JR宮島口駅から普通電車で約20分ぐらいで山口県に入りま。
確か広島県の大竹市の先で小瀬川を渡ったのが県境かしら?
川を挟んで三井化学の工場が両県にまたがっておますんや。
戦後に日本で最初の石油化学コンビナートが出来たのが、ここ
広島県大竹市と山口県の岩国市なんだって。
戦前の海軍や陸軍の敷地が多かったので戦後は民間に払い下げられ
帝人・日本製紙・東洋紡・三菱レイヨン・三井化学など。
現在も瀬戸内工業地帯として、有名企業が稼働してまっせ。
(JR山陽本線 岩国駅舎)

photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
今でこそ地方都市に良く在るJRの駅でっけど、SLの時代には
岩国駅には大きな機関庫があって貨物の取り扱いも多かったんでっせ。
広島方面からきたSLはここで水と石炭を補給し西へ向かったんですわ。
鉄ちゃん爺やが高校の修学旅行で、ここに夕方に到着して30分ぐらい
SLが停車中にホームで手足を伸ばして屈伸運動をしましたね。
そんな訳で現在もJR西日本の広島地区と山口地区の分岐点でおます。
当時の面影は無いけど留め置き用の線路が今も数多く残っていて
華やかな時代の名残が少しだけですが感じられますな。
鉄ちゃん爺やが乗ってきた普通電車もここで折り返しの終点ですわ。
(JR岩国駅前で ラッピングバス)

photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
宇野千代さんはここ岩国市がお生れの土地だったんだそうな。
代表作品の「おはん」でラッピングされて市バスが走ってまっせ。
この方は私が関東に単身赴任していた頃に98歳でしたかな
都内の虎ノ門病院でお亡くなりになったとか聞きましたな。
JR岩国駅前から路線バスで約15分~20分ぐらい走りますんや。
日本三大名橋として有名な錦帯橋=きんたいきょう、へ向かいまひょ。
(名勝 錦帯橋の石碑)

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この錦帯橋(きんたいきょう)は約200mの川幅がある一級河川の錦川を
アーチ橋3連を中央部に両端に反り橋を2連加えて造られてまんねんで。
この錦帯橋を造らせたのは岩国藩3代藩主 吉川広嘉(きっかわひろよし)で
江戸時代の1673年(延宝元年)に城下町と陣屋を結ぶ為だった言われてま。
この初代の橋は翌年に早くも錦川の洪水で流失し、翌年から再建された橋が
約200年経った昭和の時代まで残り、日本三大名橋と呼ばれるように成り
岩国市と言えば錦帯橋(きんたいきょう)と呼ばれるようになったとか。
この2代目の錦帯橋が1950年(昭和25年)のキジア台風で流失。
1953年(昭和28年)に3代目の錦帯橋が再建されたと言われてま。
2004年(平成16年)に架け替え工事が50年ぶりに行われて
現在の錦帯橋は創建から数えて4代目ということに成るんだって。
(錦帯橋の入場券 往復で300円)

photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
錦帯橋の保護と修復に観光客から入場料として往復で300円を徴収する
そんな訳で、通行料とは呼ばないとか言われてますんや。
なんでも対岸に住む住民は無料で渡れるとか聞きましたんや
これは確認した訳じゃないので定かじゃおまへんけどな。
江戸時代に庶民はこの錦帯橋を渡る許しは貰えなかったとの説。
だから渡れたのは岩国藩の武士や本家の毛利藩士だけだったようでっせ。
(錦帯橋の上から撮影)

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(一級河川 錦川の流れ)

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錦帯橋の上から眺めてる内に3匹ぐらい鮎が釣れてましたで。
やはり上流に大きな町がないので水は奇麗な清流なので羨ましい。
橋の上から対岸の山の方を撮影して見まひょ。
(岩国城 天守閣) (1963年・昭和37年再建)

