木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

聖徳太子とは何なのかを考察する

2023-11-20 16:51:51 | 随想
聖徳太子について随想と考察。

聖徳太子は稀に見る預言者だった事は
先に述べました。
予言者と預言者は違います。
予言と預言も違います。

予言は未来を言い当てたり見通す事で
その能力に長けた者を予言者と言います。
これに対して預言とは天から或いは神から
言葉を預けられる事、天からメッセージが
降りてくる事を預言と言います。
そして天や神がこの人にこそと言葉を預ける、
託す、降ろす人の事を預言者と言います。

聖徳太子は預言者でした。

人類史上において預言者はイエス・キリスト
でした。

はて・・・と私は感じます。
預言というものは仏陀からのものではありません。
神からの言葉です。
聖徳太子が預言者であり、その預言を記した
未来記が四天王寺に秘されています。
その未来記には聖徳太子が飛鳥時代に生きながら
今の日本の惨状を憂いて述べている内容として
日蓮に象徴される勢力が日本を亡ぼすとされていた事が
的中していた事も分かってきました。
言い当てる予言ではなく天からの声、神からの
メッセージとして未来の日本はこうなるから戒めよ
という預言です。

聖徳太子は仏教を篤く信奉した事は周知の通り
ですが、預言者であれば仏陀からの声ではなく
神や天からの声や言葉が預けられた、降ろされた
事に他なりません。
これはどういうことでしょうか?
聖徳太子には秘密が多く、謎が多いですが、
聖徳太子が預言者であるという事実は聖徳太子は
仏教だけでなく神道でもあったとしか言えません。

聖徳太子が建てた斑鳩宮が焼失した後に慰霊の
ために今の法隆寺が建立されましたが東に隣接
する夢殿には明治時代まで開封されなかった
救世観音像があります。
これは明治政府の命令で岡倉天心とフェノロサに
より初めて開封された時に法隆寺の僧は祟りを
恐れて逃げ出したと伝わります。
開封された救世観音像は布でグルグル巻きにされて
いたとの事で、その布の長さは450メートル以上
もあったと伝わります。
更にその救世観音像は聖徳太子の等身大の像だと
され身長は178.5センチです。
飛鳥時代ならば長身でしょう。

その救世観音像の救世とは救世、つまり救世主
と重なりはしないかと私は感じ始めました。
救世観音像は日本に伝わる中でそのような呼称と
なったのであり、もしかしたら救世主の事が
仏教式に転じた姿なのではないかと。
救世観音像が救世主つまりメシアの事だとしたら
どうなるでしょうか?
法隆寺の僧は救世観音像が開封される時に
聖徳太子の祟りで法隆寺が滅びると恐れをなして
逃げ出しています。
祟りが起きると恐れる事は対象が、つまり聖徳太子
がいわれなき犠牲になった事を意味します。
いわれなき犠牲になったのはイエス・キリストで
あり共通しています。
イエス・キリストを磔にしたのは今日の表現では
ディープステイトです。
聖徳太子は預言者でした。
救世観音像は聖徳太子の等身大の像です。
法隆寺の僧が救世観音像を開封する際に祟りを
恐れて逃げ出しました。
救世観音像の救世は救世つまり救世主と重なります。
救世主とはイエス・キリストのこと。
イエス・キリストも預言者です。

預言者とは神からの言葉が預けられる者のこと。
聖徳太子とイエス・キリストは共通しています。
もしや、聖徳太子はイエス・キリストだったのか?
ふと私の胸中にそのような思いが湧き上がりました。
まさか、そのような事があり得るわけがない。
大多数の日本人はそのように否定するでしょう。

しかし聖徳太子と行動を共にした蘇我氏は
「我は蘇る」という家名です。
我は蘇る・・・とはイエス・キリストの姿では
ないでしょうか。
蘇我氏とは家名の通り、そのような使命を担った
一族だったのかも知れません。
聖徳太子は蘇我馬子と共に「天皇記」を著述して
います。
四国にはイエス・キリストが日本に亡命してきて
古代天皇になったという伝承もあります。
聖徳太子は十七条憲法を発布しています。
憲法を発布できるのは天皇のみです。
つまり聖徳太子は天皇だったのではないか、と
私は推察します。

天皇が新たに即位する際に大嘗祭が行われ、
天皇家より歴史が古い四国の忌部氏が麻から
アラタエを2着作り、1着を京都広隆寺にある
聖徳太子の木像に着せます。
もう1着を新たに即位する天皇にお着せになり
天皇は大嘗祭の儀式の中で天照大神の霊と合一
して天皇に即位します。
そうすると、新たな風景が見えてきます。
天照大神はイエス・キリストの可能性はないのかと。
天照大神は男神である事が真実ですから天照大神
がイエス・キリストである可能性も皆無ではない。
伊勢神宮にも様々な秘密が秘されています。

イエス・キリストが日本に亡命して古代天皇
になったという四国に残る言い伝えも荒唐無稽
なものだと拒絶するには違和感を覚えます。
仁徳天皇陵を始め前方後円墳が多数ありますが
前方後円墳はマナの壺の形であり、これは古代
イスラエル12支族が日本に秘したアークに
入っている三種の神器の1つです。

もしや・・・。
私の直感として、イエス・キリストが日本に
亡命して古代天皇になった事を日本においては
仏教の姿に転じさせて秘しているのではないか
という仮説が湧き上がってきました。
その古代天皇こそ後の世に聖徳太子と呼ばれた
人物のことだったのではないか。
だからこそ天皇が新たに即位する際に天皇家より
歴史が古い四国の忌部氏が京都広隆寺にある
聖徳太子の木像に麻で作ったアラタエの1つを
着せるのではないか、と。

