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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

カダフィ大佐より生き延びそうな菅首相が今為すべきことは衆議院の解散である

2011-08-24 11:22:50 | Weblog
私が菅首相とカダフィ大佐 生き残りをかけてで、最後に《それにしてもカダフィ大佐とわが菅首相、どちらがしぶとさに勝ることだろう》と書いたのは、私が入院させられた6月22日の数日前のことであった。それからほぼ2ヶ月、リビアの情勢は大きく変わり、今朝のasahi.comは《反体制派、喜び爆発 カダフィ拠点「制圧」に祝砲》と伝えた。一方カダフィ大佐はラジオでまだ抵抗を呼びかけているようであるが、帰趨はほぼ決したと見て良かろう。

その菅首相は昨23日午前の閣僚懇談会で、「30日に内閣総辞職をすることになるだろう」と述べたとのことである。その断言していないところに私はまだ期待を抱いている。これまで何を言ってきたかは一々気にする菅さんではなかろう。今こそ衆議院を解散すべきなのである。内閣総理大臣を一政党の中でたらい回しするのではなく、それに先立ち国民の総意を総選挙により問う、この政治の正道をいまこそ国民は取り戻すべきなのである。衆議院解散にはこれだけで国民に対する大義名分となる。この問題に民主党の次期代表を目指す人たちが何一つ触れないことだけで、彼らには代表選出馬の資格は無い。その衆議院解散をやってのけることの出来るのは、この混迷する政局の中にあって、肩書きは首相であっても市民運動に熱中出来る菅首相のみである。己の信念を吐露して今こそ衆議院解散を断行すべきである。まさに国民栄誉賞ものではないか。


菅首相 今こそ国会解散・総選挙を!

2011-08-21 12:17:10 | Weblog
最後までバタバタしていたが、自民党も菅首相の居座りを避けたいために8月24日には特例公債法案、26日に再生エネ法案をそれぞれ成立させることに合意したそうである。私はこの時こそ菅首相が衆議院を解散し総選挙に打って出る好機だと思う。

ここしばらくどのチャンネルを回しても、次の民主党代表候補として政治家としての深みを感じさせない顔ばかりが出てくる。もともと民主党に人材が払底していることは周知のことであったが、政治家として具体的なビジョンを語れない人物ばかりというのも徹底している。そこにまた出てきたのが小沢詣でとか鳩山詣で、それに呼応してなのか、小沢一郎氏と鳩山由紀夫前首相が「菅直人首相の後継的な人間は推せない」との意見で一致し、今後も連携していくことを確認したとか。国民不在のレベルの低い話が、今や党としての体を為さない民主党の中で行き交っている。

そういう民主党をほとんどの国民がすでに見放して、衆議院を即解散、総選挙で今の国民の意思を直接に反映する総理大臣の選出を強く望んでいる。そこで期待するのは「市民運動」に熱中している菅首相と私が見極めた菅首相の最後の、いや、起死回生の?ご奉公、衆議院解散総選挙の断行である。まずは民主党代表選をぶっ飛ばせば、すくなくともこれで小沢・鳩山は沈んでしまう。楽しみだな。

「五山の送り火」に飛び込んで来たお節介

2011-08-12 22:10:58 | Weblog
陸前高田市で津波に薙ぎ倒された松で作った薪を売ろうとしている計画を聞いた大分県の美術家が、震災で家族を亡くされた人や復興への思いを綴ったメッセージを書いて京都五山送り火で燃やそうと発案して、京都の大文字保存会に話を持ち込んだのがことの起こりであった。

発想それ自体は一つの考えで多くの人にも素直に受け入れられそうなものであった。だからこそこの話を持ち込まれた保存会会では、事実はともかく、苦慮したのではないかと私は想像した。それはかってテレビのドキュメンタリー番組で紹介された五山のそれぞれの保存会の日常の活動を目にしたことがあるからである。

「五山送り火」は京都の歴史ある伝統行事の一つであって、それを支える地元の保存会の長年にわたる日頃の活動の蓄積があってこそ、伝統行事としてとして定着して来たものである。