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岩国藩は江戸時代には参勤交代をする大名として幕府は認めていたのに
本家の毛利藩が大名として認めず陪臣としての待遇しか与えなかったとか。
だから正式には岩国藩じゃなく岩国領として考えられていたそうでっせ。
初代藩主の吉川広家は毛利藩を率いて関ヶ原へ出陣したんだけど毛利藩家老
福原広俊と計り東軍の徳川家康に内応して兵を動かさなかったんだそうな。
処が戦後になって毛利輝元が西軍の総帥として動いたとの証拠を掴み
吉川広家と取り決めた毛利家の領土の安堵約束を破棄したんだって。
吉川広家は自分に与えられた30万石を放棄し本家の毛利家に譲るように
徳川家康の了承を得て毛利藩本家を守り通したとされています。
でも100万石の毛利家が30万石に減封されたのは吉川広家だとの思いが
毛利本家には有って江戸時代を通じて本家とは疎遠な付き合いが続いたとか。
元和の一国一城令により岩国城は破却されたけど、周防の国には岩国城しか
存在しないのに毛利家に遠慮しての処置は吉川広家の考えだったようですわ。
だから3万石から寛永時代に6万石になったけど損な役割をしたようでんな。
(佐々木小次郎の像)

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広島の孫がまだ小学校の2~3年生の頃にこの小次郎の像の前で
鉄ちゃん爺やと写真を写したのも早いもんで7年前になりますんや。
その時に初めて佐々木小次郎が岩国生まれなんだと知りましたけど。
(吉川経家の 弔魂碑)

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明治になってから建てられた碑だけど、吉川経家(きっかわつねいえ)
この方は戦国時代末に毛利家の先方として鳥取城に入っていた武将で
豊臣秀吉の鳥取城包囲作戦に破れて、家臣と庶民の命を助ける条件で
切腹した方で、岩国藩の吉川家の分家にあたる方ですな。
この方も、毛利本家の為に損な役目を勤めて亡くなったようですわ。
元々が毛利本家を支える為に吉川元春が養子に入った家系だから
その三男の吉川広家も分家の吉川経家も宿命と考えていたんでしょうな。
(岩国名物 日本一100種類ソフトクリーム)

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「むさし」と「小次郎商店」が隣同士で同じソフトクリームの販売。
モメ事がないのは両家が親戚同士だとの説が有るようでっせ。
確かに100種類のソフトクリームなんて、ここでしか見れまへんけど。
もう一度だけ錦帯橋を河川敷に降りて下から眺めて見まひょ。
(槍倒し松) (やりこかしまつ と読む)

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(巌流 ゆかりの柳)

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両方ともに説明書きを貼り付けて置きますんで読んで貰いまひょ。
これらは錦帯橋の側に在りましたんで写しましたんや。
(錦帯橋 錦川の河原から撮影)

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木材は全て国産の木を全国から集めて巻き金とカスガイのみを使ってあるとか。
松やクヌギやヒバなど五種類の木が使われていると書かれてましたで。

photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(錦川 鵜飼の船)

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錦帯橋の「う飼い」も岐阜県の長良川の鵜飼いと並んで有名なんですよ。
やはり、どちらも清流で鮎も多く生息しているようですわ。

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それじゃ、そろそろ広島の娘の家へ戻ることにしまひょ。
錦帯橋バス停もなかなか、洒落た建物でしたで。
(錦帯橋バス停)

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帰りのJR岩国駅行きのバスは国道2号線で渋滞に遭遇しましたわ。
岩国市には岩国錦帯橋空港が官民共同で出来たそうでんな。
(国道2号線の渋滞を 路線バスから撮影)

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岩国市は山口県と言っても県庁所在地の山口市までは約100km。
逆に広島市までは約40kmでJR岩国駅から普通電車で約1時間。
そんな訳で、住民は山口市よりは広島市の方に親密さを感じるんだって。
テレビやラジオも広島の放送を観たり聞いたりする方が多いとか。
これは江戸時代に長州藩から冷遇された岩国藩じだいからの
反骨精神が少しは影響をしているのかもしれませんな。
(岩国市の マンホールの蓋)

