ごじらいく

足跡の先に・・・

つぶれた1円玉

2019年11月28日 | 日々のつぶやき
だいぶ前に、道を歩いていたら1円玉らしい丸いコインが落ちていました。
欲の深い私は、「ラッキー♡」と、1円玉を拾うと、何度も車に踏まれてへしゃがってしまった、やっぱり1円玉だったのです。
「これ、使いようが無いなぁ。」と、ずっと財布に入れていたんですが、やっと使い道が決まりました。
それは、神社のお賽銭箱。

鈴を鳴らして、へしゃがった1円玉をお賽銭箱に入れて、拝みました。
なんか、ホッとした気持ちになります。
手元からへしゃがった1円玉が消えたのと、神社でお願い事を聞いてもらったので、一粒で2度おいしい感がしたのです。
きっと、神社の人は、「なんじゃこれ。」と、へしゃがった1円玉を見ることになります。

そういえば、ここ何か月も神社に行くことがなかったんです。
人っ子一人いない神社でのお願い事は、なんか清々しいものがあります。
願い事が叶うにせよ、叶わないにせよ、これは神様の言うとおりになるのです。
神様も忙しいから、私の小さな願いなど耳に入らないのかもしれません。
まあ、神社に足しげく通うほど信心深くないので、「これでいいのだ。」と、思う事にしました。

昔、父が朝の散歩に神社を回ってくる。と言うルートで歩いていました。
やっぱり、神社なのでお賽銭も毎回あげないといけません。
銀行に行き、5円玉をたくさん両替してきました。
飽き性な父は、全部の5円玉を使い切らないうちに朝の散歩は終わりました。
私よりも、ちょっとだけ信心深い父なのです。

つぶれた1円玉をお賽銭に使うなんて、バチが当たる。と、思ってしまいそうですが、本当にお賽銭の中身をかんじょうするのは神社の方々。
神様は、お金の額より、施しをしようとする心をかってくれるのです。

コメント
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