木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

旧約聖書の民数記までを読んで 読後感

2024-05-17 00:58:29 | 随想
3000年前からの地球のベストセラーである
聖書の通読の歩み。
現在、民数記の後半に差し掛かっています。

エジプトを創造主により脱出させられた後、
シナイの荒野を歩き続けるモ―セとアロン、
そして続くイスラエルの人々ですが何度も何度も
「どうして我々はこんなに酷い目に遭わなければ
ならないのか、まだエジプトにいた頃がマシだ。」
とモ―セや創造主に対して反発する場面が描かれます。

その度に創造主は自分に反発したイスラエルの民
を死刑にしたり死に至らしめます。
僅かな些細な反論すら死刑にしていく絶対神の
凄まじさを感じます。
この辺りは日本人の神とは全く存在が違いますね。
日本は八百万の神々であり日本人には神を巡り異端を
殺すという感覚は限りなくありません。
この感覚が西洋と日本の違いだと感じます。

聖書を読み進めていくうちに、私は日本は西洋でも
東洋でもない、日本は日本だと感じ始めました。
西洋も東洋も寛容は無く異端は死刑に処します。
しかし日本は八百万の神々であり山や谷、川や海
に聖なる存在が宿るという霊的な感性であり
聖書に見られるような些細な反発や創造主の言いつけ
に僅かでも供え物や捧げ方を間違えれば死刑にする
感覚は日本にはありません。

私は日本を太古日本を知りたいために、また支配階級
の拠って立つ聖書を把握するべく知的好奇心により
聖書の通読をしていますが、どこで日本や日本人と
交差するか、その瞬間の到来が楽しみです。
私はこれまで教会に行った事は皆無ですが、きっと
これからも教会に行く事は無いでしょう。
私は天地人に生きる、その視野で空を見上げ、
祠や磐座に佇むと思います。

さて、イスラエルの民がシティムに留まっていた
時にイスラエルの民がモアブの女たちと淫らな行為
をし始め、創造主ではないモアブの女たちが崇める
神々を拝み捧げ物を食べました。
バアル神ですね。
これにより創造主はイスラエルの民に怒りを燃やし
ました。
創造主はモ―セに対して
「民の頭をみな捕らえて白昼、彼らを処刑し、
主の前に晒し者にせよ。そうすれば主の燃え上がる
怒りはイスラエルから離れ去るだろう。」
と命令します。
モ―セとイスラエルの民の全会衆が会見の幕屋の前
で泣いていると、彼らの目の前に1人のイスラエル人
があるミディアン人の女を連れて兄弟たちの所に
来たので、祭司アロンの子、エルアザルの子ピネハス
はこれを見ると槍を手に取り、そのイスラエル人の
後を追って奥の小部屋に入り、イスラエル人とその
女を二人とも彼女の奥の小部屋で突き通して殺し
ました。
すると、イスラエルの子らへの疫病が止みます。
聖書には創造主の怒りによる疫病で死んだイスラエル
の人々は2万4000人とあります。

創造主はイスラエルの民が少しでも違う神を
拝んだり供え物を捧げただけで怒り、死をもたらせ
る事が随所に描かれています。
これが後に中世の欧州で夥しい人々や女性が異端
審問を受けては宗教裁判により処刑されていく
思想の背景になっていくのでしょうか。
日本人の感覚とは隔絶していますね。

また創造主はモーセに対してイスラエルの民の
人口調査を命じます。
そして名前の数に従って相続地として土地を分配
せよとし、人数の多い部族には相続地を多く、
人数の少ない部族には相続地を少なく与えよと
命じます。
そして土地はクジによって分けよと命じます。
また父のいない女性への土地の相続の方法も
後に命じていき、土地相続の起源を垣間見るような
描写でした。

ちなみに旧約聖書に記されているイスラエルの民
というのは現在のイスラエルの事ではありません。
ヘブライですね。
そのヘブライ、つまり古代ヘブライがその後に
どのようになっていくのかという視野が太古日本
との関わりの中で大切になっていきますね。

まだまだ先の長い聖書全ての通読の歩みですが、
必ず全てを読み通すべくページをめくり続けます。
自分の胸の中に感じる読後感を大切にして
視界を開いていければと思います。


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