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岩国市の錦帯橋の附近には天然記念物の「シロ蛇」や吉川家の家老屋敷などが
公開されてますが、今回は時間が足らないので省略しました。
岩国城からの眺めも良いように聞きましたが今回はパスしました。
次回は広島県でも東の方で備後の国になる尾道市を紹介しまひょ。
ほな、今日はこれで失礼しまっさ さいなら~♪
確か広島県の大竹市の先で小瀬川を渡ったのが県境かしら?
川を挟んで三井化学の工場が両県にまたがっておますんや。
戦後に日本で最初の石油化学コンビナートが出来たのが、ここ
広島県大竹市と山口県の岩国市なんだって。
戦前の海軍や陸軍の敷地が多かったので戦後は民間に払い下げられ
帝人・日本製紙・東洋紡・三菱レイヨン・三井化学など。
現在も瀬戸内工業地帯として、有名企業が稼働してまっせ。
(JR山陽本線 岩国駅舎)

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今でこそ地方都市に良く在るJRの駅でっけど、SLの時代には
岩国駅には大きな機関庫があって貨物の取り扱いも多かったんでっせ。
広島方面からきたSLはここで水と石炭を補給し西へ向かったんですわ。
鉄ちゃん爺やが高校の修学旅行で、ここに夕方に到着して30分ぐらい
SLが停車中にホームで手足を伸ばして屈伸運動をしましたね。
そんな訳で現在もJR西日本の広島地区と山口地区の分岐点でおます。
当時の面影は無いけど留め置き用の線路が今も数多く残っていて
華やかな時代の名残が少しだけですが感じられますな。
鉄ちゃん爺やが乗ってきた普通電車もここで折り返しの終点ですわ。
(JR岩国駅前で ラッピングバス)

photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
宇野千代さんはここ岩国市がお生れの土地だったんだそうな。
代表作品の「おはん」でラッピングされて市バスが走ってまっせ。
この方は私が関東に単身赴任していた頃に98歳でしたかな
都内の虎ノ門病院でお亡くなりになったとか聞きましたな。
JR岩国駅前から路線バスで約15分~20分ぐらい走りますんや。
日本三大名橋として有名な錦帯橋=きんたいきょう、へ向かいまひょ。
(名勝 錦帯橋の石碑)

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この錦帯橋(きんたいきょう)は約200mの川幅がある一級河川の錦川を
アーチ橋3連を中央部に両端に反り橋を2連加えて造られてまんねんで。
この錦帯橋を造らせたのは岩国藩3代藩主 吉川広嘉(きっかわひろよし)で
江戸時代の1673年(延宝元年)に城下町と陣屋を結ぶ為だった言われてま。
この初代の橋は翌年に早くも錦川の洪水で流失し、翌年から再建された橋が
約200年経った昭和の時代まで残り、日本三大名橋と呼ばれるように成り
岩国市と言えば錦帯橋(きんたいきょう)と呼ばれるようになったとか。
この2代目の錦帯橋が1950年(昭和25年)のキジア台風で流失。
1953年(昭和28年)に3代目の錦帯橋が再建されたと言われてま。
2004年(平成16年)に架け替え工事が50年ぶりに行われて
現在の錦帯橋は創建から数えて4代目ということに成るんだって。
(錦帯橋の入場券 往復で300円)

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錦帯橋の保護と修復に観光客から入場料として往復で300円を徴収する
そんな訳で、通行料とは呼ばないとか言われてますんや。
なんでも対岸に住む住民は無料で渡れるとか聞きましたんや
これは確認した訳じゃないので定かじゃおまへんけどな。
江戸時代に庶民はこの錦帯橋を渡る許しは貰えなかったとの説。
だから渡れたのは岩国藩の武士や本家の毛利藩士だけだったようでっせ。
(錦帯橋の上から撮影)

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(一級河川 錦川の流れ)

