象徴天皇の制度の中で形成されてきた皇室の伝統もある。さらに、例外の有無、規範性の強弱など、伝統の性格も多様であると考えられる。
また、伝統とは、必ずしも不変のものではなく、各時代において選択されたものが伝統として残り、またそのような選択の積み重ねにより新たな伝統が生まれるという面がある。」
この報告書にある「歴史的・伝統的存在としての天皇があると考えられる」のくだりはまったく同感である。しかしその考えの中に私がもっとも重要と考える事柄が欠落しているから、上っ面だけの論議に終わっている。それを指摘しよう。
「戦後の象徴天皇の制度の中で形成されてきた皇室の伝統もある」とのことであるが、この伝統はせいぜい新憲法の時代になっての僅か60年のもの、これを連綿と2666年間続いてきた皇統の伝統と同列に論じるところに有識者会議メンバーの歴史に面する謙虚さの欠如が表れていると云わざるをえない。さらに『皇室の伝統』は只文言として出て来ただけで中身は空疎、私の考える歴史・伝統とは相容れない言葉のつじつま合わせに終わっている。
その歴史・伝統の一つは現行典範に記されているように皇位継承者は『皇統に属する嫡出の男系男子の皇族』に集約されているが、しかしここにも歴史・伝統からの大きな逸脱がある。それは『嫡出の男系男子』の部分である。
この報告書の参考資料にも挙げられているが、明治天皇以前の121代(初代の神武天皇を除く)のうち嫡出は66代、非嫡出は55代とのことである。すなわち非嫡出男系男子の皇位継承があってこそ、天皇家の歴史・伝統が維持されてきたのである。「女御更衣あまたさぶらひたまひける」のも何故かと云えば、皇統の維持に必要不可欠であったからである。これが天皇家の存続に関わる日本の歴史・伝統なのである。
私が『軍国少年』であった頃、音楽の時間で次のような歌を習った。今でもちゃんと節を付けて歌える。
「金剛石も みがかずば
珠のひかりは そはざらむ
人もまなびて のちにこそ
まことの徳は あらはるれ」
「時計のはりも 絶え間なく
・・・・・・・・・・・・」
と2番に続くが、これは昭憲皇太后のお歌で、刻苦勉励の教えと私たちは受け取った。
昭憲皇太后は明治天皇のお后で民草の尊崇を集めたお方である(と古めかしい云い方が素直にでてくる)。そのお二方の間にお生まれになったのが後の大正天皇である、とその頃の私たちは思っていた。
既にそのころの大人は知っていたことかも知れないが、大正天皇のご生母は柳原愛子(なるこ)で明治天皇の五人の側室の一人である。昭憲皇太后は残念ながらお子を身ごもられることがなかった。ちなみに明治天皇は五人の側室から十五人の皇子皇女を得られたが、成人されたのは五人だけである。
明治天皇の父孝明天皇には皇后に次ぐ女御がおられたが、明治天皇のご生母はその女御ではなく権典侍中山慶子(よしこ)、更に云えば孝明天皇もご生母は権典侍正親町雅子で、孝明、明治、大正と三代の天皇はいわゆる嫡出子ではない。従って当然のことであるが明治典範では非嫡出子も皇位継承資格を有することとされていたのである。
このように昭和天皇の先代、大正天皇の時代まで誰しも当たり前のように思っていた『非嫡出子の皇位継承資格』が現行典範から除かれたことを、私は歴史・伝統からの大きな逸脱というのである。
最初に取り上げた「歴史的・伝統的存在としての天皇があると考えられる」という以上、それを可能にした後宮制度の存在に目を瞑ることは出来ない。後宮制度のもとで生まれる非嫡出子の皇位継承を認めてまで維持されてきたのが男系男子による皇位継承のである。私に云わせると女帝を安易に容認することはこの歴史・伝統の破壊に他ならない。何故か、次のように考えれば分かりやすいのではなかろうか。
天皇家にはわれわれ庶民のように姓名の『姓』がない。だからぼやかされてしまうのだが、子孫を残さないといけない女帝は当然男性と結婚する。すると生まれた子供の姓は実は男性の姓になるのである。庶民感覚で云えば『家』が変わってしまうのである。これを何回か繰り返すだけで天皇家とは云うものの内実は田中さん、伊藤さん、佐藤さん、・・・・となってしまい、一般庶民となんら変わるところがなくなってしまう。天皇家は国民の親愛により存続できるものではない。歴史・伝統に起因する尊崇を受けるからこそ存続できるのである。一般庶民と同じようになると云うことは天皇家の消滅なのである。天皇家の廃絶を婉曲に目論むにはまず女帝を容認すればいいのである。
子供が出来るのか出来ないか、男の子なのか女の子なのか、それがあらかじめ分かっていて夫婦になるものではない。縁があって夫婦となり子供が欲しいのにどうしても出来ないとなれば、最後は諦めざるを得ないかも知れない。
同じことが天皇家にも云える。しかし男子出生は一般家庭とはことなる格別の重みをもつ。子供を産まなければならない、それも男の子を産まなければならない。これは科学を超越した神懸かり的な願い事である。先人の知恵が生み出した後宮制度は皇統の維持に必要不可欠な制度であったのである。
皇室典範に関する有識者会議には最初から結論があったと私は思う。メンバーの選択自体がそれを雄弁に語っている。10人のメンバーのうち6人が元大学教授もしくは大学総長。そして元最高裁判事に元官僚2名と経団連会長。論議を直接耳にしたわけではないが、後宮制度の歴史的意義を論じる人はおそらく皆無であっただろう。庶民代表で落語家一人入っておれば論議もまた違った方に行ったかもしれない。それよりなにより皇室の最も重要な事柄を決めるのに皇室から誰一人論議に参加されていないのが最大の欠陥である。
天皇家の方々こそ日本古来の歴史・伝統を自ら体現するものとしの自覚をお持ちであろうし、またそれを守り伝えていくことを最大の責務と心得ておられることであろう。そのご意見はぜひ国民の前に開陳されるべきである。
小泉首相の本心が自民党をぶっ壊し、ついでに天皇家も無くしてしまえ、でないことを念じたい。国会で十分論議を重ねた上でさらに継続審議に持ち込んで欲しい。
ドナルド・キーン著「明治天皇」上下巻にいわゆる後宮制度の内実が詳細に述べられているが、その一文だけを引用する。
「ヨーロッパでは、王の庶出の子供は王位を継承する資格がなかった。しかし伝統の異なる日本では、皇后に生まれた子供であれ、他の女性の腹を「借りて」この世に誕生した子供であれ、そこには何らの区別はなかった」