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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

佐野眞一著「枢密院議長の日記」を読んで

2007-10-30 11:11:31 | 読書

新聞でこの本の広告を見た。何だか凄そうな本なので高いかなと思ったのに、値段はただの950円、9の前の数字が落ちているのではないかとよく見たが間違いではない。「講談社現代新書」であることに気づいて納得した。

この日記を書いたのは倉富勇三郎という人物である。

《ペリーが浦賀に来航した嘉永六(1853)年、久留米藩の漢学者の家に生まれ、明治、大正、昭和の時代を生きて、戦後の昭和二十三(1948)年に数え年九十六年の生涯を閉じた》
《東大法学部の前身の司法省法学校速成科を卒業後、東京控訴院検事長、朝鮮総督府司法部長官、貴族院勅撰議員、帝室会計審査局長官、宗秩寮総裁事務取扱、李王世子顧問、枢密院議長などの要職を歴任》という方らしい。

枢密院議長といえば初代の伊藤博文とか山県有朋などの名前は知っていたが、倉富勇三郎という名前は歴史好きの私ではあるが知らなかった。倉富の宮中序列の最高位は、昭和天皇即位の大礼の際に、大勲位東郷平八郎、大勲位西園寺公望、内閣総理大臣田中義一に続いて第四位であったというから、位人臣を極めたと云える。

この倉富の日記が国会図書館の憲政資料室に所蔵されており、《日記の巻数は小型の手帳、大学ノート、便箋、半紙など二百九十七冊を数え、執筆期間は大正八年一月一日から昭和十九年十二月三十一日まで、二十六年におよぶ。》とのこと。

《一日あたりの執筆量は、多いときには四百字詰め原稿用紙にして五十枚を超えるときもある。まずは世界最大最長級の日記といってもいいだろう。》というのである。そのうえペン書きの文字は、まるでミミズがのたくっているようで、ほとんど判読不能なのである。

佐野眞一氏は他のスタッフともども、七年間の歳月をかけて大正十年と十一年を中心とした約二年分の日記と、大正十二年の虎ノ門事件や昭和七年の五・一五事件前後の日記を解読し、そのなかから興味をひいた事柄にまつわる数々のゴシップを紹介している。まさに私の大好きな話なので、あっという間に読み上げた。

著者の労苦を思うと、面白そうな話を私がつまみ食いをしてここに紹介するのは気に引けるので、二点だけに止める。

一つは、昔の皇族・華族というものはとんでもない『金食い虫』だったのだな、ということである。随所にそのような話が出て来る。宗秩寮というのは皇族、王、公族、爵位、華族、朝鮮貴族、有位者に関することなどを扱う部署なので、自ずと情報が集まったのである。今日の朝刊の週刊誌広告に《「皇室はストレスの塊」発言の衝撃 三笠宮寛仁親王 「朝起きて朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べ・・・。365日くり返す。それが皇室に生まれたもののつとめだよ」》とある見出しとなかみだダブってきた。

もう一つは次の記述。
《倉富が金銭に恬淡とした性格だったことは、大審院以来の友人で、柳田国男の養父となった柳田直平も認めている。昭和三年十一月二日の日記に書かれた倉富との雑談で、柳田はこんなことを言っている。
<柳田「或る人が『栄達して金銭に淡泊なる人は少し。維新後にては大久保利通、伊藤博文と君(倉富)との三人なり』と云い居りたり。大久保は死後負債ありたりとのことなり。伊藤は貯蓄はなさざりしも、彼の如く贅沢を為したる故、真に金銭に淡泊なりとは云い難し」>》

二世三世の国会議員に聞かせてやりたいものである。


ジュンク堂で1万円以上の買い物をすれば

2007-09-26 21:05:14 | 読書
夕べは久しぶりにほんとうに涼しい風が部屋を通り抜けて心身とも甦った。今朝も温度計が24度である。そして爽やか、となるとがぜん元気になってお昼前に家を出た。

インターネットバンキングで利用しているある銀行は、他行に振り込みをしようと思えば前もってその送金先を書類提出で登録しなければならない。その手続きに出かけたのである。国内送金登録書に送金先銀行口座などを書き込み、窓口に提出したところやがて書類が戻されてきた。送金先銀行に「東京三菱」と書いたのであるが、今は名前が「三菱東京UFJ」に変わっているので訂正して欲しいとのことである。いつの間にか合併で変わったらしい。それは銀行の事情だから仕方がないとして、客に沢山の文字を書かせるなんて、肝腎なところでサービス精神が欠けているように思った。

そのあとジュンク堂三宮店に行った。ここも久しぶりである。以前から心がけていることであるが、1万円以上まとめ買いをすることにしている。売り出されたからと云って、直ぐに読まないといけないような緊急性はないので、買うつもりの本が1万円以上ななるまで待つのである。私が目をつけた本がいざ買う時には書棚に見つからないこともままあるが、その時は二刷以降を慌てずに待てばよい。なぜそうまでするのか、1万円以上になるとおまけがつくのである。本をペラペラのビニール袋ではなくて、布製の袋に入れてくれる。底を補強して補助袋として持ち歩くのである。その上、350円分のDRINK TICKETをくれる。3階のカフェで利用できる。