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錦帯橋の上から眺めてる内に3匹ぐらい鮎が釣れてましたで。
やはり上流に大きな町がないので水は奇麗な清流なので羨ましい。
橋の上から対岸の山の方を撮影して見まひょ。
(岩国城 天守閣) (1963年・昭和37年再建)

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岩国藩は江戸時代には参勤交代をする大名として幕府は認めていたのに
本家の毛利藩が大名として認めず陪臣としての待遇しか与えなかったとか。
だから正式には岩国藩じゃなく岩国領として考えられていたそうでっせ。
初代藩主の吉川広家は毛利藩を率いて関ヶ原へ出陣したんだけど毛利藩家老
福原広俊と計り東軍の徳川家康に内応して兵を動かさなかったんだそうな。
処が戦後になって毛利輝元が西軍の総帥として動いたとの証拠を掴み
吉川広家と取り決めた毛利家の領土の安堵約束を破棄したんだって。
吉川広家は自分に与えられた30万石を放棄し本家の毛利家に譲るように
徳川家康の了承を得て毛利藩本家を守り通したとされています。
でも100万石の毛利家が30万石に減封されたのは吉川広家だとの思いが
毛利本家には有って江戸時代を通じて本家とは疎遠な付き合いが続いたとか。
元和の一国一城令により岩国城は破却されたけど、周防の国には岩国城しか
存在しないのに毛利家に遠慮しての処置は吉川広家の考えだったようですわ。
だから3万石から寛永時代に6万石になったけど損な役割をしたようでんな。
(佐々木小次郎の像)

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広島の孫がまだ小学校の2~3年生の頃にこの小次郎の像の前で
鉄ちゃん爺やと写真を写したのも早いもんで7年前になりますんや。
その時に初めて佐々木小次郎が岩国生まれなんだと知りましたけど。
(吉川経家の 弔魂碑)

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明治になってから建てられた碑だけど、吉川経家(きっかわつねいえ)
この方は戦国時代末に毛利家の先方として鳥取城に入っていた武将で
豊臣秀吉の鳥取城包囲作戦に破れて、家臣と庶民の命を助ける条件で
切腹した方で、岩国藩の吉川家の分家にあたる方ですな。
この方も、毛利本家の為に損な役目を勤めて亡くなったようですわ。
元々が毛利本家を支える為に吉川元春が養子に入った家系だから
その三男の吉川広家も分家の吉川経家も宿命と考えていたんでしょうな。
(岩国名物 日本一100種類ソフトクリーム)

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「むさし」と「小次郎商店」が隣同士で同じソフトクリームの販売。
モメ事がないのは両家が親戚同士だとの説が有るようでっせ。
確かに100種類のソフトクリームなんて、ここでしか見れまへんけど。
もう一度だけ錦帯橋を河川敷に降りて下から眺めて見まひょ。
(槍倒し松) (やりこかしまつ と読む)

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(巌流 ゆかりの柳)

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両方ともに説明書きを貼り付けて置きますんで読んで貰いまひょ。
これらは錦帯橋の側に在りましたんで写しましたんや。
(錦帯橋 錦川の河原から撮影)

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木材は全て国産の木を全国から集めて巻き金とカスガイのみを使ってあるとか。
松やクヌギやヒバなど五種類の木が使われていると書かれてましたで。

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(錦川 鵜飼の船)

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錦帯橋の「う飼い」も岐阜県の長良川の鵜飼いと並んで有名なんですよ。
やはり、どちらも清流で鮎も多く生息しているようですわ。

photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
それじゃ、そろそろ広島の娘の家へ戻ることにしまひょ。
錦帯橋バス停もなかなか、洒落た建物でしたで。
(錦帯橋バス停)

photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
帰りのJR岩国駅行きのバスは国道2号線で渋滞に遭遇しましたわ。
岩国市には岩国錦帯橋空港が官民共同で出来たそうでんな。
(国道2号線の渋滞を 路線バスから撮影)

