鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺やの  デジカメ散歩  (大和路を行くパート3)

2012-07-01 15:45:52 | 日記
今回は大和郡山市へご案内しまひょ~

江戸時代には譜代大名が藩主を命じられる重要な城下町でおましたんや。

明治以降は金魚の養殖で全国に知られる町になったんと違いまっしゃろか。


(大和郡山市の マンホールの蓋)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


一時よりは減ったとの金魚でっけどこの町へ来るとやはり主役は金魚でんな。

町のあちこちに金魚をPRをする物が目に付きまんねんで。


(金魚すくい選手権大会の PR用幟)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


今年で18回目になるそうで毎年8月の第三日曜日が決勝戦なんだって。

参加は無料ですが小中学生が500人・一般が800人だそうな。

定員に達したら抽選らしいけど過去の入賞者は優先に参加できるようだね。

腕に覚えがある方はチャレンジしてみますか?

因みに昨年の優勝者は小中学生が73匹で一般は87匹だったそうな。

やはり予選で参加者を絞られる地元の奈良県が強いようでっせ。

わいも10匹ぐらいなら自信があるけど勝てまへんわ、やはり凄い腕前でんな。


(市内の道路には カラーパネル)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


ここ大和郡山市は豊臣秀吉の実弟に当たる豊臣秀長が大和・紀州・和泉の
100万石で本拠地としてお城を築いたのが発展の元のようですな。

残念ながら太閤秀吉より先に亡くなってしまったですわ。

この方が関ヶ原の戦いまで生存してはったら豊臣家も安泰だったかもしれまへん。

この方の直系部下が築城の名人で徳川方に移った藤堂高虎はんでっせ。

あの狸爺の徳川家康でも一目置いたという人物でんな。


(大和郡山城址の 石垣)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


明治維新の後に建物や門は全て取り壊されたので歴史的な建造物は
石垣とお堀ぐらいしか残ってまへんのや。


(松陰門の跡)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


大きい松の木が近くにおましたんでっしゃろな、吉田松陰とは関係おまへんので。

ここ郡山城址は桜の名所で満開の時期には大いに賑わうそうでっせ。

奈良県でも1~2を争う桜の名所になってまんので城内には桜の木が多いですわ。


(本丸石垣の さかさ地蔵の説明書き)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド



photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


画像では分かりにくいかもしれまへんけど逆さにお地蔵さんが埋められてまんな。

築城する際に石が足らないんで地蔵や墓石や五輪塔などを大量に
本丸の天主台の石垣に埋め込んで完成を急いだようだっせ。

その罰があたって豊臣秀長さんや本家たる豊臣家も早く滅亡したのかしら。


(大和郡山城址 本丸石垣)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


右下に白い立札が見える処にさかさ地蔵が埋まってまんねんで。

大きさから推定して天守閣はなかったとの説が有力でっけど。

この本丸石垣は崩壊の危険があるので現在は登るのが禁止されてまんな。


(柳澤神社) (祭神は柳沢吉保・吉里 親子)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


1724年(享保9年)に甲斐の国から15万石で入城したのが柳沢吉里侯で
以降6代続き明治維新を迎えていますな。

江戸時代の権力者はほとんどが没落しているのに柳沢吉保侯だけは石高も減らさず
逆に千石だけだけど増加させて子孫が明治維新を迎えたのも七不思議ですな。

この神社は旧藩士により明治時代になってから造られたそうですけど。


(柳沢文庫)  (郡山城址内にある 図書館)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


元は柳沢家の別邸が在ったそうですが昭和35年に柳沢家から市に寄贈され
柳沢家の文書や甲斐・大和などの郷土史が数万冊保存されているそうですわ。

一般に公開されているそうでっけど4時半で閉まってまいましたんや。


(郡山城址の 追手門 & 追手門向櫓)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


昭和になってから観光用に再建された建物でっさかいに歴史的な価値はおまへん。


(郡山城址 追手門前にて撮影)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


(創業400年 銘菓 菊屋本店)  (奈良県 大和郡山市)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


なんでも豊臣秀吉さんも弟を訪ねてここのお菓子を食べたそうな。

伝説でっしゃろが奈良県内では有名な和菓子屋さんでっけど。

ここの娘さんを嫁に貰っているのが私の飲み友達が勤める会社の社長さんですわ。

少しだけお土産に買って帰りましょ、内の奥さんは甘党でっさかいに。


(菊屋さんの店内に飾られている 古い茶釜かな?)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


(私が買った 三笠饅頭)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


関西では三笠饅頭って言いまんねんけど東日本ではドラ焼きって呼びまんねんな。

それじゃ駅の方へ歩いて戻ることにしまひょ。


(金魚の塔)  (三の丸公園)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


(こんな処にも 金魚のデザイン)


photo by kuroda0729 from OCNフォトフレンド


金魚の養殖はわいが若い頃には大和郡山市がダントツで第一位でしたんや。

最近は愛知県の弥富町が金魚の生産ナンバー1に躍り出たそうでっけど
品種の多さは今でも大和郡山市だそうでっせ。

金魚でも1匹が1万円以上する高価な物もおまんねんで。

今回は行けまへんでしたが養魚店などで見ながらその場で買えるんですわ。

ある資料館では金魚すくいを体験できるコーナーまで出来てるそうでっせ。

ほな~ 今日はこれでお仕舞いにさせてもらいま。

何時もおおきに~  さいなら~







コメント (28)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鉄ちゃん爺やの  デジカメ... | トップ | 鉄ちゃん爺やの  デジカメ... »
最新の画像もっと見る