五山の火床をはじめとする現場の整備をはじめとして、松明の準備、火床での組み立てにもそれぞれ独自の工夫がこらされて、点火の手法などにもその段取りが製然となされている。すべて保存会の一糸乱れぬチームプレイとして築き上げられた至芸である。これらが全て保存会の方々の人力で維持されて来ているのである。

伝統の段取りがしっかりと出来上がっているところに、一美術家にによる案が持ち込まれた。それなりに名分はあるし、また東日本震災の被害者の鎮魂の為とあれば世間の9耳目を集めることだし、無下に退けることは難しい。しかし一方では伝統行事の段取りにの重みを十分認識している以上、現場の了解をどのようにして取り付けることが出来るのか、そこに苦慮があったのだと思う。その結果陸前高田市の薪から放射能が検出されなかったにもかかわらず、反対の声があったので、と京都人らしい表現でこの企画がいったん消えてしまった。私もそれで良しと思った。ところがこの報道がなされると局面が一転して、瀬戸内寂聴さんまでが<<今回のことは京都の恥です。送り火は亡くなった人の魂を慰めるもの。ましてやこんかいは東日本大震災という大惨事で亡くなった人の魂に対してです。私は怒っています。恥ずかしいです。悔しいです。岩手の方が起こるの9は当然ですが>>と声を大にしておられる。

言われるのはそのまま素直にお聞きするとしても、では魂を慰める為になぜ「五山の送り火」で陸前高田の薪をもやさないといけないのだろう、と言うのが私にはピンとこないのである。現に「五山の送り火」にしても、京都で亡くなった人の魂だけを慰めているのではない。かっての日本の首都で行われる、日本全国民の鎮魂の行事なのである。

そう思ってみると今回の出来事は一美術家の発案というか、思いつきに世間が振り回された結果であるとも言える。美術家のイベントとしての発案としてはわるくはない。しかし「五山の送り火」という伝統行事にいわばタダ乗りをしようとしたようなものである。保存会の汗をかく人々の存在にまで思慮が及んでほしかったと思う。

幸い保存会の方々も大きく心を開かれて、再び陸前高田の薪の受け入れに同意されたとか、口だけで意見を述べる額に汗をしない口先びとより人間の深みを覚えた。

それにしても伝統行事のありかたに、第三者が軽々しく口を挟むべきではないと私は思う。


隠していることを隠す東京電力 vs. 隠すことを隠さない中国高速鉄道 そして児玉龍彦氏

2011-08-06 16:51:27 | Weblog
牛肉から国の暫定基準値を超える放射性セシウムが検出されたことが切っ掛けとなり、政府は福島、宮城、岩手、栃木の四県からの肉牛出荷停止処分を行った。福島第一原発事故で放出された放射性セシウムに汚染された稲わらを与えられた肉牛が内部汚染されたと考えられるが、その範囲の広がりは福島原発からの20キロとか30キロとかの範囲を遙かに上回るもので、それだけでも私は瞠目した。ところが現実には汚染稲わらの流通範囲がこの程度では納まらなかったのである。それは福島原発事故の損害賠償交渉の指針を定める原子力損害賠償紛争審査会が、昨8月5日に汚染された稲わらが流通した可能性がある17道県を牛肉の賠償対象にしたことから明らかになった。その17道県とは北海道、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、新潟、岐阜、静岡、三重、島根である。直接間接を問わず、ここまでの放出放射線量の影響の広がりを予測した人が一人でも居ただろうか。

自ら収穫した稲わらを肉牛に与える飼育農家にしても、また稲わらを飼料として出荷する栽培農家にしても、今年も例年と同じく飼育に農作業に勤しんでいたことであろう。それが原発事故のせいである日突如目に見えることもなければ音もなく集積されていた稲わらに放射能が降りかかってきたのである。汚染を避けるために稲わらを屋内に移しておくべきだったとかしたり顔の意見もあったが、こんなものは後知恵のさいたるもの、農家にとってはまったく自分のあずかり知らぬところで、天地開闢以来の大災難に見舞われたのである。犯人は安全対策を怠った東京電力で、私は法律には疎いがこれは明らかに他人の財物を損ねているからには刑事犯なのではなかろうか。

