日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

花村萬月著「たびを」を読了

2006-01-14 17:18:27 | 読書

午前5時、1000ページにもおよぶ花村萬月の大作「たびを」を読み終えた。ベッドに仰向けに寝て、厚みが57mm、重さが910グラムの本を両手で支えての苦行を物ともせずにである。布団から外に出た両腕はこの寒気で完全に冷え切っている。

何故この本を読む気になったか。一つは日本一周は私のまだ見果てぬ夢であり、それを垣間見たかったのと、もう一つは本の分厚さである。読み通す気力があるかな、と問いかけられているような気がしたのでチャレンジした。嬉しいことに正味4日ほどでの読了したのだから、還暦ローティーンとしては立派であろう、と自画自賛。

主人公は改造原付二輪車で日本一周する19歳の浪人生谷尾虹児君。一夏100日ほどかけてのツーリング紀行である。旅に出るからには動機もあるだろうしお金もいる。汗水垂らして稼いだわけでもない大金が思いがけなく舞い込む次第などは本書に譲るとして、とにかくそのツーリングを追っかける。

旅ともなれば新しい土地との出会い、人との出会いである。改造バイクで日本を一周するのであるから見ること書くこと山ほどある。著者の花村氏の実体験が下敷きになっているとは容易に想像つくが、目に入るもの、出くわしたことがらの綿密な筆致が臨場感を盛りたてる。だからついつい読み進んでしまう。

犬、猫、鳥のように身一つとはいかないが、最小限の持ち物で移動するのが潔くていい。私には少年時代に体験した『朝鮮からの引き揚げ』とイメージの重なるところがあった。しかし食べ物が無くなればコンビニを見付ければいいのだから気楽なものである。まさに平和な時代の物見遊山、なんたる贅沢を虹児君、である。

私が面白く感じたのは旅の途中で出会う人々との関わり合いである。単独ツーリングしているもの同士がどこかで出会い、場合によってはしばらくツーリングを共にする。道ばたですれ違った犬同士がお互いの様子を窺い臭いを嗅ぎ合ったりするように、相手の性格などを探り合う、動物と同じような行動をとるその描写が面白い。

お互いの探り合いに人間同士だから言葉の応酬がある。小説仕立てだからそうなるのかも知れないが、皆さんなかなかの饒舌家である。舌がよく回りギャグの連発である。そのスピードは小説には現れないが、たぶんテレビタレントも顔負けのもの凄いスピードでやり合っているのだろうななと思ったら、異星人同士の遭遇を連想してしまった。気が合えばしばらくの旅の連れ合いができる。すぐには仲間になれなくても相手を意識してまわりをうろちょろしているうちにくっついてしまう。駆け引きの呼吸を楽しむのも時間に追われないのんびりとした旅ならではのことである。

この虹児君、童貞喪失が旅立ちの動機と大いに関係があるのだが、それで女性開眼を果たしたのか、このツーリングの最中に大勢の女性と《棚ぼた式》に知り合う。『プロの女性』もおれば単独行女性ライダー4人のうち3人と懇ろになる発展ぶりである。喋々喃喃が花村式記述で延々と続くと還暦ローティーンも落ち着かなくなる。

レアリズムの圧巻は大麻の吸引シーンである。あるとき同行した男性ライダーが大量の大麻を持っていて虹児君も初体験をする。そして行き着くところ、ライダー仲間の男性3人と女性3人がマンションに閉じこもり数日かけて大麻を全部煙にしてしまう。その間になにが起こったか、心卑しき人の想像は外れてナイーヴな人はただただ呆然とする。

小説で人殺しの場面がおどろおどろしく語られたとしても、それが著者の実体験だと思う読者はまずいないだろう。しかしこのマリファナの吸引の描写も著者の単なる創作なのだろうかというと、私は著者の実体験と断じたい。何故そのように断じるのか。ヒントは「あとがき」にある。なかったことはなかったこと、と種明かしされているのであるが、マリファナの吸引はなかったこととは述べられていない、ただそれだけの理由なのであるが。では何がなかったことなのか、それを先に知ってしまえば読書の楽しみが半減するから、これから読もうとする方は絶対に「あとがき」を先に読まないように忠告する。

旅をしていると考える時間がたっぷりある。虹児君はなかなか自省的な青年であれやこれやよく考えるのである。これが19歳の青年の考えることなのか、はたまた壮年花村氏の地が出て来たことなのか、その辺りをあれやこれや想像しながら読む楽しみもあった。

私はまだ還暦ローティーンの身、虹児君のようなハイティーンまでにはまだまだ時間がある。近い将来なんとかして日本一周の夢を実現させたいものと切に思うようになった。