Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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カメラマンは写真で伝えるべき?

2007-05-19 11:36:29 | 報道写真考・たわ言
石原都知事再選について書いたブログに寄せられたコメントのなかで、「カメラマンは写真で伝えるべき」だから「写真を撮ってもいないのに意見するな」という論法の意見があった。

面白い考え方をする人もいるものだなあと思うが、このことについて少しばかり考えてみた。

カメラマンは写真で伝えるべきという意見には賛成だし、これは考えてみればごく当然のことでもある。以前にも書いたことがあるけれど、僕は本来フォト・ジャーナリズムというのは、「写真の力のみ」によって、扱う問題のメッセージを伝えることができることが理想だと考えている。

しかし、現実的に写真だけでは伝えることができないことは結構あるし、僕らフォト・ジャーナリストたちにとっては、その「写真で伝わらないもの」を補うために文章の助けが必要になってくるわけだ。(これは記者の側からみれば逆、すなわち写真が文章を補うもの、になるんだろうけど。。。)

仮に僕が石原都知事を撮ったとしよう。果たしてその写真からどれだけのことがわかるだろうか。彼の身なりや外観はわかるとしても、彼が何を発言したか、どんな政治をおこなっているか、など本質的なことは、残念ながら写真をみただけでは全くわからない。

よく「本人の性格や内面を写しだすような素晴らしいポートレート」などという称賛を聞くことがあるが、そういう写真だって伝えられることには限界があるし、所詮は見る人の想像力に頼るところが大きいのだ。

ブッシュ大統領に対しても同じことで、チェイニーと組んでイラクを目茶目茶にし、さらには世界和平を極端に不安定化させたこの2人に対して、僕は反吐がでそうなほどの嫌悪感を覚える。イラクという現場を幾度も経験した人間として、僕はブッシュ政権を批判するし、それはジャーナリストとしての当然の意見発信だとも考えている。しかし、僕はブッシュやチェイニーを一度も写真に撮ったことなどはない。彼らの写真を撮る機会があったとしても、僕のスタンスは変わることはないし、そんなことは僕が意見する上で全く関係のないことだ。

石原都知事やブッシュ大統領を僕が撮ったことがあろうがなかろうが、また東京に住んでいようがいまいが、それは批判する者の資格とは関係のないことだろう。もともと僕はカメラマンとして石原都知事を批判しているのではなく、一人の日本人として、そして一人の人間として意見しているに過ぎないのだから。

筆不精の僕がわざわざ苦労して記事を書いたり、こうしてブログを記したりするのも、写真だけではメッセージを伝えきることができないという理由もある。ただ写真だけページにアップして僕の言いたいことがすべて表現できるなら、どんなに楽かとも思ってしまう。

写真の整理と次の取材準備の間に走り書きしているので、なんだか支離滅裂な文章になってしまいました。。。失礼。