流通による汚染稲わらの広範囲に亘る分布はともかく、現地における稲わらの汚染状況を政府はどのように把握しているのであろうか。見えてこない。それと同じく牛と同じ生き物である住民の内部汚染状況は、現在どの程度把握されているのであろうか。200万人に及ぶ福島県民について目下検査がなされているようであるが、現地における汚染稲わらの広がりを考えると、福島県民だけの問題で終わるはずがないと思うが、検査範囲を広げる具体策が考慮されているのかどうか、気になるところである。

いずれにせよこうした状況は思いの外放射能汚染が広がっていることを示唆するが、第一原発事故による放出放射線の総量が未だに明瞭に報告されていないのは、かっての衆議院厚生労働委員会での東京大学アイソトープ総合センター長児玉龍彦氏の説明する通りである。報道された中で85万テラベクレルという値が一番大きいようであるが、これはあくまでも地上への放出量で、海などに流出した分を考慮に入れるとこんなレベルではないことは一目瞭然であろう。東京電力・政府がいろいろと試算していることは間違い無いと思う。条件付きながらその試算結果を公表して国民の疑惑に応えるべきだと思うが、それがないと言うことは私に言わせればデータを隠していることになる。さらにその隠していることを国民の目から隠していることは、中国高速鉄道が衆人注視のなかで証拠隠しを大っぴらに、すなわち隠すことなく行ったことにくらべても遙かに陰湿で、データ隠しの闇の深さを物語るものである。「天の岩戸」を押し開いた手力男命(たぢからおのみこと)がこの時代に甦って欲しいものである。

児玉龍彦氏の参考人説明は私も「放射線の健康への影響」児玉龍彦参考人説明の具体的な提言は実現可能なのだろうか で引用したが、次の部分に関して、内容を納得していないままただ引用したというのが事実である。

我々が放射線障害を診る時には、総量をみます
それでは東京電力と政府は一体今回の福島原発の総量がどれくらいであるか
はっきりした報告は全くされておりません

そこで私どもはアイソトープセンターのいろいろな知識を基に計算してみますと
まず、熱量からの計算では広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しております
ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます

ここで私の常識的な疑問を投げかけてみよう。

まず熱量からの計算では広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しておりますのところである。広島原爆には50キログラムのウラン235が使われ、そのうち核分裂を起こしたのは1キログラム程度と推定されており、ウィキペディアによると

1キログラムのウラン235の核分裂によって0.68グラムの質量欠損が生じ、アインシュタインの特殊相対性理論が示す「質量とエネルギーの等価性 E = mc2 」によってエネルギーに変換される。

爆発で放出されたエネルギーは約63兆ジュール(62.8 TJ [テラジュール]、6.28×1013[J])、TNT火薬換算で1万5千トン(15キロトン)相当に及んだ。エネルギーは爆風(衝撃波・爆音)・熱線・放射線となって放出され、それぞれの割合は50パーセント・35パーセント・15パーセントであった。

エネルギーの単位がジュールであるから、これを熱量と言い換えて良かろう。しかし私の調査が足りないのであろうが、この際に放出された放射線総量を私は知らない。このように広島原爆が発生した熱量は一応推定されているが、一方、福島第一原発事故が発生した熱量を児玉氏はどのように推定したのだろうか。どこかで公表されているのかも知れないが、熱量からの計算の過程を公表することは児玉氏の義務であると思う。それがないことには熱量からの計算では広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しておりますの部分はまったくの無意味である。具体的に広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しておりますの部分すら意味不明理解不可能である。

同じことがウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます
についても言える。

福島第一原発事故が発生した際に、1号機、2号機、3号機が稼働していた。燃料棒に含まれる2酸化ウランの合計は69+94+94=257(t)で、酸素も無視して大雑把にウラン235の濃縮率として3%を用いると、ウラン235の総量は7.7tになる。広島原爆154個分のウラン235に相当する。結局この3基とも燃料棒はメルトダウンしていたとのことであるが、この間に再臨界でも起こりウラン換算で20個分、すなわち1個について1キログラム、総計20キログラムのウラン235が核分裂でも起こしたと児玉氏は主張したいのであろうか。もちろん東京電力・政府も何らかの事実を把握しているはずである。その実態について黙秘を貫いていることは、事実隠しと疑われても仕方があるまい。中国高速鉄道のことをとやかく言えた義理か、と私は思う。それと同時に多くの日本人の良識を信じて、児玉氏にも数字だけをポンと出すような素っ気なさを改めていただけるようにお願いしたいと思う。


病室での安らぎ

2011-07-29 16:41:08 | Weblog
入院してから一ヶ月以上過ぎた。その間いろいろと事態は大きく変化したが、病室生活にすっかり慣れてしまった。一番大きな変化と言えば実に大勢の病院のスタッフと接触することであった。特に感銘を受けたのは日常最も接触することの多い看護婦さんである。一日三回の検温、血圧測定などに加えて細々とした諸々の雑用をすべてこなしてくださる。夜中も何回となく見まわっているようで、ポータブルトイレを使っている時は夜中でも何時の間にか綺麗になっている。

その看護婦さんがみな若いのである。私の目はあまり当てにならないがせいぜい四十台前半までのようである。おそらく一日三交代であろう、私もすでに十人以上の看護婦さんの名前をしっかり覚えてしまった。そして奇跡のように感じたのが身体の状態など全てを包み隠すことなく話せることなのである。相手が妻だと少々の身体の不調を滅多に口にすることはない。余計な気を遣わさないためである。ところが看護婦さん相手だと気にかかること疑問に感じることを詳細に説明しながら訊ねる。便の状態の変化なども臆さずにたんたんと説明する自分に驚いてしまう。まさに己を無にして看護婦さんと向かい合っているのである。私にとってこのような経験は生まれて始めてであった。どの看護婦さんに対してもそれは変わらない。そこに生まれる心の安らぎは赤ん坊に舞い戻ったかの様な気分に相通じるものがある。

一度「有難う」という代わりに、「オギャー、オギャー」と言ってみようかしら。

脳死移植と学校教育

2011-07-25 13:54:50 | Weblog
ここ三日ほど私のサイト15歳未満の小児に脳死下臓器の提供の話をどのように理解させているのだろうにアクセスがかなり集中した。どうしたことなのか見当がつきかねるが、この中で私は「臓器移植についての理解を図るため、学校内外での教育を行い、ドナーカードへの署名の前の講習や当該小児の自由意志の確認が、現状でどのようになされているのか私には分からないだけに疑問を呈した。そこで改めて調べて見ようと思い、「脳死移植 学校教育」をGoogleで検索したところ、私のこの記事がトップに出てくる始末である。ひょっとして未だに組織的な学校教育がなされていないのかもしれない。

もし組織的な学校教育を行うとして、例えば文科省はどのような指導要項を作るのだろうか。私には想像し難い。もし当初の臓器移植法であれば個人の身体はその人のもので、本人が脳死下臓器提供の意思を明確にしている場合に限って臓器提供がなされていた。このような状況では学校教育も焦点が絞られてやりやすい。脳死下臓器移植の意義を説明して、ドナーカードへの提供意思の署名をうながせばよかったのである。しかし改正臓器移植法のもとではなにから教え始めることになるのだろう。自分が万が一脳死状態になった時に、拒否の意思をあらかじめ明確にしていない限り、お父さんお母さんがひょっとしたらあなたの臓器を必要としている患者に提供することもありますよ、と言わないわけにはいかないだろう。完全に親離れしていない、それどころか親との一体感がまだまだ強い小児にとって、極めて大きな衝撃となることが考えられ、親子関係に思わぬひびをも生じかねない。その原因が自分の体は自分のものという自然の理に反した身勝手な便宜主義的な生命観を改正臓器移植法が持ち込んだからに他ならない。

