山本一力、縄田一男、児玉清三氏の鼎談をまとめたものである(朝日新書)。
私も時代小説が結構好きで、これまでもかなり読みあさっている。今さら人に教えて貰わなくてもというわけで、この本が出版されたときには(2007年1月30日第一刷発行)手に取ってみることもなかった。ところが一昨日(3月20日)、京都の本屋でぱらぱらとページをめくってみると、いろいろと面白いことが書かれている。で、買ったしまった。
たとえば中山介山の「大菩薩峠」について、これはちくま文庫版でも全二0巻である。
「全部読まれましたか」と聞かれて
「縄田さんが、あまりにすごいすごい、と言うので読みましたよ」(山本)
「偉いなあ。私は三巻ぐらいでとまってしまって読み通せていないんですが」(児玉)
と言い切る児玉さんがいい。私もご同様、始めの二、三巻読んだだけで、本棚にチンと収まったままである。
「一種の殺人鬼を主人公にしていながら、読んでいると安らぎを得られるという不思議さ」(縄田)があるそうな。でも取り組む気力が今のところもう一つである。
吉川英治の「宮本武蔵」
「尾崎秀樹さんはこういっています。「戦中世代の実感でいうのだが、”二十歳までしか人生のなかった”私たちにとって、『宮本武蔵』は、”いかに生きるべきか”について教えてくれる一番手近な書物だった。生きることは死ぬことだった当時の若者にとって宮本武蔵の求道者としての生き方は人生の指針でもあったのだ」と」(縄田)
私が戦後
国民学校5年生で朝鮮から引き揚げてくる途中、釜山の寺院に収容されている間に、同じ引き揚げ者の方に「宮本武蔵」をお借りして全部読み上げたことがある。何故あのときあんなところに「宮本武蔵」があったのか、との疑問へのもう一つの答えであるような気がした。
時代小説とは直接のかかわりがないが、最近のベストセラーについて、
「養老孟司さんの『バカの壁』も、藤原正彦さんの『国家の品格』(ともに新潮新書)も、岩井克人さんの『会社はこれかどうなるか』(平凡社)も、いままではそれほど売れなかったテーマが爆発的に売れた本というのは、全部編集者の聞き書きです。喋っているものを文章にまとめているので、とても読みやすい」(児玉)
ヘェ~、である。
こういう話も出てくる。
「このごろしみじみ思いますけど、「よくそんだけ書いててアイデア枯れませんね」って言われるんですよ。でもね、アイデアは枯れないの、枯れるのは気力なんだよね」(山本)
「アイデアは枯れない、歳をとっても枯れない。私も七0歳を過ぎてもそう思います。」(児玉)
これ、よく分かる。私もアイデアは枯れないけれど、ブログを書きつづけるのに気力のいることを痛感しているから。
ついでに脱線すると、定年間際の大学教授で神懸かり的な素晴らしいアイデアを連発する人が結構いるものである。しかし気力が衰えているから自分で手を下さずに若い人を巻き込もうとする。それを迷惑だと思わずに、そのアイデアの真髄を会得できた人は、それで一生食べていけるかもしれない。いずれ教授は定年でいなくなるから、あとは我が天下である。若き研究者よ、絶好の標的を見逃すことなかれ!
佐江週一の「江戸職人奇譚」(新潮文庫)の中で
「「一会の雪」という三〇枚ぐらいの短編がありますが、これがもう珠玉の恋愛小説(笑)。ほれたはれたなんて一言も書かれていないんですが、ものすごい恋愛小説です。初めて読んだとき、まだこんなすごい短編を書ける人がいるのかと思った」(縄田)
さっそく本屋に走らないといけない。
国枝史郎の「神州纐纈城」(桃源社)について
「死後、なぜか伝説のかなたにうずもれた作家だったのが、昭和四三年(1968年)に桃源社が代表作『神州纐纈城』を復刊すると、一挙に評価が高まった。三島由紀夫が『神州纐纈城』を読んで、こと文学に関する限り我々は1925年(『神州纐纈城』が執筆された年)よりもずっと低俗な時代に住んでいるのではなかろうか、と評した」(縄田)
なんとその『神州纐纈城』が私の書棚に眠っていた。さあ、読むぞ!