日本最古の企業である金剛組が四天王寺のすぐ側に
ありますが、過日に私が訪ねて社員に聖徳太子の
資料があるなら見たいと述べたところ資料はあるが
社外秘で見せる事はできないと言われました。
いかなる資料があるのか気になります。
金剛組は飛鳥時代に創業された日本最古、世界最古
の企業であり四天王寺を建立しています。
また四天王寺には聖徳太子の直筆による未来記が
秘されており、これは四天王寺の内部の者にも
知らされていないとのこと。
聖徳太子の直筆による未来記はある役職に就いた
者だけに継承され、代々ある役職に就いた者により
秘伝されてきたとも仄聞します。

四天王寺は神社の境内の中に寺院の伽藍も建築
したというのが本質ですから寺院ではありません。
日本は日の本とも霊の元とも記して「ひのもと」
と言います。
固定観念を取り払って可能な限り太古日本の
風景を見つめていきたいと思います。
古代やそれ以前の風景を考察する場合には
文献や教科書的な年代が合わないという事は
先ずは外して事象のみを見ていくのが良いかも
知れません。

また随時、太古日本に関する随想や考察を試みて
みたいですね。
常識を鵜呑みにしない視野の中に思いもしない
真実や答えが潜んでいるかも知れません。

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3 コメント

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Unknown (三毛猫)
2023-11-21 03:09:18
今晩は。
天火明命が、飛騨(高天原)から丹波に来て、タカテル媛と結婚し、大国主の婿養子になったと考えられます。
天火明命の子孫に海部氏があり、聖徳太子(蘇我馬子の長男の蘇我善徳)は、海部氏だという事を知り、あらたえが、聖徳太子の像に着せられる理由が、判ります。
蘇我稲目が、出世したのは、海部氏の娘(聖徳太子の母方祖母・小姉君)を養女にしたからだと思います。
伊勢神宮の斎王(いつきのみこ)は、特別な血筋でなければなりませんでした。
聖徳太子は、海部氏の姫巫女の子孫なので、預言者となりえます。
斎王の役目は、天照大神の神意を受ける依代であり、天照大神の神意を日本の国家運営の意思決定に反映させる役職です。
17条の憲法の一部(特権階級に都合良い部分)だけでなく、全体を公教育で児童に教えて貰いたいものです。
今の学校は、やれ相撲大会だの、合唱コンクールだのと、教員らが、猿回しの役割に一生懸命です。
まるで創価学会のイベントの様です。
池田大作氏が、既に亡くなってから10年以上経ちました。
政治や司法は、元々存在しないし、メディアも存在していない、まともな教育も存在していません。
国民の殆どが、注射型生物科学兵器を自由意思で愚かにも自分の身体に入れてしまいました。
円安の追い風と愚かな国民性が、グローバル大資本家達の気持ちを後押し、注射型生物科学兵器の工場が、作られています。
第1〜3相の人体実験をこの平和ボケした日本国民でやる計画が既に立っています。
未だ誰もが、撃っていない時に、齋藤新緑氏は、支持者らに紙を配り、警鐘を鳴らしましたが、大衆洗脳→誘導の為の道具としてのメディアは、報じませんでした。
売電がAチームなら、トランプは、Bチーム。
ゼレンスキーがAチームなら、プーチンは、Bチーム,
未来記を読んだ事が有ります。
京が、親と7人の子供の様になる。
それは、7つの獣からそれぞれ食いちぎられるのでしょう。
獣のうち、昔はいたけれど、今はいなくて、やがて来る物が、一頭いそうです。
聖徳太子は、きっと、日本の近未来(私達がこれから体験する近未来)が、よく見えていたから、心配していた事でしょう。
天火明命は、勿論、昔の飛騨の人達がしていた日抱の御魂鎮めを毎日行う事は、忙しい現代人にとって大切な事だと思います。
水に浮かんだ太陽や月を見つめ、それが、自分の胸に抱くイメージを描き、心を平穏にする感じです。
現在人は、暖炉の火や黄色い仄かな光の中で、呼吸を整え、無になる事もいいでしょう。
心は、鏡であり、波風が立てば、何も映さなくなります。
なので、常に心の鏡を磨き、物事を映せる様にしておく事は、大切だと思っています。
返信する
Unknown (おおねこ)
2023-11-21 16:52:49
この種の話は、言えないことが多いと思います。
物語は物語でいいと思います。

政教分離といいますが、よほどのことがない限り
宗教関係はそのまま置いた方がいいというのが
私見です。
返信する
Unknown (おおねこ)
2023-11-21 21:00:11
聖徳太子に関しては、当事者が既に種明かししています。
あまり書くようなものではないとも思いましたが。

キリストもそうですが、2,3人モデルがいて、創作話が多いそうです。
聖徳太子については、生誕か没後100年してからの創作、キリストも、生誕後300年くらいしてからの創作でしょう。やり口が似ていますが、厳密には同じ勢力ではないはずです。(知り合いだったかもしれませんが。)

寺については、最初は寺であり、後で神仏習合の風潮により現在の形が残っているものと思います。
彼ら(主催者)にとっては、どちらでもいいはずですが、彼らが「寺」だと主張するのであれば、まさしく「寺」でしょうし、「寺」と認識するのが通常だと思います。単なるスタイルの問題という側面があります。

こういう問題はかなりデリケートな事柄を含むので、政治的には宗教の話にあまり入り込まない方が無難だと常々思っています。
特にこの時期においては、非常に危ないものがあると思っています。
返信する

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