今日も文庫本や新書本を中心に8冊買っただけで1万円をオーバーした。文庫本も高くなって岩波文庫が1冊900円もする。ちくま文庫で1200円したし、講談社文藝文庫に至っては400ページほどなのに1500円もする。本好きの弱みにつけ込んでコッソリと値上げしているのに間違いない。MICHAEL CRICHTONの新作が本棚に並んでいたのでこれも買ったが、前は1200円ほどだったペーパーバックが1500円を少し上回っていた。これは円安のせいなんだろう。

帰る頃には気温は30度に昇っていた。最寄りの地下鉄の駅から坂道を10分ほど上って帰るのだが、やっぱり汗をかいてしまった。しかし気分は爽快、これから外で十分時間を過ごせそうである。

昭和天皇に『惚れ薬』

2007-09-09 17:17:47 | 読書
連日最高気温が30度を上回る。夜もエアコンを入れて1時間後に切れるようにして就寝する。ところがこの二三日、朝の5時前後に蒸し暑くて目が覚める。再びエアコンを入れるが直ぐには寝付けないので、ついついベッドサイドの本棚に手を伸ばす。今朝もたまたま手にした本が面白かったので、以前に読んだはずなのにまた読みふけることになった。岡茂雄著「本屋風情」(中公文庫、昭和58年刊)である。



著者紹介によると《明治二十七年(1984)、長野県に生まれる。陸軍幼年学校、陸軍士官学校卒業。大正九年、陸軍中尉で軍籍を離れ、鳥居竜蔵に師事し人類学を志す。関東大震災後、文化人類学関係の岡書院、山岳関係の梓書房を創立し、幾多の名著を世に送り出す》とある。なかなか風変わりな経歴である。

出版業という職業柄、多くの著名な学者や文人に接したが、師弟関係や社会的な立場でお付き合いする人を表門からの訪客とすると、裏木戸からのく出入り人と自らを置いている。学者、文人が表玄関向きの姿勢から解放されて、その人のもつ生地が不用意に現れる、本性に触れることが多いというのである。そこで見聞きした話を中心にまとめたものだから、私好みのゴシップ集になっている。そんなことで書棚に収まったのだろう。

出て来る人物を目次から拾うと、南方熊楠、柳田国男、新村出、金田一京助、内田魯庵、青陵浜田耕作(青陵は号、京都帝大代総長)岩波茂雄、渋沢敬三等々であるが、このほかにも多士済々である。

南方熊楠翁にまつわる話はやはり面白い。

熊楠翁からの手紙には「拝啓何日何時何分出御状何日何時何分拝受」と書かれているものだから、それを受け取った側も「何月何日ご投函のお手紙を何日何時何分拝見しました」と書かなければならなかったし、封筒の裏にも「何年何月何日何時投函」と明記したという。少しでも返信が遅れるとお叱りを受けそうで、私ならそれだけで敬遠してしまいそうである。

著者があるとき標本を見せようと土蔵に連れて行かれて《アルコール漬けのキノコのようなものがあった。翁はそれを指差して「これは惚れ薬というてな、おなごに見せると、とろりっとしてしもうでな」と坦々といわれ、私はあやうく噴き出そうとして耐えた。》というようなことがあった。そして続きがある。

南方熊楠翁が昭和四年六月一日に和歌山田辺湾のお召艦上で昭和天皇にご進講申し上げた。翁自身の言葉によると、ご進講の直前四昼夜のうち八時間しか眠らずに準備に没頭したとのことなので、翁の興奮と緊張と張り切りぶりが窺われる。そして熊楠翁のご進講話を著者はこのように伝える。

《「君にも見せた、あの惚れ薬の標本な、あれもごらんにいれてご説明申し上げたら、天皇陛下はなあ」といって、翁は机の上に両手をひろげてつき、机の表面をフンフン嗅ぎまわすようなしぐさをなさりながら、「こういうことをなさった。妙なことをなさると思うていたが、あとでお付きの人の話だと、天皇陛下はお笑いをこらえていなさったのだそうだ。天皇陛下のような、えらーいお方になると、人の前で笑ったり怒ったりしなさってはいかんもんだそうだな」と、にこりともせず、むしろ、さも感じ入ったという面持ちをなされた。私は幸いにえらーくないので、思わず笑ってしまった。》

昭和天皇は『惚れ薬』が男女間に及ぼす効果をご理解された上で、熊楠翁の話につい釣られてお笑いになったのだろう。『惚れ薬』を献上されたのかどうかも気になるが、人間天皇のお姿が垣間見られる挿話が嬉しい。

このような話に出会すと睡眠不足があまり気にならなくなってしまう。

追記(9月9日)
紹介しようと思っていた話を書き忘れていたので追加する。

《「杉村(楚人冠)(筆者注、和歌山県出身の朝日新聞記者)はくだらんことをいう奴だ。わしが、あれで障子を突き破ったなんていうておる(といわれたか、書いているといわれたかは忘れた)」》という話、もちろん石原慎太郎氏の「太陽の季節」が現れるより遙か前のことである。ついでに、熊楠翁が亡くなったのは74歳。それよりもずっと以前から翁と呼ばれていたようであるので、それだと私もりっぱな翁ということになる。エヘン!