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岩国市は山口県と言っても県庁所在地の山口市までは約100km。
逆に広島市までは約40kmでJR岩国駅から普通電車で約1時間。
そんな訳で、住民は山口市よりは広島市の方に親密さを感じるんだって。
テレビやラジオも広島の放送を観たり聞いたりする方が多いとか。
これは江戸時代に長州藩から冷遇された岩国藩じだいからの
反骨精神が少しは影響をしているのかもしれませんな。
(岩国市の マンホールの蓋)

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岩国市の錦帯橋の附近には天然記念物の「シロ蛇」や吉川家の家老屋敷などが
公開されてますが、今回は時間が足らないので省略しました。
岩国城からの眺めも良いように聞きましたが今回はパスしました。
次回は広島県でも東の方で備後の国になる尾道市を紹介しまひょ。
ほな、今日はこれで失礼しまっさ さいなら~♪
岩国もテレビに登場してましたね。
錦帯橋が流失しなくて良かったですな。
大阪は雨も風も予想よりは軽く済みましたのでヤレヤレという感じでしたよ。
我が町の石川の支流が増水しているのか警戒地区の解除がまだのようです
でも我が家は標高20mぐらいの高台ですから
水害の被害は考えられませんのでご安心のほど。
雨は二日間で200mmぐらいだったかな?
集中豪雨というほどではなかったのでやれやれという処でしたね。
九州も被大きな被害はでていないようで本当に良かったです。
バアも二度ばかり錦帯橋を渡り
ツアーでは行き当りの観光でしたが 貴方の案内で岩国全体を知ることが 出来ました
今の処 当地は穏やかな日和となっています
同級生と小倉駅で待ち合わせして 行きました。
室内で同窓会最中雨降っていたようです。二次会に行くときは雨降ってませんでした。今日は雨も上がってますが昼から吹き返しがあるようで、雨がふると言うと事です。 四国上陸してますね、大阪もまだまだ台風にご注意下さい。いつもご訪問有難う御座います。
風よりも大雨が心配ですね、大阪も昨日の夕方から今日の昼頃まで本降りでしたよ。
現在は小雨で嵐の前の静けさと言った感じ。
現在は小雨でこれは嵐の前の静けさなのかな?
四国から岡山方面へ抜けそうな気配ですね。
風はさほどじゃなさそうだけど大雨が心配ですね。
錦帯橋行ったことないですぅ
黒田さんの説明の旨さに学習
出来ます。きっとお孫さんにも
この様に接していらしたんだと
思います~~ややこしい話も
簡単に受け入れられます。
だから訪問客も多い人気のブログ
なんですね
有難うです
お盆にお孫さんが見えるとか
楽しい日々をお過ごし下さいね
コメントいつも有難うございます。
台風が気になります
夜入ってます。お酒飲めませんが、常連客との会話など楽しんでます。お昼は男性客居ないので
入ってないですね。自分の行きつけのお店です。
歌い方も最近教えて頂いてます。
明後日台風11号九州北部接近です。少し太平洋沖のようです。鹿児島から宮崎県沖通過後又四国上陸ですね。本当は太平洋側の海を移動してほしいと願ってます。 鉄ちゃんの爺やさんも気をつけて下さいね。いつも、有難う御座います。 又コメント来ます。お身体にご自愛下さい。
確かに橋の下から眺めたら巻き金とカスガイで
組み立ててあるのが分かりますな。
日本の木造建築でお手本のような錦帯橋でした。
ツアーなどでも厳島神社と錦帯橋を同一のコースにしている物がありますね。
あのソフトクリームの店が親戚同士で武蔵は岡山の作州生まれで小次郎は岩国の生まれ
彼らは親戚ではありませんので念の為。
