「ドイツの春と日本の春 ー 二つの椅子、二つの桜」

2016年04月13日 | 随想

曇り空の中、2週間の日本、京都からドイツに戻りました。

今回の旅は数年後に振り返れば、より大きな意味を持つのかもしれ
ません。今後の人生の大きな転機の一つ、僕一人だけでなく、家族皆の
日本との関わり方にも大きな節目になるように思います。

デュッセルドルフの空港に降り立つ前、ちょうどライン川が下に見えました。
この川岸に初めて立ったのは、自分がまだ23歳の時。東京の大学院を
第一学期、三ヶ月で休学し、ドイツに自費留学、日本人音楽家夫妻の
ベビーシッターとしてスタートした時です。



桜満開の京都、今回の旅は本当にいろいろなことがありました。
二週間振りにドイツの家に戻ると、庭にはまだ名残の桜。
こんな時は、僕の中の二つのふるさとが重なったり、離れたり
します。





毎年の春の風景。ちょうど一年前、去年の4月の同じ頃、
こんなことを書いていました。

夏の夜空に浮かぶ天の川、
それは大きな生命体の結晶のよう。
春の桜吹雪は白昼夢。過ぎ行く恋の道行。儚くも痛切な夢。
桜の花びら一枚一枚は風に舞い、水に落ち、再び一つと
なる、私達一人一人の人生のよう。」 

今年の桜はそれほどセンチメンタルにはなりません。
それは多分、今、過去よりも未来に自分の眼が向いているから
だろうと思います。



さて、ドイツに戻って初日の夕飯は、飛行機の中の徹夜で
くたくたな体にムチ打ち、次男に日本から持って帰ったナメコ
で彼の好物のお味噌汁を作りました。



最後に今回求めた器を開梱し、明日からの料理をまた楽しみに
日本からドイツへ24時間ぶりの「お休みなさい!」



 


PS:

さて、今回の京都での経験は、これからも夢の中に沢山出てきそうです。
そのように個人にとって大切なことはその夢の中には現れても、
文章にはなかなか表現しにくいことだと思います。

下の写真はそんな夢の種の一つ一つです。











僕の暮らしの中にある二つの椅子。どちらかに座らなければと
思っていた時もあった。今でも時々どちらに座っているのか
分からず、どちらにも座れない時もある。

揺れる心よ、それでもそれが僕の今までの暮らし、生きている
形なのだろう。

ドイツの春と日本の春。そこには本当は魂の大きな違いは
ないのかもしれない。でも、其処まで行き着いた人は殆どいない。



 

京都・鞍馬で見た桃の花。

 

 

二つの色が一つになっている。