満月の夜 ー 失われた「陰鬱礼賛」

2015年01月06日 | ドイツの暮らし

今年初めての満月。




近くの友達の家に大晦日の集まりの写真を届けに行く途中、
思わず嗚呼と思って、シャッターを押しました。こんな月夜を見ても、
ドイツの友達のところで室内の灯りの使い方を見ても、僕達の
今の日本の暮らしには「陰鬱礼賛」は遥か昔のことと思う。

 

 

日本人は四季を愛でるだとか、旬を大切にするとか、自然と共にだとか、
いまだによく聞く言葉だけども、現代日本の共同幻想の一つにしか過ぎない
とつくづく思う。

僕達の国は原発54基を知らず知らずに見逃し続け、
フクイチ事故の惨事で自らの国土、風土を失いかけてもなお、
原発再稼働を推進する政府を国民大半が看過する国だ。
社会や政治の深い病巣の裏に、日常の暮らしのなし崩し的な
空洞化が著しいと思う。
都市部を中心とした毎日の生活の仕方や、自分の、あるいは
子供達に伝えていく人生の価値観がとんでもなく片寄ってしまった
のだろう。

京都市左京区のロクローさん達のような試みが、暮らしの中に
根づきながら、日本のあちこちで、いろいろな形で生まれてくるだろうか。

日常の、市民の動きが今、本当に大切なのだと思う。