自分の体は自分のものとというのは自然の理と私は信じているが、この理がかって破られたことがある。戦時中のことである。少国民として私たちは体の錬成に励んだが、滅私奉公という言葉にも現れているように、この当時は自分の体は自分のものではなく大君(天皇陛下)に捧げたものであったのである。日本国民全体がそうであった。だからわが国では赤紙一枚で他に選択の余地なく戦場に赴き天皇陛下のために命を捧げたのである。考えてみれば毎日食事をとり武道に励み体を鍛えたのもいずれは天皇に差し出すためのものであって、表現が悪いがいずれは人の口に入れんがため農家で大切に飼われている牛のようなものであったとも言える。

改正臓器移植法はただ脳死下臓器提供数を増やさんがための便法の為にかっての天皇の権威にも匹敵する問答無用の 強圧で自分の体は自分のものとの自然の理を押しつぶしてしまった。この現行法と命の大切さをどのように折り合いをつけて子供に教えることが出来るのだろう。年齢を問わず本人の明確な意思表示がある場合のみ脳死下臓器提供が可能であるとの原点に今からでも遅くない、舞い戻るベキである。そして臓器提供のキャンペーンに集中すれば良いのである。それなら学校でも説明しやすかろう。















サイト引用

病院食にも鰻丼が出た

2011-07-21 16:56:33 | Weblog

昨日体温計の怪とか言ってあげつらったせいなのか、たたりがさっそく現れたようである。今まで無かったのに気分が悪くなり、食欲がなく夕食をパスした。熱は依然として下がらずしんどいので、8度未満であったが無理にお願いして解熱剤を出していただいた。服用後に就寝、4時間後目覚めた時は上半身身につけているものが汗でぐっしょり、シーツまで濡れている。全てを着替えしてシーツをタオルケットで覆い再び寝入った。そして2時間後に同じことの繰り返し。おかげで6度5分まで下がった。幸い今もその状態が続いている。

朝、牛乳200ミリと昨日食べ残していたバナナ一本をなんとか食べて朝食とした。お昼になるとまた丼鉢が運ばれて来た。ご飯は半分にして頂くようにお願いしたのにおかしいなと思い、蓋を取りかけたふと思った。開けてみたらやっぱり鰻丼であった。錦糸卵をまぶしたご飯の上に二切れの鰻が乗っかっている。学んだばかりの炎症サイトカインの作用を抑えると言われるEPA(エイコサペンタエン酸)が鰻にも含まれているような気になって、鰻は全部、ご飯は3分の1ほどを美味しくいただいた。

偶然にも今朝、「5号館のつぶやき」さんの記事で「がん 栄養はなぜ大事なのか」を載せたブログのあることを知った(引用形式の修正は退院後に)。なかなかよく書けた記事で、とても参考になった。


体温計の怪

2011-07-20 14:00:49 | Weblog
今朝、ドレーンと呼ばれる排液用のチューブと、硬膜外麻酔用のチューブが抜き取られ、あとは栄養補給用の点滴チューブ一本だけが残っている。これも普通の食事に戻りつつあるので間もなく外されることだろう。ちょうど一ヶ月で全てのチューブから解放されることになる。快方に向かっているしるしであろう、嬉しいことである。

一点だけ気がかりなことがある。体温がなかなか平熱に戻らないことである。検温の度毎に37.6度前後で36度台に鳴らない。明け方など少し下がった感じであるが、それでも37度てまえである。38度を超えると解熱剤を投与する決まりのようで、これまでも点滴液による投与を数回、錠剤を一度服用している。しかし今はそこまでにはいたらないので、せいぜいアイスノンで頭を冷やすだけである。