角田喜久雄の「髑髏銭」(角川文庫)
「私は角田喜久雄の『髑髏銭』(春陽文庫)で時代物の面白さを知ったのですが、実は、司馬遼太郎が産経新聞記者だったとき、角田喜久雄に連載小説を頼みに行っている。もちろん角田は福田記者が司馬遼太郎というペンネームで書いている作家だとは知らない。そこで、最近の時代小説の話になって、「誰か面白そうな作家がいますか」と聞かれて、「司馬遼太郎というのがいいな」と答えたそうです。(笑)」(縄田)
こいうゴシップがいい。
私は中学生の頃貸本屋で借りて読んだ。その後角川文庫に出たこの「髑髏銭」と「風雲将棋谷」を買いそろえたものだ。三年前、北京で妻が蠍の空揚げをパクついたときにも、先ず思い出したのが「風雲将棋谷」の蠍道人だった。
漫画と劇画について
「私なんかは皆さんと時代が違うんですね。漫画も読めないし劇画もだめ。(笑)」(児玉)
全く同感!私は児玉さんと同い年生まれなのである。
「鞍馬天狗」を書いた大佛次郎、日本のインテリジェンスの代表なんて持ち上げられている。
「どこかに欠点があるはずなんだろうが、いくら探しても見つからないと」(縄田)
「先程、大佛次郎の欠点について話しましたが、一つだけあったとすれば、嵐寛から鞍馬天狗の役を取り上げたこと(笑)。プロデューサーが自分の思うような鞍馬天狗をつくりたかったからでしょうが、嵐寛の鞍馬天狗は安易なチャンバラ劇に流れすぎるといって、小堀明男を主演にして三本作るんですがまったく当たらない(笑)。それでまた嵐寛に戻る。嵐寛は(中略)、あのときだけはひどいと思ったと言っています。頭巾の恰好をはじめ自分が考案したのに原作者の一言で取り上げられた、役者は虫けらかといって怒っている」(縄田)
最近の森進一の「おふくろさん」封印事件を思い出した。森進一が勝手に詞を付け加えたとか、作詞家が怒って歌わせないということになったらしいが、♪あふくろさん、と独特の顔の造作で歌い始めるのは森進一の工夫であろう。私もそうであるが、聴く方はあれは森進一が作り上げた『藝』だと思っている。それが一方的に封じられては、歌手も虫けらなんだと同情してしまう。
でも私は鞍馬天狗は好きである。
綱淵謙錠の「乱」
「大佛次郎、海音寺潮五郎と並ぶ史伝作家だと書いたことがありますが、幕府の軍事顧問となったフランス士官、ジュール・ブリュネを軸として、これほどまでに詳細に再現された維新史はちょっと類を見ない。読んでいて気が遠くなるような気がします」(縄田)
実感がこもっている。私も気が遠くなってか、691頁中の257頁、第十八章兵庫開港のところに栞を挟んだままになっていた。
これからはばたく作家として、女流の宇江佐真理さん、諸田玲子さんの名が上がっているのは嬉しい。文庫本であるが諸田さんの本は全て読んでいる。昨日の新聞広告で「恋縫」(集英社文庫)を見たばかり。買わねば、と思っているところである。
それと男性では山本一力さんと佐伯泰秀さんが両巨頭であるとのこと。ところが佐伯さんの本はまだ一冊も読んでいない。書店であまりにも沢山平積みにされているので、恐れをなして手出しを控えていたのである。お勧めに従い「居眠り磐音江戸双紙」からでも読み始めてみよう。