敗戦の日を前に岩間敏著 石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」 を読む

2007-08-15 17:51:29 | 読書

著者の岩間敏氏は経歴がユニークなお方である。石油公団関係のお仕事が多いが、日本経済新聞社、トヨタ自販系研究所、ハーバード大学中東研究所やサハリン石油ガス開発などにも籍を置いておられる。石油の奪い合いがアジア・太平洋戦争の引き金になったのは周知のことであるが、それにまつわるエピソードが数多く新たに紹介されているのがこの本の魅力となっている。歴史にイフがあれば、と随所で考えさせられてしまった。

「実は、満州と樺太には膨大な石油があった」(33ページ)に戦後開発された大慶油田や遼河油田の話が出て来る。この油田の名前は私も耳にしていたが、旧満州で見つかったと聞かされると、戦前に見つかっておればなとつい考えてしまう。遼河油田の生産量は2006年現在で日産25万バレルであるらしい。これは昭和12年度の石油消費量8万2千バレルを大きく上回ることになる。それだけあれば南方侵攻をせずに済んだはずだからである。

「軍部は日米の国力差を把握していた」(56ページ)に日本陸軍が大学の研究者や主要官庁、満鉄調査部から優秀な人材を集めて戦争経済研究班を組織して調査研究させた話が出て来る。その成果である「英米合作経済抗戦力調査」結果が昭和16(1941)年7月に陸軍省と参謀本部の合同会議で発表された。彼我の国力差が厳然と出て来たのであるが、《この報告に対して、杉山元 陸軍参謀総長は、「調査は完璧であるが内容は国策に反する。報告書は消却」と指示した》とのことである。いやはや。

しかし収集された資料・データは総力戦研究所に引き継がれていく。《昭和16年4月、国家総力戦を研究する「総力戦研究所」が開所した。この研究所には、中央官庁、陸海軍、民間から平均年齢三十三歳の研究生三十六名が集められた。》(58ページ)そして総力戦研究所が同8月に出した結論は「日本敗北」であったのだ。《この研究結果は、昭和十六年八月下旬、首相官邸で近衛文麿総理、東条陸相らの前で発表された。東条陸相はこの総力戦研究所の研究結果に強い関心を持っていた一人といわれている。》(60ページ)

総力戦研究所は猪瀬直樹氏の「昭和16年夏の敗戦」でよく知られるようになったので、関心を持たれる方はこの本にぜひ目を通していただきたいと思う。



猪瀬直樹氏の近著「空気と戦争」(文春新書)にも東条陸相のある一面を伝える興味深いエピソードが紹介されている。



猪瀬さんは高橋健夫という方の著書「油断の幻想― 一技術将校の見た日米開戦の内幕」の一節を紹介している。高橋さんは東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、人造石油の研究を志していたが、回りまわって陸軍省燃料科に陸軍中尉として勤務していた方である。

その高橋中尉が上司の課長、中村儀十郎大佐に連れられて昭和16年6月23日月曜日の朝陸軍大臣東条英機中将のもとに出頭し、アメリカによる石油輸出禁止を受けての状況説明を行う。石油禁輸ということになれば、日本としてはかねてから想定している「インドネシア進駐」に踏み切らざるを得なくなる。以下高橋さんの著書の孫引きということになる。

《一瞬、沈黙があった。
 「それでどうなんだ」
 東条陸相が口を開いた。静かな調子だった。
 「したがいまして、一刻も早く御決断を・・・・・」
 皆まで聞かず、陸相が口をはさんだ。依然として穏やかな口調であった。
 「泥棒せい、というわけだな」
 中村課長がハッとたじろぐのを、私は見た。(後略)》

そして続く。「侵略」を想定していなかったからこそ、東条陸相が怒ったというのだ。

《「この馬鹿者ッ。長い間おまえたちが提灯をもってきたからこそ、なけなしの資材を人造石油に注ぎ込んできたんじゃあないか。それを今このせっぱ詰まった時になって、役に立つとは思えません、とぬけぬけ言いおる。自分たちのやるべきこをとおろそかにしておいて、困ったからと人に泥棒を勧めにくる。いったい、日本の技術者は何をしておるのだ!」》(猪瀬氏著書69-70ページ)

まだ後が続くが、この件に関するくだりだけでも猪瀬さんの「空気と戦争」に目を通した価値があった。

岩間氏の著書に戻る。石油ではないが戦争中南方へ兵士を輸送した輸送船の話がでてくる。

 ♪ああ、堂々の輸送船 さらば祖国よ 栄えあれ

と元『軍国少年』の私も大声を張り上げた軍歌があったが、その輸送船の実態である。

《兵員輸送の主力は貨物船であった。貨物船の船倉は、二、三段の木製の棚が設置されて、兵員の居住区に改装された。上甲板へ出るには木製の階段があるだけの薄暗い船内に兵士が詰め込まれた。五000~七000とんの貨物船に二000人から五000人の兵員が乗り込んだ。》(118ページ)

《通常、兵員一人の輸送には三船舶トンが必要とされていた。これを基準にすると、六000トンの船では二000人が適正数となるが五000人が乗船すると一人当たり一・二船舶トンとなって、兵員の専有面積は狭くなり、(中略)換気装置がない船倉内の空気はよどみ、南方海域の航海では、居住区は蒸し風呂状態になった。(中略)甲板上の空きスペースには、最小限数のバラック作りの厠が置かれて、衛生面でも問題があった。》

