地図を楽しむ

地図と共に歩く。里山歩きや、ウオーキングに、そして時には読書に・・・

平川門界隈を歩く

2016-10-25 | 散策

平川門界隈を歩く


如水会館で開かれた県立上下校同窓会東京支部会に参加する前に、

ちょっと早出して、一つ手前の九段下駅で下車し、田安門から平川門までを散歩しました。

歩いたルートは下の赤線です。

先ずは、桜の名所・田安門から。

    

この門は江戸城創建の頃(嘉永13年・1636)からのもので、国の重要文化財に指定されています。

 

入ってすぐの武道館では、民謡大会があるらしく、各グループからの三味線が鳴り響いていました。

それらを望見しながら、静かに緑濃い庭園を廻りました。

清々しいいい気分です。

 

いつも思うのですが、これらを自分で管理するとなたら、大変なものいりです。

只で、静かに、そして気ままに 廻れる自分が、贅沢で、有難いです。

 

そこから、国立公文書館の前を通り、竹橋駅から如水会館へ・・・


然し、ちょっと開館までには時間が早過ぎるので、

平川門を覘いてみることにしました。

ここは、初めての訪問です。

入口の説明板によると、

「平川門は、竹橋門より侵入した敵を撃退できるよう平川濠に伸びた細長い城郭(=帯曲輪<おびくるわ>)

を持つのが特徴です。

また城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたので、不浄門とも呼ばれました。」

とありました。

浅野匠守も、ここからひそかに退出したのでしょうか・・・

そして、そこから奥へさまよい行くと、意味ありげな坂道に出ました。

私も、もう一度歩いてみたい・・・が (若けりゃなァ~)

 

そして、頃合いを見て如水会館に向かいました。

今日も、年寄りの ”うだばなし” に耳をかたむけましょう。

 

しかし、配布された同窓会新聞の中には、

われらが母校「上下農学校」の創立者の銅像が掲載されていました。

岡田畔十郎翁の肖像です。

  

新聞によると、

「畔十郎翁は嘉永6(1853)年に、上下町で金穀貸付業を営なんでいた佐倉吉郎右衛門の次男として生まれた。

佐倉屋はもともと甲奴郡佐倉村(現・府中市上下町清岳)出身。」

 と、ありました。

大変な人物であったようです。今の上下町が嘆かわしい・・・(涙)

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