巌流島は山口県の西側にある下関の沖、関門海峡にありますから
距離で120kmチョイは離れていますよ。
台風11号がどこへ来るか心配です、十分にご用心してくださいね。
家内はカラオケ仲間と毎週ぐらい出掛けてますよ。
私はお酒を飲まないと歌えないので行きませんけど。
台風11号が九州の方へ向かっているようですので十分にご注意してくださいね。
ゆっくり拝見できて有難うございました。
宮島と岩国それほど遠くはないのですね。
武蔵と小次郎宿敵の先祖も親戚とは・・・
決闘の地巌流島は錦帯橋の近くなんでしょうか?
こんなに暑いと、100種は無理ですが幾つかは食べてみたいで~す
週末頃台風接近とか、充分お気を付けください。
自分も今はデジカメで写真写すのが好きですね。
カラオケは自分は家から自転車で10分のところに行ってます、お酒飲めませんがコーヒとおつまみお菓子など出て夜はちょっとした食事と1500円昼は1000円で食事も出ますコーヒーもお変わりでます。お店の常連さんたちと話したりして歌ってます。毎週一回夜7時から10時30分くらいまで、昼は12時から17時までギャンブルより 良いです。歌は下手ですけどね。今晩から明日にかけて又雨です
台風の11号のコース気になります9日中学校の時の同窓会です
デジカメの方がお金も要らないしカラオケも高級なスナックでない限り
年金者にはお遊びには最適でしょうね。
内の奥さんも昼間にカラオケ喫茶で1000円で
夕方まで歌っているようですけど。
私の場合は居酒屋が私の負担でスナックのカラオケはOB持ちなので
彼がいくら払っているのかは不明ですね。
ライトアップされる時期もあるようですけど。
錦帯橋は二度目の訪問でしたが何度見てもあの橋は優雅で素敵ですよね。
6万石の岩国藩なのに錦帯橋を造れるとは
本家の萩の毛利藩より財政が裕福だったのかしら?
路線バスは同じルートだったと思いますが詳しくは確認できませんでした。
私も若い頃に三菱レイヨンのボンネルと呼ぶアクリルの繊維を取り扱ったことがありましたよ。
大竹に工場が在るのは知ってましたが商社経由のお仕事だったので
出張したことは有りませんでしたけど。
取りましたが競馬やパチンコは、勝てば、すぐに
ほしいものに変わり残りません、年間通して
負けなしでしたが、友人が負け越しでした。三レースのみにさてたら勝ち越しでした。
僕も最後に競馬したのは 有馬記念で昨年当てて
それで辞めました。今は予想をして楽しんでます。本当に今はギャンブルより自転車で走っているほうが楽しいしデジカメで写真写して回ることとカラオケが趣味に変わりました。
今のギャンブル、勝てない仕組みになってます
。たまに競馬するとしたら 有馬記念と天皇賞のみです。パチンコは見に入りますが、スルーですね。ギャンブルはしないほうがよかですたい。いつも、ご訪問有難う御座います
考えたら「きんたいばし」では重箱読みで可笑しいですね。
この橋は市の管理になっているらしく、
PM5時過ぎになると、料金売り場がしまって、
無料になってしまいます。
ボクはたまたま、その時刻に居合わせて知りました。
あの後、鵜飼いの事故があったのかな?
これで鵜飼いが再生できなくなるのではと危惧しているくちこです。
帰りのバス、遠回りをされたのでは?
今年は錦川水の祭典も延期になったそうです。
川の記憶がないのは、じっくり見ていなかったようです。
若い時は対象のみ、歳とってからは周辺も含めた全体から捉える
加齢によって身についた知恵、有難いことです。
いつも共感して拝見しています。
年間を通してはやはり大きく負けでしたね。
おっしゃるようにレースを3つぐらい以下に絞った方が良いように感じますが
もう今は買うような気持はありませんけど。