一方連合軍側はどうであったか。

《大西洋では、当時、最大級の英国の豪華客船「クイーン・エリザベス号」(八万三七00総トン)と「クイーン・メリー号」(八万一千二00総トン)が兵員輸送船(GIシャトル)として一度に一万五000人の兵員を輸送した。この場合、一人当たりの船舶トン数は五・四となる。客船のため、兵員はトイレ、シャワー、食堂が完備した環境の中で快適な航海の時間を過ごすことが出来た。》(120ページ)

人権意識の大きなギャップを浮き彫りにする岩間氏の視点がじつに的確である。

そして辛うじて沈没を免れて南方前線に送り込まれた兵士たちの運命を、水木しげる著「総員玉砕せよ!」が生々しく描いている。この著書にもとづいて製作された8月12日の「NHKスペシャルドラマ・鬼太郎が見た玉砕」を観られた方も多いだろう。兵士たちの白骨がこの本の最後のページを埋め尽くしている。これらの国々には兵士たちの遺骨・遺品がいまだに多く野晒し状態であると聞く。東南アジアでの学術調査もよいが、遺骨収集にどれくらい国費を投入しているのかが気になる。



都合の悪い調査報告は無視する。いまだに日本に蔓延る悪癖が空恐ろしく感じられる今日、敗戦の日である。

ハリー・ポッターで獲らぬ狸の皮算用

2007-07-21 17:28:56 | 読書

Amazonから「Harry Potter and the Deathly Hallows(Harry Potter 7)」が届いた。配達指定日7月21日(土)時間8時01分以降、とラベルが貼られている。解禁時間の午前0時1分(日本時間午前8時1分)に発売を開始と夕刊に出ていたから、それに合わせたのであろう。ロンドンでは大手書店の一つではファンと発売の様子も見に来た観客が計数千人もいたらしい。日本では閑散、丸善・丸の内本店では並んだのが約二十人、「ランダムウォーク大阪心斎橋店」ではたった二人だったとか。

Amazon.comで購入すると発売日に手元に届いてしかも40%引きで送料ゼロである。電車に乗って定価?で買いに出かける人の気が知れない。ロンドンの本屋では定価だったか割引率が高かったのか、気になるところである。

ハリー・ポッターのファンタジーに惹かれたのは当然のことであるが、私はMary GrandPreによる挿絵が気になった。鉛筆画のようで、作品の雰囲気とよくマッチしている。ところが私には息子の鉛筆画の方が挿絵としてはピッタリ来るように思われたのである。彼の作品を一つお目にかける。



いつまで経ってもうだつが上がらない息子の独り立ちに、彼の鉛筆画家としての才能をハリー・ポッターの著者に売り込むことを真剣に考えたのである。もし運良く挿絵画家に登用して貰えれば間違いなく一財産は築くことができよう。そうなれば後は芸術一筋に邁進すればよいのである。私の提案が唐突に感じたのか、肝腎の息子から積極的な意思表示が無いままに二巻目、三巻目と刊行がつづき、遂に最終の七巻目が出てしまった。

息子にかける夢は潰えたが、待てば海路の日和やら、と悠然と構えられるのは年の功であろうか。

鈴木宗男・佐藤優対談集「反省」の毒

2007-07-05 18:53:36 | 読書

新聞の書評欄だったか、この本の紹介を見て面白そうだったので書店で買おうとしたら、生憎と売り切れだった。一昨日、京都にお稽古に出かけたついでに入った書店でたまたま見付けたので購入、奥付に2007年6月20日 第1版第2刷とある。

一種の暴露本である。「本書に登場する外務官僚の実名&写真」付録つき、ということで、巻末4ページにわたって28人の顔写真が出ている。いいことを書かれている人もなかにはいるが、ほとんどの人が、私なら書いて欲しくないようなことを書かれている。現職の人が結構多いので、何を書かれてもなかなか反論しづらい状況下にいるように思う。この『登場人物』に較べて、現在組織からはみ出たような身分の佐藤氏は、個人の意見を発信することに関しては圧倒的に有利な立場にある。その強者の佐藤氏が弱者をいたぶっているようで、ちょっとフェアーではないなと思った。私が感じた『毒』の一つである。

裁判所と検察のかかわりは従来から両氏により指摘されてきたが、あらためて両者の癒着ぶりに目を向けられると慄然とした。裁判所は司法、検察は行政でそれぞれが独立であるべきである。それを佐藤氏は今の日本に司法権の独立など存在しない、と断言する。裁判所が検察ベッタリなのである、と。その証拠に検察に起訴されたら99.9%が有罪になるというのだ。なるほどこの有罪判決率は官製談合による落札率にひけを取らない。そんなことを言われたら、元来は正義を貫く最後の拠り所である裁判所すら信用できなくなる。そう思わせるのがこの本のもう一つの『毒』である。

衆議院予算委員会で鈴木議員への参考人質疑が行われた際に、質問者の共産党議員が「秘 無期限」と書かれた外務省の内部文書「国後島緊急批判書兼宿泊施設(メモ)」などを示した。その文書がなんとその朝、共産党議員に茶封筒に入れられて届いたのである。「親展」としてあり差出人はなし。これをこの件で対談に参加した元共産党員の筆坂氏は外務省の文書だと断言している。後で分かったことは同じ文書が民主党議員にも送られていたというのである。外務省は共産党を利用して鈴木議員の失墜を計ったとのストーリーになる。共産党議員が汗水垂らして見つけ出した文書ではなくて、外部からの『たれ込み文書』を材料に国会の舞台で見えを切る。それではまるで猿回しの猿ではないか。立法府である国会がこのざまでは、と思わせてしまうのがまたこの本の持つ『毒』である。