そのうちに不思議なことにきがつきはじめた。37度台の熱が出てしばらくたって今度は自分の体温計で測ってみると総じて低めに出てくる。場合によっては36度台に出ることもある。どちらの体温計もオムロン製である。というよりもともとわが家にあったのは何十年も前の水銀柱のもので、測定に10分もかかるのに、病院のは1分もすれば測れてしまうので、これは便利と妻に薬局で買って来てもらったものである。オムロン製といっても病院のとは明らかに型式が異なり形状も違う。また私の体温計について来た説明書には同じ絵に対して二つの連番が与えられていて、私のはMC-670である。そして説明書には30秒検温のトリックが書かれていた。

体温計が水銀柱方式から電子式に変わったとしても、脇の下が体の内部温度と同じくらいに温まって平衡温度に達するには約10分かかることなので、実測にはそれだけの時間が同じようにかかるのである。ところが電子式(温度測定はサーミスターによる)では、検温開始からの温度の上がり方を分析・演算することで、平均30秒で約10分後の体温を予測でき、それを表示する仕組みになっているというのである。予測値をいつも使うことにすればそれはそれで比較に用いることができる。そこで病院の検温直後に自分の体温計で測ってみる計り直してみた。私の場合は1分測定とした。

病院の場合は約30秒経過の通告ブザーが鳴ってすぐに取り出す時もあれば、体温計を挟んだまま看護婦さんが出て行ってなかなか戻らないこともある。それで両者は厳密な比較の対象にはならないが、不思議なことに私の体温計の表示温度がかならず0.3~0.5度低いのである。もちろん体温計精度の検定をするのが第一であろうが、私の体感体温はどちらかといえば私の体温計に近い。そこで病院の体温計が高めに設定されている前提でその意味を考えてみた。

体温が高いと病人は不安がる。私の場合はどちらかといえば微熱に属するのであろうが、やはり平温に戻ってくれないことには安堵できない。一方悪徳製薬会社と悪徳体温計メーカーが手をくんで、病院には温度が高めに出る体温計をまとめて納入したとする。すると病院が定めた解熱剤投与温度に到達する患者が増えて間違いなく解熱剤の売れ行きが増えるではないか。 念のために申し上げるがこれは実在の製薬・医療機器メーカーを念頭においたものではなく、フィクションのネタととっていただこう。それにしても表示温度差の原因を確かめられないのがどうも残念である。

嬉しいことに先ほど点滴液のチューブが外されて、先月22日以来ちょうど一ヶ月ぶりでチューブから完全解放されることになった。



感動! 世界一「なでしこジャパン」

2011-07-18 06:28:52 | Weblog
「なでしこジャパン」が対アメリカの優勝戦。前半戦は0:0で折り返し、後半戦ではアメリカに先制されたが直ぐに取り戻して1:1で延長戦に入った。その前半終了間際にまたもやアメリカに先制されたが後半に入り、頼りになる澤選手のヘッディングで2:2とし、PK戦で雌雄を決することなった。そして3:1で世界の頂点を極めた。おめでとう!「なでしこジャパン」。こんなに激しく感動したことはない。その直後朝の検診で測った血圧の上がっていないのが、なんだか不思議なくらいだった。

訂正

私は澤選手がヘッディングで2点目を入れたように思ったが、その後の報道では右足で蹴り入れたようである。テレビ映像で私自身見届けていないが、一応訂正しておく。

手術を終えて無事病室に帰還

2011-07-17 19:26:16 | Weblog
7月15日午後手術室に入り、麻酔剤が入って来るのも知らない間に意識を失い、名前を呼ばれて返事した時に手術は終わっていた。一夜術後管理室にとどめ置かれ、お昼頃には歩いて自分の病室に戻りかけたが目が回り出したので車椅子に乗り換えた。そして無事帰着、だから語るべきことはとくにないが、名前を呼ばれた直後からはいつもと同じように会話出来たのには驚いた。

夕方にはめまいも治まり目の焦点も合ってき出したのでiPhoneも扱えるようになった。この手術に際しいろいろと心をお寄せくださった多くの方々に心から御礼を申し上げるとともに、簡単な帰還報告とさせていただく。