最後に買った馬券は昨年の秋の天皇賞で2千円ほど勝ちましたが
引き換えに行って全部負けて仕舞いました。
まあ~ 遊び程度で昔のように熱くなることはありませんね。
パチンコも単身赴任中に一時は大きく勝って自慢話をした時代がありましたが
大阪へ戻ってからはやらなくなりました。
関東は換金率が良いのでやりましたが大阪は換金率が最低でこれでは勝てませんね。
大阪では安藤忠雄さんの方が有名ですが年齢は澄川喜一さんが10歳ほど先輩でしたかな。
確かに日本刀の反りと木造建築の起り(むくり)は澄川喜一さんの
専売特許のような考え方ですね。
東京スカイツリーには普通の建築に使われるH鋼を使わずに鋼管が使われました。
だから溶接の技術で職人的な技能が要求されたと言われています。
私の関東での飲み友達が東京スカイツリーの工事の
自慢話をしていましたその頃の請売りですけどね。
はい手向山と書いて(たむけやま)読みます
奈良公園も同じ名前ですね。競馬では皿倉山特別はありますが手向山はないですね、作ればよいけどね。自分も小倉競馬30代までやってました。本格的に予想屋に成る夢でしが、だめでした
競馬は重賞レースのみですね、競馬ブックや日刊紙など買って予想は1Rから12Rまで三点勝負で予測し、自分は買うのは9Rから11Rまで
と決め手勝ってました、五分五分でしたね
友達は全レース買っていたので注意をして
同じ様に3レースのみ 負けは少なかったです。 最近は予想のみが多いいです。有馬記念と天皇賞は時々買います三点で 自分も今は
パチンコもやってませんね、手動式の時のみです。電動式になって辞めました。今は、パソコン意将棋を入れて楽しんでますマージャンもね。 今は自転車と写真を写すのが趣味ですね。俳句も作ります。 旅先でね。お盆休みで
お孫さんと娘さんご夫妻帰ってきますか。
姉は急がしそうで、今年はお盆は帰ってこないでしょうね、帰ってくるときは必ず電話かメールがきますが、未だになし忙しいときは仕方ないですね。 お寺さんはお盆過ぎていく予定です。家から自転車で15分の所三萩野にあります。お盆はのんびりします。9日は同窓会です。 体調管理十分気をつけて下さいね。
お借りします。私の 住む
島根県って 余り 知られていませんが!
島根県の石見の国に 鹿足郡 吉賀町が有ります。
東京スカイツリーを 監修された、建築家、
澄川喜一さんの 出身地です。彼が
岩国工業高校の頃、錦帯橋の近くに
下宿していました。毎日、眺める アーチの
橋の 反りとむくりが 東京スカイツリーの デザインの
原点になったとか。他に 故郷の 吉賀町の木
高野槇や 奈良の 法隆寺の 五重の搭も
スカイツリーのデザインの 参考になったとか!
故郷自慢ですが、島根が 少しでも メジャーな
県になれば 嬉しいです。
鉄ちゃん爺やさんが 錦帯橋を 載せて下さったので、
有り難く でしゃばらせて 頂きました。
鉄ちゃん爺やさん、 失礼を お許しくださいねー。
奈良公園にある手向山神社は(たむけやま)と言いましたかな。
小倉競馬のレース名に皿倉山特別は有ったけど手向山特別も有ったかな?
50歳代までは競馬もやりましたが小倉競馬は相性が悪くてほとんど負けてましたね。
現在は年金生活者だから競馬もパチンコも引退しておとなしいもんですけど。
OB同士で月に1回ぐらいの飲み会と気が向けば二次会でカラオケぐらいですかな。
11日の週から息子夫婦と孫二人が大阪へやって来る予定でなので
今週は何処にも出掛けない予定です。
今度お通と武蔵が一緒に住んでいたと言う
名前 思い出しました手向山 と言う門司と小倉の境のトンネル付近にあります、そこに天気になったら写真を写しに行きます。手向山と書いて(たぬけやま)と言います。公園になってます
