日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「五山の送り火」に飛び込んで来たお節介

2011-08-12 22:10:58 | Weblog
陸前高田市で津波に薙ぎ倒された松で作った薪を売ろうとしている計画を聞いた大分県の美術家が、震災で家族を亡くされた人や復興への思いを綴ったメッセージを書いて京都五山送り火で燃やそうと発案して、京都の大文字保存会に話を持ち込んだのがことの起こりであった。

発想それ自体は一つの考えで多くの人にも素直に受け入れられそうなものであった。だからこそこの話を持ち込まれた保存会会では、事実はともかく、苦慮したのではないかと私は想像した。それはかってテレビのドキュメンタリー番組で紹介された五山のそれぞれの保存会の日常の活動を目にしたことがあるからである。

「五山送り火」は京都の歴史ある伝統行事の一つであって、それを支える地元の保存会の長年にわたる日頃の活動の蓄積があってこそ、伝統行事としてとして定着して来たものである。

五山の火床をはじめとする現場の整備をはじめとして、松明の準備、火床での組み立てにもそれぞれ独自の工夫がこらされて、点火の手法などにもその段取りが製然となされている。すべて保存会の一糸乱れぬチームプレイとして築き上げられた至芸である。これらが全て保存会の方々の人力で維持されて来ているのである。

伝統の段取りがしっかりと出来上がっているところに、一美術家にによる案が持ち込まれた。それなりに名分はあるし、また東日本震災の被害者の鎮魂の為とあれば世間の9耳目を集めることだし、無下に退けることは難しい。しかし一方では伝統行事の段取りにの重みを十分認識している以上、現場の了解をどのようにして取り付けることが出来るのか、そこに苦慮があったのだと思う。その結果陸前高田市の薪から放射能が検出されなかったにもかかわらず、反対の声があったので、と京都人らしい表現でこの企画がいったん消えてしまった。私もそれで良しと思った。ところがこの報道がなされると局面が一転して、瀬戸内寂聴さんまでが<<今回のことは京都の恥です。送り火は亡くなった人の魂を慰めるもの。ましてやこんかいは東日本大震災という大惨事で亡くなった人の魂に対してです。私は怒っています。恥ずかしいです。悔しいです。岩手の方が起こるの9は当然ですが>>と声を大にしておられる。

言われるのはそのまま素直にお聞きするとしても、では魂を慰める為になぜ「五山の送り火」で陸前高田の薪をもやさないといけないのだろう、と言うのが私にはピンとこないのである。現に「五山の送り火」にしても、京都で亡くなった人の魂だけを慰めているのではない。かっての日本の首都で行われる、日本全国民の鎮魂の行事なのである。

そう思ってみると今回の出来事は一美術家の発案というか、思いつきに世間が振り回された結果であるとも言える。美術家のイベントとしての発案としてはわるくはない。しかし「五山の送り火」という伝統行事にいわばタダ乗りをしようとしたようなものである。保存会の汗をかく人々の存在にまで思慮が及んでほしかったと思う。

幸い保存会の方々も大きく心を開かれて、再び陸前高田の薪の受け入れに同意されたとか、口だけで意見を述べる額に汗をしない口先びとより人間の深みを覚えた。

それにしても伝統行事のありかたに、第三者が軽々しく口を挟むべきではないと私は思う。


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