暴露本だからその内容をここで書いてしまえば「はい、それまでよ」になってしまう。とにかく、わが国の立法・行政・司法の場における出鱈目ぶりが並べ立てられているので、読むとげんなりしてしまう。どうもこれがこの本の最強の『毒』のようだと述べて私の読後感とする。

そうそう、言い忘れた。反省を態度で示すのに、反省猿のポーズをした肖像写真で表紙を飾ったほうが、お二人にはピッタリで良かったと思う。


追記(7月5日)
以前に読んだ佐藤優氏の著書の読後感は以下の通り。

誰もが引っかけられうる『国家の罠』とは 佐藤優氏の著書から
佐藤 優著「獄中記」を読んで

森見登美彦著「夜は短し歩けよ乙女」のページをめくりて

2007-05-25 18:22:01 | 読書

四条木屋町、高瀬川、烏丸御池、老舗喫茶「みゅーず」、先斗町、京阪三条駅界隈、下鴨神社参道、糺の森、下鴨納涼古本まつり、時計台、学園祭、本部構内、吉田南構内、吉田神社、出町柳駅、百万遍交差点、銀閣寺、哲学の道、東一条通り、高野川、北白川、今出川通、寺町通、元田中・・・、こういう文字がこの本のページをめくると出てくる。かっての私の行動範囲と一致する。面白そうだと思ってこの本を買った。

早速登場するのが酔っぱらい、恋わずらいに悪性の風邪引きで、そのせいか皆頭が朦朧とおかしくなっている。そのなかに引っ張り込まれるものだから、読む方もおかしくなる。小説だから当たり前なのかも知れないが、まともな人間は一人もいない。皆どこかがおかしい。おかしいもの同士だから話の繋がりなんてどうでもいい。あっちこっち飛んでいく。ストーリーだけでなく、登場人物までも風に吹き飛ばされ空中遊泳をする。『タミフル効果』でもあるまいが、私もベランダから飛び出して遊泳したいなという気分に誘われる。

学生が主役でそれを支える脇役の社会人、その猥雑な人間模様にオジサンが郷愁を覚えるというのもいいものだ。一種の回春本でもある。本屋が読んで欲しいと2007年本屋大賞第二位に選んだ作品ゆえ、本屋で堂々と立ち読みするのがよさそうだ。買うほどのものではなかった。

ちなみに大賞は私も読んだ佐藤多佳子著「一瞬の風になれ」。


畑村洋太郎著「数に強くなる」を読んで

2007-05-09 23:12:18 | 読書

数(かず)の本なのに新書で縦書き、ぱらぱらとページをめくると堅苦しさがない、それに見開きに図か「蛇足」と名付けられた注釈が必ず出てくる。読みやすそうだと買ったらその通り、二日間で読み上げた。

《筆者は、「数に強い人は、物事を数量的によく考えて、覚えておくことができる」と言った。そういうことができるのは、頭の中に物事の「全体」が入っているからである。全体の中での位置付けでその数を把握しているから、頭の中に定着するのである。》が(36ページ)

実はそんなことはどうでもいい。面白い話が頭の中にぴょんぴょん飛び込んでくる。たとえば気色が良い数と気色が悪い数があると著者は言う。気色の良い数に取り上げられたのが24という数である。著者の評言ではまず「氏素性が良い数」で、「社交的」、「変幻自在」、「バリエーションが実に豊」、「なにか良い感じ」に「人格円満な数」なのである。たかが数字二つの組み合わせに過ぎない24がこのように著者に見えるというのがまた不思議なのであるが(何故そのように見えるのかは著書に譲ることにする)、私はそれを素直に受け入れてしまう。24日が私の誕生日だからだ。

《ぜんぶ「一人当たり」にする》のセクションで、『日本国政図会(ずえ)』(国勢社刊)に出てくる経済活動、国土利用など、およそ日本と関わりがある数を一人当たりに計算し直すと、生活実感に訴える数が作られるのである。でも知ったからいいのかどうか、一例を挙げると、日本で一人当たりの宅地面積を計算すると70坪になるそうである。そうすると二人家族のわが家の敷地は倍の140坪あるべきなのに、現実はその半分にも満たない。身をつまされてしまう。それでもいろんな数が面白い。

『目から鱗』の話もある。数をじっくり眺めることから浮かび上がった事実である。

《「日本は狭い」と言う人がいるが、それは大ウソである。地ベタは狭いが、海は広いのである。日本は領海の他に「排他的経済水域」として、地面の10倍(400万平方キロメートル)の海域に対する経済的主権と管轄権を持っている。地面と領海と排他的経済水域とを合わせると、日本は世界第6位の国土面積を持もつ国である。》とのこと。排他的経済水域で争っている韓国、中国に対して、なんだか寛大になれそうな話ではないか。こういう話が蛇足だとはもったいない。

「量的変化が質的変化をもたらす」例の一つとして、著者が岩波書店から出版した『直感でわかる数学』の販売冊数の推移と言うのも面白い。2004年9月8日に一冊1995円で1400冊が出版された。専門書としては妥当な数字である。それがブレイクして2年後に10万冊も売れてしまったのである。売り上げが伸びたきっかけを分析しているのであるが、私は印税がいくら著者に入ったのかが気になったので、具体的な数で表現してみた。人の懐具合を探るのは恥ずかしいことなのだが、何事も数で表現するように、との著者の勧めを実践しただけのことである。。