家から自転車で1時間のところです。佐々木小次郎と戦って、小次郎の魂を武蔵がこの地生涯すごしたとなっています。又お通も武蔵をおってきたとあります宮本家と言う墓もありました。 近所の人に聞いたら 武蔵の墓もあるとかいってました。 この戦いは仕組まれた戦いだとも何かの本で読んだことあります。
まだまだ、暑いですお身体にご自愛下さいね。
9日は中学校の時の同窓会です。
私は今でも新小郡のほうが分かりやすいような気分ですけど。
県庁所在地の山口市にはあまり観光客は立ち寄らないようで
秋芳洞とか萩や津和野へ向かう人が多いようですね。
私も46の都道府県を訪れてますが県庁所在地では山口市と佐賀市だけが
訪れる機会が無かったです。
日光の神橋なのか徳島のかずら橋だとの二説があり行きそびれてますね。
日光の神橋は昭和の時代に通っているんだろうけど記憶にありませんな。
それにしても日本人は色んな三大○○とか名前を付けるのが好きな国民ですね。
最近は横文字やカタカナで人間なのか怪獣なのか分からないのが人気のようですけど。
チャンバラも良くやりましたが最近の子供は、やっているのを見掛けませんね。
一度だけ冬場に行きましたが岡山県と言っても雪が降るような山里でした。
巌流島の決闘は私達が幼い頃は良く映画などで上映されましたが
最近はあまり流行らないのか見ませんね。
岩国城はロープウエーの切符を錦帯橋の入場券売り場で声を掛けられましたが
夕方が近いので今回はパスしたんですよ。
機会があればもう一度訪れて錦川鉄道で渓流を眺めたりしたいので
岩国城にも立ち寄れるかもしれませんね。
京都弁はやらこいから女性が使えばより優しく感じまっしゃろな。
現在の大阪弁は泉州や河内の荒い口調が混ざって
昔のような船場言葉が聞けなくなりましたね。
テレビで吉本の芸人さんの影響かも知れまへんけど。
8月も宜しゅうお願いしまっせ~♪
山口県と言えば、いったことがあるのが、当時、新小郡でバスに乗り換えて行った津和野だけです。
修学旅行でした。
錦帯橋はおさえておきたいところですね。
錦帯橋も何もテレビで見るくらいです
いつも案内ありがとうございます。
「佐々木小次郎-ツバメ返し」
「弁慶と牛若丸」などとともにいつまでも忘れることのないことです。
柳の枝を手元残して、皮をむき、竹刀にしてのちゃんばら遊び
うなるシナイ~それでも無傷で過ごした~夏休みのときでしたね。
岩国の錦帯橋も~
姉さんの子供が小さいときに時々行ってましたね
やまめ釣りもしてますね、岩国城はいかれましたか。小高いところにあります。 川は大きいです
桜の時期は桜も綺麗ですよ巌流島 佐々木小次郎
のゆかりの地ですね。 宮本武蔵は門司と小倉の
境目のところにお通と暮らしいたと言う場所があり、お墓もあります。高台に佐々木小次郎の墓ですかね 高く名前がありますね。 天気のときに
行って見ます。防空壕のあともあります。
公園になってます。 巌流島は門司レトロや下関
から船が出てますね。一度行ってみたいと思います。 宮本武蔵と佐々木小次郎は本でも読んでますし、ドラマも見てますNHKドラマです。
この錦帯橋から姉の大竹まで近いです。 ほんまに懐かしい風景です。
鉄ちゃん爺やさんの 案内は
いいですねぇ~。
語りが 柔らかくて 。祖父が
山科の人でしたが 子供の頃に
聞いた 京訛りも 懐かしいです。
鉄ちゃん爺やさんの ブログなら
ややこしい 歴史も スルリと
頭に 入ります。そう、そう、
錦帯橋の 橋の下 駐車場で 土産品や
だんご-○○○―を 売っている 婆ちゃん
ワシは 青森から 嫁に来たんじゃ!
たまたま、青森信金の お客様でしたが
婆ちゃんと 話が弾んで ワシは 錦川に
流されて来たんじゃ!(^ω^) 多分、名物
婆ちゃんじゃろ。