鳥達の声が聴こえる、初夏の晩。
夜9時。空は高く、透き通るような蒼空。
なんと多くの鳥達が、互いに声を交しあっているのだろう。
今日も一日が過ぎて行く。
僕も朝から日本とドイツの間で、言葉の仕事をして、人生の意味
よりは、経営者の勝手な人生哲学やまやかしの自己実現や、企業
の成長イデオロギーの絶対化などがないまぜになった、よくある
日本の会社理念のドイツ語への翻訳見積を作成する。
その間に、個人の遺産相続に関わる文書の認証翻訳や何千億円の
企業買収に関わる通訳の問い合わせを一つ一つ処理していく。
僕の心は此処にはない。そこにあるのは、何十年の仕事の経験と
数字の計算だけだろう。
夕方からようやく料理に取りかかり、畑に野菜を取りに行ったり、
洗ったり、刻んだり、いつも一緒に料理をする人が話す、中国の
義理の両親との苦労話や、日本の美味しい魚や豆腐の話をしたり、
ドイツで出来る和食や、お金を貰って、人生で一度か二度しか顔を
合わせない人達に料理コースをするより、小さい娘さんや大好きな
小さなアキちゃんに、美味しい昆布の出汁でご飯を作って、素敵な
笑顔を見ている方が本当に楽しいね〜、などと
色々な話をする。
沖縄の民謡をかけながら、一人でワインを飲みながら庭で大きな
蒼空を見上げる。
僕も少し歳をとった。人生の4分の3、あるいはもうそれ以上が終わ
ったのかもしれない。
人生の何が大切なのか、嬉しいことなのか、生きていること、生き
ていくことの愉しさが何なのか、ほんの少し分かるようになってき
たのだろうか?
夜、床に入っても、夜中に目が覚めても、
自分の人生が、この頃は、そんなには重たくなくなってきたように思う。
そして、この数日、まさに居ても立っていられなかった突然のギックリ腰。
今日の晩はようやく痛みが和らいできた。
生きていくことの有り難さが、少しずつ、すこしでも大切に出来ますように。