一冊1995円をキリの良い2000円にする。印税が10%とすると一冊で200円、それが10万冊だから2000万円になる。岩波のことだから発行部数が増えると印税率を上げるとして、たとえば2万冊以上は15%とすると200×20000+300×80000=2800万円となる。羨ましくなった。著者が計算させたいはずである。

アレッと思う話もあった。つい最近のことであるが、どこかのテレビ番組で印度が日本で開いている国際学校の紹介をしていた。算数の授業で2桁同士の計算を生徒がすらすらとやっていくのだが、その計算方法がわれわれの習った方法とは大きく異なるのである。たとえば75×75を計算するのに、先ず一桁目の5×5=25を先ず計算する。次に二桁目の一方に1を加えて、それともう一つの二桁目を掛け合わせる。(7+1)×7=56。25の左横にこの数字を並べて5625とすると、これが答えになるのである。これとおなじ話が「数に強くなる」に出てくるのである。

《蛇足 25の2乗を出すには「1を足して掛ける」というウラ技がある。①:十の位の数を取りだして1を足す。2+1→3。②:①で出した数に十の位のかすを掛ける。3×2→6.③:②で出た数の後ろに「25」と書く。625.答えは625。》(148ページ)

全く同じである。著者が独自にこのウラ技に到達したのか、それともインド人の子供からヒントを得たのか、気になった。

ソロバンの勧めに関連して「カーナビを使うとバカになる」という話もでてくる。私は動物的な勘が鈍るとカーナビを使わないのであるが、著者の主張はわが意を得たものである。それなのに家族の反発に抗しきれずについにカーナビを買ったとか。もっともご自身はお使いにならないようであるが・・・。

とにかく紹介したい話が目白押しである。子供に戻ったかのような気分になること請け合い、楽しかった。

「ぼくらが惚れた時代小説」を読んで

2007-03-22 17:12:56 | 読書

山本一力、縄田一男、児玉清三氏の鼎談をまとめたものである(朝日新書)。

私も時代小説が結構好きで、これまでもかなり読みあさっている。今さら人に教えて貰わなくてもというわけで、この本が出版されたときには(2007年1月30日第一刷発行)手に取ってみることもなかった。ところが一昨日(3月20日)、京都の本屋でぱらぱらとページをめくってみると、いろいろと面白いことが書かれている。で、買ったしまった。

たとえば中山介山の「大菩薩峠」について、これはちくま文庫版でも全二0巻である。

「全部読まれましたか」と聞かれて
「縄田さんが、あまりにすごいすごい、と言うので読みましたよ」(山本)
「偉いなあ。私は三巻ぐらいでとまってしまって読み通せていないんですが」(児玉)

と言い切る児玉さんがいい。私もご同様、始めの二、三巻読んだだけで、本棚にチンと収まったままである。




「一種の殺人鬼を主人公にしていながら、読んでいると安らぎを得られるという不思議さ」(縄田)があるそうな。でも取り組む気力が今のところもう一つである。

吉川英治の「宮本武蔵」

「尾崎秀樹さんはこういっています。「戦中世代の実感でいうのだが、”二十歳までしか人生のなかった”私たちにとって、『宮本武蔵』は、”いかに生きるべきか”について教えてくれる一番手近な書物だった。生きることは死ぬことだった当時の若者にとって宮本武蔵の求道者としての生き方は人生の指針でもあったのだ」と」(縄田)

私が戦後国民学校5年生で朝鮮から引き揚げてくる途中、釜山の寺院に収容されている間に、同じ引き揚げ者の方に「宮本武蔵」をお借りして全部読み上げたことがある。何故あのときあんなところに「宮本武蔵」があったのか、との疑問へのもう一つの答えであるような気がした。

時代小説とは直接のかかわりがないが、最近のベストセラーについて、

「養老孟司さんの『バカの壁』も、藤原正彦さんの『国家の品格』(ともに新潮新書)も、岩井克人さんの『会社はこれかどうなるか』(平凡社)も、いままではそれほど売れなかったテーマが爆発的に売れた本というのは、全部編集者の聞き書きです。喋っているものを文章にまとめているので、とても読みやすい」(児玉)

ヘェ~、である。

こういう話も出てくる。

「このごろしみじみ思いますけど、「よくそんだけ書いててアイデア枯れませんね」って言われるんですよ。でもね、アイデアは枯れないの、枯れるのは気力なんだよね」(山本)
「アイデアは枯れない、歳をとっても枯れない。私も七0歳を過ぎてもそう思います。」(児玉)

これ、よく分かる。私もアイデアは枯れないけれど、ブログを書きつづけるのに気力のいることを痛感しているから。

ついでに脱線すると、定年間際の大学教授で神懸かり的な素晴らしいアイデアを連発する人が結構いるものである。しかし気力が衰えているから自分で手を下さずに若い人を巻き込もうとする。それを迷惑だと思わずに、そのアイデアの真髄を会得できた人は、それで一生食べていけるかもしれない。いずれ教授は定年でいなくなるから、あとは我が天下である。若き研究者よ、絶好の標的を見逃すことなかれ!

