「静かな一人の時間、朝の緑の中で考えたこと」

2015年06月08日 | 随想

初夏の青空、ドイツらしい風景だ。



朝の散歩、自転車で恐々と足腰のトレーニングを再開。
もう十年ほどになるのだろうか、山スキーで左のふくらはぎを痛めて以来、
思うようにはなかなか走れなくなっている。その上、最近は膝の痛みもある。
こんな時には50半ばの年齢を感じてしまう。でも諦めない。
もう一度山登り、山スキーに復活しようと去年の冬に決めたことだ。



帰りに近くの友達の農園で初夏の野菜を買い込む。



買い物の後、緑の中を走りながら、ふと思う。

「かれこれ30年仕事をしてきた。子供達もずい分大きくなった。
人生、後15年か20年、経済活動と直結した仕事が未だに一日の中心に
置かれているのは本来、おかしいな。もうはっきりと切り替えるべき
だろう。

これからまだ生きていく中で、自分の身の回りや自らに、もっと
したいことや、出来ることがある、その方がずっと大切だし、
自分にも、家族や周囲にもよほど役の立つことだろう。
僕のような自由業には定年退職が無い。経済的活動からすっかり離れる
ことは出来ない。だからこそ、経済活動、生計を立てるための労働は、
最小限にしていくように、本当によく気をつけよう。」
 



朝の時間に緑の中で太陽を浴びて一人でいると、こういう当たり前
に大切なことがよく分かるような気がします。

一方で知らず知らずのうちに、既成の考えや感覚に左右されている
ことが、自分の中にはまだずい分あるなと思います。
一回限りの人生なので、それではあまりに勿体無いことだと
思います。



こういうことは、多分、多くの人が、とりわけ50歳を過ぎて
生計のための仕事をしている人達が抱く考えだと思います。
それでも実際にその考えを実行する人は、ほんの僅かです。

長年の生活習慣と慣れ親しんだ思考・心理パターンから離れて
いくことは、一朝一夕のことではありません。だからこそ、
違う生き方、自らの願望に関する鮮明なイメージが決定的な
要素なのだと思います。
静かな一人の時間を持つこと、その時に浮かんでくる自分の
中の想い、願望、基本的イメージを手に取るように鮮明にすること、
そして、それを毎日、少しずつ確実に実行すること。

とても魅力的な、やりがいのあるプロセスだと思います。