28 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは。お疲れ様で~す。 (オババ)
2012-07-01 21:12:50
金魚すくいは、夏の風物詩でも有りますね。

近くのミニ商店街で毎年納涼祭にかかせません
せっかちですので、直ぐに破れて仕舞いアウトです
孫が、9年前にすくった金魚2匹!
 18センチ位に育っていますよっヽ(*^-^*)ノ

お地蔵さんのお顔が見えました(_ _)
墓石までも・・・
なんだか、とっても背筋が寒くなるような・・・事柄ですね。


コメントありがとうございます。

返信する
金魚すくい (ユウ婆)
2012-07-01 22:05:46
鉄ちゃん爺やサン こんばんは
こちらは一度も足を向けたことが有りません 苔むした石垣を観ると過去の栄華が偲ばれます
金魚すくいに挑戦してもせっかち婆は一匹を掴むのが精いっぱいですが 73匹とは凄いですね
ビニールで出来ている・まさかね
三笠饅頭は土産で戴きましたが こちらのどら焼きでした

文月もヨロシクお願いします
返信する
(*´∇`)ノ こんばんは~ (ホウキ)
2012-07-01 22:51:41
金魚養殖所の金魚釣りで釣った金魚、未だ実家で泳いでます

菊屋さんは有名ですね

大和郡山の町も綺麗に整備されましたし

新薬師寺・唐招提寺にも近いので、奈良観光に来た人にはこの辺りもお薦めですね
返信する
黒田さんこんにちは~ (isikazu62)
2012-07-02 10:54:47
黒田さんこんにちは~
金魚すくいは下手でしたね~直ぐ破れて
昔は針金に紙を張ったものでしたが、今では最中のもあるようですね~。

時に三笠饅頭ですが大阪の叔父の土産として食べた事があります。
返信する
最初の疑問 (hide-san)
2012-07-02 16:03:07
最初に疑問に思ったのは「大和郡山市」。
「ダイワグン ヤマシ」「ヤマトグン ヤマシ」何県にあるのだろう?
読んでいくうちに金魚が出てきて「ヤマトコオリヤマシ」に結びつきました。
次の疑問、大和郡山市が金魚養殖で全国一?
ボクの叔母が弥富に住んでいて、ここが金魚の全国一と聞いていましたので。
最後になってやはり全国一は弥富でよかったと、胸を撫で下ろしました。
歴史と地理に弱いボクのこと、露呈したようなもの。
返信する
コメント有り難うございました~♪ (オババさまへ)
2012-07-02 18:54:43
我が家でも広島の孫が2年前のお盆に金魚すくいで獲得した
出目金ちゃんが元気で泳いでいますよ。

金魚すくいの出目金ちゃんだから直ぐに死んでしまうと考えたんですが
珍しく長生きしていますね。

3日~4日に1回の餌やりが私の担当にされてしまいましたけど。
返信する
コメント有り難うございました~♪ (ユウ婆さまへ)
2012-07-02 19:00:11
金魚すくいは1匹もすくえなくても最後に1匹は頂けますよね。

普通は直ぐに死んでしまうんですが孫が獲得した出目金ちゃんが間もなく2年を経過します。

お蔭で大きな金魚鉢は買わされるし餌やりは私の担当にされて苦笑いしてるんですけど。

やはり東日本はドラ焼きと呼びますよね。

返信する
コメント有り難うございました~♪ (ホウキさんへ)
2012-07-02 19:05:31
大和郡山市は桜のシーズンを除くと観光客も少なくてお城跡の散策なども良いですよね。

私が現役で最後に仕事をしたのが奈良市と大和郡山市の境目で
扱った商品もシャープさんの液晶モニターでした。

引退して7年ですが液晶も韓国や台湾に負けて
当時とは様変わりの世界になりましたね。

最盛期を知っているOBとしては残念に思う昨今ですけど。
返信する
コメント有り難うございました~♪ (isikazu62さんへ)
2012-07-02 19:11:33
確かに最近の金魚すくいの網は紙が丈夫になってますね。

でも10匹ぐらいが限度だとは思いますけど。

テレビでやってましたけど郡山の大会では一度に3匹~4匹ぐらい最初はすくいますね。

そうでなければ70匹や80匹はとてもじやないけどすくえませんよね。

三笠饅頭という呼び方をご存じだったようですな。
返信する
コメント有り難うございました~♪ (hide-sanさんへ)
2012-07-02 19:18:56
江戸時代に柳沢吉里侯が甲斐の国から転封で大和へお国入りした時に
連れて来て飼育したのが始まりだそうです。

後に柳沢家の藩士の方が金魚の養殖をしたのが
今日の大和郡山の金魚産業となったようです。

ここ10年ぐらい前から愛知の弥富町が数量では日本一を続けているようですね。

大和郡山市はご存じの通り福島県郡山市より後に市制を引きましたので
大和を頭に付けて市の名前にしたようですね。
返信する

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事