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富岡八幡、清澄庭園から両国への散策

2013-08-01 | 散策

富岡八幡、清澄庭園から両国への散策

 

思い立ったが吉日と、都営大江戸線で門前仲町から両国へと散策しました。

7Kmぐらいでしょうか。結構、暑かったです。
途中、森下駅の元・弥勒寺橋の近くで生ビールと「肉きのこ南満」を頂きました。
昼食時を少し過ぎていたので、静かに、美味しく頂けました。

散策コースは下の地図の赤線です。

 

先ずは深川不動尊です。

  

“おみくじ”の喜ばれている御不動さんのようです。

「足腰お守りください」の祈願など微笑ましいですね。
やや腰の曲がったおばあちゃんの姿が目に浮かびます。 

 

そして、すぐ横の富岡八幡宮にお詣りしました。

  

説明板によると

「この神社の3年に一度の本祭りは、夏祭りにふさわしく神輿に水をかけながら練り歩くので、『水かけ祭り』の名もあり、50基余の連合渡御は江戸三大祭りのひとつとして有名です。・・・」

一度、見に行きたいですね。“50基余の連合渡御” は豪壮なものでしょう。

本祭りは来年だそうです。
今年は子ども神輿連合渡御が永代通りで行われるようです。
8月11日午前9時から12時です。

参加神輿46基、その他に仮装神輿が6基加わります。

行ってみるかな~!

 

入り口横には、お神輿が飾られていました。
大きなガラスケース入りです。


大きなものです。
実際にはこのお神輿を小型化したものが担がれるようですが・・・。

案内板がありましたので掲載します。

「富岡八幡宮御本社神輿(日本一の大神輿)

当八幡宮には、江戸時代深川に屋敷のあった紀伊国屋文左衛門より三社託宣に因み八幡造り・明神造り・春日造りの三基三様の神輿が奉納され、みこし深川と云われてまいりましたが大正十二年の関東大震災で惜しくもその全てを焼失しました。
それ以来、御本社神輿の復活は深川っ子の念願でありましたが、平成の御世になり漸く、昔に勝るとも劣らない豪華な大神輿が復活いたしました。
・・・重量 4.5トン・・・」

 

そしてそのすぐ横に伊能忠敬さんの銅像が立っていました。

その説明板も掲載させていただきます。

「近代日本地図の始祖である伊能忠敬先生は、事業に成功したあと五〇歳のとき江戸に出て、当宮近くの黒江町(現在は門前仲町一丁目)に隠宅を構えて居ました。・・・
全部で一〇回の測量を企画しましたが、遠国に出かけた第八回までは、出発の都度必ず、内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参詣し、無事を念願したのち、・・・」出発されていたそうです。

 

そこから、陽のカンカン照る中を、仙台堀川に架かる海辺橋を渡り、清澄庭園に参りました。

ここには、昨年の12月26日に来ております。

その時の記憶をたどりながら園内を一周しました。

その記事の一部を引用すると、
「本園は、初め江戸の豪商紀之国屋文左衛門の別邸であったといわれ、その後、諸大名等の下屋敷として用いられてきましたが、明治11年(1878)に至って岩崎家の所有するところとなり、同24年(1891)和洋両館を含む大庭園となりました。

池泉には、隅田川から水を導き、潮の干満により庭趣に変化をもたせた潮入りの回遊式林泉庭園で、大小の島や磯渡りを造り、池辺には岩崎家が全国各地より収集した奇岩珍岩が巧みに配置してあります。

大正12年(1923)の関東大震災後、現在の庭園部分を東京市が寄贈を受けて修復し、昭和7年(1932)一般公開しました。
また、この間には皇室より下賜された大正天皇葬場殿を現在地に移籍修築し、大正記念館と命名、集会場として一般に公開しています。

昭和20年(1945)3月、本園は全域にわたり戦禍を受けましたが、戦後は記念館の再建と併せて、奇跡的に消失を免がれた涼亭や池辺の庭石等をもとに逐次園景も修復され、今なお明治時代の代表的庭園として知られています。」

出口に近いところに、サンゴジュが紅い実をつけていました。
 

 

今日は、先を急ぎましたので、西の清澄公園の散策は省略し、清澄通りを両国の方へ進みました。

先ず、小名木川に架かる高橋を渡りました。
この橋は「たかばし」と濁るのですね。

 
そして、やや疲れましたので、遅めの昼食を採りました。
その様子は初めに書いた通りです。

多少いい気分になり、そこから、昔の六間堀跡や弥勒寺橋跡を通過して竪川の二ツ目橋(現在は二之橋)にさしかかりました。

この辺りは、小説「鬼平犯科帳」の舞台ど真ん中です。
懐かしい気分です。
 今の二之橋の写真です。

 昔の、二ツ目橋の様子です。

そこにあった、二之橋の掲示板を引用すると、
「万治二年(1659)、堅川が開削されると五つの橋が架けられ、隅田川に近いほうから一之橋から五之橋と名付けられました。その二ツ目の橋で、長さ十間(18m)、幅三間(5.4m)ほどありました。

池波正太郎の『鬼平犯科帳』では、二之橋は『二ツ目橋』という名で数多く登場します。・・・」

 

そしてその横に、軍鶏なべ屋『五鉄』があったそうです。

「小説「鬼平犯科帳」に登場する、鬼平の行きつけの店、本所二ツ目の軍鶏なべ屋『五鉄』の場所は、『二ツ目橋の角地で南側は竪川』とあるように、この辺だと推定されます。

鬼平とその配下の密偵たちは、ここに集まって、軍鶏なべをつついていました。・・・」

 

また、鬼平を読みたくなりました。全部で24巻です。

 

そして、最後の江戸東京博物館と両国国技館に到着しました。

  

暑く、湿度も高く、結構疲れました。

でも、東京近辺は見るところが多く、飽きませんね。
これからも、 あちこち歩きましょう!


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