佐江週一の「江戸職人奇譚」(新潮文庫)の中で

「「一会の雪」という三〇枚ぐらいの短編がありますが、これがもう珠玉の恋愛小説(笑)。ほれたはれたなんて一言も書かれていないんですが、ものすごい恋愛小説です。初めて読んだとき、まだこんなすごい短編を書ける人がいるのかと思った」(縄田)

さっそく本屋に走らないといけない。

国枝史郎の「神州纐纈城」(桃源社)について

「死後、なぜか伝説のかなたにうずもれた作家だったのが、昭和四三年(1968年)に桃源社が代表作『神州纐纈城』を復刊すると、一挙に評価が高まった。三島由紀夫が『神州纐纈城』を読んで、こと文学に関する限り我々は1925年(『神州纐纈城』が執筆された年)よりもずっと低俗な時代に住んでいるのではなかろうか、と評した」(縄田)

なんとその『神州纐纈城』が私の書棚に眠っていた。さあ、読むぞ!



角田喜久雄の「髑髏銭」(角川文庫)

「私は角田喜久雄の『髑髏銭』(春陽文庫)で時代物の面白さを知ったのですが、実は、司馬遼太郎が産経新聞記者だったとき、角田喜久雄に連載小説を頼みに行っている。もちろん角田は福田記者が司馬遼太郎というペンネームで書いている作家だとは知らない。そこで、最近の時代小説の話になって、「誰か面白そうな作家がいますか」と聞かれて、「司馬遼太郎というのがいいな」と答えたそうです。(笑)」(縄田)

こいうゴシップがいい。

私は中学生の頃貸本屋で借りて読んだ。その後角川文庫に出たこの「髑髏銭」と「風雲将棋谷」を買いそろえたものだ。三年前、北京で妻が蠍の空揚げをパクついたときにも、先ず思い出したのが「風雲将棋谷」の蠍道人だった。





漫画と劇画について

「私なんかは皆さんと時代が違うんですね。漫画も読めないし劇画もだめ。(笑)」(児玉)

全く同感!私は児玉さんと同い年生まれなのである。

「鞍馬天狗」を書いた大佛次郎、日本のインテリジェンスの代表なんて持ち上げられている。

「どこかに欠点があるはずなんだろうが、いくら探しても見つからないと」(縄田)

「先程、大佛次郎の欠点について話しましたが、一つだけあったとすれば、嵐寛から鞍馬天狗の役を取り上げたこと(笑)。プロデューサーが自分の思うような鞍馬天狗をつくりたかったからでしょうが、嵐寛の鞍馬天狗は安易なチャンバラ劇に流れすぎるといって、小堀明男を主演にして三本作るんですがまったく当たらない(笑)。それでまた嵐寛に戻る。嵐寛は(中略)、あのときだけはひどいと思ったと言っています。頭巾の恰好をはじめ自分が考案したのに原作者の一言で取り上げられた、役者は虫けらかといって怒っている」(縄田)

最近の森進一の「おふくろさん」封印事件を思い出した。森進一が勝手に詞を付け加えたとか、作詞家が怒って歌わせないということになったらしいが、♪あふくろさん、と独特の顔の造作で歌い始めるのは森進一の工夫であろう。私もそうであるが、聴く方はあれは森進一が作り上げた『藝』だと思っている。それが一方的に封じられては、歌手も虫けらなんだと同情してしまう。

でも私は鞍馬天狗は好きである。



綱淵謙錠の「乱」

「大佛次郎、海音寺潮五郎と並ぶ史伝作家だと書いたことがありますが、幕府の軍事顧問となったフランス士官、ジュール・ブリュネを軸として、これほどまでに詳細に再現された維新史はちょっと類を見ない。読んでいて気が遠くなるような気がします」(縄田)

実感がこもっている。私も気が遠くなってか、691頁中の257頁、第十八章兵庫開港のところに栞を挟んだままになっていた。



これからはばたく作家として、女流の宇江佐真理さん、諸田玲子さんの名が上がっているのは嬉しい。文庫本であるが諸田さんの本は全て読んでいる。昨日の新聞広告で「恋縫」(集英社文庫)を見たばかり。買わねば、と思っているところである。

それと男性では山本一力さんと佐伯泰秀さんが両巨頭であるとのこと。ところが佐伯さんの本はまだ一冊も読んでいない。書店であまりにも沢山平積みにされているので、恐れをなして手出しを控えていたのである。お勧めに従い「居眠り磐音江戸双紙」からでも読み始めてみよう。

鈴木 直著「輸入学問の功罪」の副作用

2007-02-09 16:58:37 | 読書

以前に書いたことであるが、私は生まれてこの方まともな哲学の本を一冊も読んだことがない。哲学の本と云っても翻訳本のことであるが、読むに耐えない日本語であったことが私を本から遠ざけた。翻訳が悪いとかねて思っていたので、私はこの著書の ―この翻訳わかりますか? の副題に惹かれて読み始めた。

まず岩波文庫の資本論から、向坂逸郎訳の一文が出てくる。読点を含めて一行39文字で十行に及ぶ文章で、実はこれが一つのセンテンスなのだ。400字詰め原稿用紙一枚分に相当する。長いと云うだけで読みづらい。それを読みやすくするために、鈴木氏は七つの文章に分けて、表現を少し平易にする試みを提示する。ところが鈴木氏は、向坂氏のドイツ語の読みの正確さに脱帽しているのである。訳は原文と同じ構文で、単語も一対一の対応関係を再現しているとか、丁寧で忠実な翻訳と云う次第なのである。

