島崎藤村の「夜明け前」を暇にまかせ、のんびり読み返しています。
「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」
の書き出しで始まっています。
若かりし頃、読んだ時と違い、急ぐでもなく、暇に任せて、の~んびり読んでいます。
作者の云わんとしているところも、よりよく伝わってきます。
この物語の主人公・青木半蔵の家はその宿役人の役=助郷(すけごう)を代々おおせつかっていました。
その仕事は、旅人たちを宿から宿へ継立(つぎたて=バトンリレー)し、人足や馬の世話から荷物の扱いまでを取り仕切るものだそうです。
大変な山坂の道なので、その維持管理も大変な苦労だったろうと思います。
時代と共に、その道筋は下へ下へ、すなわち川沿いへ降りてきたそうです。
道路や橋は流されやすいでしょうが、反対に安心して歩ける道だったのでしょう。
これは助郷(すけごう)という公役で、徳川政府の方針としては、宿駅付近の郷村にある百姓は皆これに従わなければならなかったそうです。
勿論、多少の口銭にはなっていたようですが・・・
彼の本拠地の馬込宿は、木曾十一宿の一つで、西からの木曾路への最初の入り口、美濃国境に近いところです。十曲峠(じっきょく峠)を越えたところの宿です。
その辺りの地図を示すと、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/79/76f2dc5ebc1017f0c797adac41838414.jpg)
木曽路には十一の宿場があり、
西から
馬籠宿、妻籠宿、三留野宿(みどの宿)、野尻宿 の下四宿
須原宿、上松宿(あげまつ宿)、福島宿 の中三宿
中でも、ここの福島宿は木曾路の総括的な役割を持った宿でした。
そして、宮ノ越宿、薮原宿、奈良井宿、贄川宿(にえかわ宿)の上四宿
からなっていました。総距離約22里余(約88Km)
上四宿の街道の経路断面図は、現在ある旧道でも次のように険しいものです。
まるで登山道です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/2a/ed01d0344ac2f44a4da802fa5b2a0cf8.jpg)
参勤交代や日光例幣使の行列、尾張候崩御を秘めた遺体の搬送、それに、和宮降嫁の行列・・・、これらの通行の手助けは大変なもののようでした。
尾張候の遺体搬送には1670人もの行列だったとか。「前代未聞の・・・」と書いてありました。
また、和宮降嫁の際は
「この道筋に当たる宿々村々は非情な光栄・・・」としながらも、
「彼らは一度は恐縮し一度は当惑した。」そうです。
未だ4巻のうちの1巻を読んだばかりなので、これからが面白い展開になるのでしょう。
まあ、ぼつぼつです・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます