Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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子供達との再会

2006-12-01 15:32:48 | リベリア
飛行機の遅れもなく、水曜日の夜にリベリアの首都モンロビアに到着した。

2003年の内戦以来の友人アメッドに空港まで迎えに来てもらい、ダウンタウンまでの1時間ほどの道のりを車で走る。市の中心に近づくにつれて、昨年にはなかった街灯がところどころで道路を照らし、少しづつ国の変化があらわれているようだった。内戦の始まった1990年あたりから、この国には公共の電気がとおっておらず、発電機を持つホテルや個人のものに限られていたのだ。

昨日ムス、モモ、そしてファヤを訪れた。

モモやファヤはおろか、ムスにも僕が来ることは知らせていなかったので、彼女の家に近づくと母親のファトゥや父親のアルバートまで、一家総出で飛びついてきた。

ムスは2ヶ月ほど前に、遊んでいて脛の骨を折ってしまったようで、現在ギブス生活。わんぱくな彼女なので驚きはしなかったが、しばらく伝統的なウィッチ・ドクター(呪い師)にかかっていて病院に連れて行ったのが遅れたので治癒が遅れたようだ。アフリカ社会では、いまでもウィッチドクターを信じている人たちは少なくない。思うように歩けないので学校にはいっていないが、家庭教師がきて勉強はとりあえずやっているのでとりあえずは安心した。

わざわざシカゴまで招待されてつくってもらった義手のことは。。。。残念ながらもうつけていないようだ。シカゴにいたときから僕もなんとなく感じていたのだが、どうにもムスは義手を好きになれなかった、というかリベリアに戻ってからはそれをつけることを拒絶した、とファトゥが話してくれた。片腕での生活が2年以上も続き、ほとんど必要なことはできるようになっていた彼女にとって、重いうえに見た目も悪い義手をつけることの必要性が見出せなかったのかも知れない。多くの人々の好意で作られた義手だったけれど、もうこればかりはどうしようもない。しかし、少なくともアメリカを訪れたこと経験は彼女とファトゥにとっての財産になるはずだろう。

ファヤも9月から学校に行きだした。(これは日本の皆さんから寄せられた募金の一部を送って学費にあてたものです。どうもありがとうございました)いざ学校に行きだすと勉強が面白くなってきたようで、仕立て屋の仕事のほうはなんだかおろそかになってしまったようだが、授業には毎日きちんとでているようだ。

気がかりなのはモモだった。ファヤと一緒に学校に入学したのはいいが、すぐに授業にはでなくなった。結局現在も1年半前とほとんど変わらない生活で、日雇いの肉体労働をしながらなんとか生き延びている。相変わらず眼もうつろで視点も定まらない。少年兵として受けた彼の心のダメージは深く、そう簡単には癒えることがないということを思い知らされた。

今日はまず午前中にモモに会ってから、ギフトのいるフォスター・ホームを訪れる予定だ。