初夏の空を見上げれば、人生の重さも、暮らしの足許も見えてくる。

2017年06月09日 | 毎日の食卓

鳥達の声が聴こえる、初夏の晩。
夜9時。空は高く、透き通るような蒼空。
なんと多くの鳥達が、互いに声を交しあっているのだろう。



 

今日も一日が過ぎて行く。

僕も朝から日本とドイツの間で、言葉の仕事をして、人生の意味
よりは、経営者の勝手な人生哲学やまやかしの自己実現や、企業
の成長イデオロギーの絶対化などがないまぜになった、よくある
日本の会社理念のドイツ語への翻訳見積を作成する。
その間に、個人の遺産相続に関わる文書の認証翻訳や何千億円の
企業買収に関わる通訳の問い合わせを一つ一つ処理していく。

僕の心は此処にはない。そこにあるのは、何十年の仕事の経験と
数字の計算だけだろう。

夕方からようやく料理に取りかかり、畑に野菜を取りに行ったり、
洗ったり、刻んだり、いつも一緒に料理をする人が話す、中国の
義理の両親との苦労話や、日本の美味しい魚や豆腐の話をしたり、
ドイツで出来る和食や、お金を貰って、人生で一度か二度しか顔を
合わせない人達に料理コースをするより、小さい娘さんや大好きな
小さなアキちゃんに、美味しい昆布の出汁でご飯を作って、素敵な
笑顔を見ている方が本当に楽しいね〜、などと
色々な話をする。

沖縄の民謡をかけながら、一人でワインを飲みながら庭で大きな
蒼空を見上げる。
僕も少し歳をとった。人生の4分の3、あるいはもうそれ以上が終わ
ったのかもしれない。

人生の何が大切なのか、嬉しいことなのか、生きていること、生き
ていくことの愉しさが何なのか、ほんの少し分かるようになってき
たのだろうか?




 

夜、床に入っても、夜中に目が覚めても、
自分の人生が、この頃は、そんなには重たくなくなってきたように思う。

そして、この数日、まさに居ても立っていられなかった突然のギックリ腰。
今日の晩はようやく痛みが和らいできた。

生きていくことの有り難さが、少しずつ、すこしでも大切に出来ますように。