向坂訳に遡ること20年、高畠素之による同じ箇所の翻訳文が挙げられている。全体を一文としていることでは変わりがないが、鈴木氏によると、ドイツ語のニュアンスを若干犠牲にしても、読者の読みやすさのために、それなりの工夫をこらしているのである。

ところがこの高畠訳を河上肇が批判し、後に宮川実と資本論を翻訳した。その高畠訳を「通俗的でより多く日本文学的」、川上・宮川訳を「研究的でより多く即原文的」と論評した青野季吉に今度は三木清が噛みついた。鈴木氏は《三木の翻訳観に見られるのは原文への強迫観念的な自己同化であり、欠落しているのは読者の視点からの解釈学的反省だ》(58ページ)と評している。

この著書の中で鈴木氏は回り道をするのであるが、行き着くところ、《一語一語対応と原文構造の模倣的再現を「哲学書」であることを理由に正当化することは、哲学者たちもそろそろ止めた方がよい》(227ページ)と提言するのである。

すなわちこの著書は『翻訳者』への戒めと翻訳作法の勧めなのである。私のような単純な読者は読む必要がなかったとも云える。哲学書の翻訳本が読むに耐えない悪しき日本語であることは、私は先刻ご承知であったし、それが「一語一語対応と原文構造の模倣的再現」への固執によることは、受験英語の洗礼を受けてきた全ての日本人にとっては、目新しいことでもなんでもないからである。

しかしそのように云ってしまえば身も蓋もない。私にとって面白い挿話がいくつかあったので、その一つを取り上げてみる。

『回り道』で鈴木氏の哲学への取り組みが語られているが、ヘーゲルの『精神現象学』のドイツ語が翻訳者泣かせだそうである。この中でも最も有名な箇所が『自己意識の自立性と被自立性―支配と従属』で、一般には『主人と下僕』の章として知られているとのこと。この部分の解説が私の思考を刺激したのである。

岩波書店刊行の金子武蔵訳『改訳精神現象学 上巻』によると、その出だしは《自己意識が即自且対自的(自律的)であるのは、他者に対してそうであるときのことであり、またこれによることである。換言すれば、自己意識は承認されたものAnerkanntesとしてのみ存在する。》

例によって例のごとし、私にはチンプンカンプンで無意味な言葉の羅列である。しかしこれに対する鈴木氏の注釈を読んでいくと、自分なりの取り方であるが、何を云っているのか少し分かり始める。

まずヘーゲルが「主人」と「下僕」のたとえ話でこのように説明している。
《主人とは自立した自己意識のことだ。ただし、この自己意識は単に自分勝手に自立していると思い込んでいるだけの自己意識ではない。「主人」は「下僕」を支配するという形で、いわば関係の中でみずからの自立を意識している存在とされる。》(196ページ)

これを鈴木氏はこのように噛み砕く。
《主人は物を所有していることによって、物を所有していない下僕を間接的に支配している。下僕が主人と同じように物を持っていれば、この支配関係はそもそも成り立たないだろう。したがってここには、物を媒介にした主人→物→下僕という支配関係が存在している。》(197ページ)

実はヘーゲルが洞察しているというもう一つの主人→下僕→物という支配関係がある、と鈴木氏はこちらの支配関係に重点を置くのであるが、これは横に置いておく。

ここで「主人」を「教授」、「下僕」を「助手」、そして「物」を「研究室・研究費」と置き換えてみると、元大学人の私には極めてよく理解できる。ヘーゲルは難しいことを云っているのではない。まったく当たり前のことを難しい言葉で言い換えているだけなのだ。

この調子で鈴木氏の噛み砕きが続くが、下僕が鶏を飼う話しにこのように入っていく。

《主人は、自分の思いままになる被自立的存在としての鶏を消費するだけで、鶏から何も学ぶことは出来ない。下僕はやがて主人がいなくても自ら物を生産し、自立できる存在へと向かうだろう。しかし主人は下僕なしに自立できない存在となっていく。こうして主人と下僕の自立関係が逆転し、一方的な支配関係が組み替えられ、主人も下僕も相互承認の必要性へと目を開かれていく。》(198-199ページ)

この部分も「主人」を「教授」、「下僕」を「助手」、それに加えて「鶏」を「実験データ・論文」と読み替えると、私の頭の中にヘーゲルの云わんとすることが素直に入っていく。というより、このことは大学に於ける一連の捏造論文問題で表在化してきた、教授と助手・研究員の関係について私の認識そのものなのである。「東大多比良事件 助手とのバトルに完敗の東大教授」はその一例であるが、まさに主人と下僕の自立関係の逆転なのである。東大多比良事件では、主人も下僕も相互承認の必要性へと目を開かれていくに至らなかったのである。

何のことはない、私は自らの職業生活を通じて、とっくの昔にヘーゲルの域に達していたのである。ヘーゲルが思索の人なら私も行動し考える人、日々の知的作業の営みに大きな違いのあるはずがない。ましてやヘーゲルが「精神現象学」を出版したのは37歳の時、今の私はその当時の彼よりは遙かに人生経験を深めている(筈だ)。事と次第で私の認識が彼を凌駕していることがあっても、不思議でも何でもない。

と、つい鈴木氏のこの本に触発されて、夜郎自大ぶりを披瀝するのもまた楽しからずや、なのである。