30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

北アルプスよれよれ敗走記

2009-08-22 | 登山

私の山の師匠であるBIGFARMさん。北アルプスで体調が悪くなり、家に戻って床についているという。見舞いをかねてたずねてみた。いわゆるサラリーマンの一戸建て住宅地。その中でもひときわ緑が多く、家は小さくて古いのだが陋屋然とした風情が捨てがたい。小さいながらも家と庭のバランスがいい。モッコクの生垣はきれいに剪定され、庭にはプロ並み(本人がそういう)のブドウ棚がある。いまが食べごろのブドウがたわわに実っている。うまそうだ。

ーどうされたんですが。てっきり今週末まで夏山を楽しんでいるのかと思っていたのに。
「面目ない。山に入って2日目。体調が悪くなり戻ってきた。引き返す判断が遅れた。甘かった。敗退というか敗走。こんなことは40年登山をやっていて初めてのこと。ショックだった」

ーもっと具体的に。
「日程とコースはこうだ。じつは水晶岳を歩いていないので目指すことにした。それだけではもったいないので周辺の黒部源流の山を歩くことにした。4泊5日だが予備日を1日取って5泊6日のテント山行として準備した。家を出かけるときのザックの重さは19キロ。いつもと変わらない。これなら楽勝だなと。というのも今回は全行程重荷を背負うのではなく、たとえば水晶岳なら三俣山荘から小さなザックで往復する計画だったからだ。それにこのコースの大半は以前に歩いているからだ」
8/18(火) 
我孫子=新宿=平湯温泉=新穂高-わさび平小屋テント場(泊)
8/19(水)
わさび平小屋-鏡池ー鏡平小屋ー双六小屋ー三俣蓮華岳ー三俣山荘テント場(泊)
8/20(木)
三俣山荘-鷲羽岳ー水晶岳ーワリモ分岐ー黒部源流ー三俣山荘テント場(泊)または黒部五郎小舎テント場(泊)
8/21(金)
黒部五郎小舎ー黒部五郎ー黒部五郎小舎ー双六小屋ー笠ケ岳小屋テント場(泊)
8/22(土)
笠ケ岳小屋ー笠ケ岳新道ーー新穂高=平湯温泉=新宿=我孫子

ーそれがどうしてこんなことに?
「この夏は天気が悪い。やっとのこと盆を過ぎたあたりから夏空が続くことになった。山に行きたくて欲求不満だったからこの天気に飛びついた。逃してなるものかと。敗走の原因はここだろうね。じつは出発の2日前から喉の状態が思わしくなかった。私の場合、喉の痛みといえば扁桃腺の前兆。私はいつもこれでやられる。1週間は寝込むことになる。それを承知しているから、大丈夫かなと不安だったことは確かだった。それが待望の夏山を楽しめる夏空の出現に、それ行けとばかりに家を出てしまった」


ブナの林の中にある、わさび平小屋のテント場。私のテントは左奥

ーどのあたりで症状が悪くなり引き返す決断をしたのですか。
「1日目のテント場の夜から症状が出始めた。喉が痛く、食事を飲みこむと痛みを感じはじめた。夜中に汗をかくようになり、よく目を覚まし、水をほしがるようになった。
2日目の朝は体調が悪いとは感じなかったが、相変わらず喉が痛かった。無理に朝飯を食べ、テントをたたんで予定通り5時に出発した。最初の1時間は順調だった。喉の痛みを気に過ぎたのがいけなかったのかと思いながら歩いていた。ところが1時間も歩いたあたりからばたっと足が進まなくなった。急激にペースが落ちた。水を飲んでも喉の渇きがとれず、痛みをますます感じるようになった。発声することがつらくなった。声を出すと喉が痛いのである。下山する人と出会っても『こんにちは』と声をかけるのがつらく、すっかり声がかすれてしまった。
単独行の若い女性が下山してきた。たまらず手鏡をお持ちですかと声をかけた。鏡で喉の状態を見たかったからだ。口髭をはやした白頭のオヤジから藪から棒にこんなも申し出で相手も驚いただろうが、ザックから取り出してくれた。あんぐり口を開けて喉の奥を見た。やはり左側が赤くはれていた。丁重にお礼をいいたいのだが声がかすれてしまってうまく言えない。
ここで敗退すればよかった。
それができないで前進してしまった。前に進もうとしても10歩いては休むという繰り返し。歩くよりは休んでいる時間のほうがずっと多い。そんな状態でありながらまだ撤退を考えていなく、むしろいま思うと恥ずかしい話なのだが、夏季の双六小屋には医師がいるから双六小屋まで行って、そこで診察を受けて判断しようと思っていたくらいだ。
なんとか鏡池に着いた。きょうの出発地点からここまで標高差1000メートル。標準コースタイムは3時間40分だが4時間30分かかった。大幅に遅れたものと思っていたのにこのタイムで来た。意外たっだ。まだ急速に体調悪化しつつあるということに気がついていない。
ここからは槍・穂高連峰の眺めがいい。その姿が鏡池に映る。この景色は定番だが、見ているだけてはるばる来たかいがあったと気分がいい。この時だけは痛さも辛さも少し忘れてカメラのシャッターを切った」

ー体調が悪いといいながら、2枚目の写真なんか、ちゃんとポーズをとっているんじゃないですか。まだ余裕があったのですか。
「余裕はなく、アップアップの状態でたどり着いた。1週間前の蓼科山での写真はカッコよかったですよというメールをもらったので今回もそうしてみただけだよ。いいきなもんだね」

ー今回も単独行ですよね。
「そう。やっぱり大型山行は一人がいい。自分の体調と相談して登れるからだ。それに山を本当に味わうには一人が最高だ。中高年の一人歩きはやめなさいとよく言われるが、夏の北アルプスの一般コースなら一人歩きをぜひすすめる。山小屋が各所にあり、コースは整備され、水場も心配することもなく、それに入山者も多いからだ。きみもたまには遠足登山をやめて、並行して単独行を始めてもいいくらいの経験を積んだんじゃないの」


鏡平小屋。右がテラスで私の青いザック見えている。ここから敗走だ

ー最終的には「退却」をいつ決断されたのですか。
「鏡池からすぐの鏡平小屋でだね。ここで大休止。気持ちは双六小屋までと思っていても、さあ行こうという気分にならない。さらに奥に入ってしまうと戻るに戻れなくなる。ここでも手鏡を借りて喉の状態をみた。左半分が腫れて真っ赤だった。この時かな。戻ろうと。この判断は遅すぎた。さらに双六小屋まで行っていたら、その後の症状の悪化からヘリコプターで麓におろされる事態になっていただろうね」

ーそこからはもちろん自力下山で。
「下りは大変だった。登り以上に苦しかった。中ほどの秩父沢まで一気に下りた。雪渓の冷たい水が気持ちよかった。これでもかと思うほど水を飲める。めまいを覚えるようになった。せきも出始めた。周囲で休んでいる人が私の様子がおかしいことに気づきはじめた。『どうしたんですか』『具合が悪くなったので引き返しているところです』。引き返してきてよかったと実感できるほどの体調の悪さだった。最悪だった。敗退というよりも、敗走といった感じだね。わさび平に着いたら救急車を呼ぼうとまで考えたからね。結局はそこまでしなかったが、麓のわさび平小屋にたどり着いたときは大げさではなく『これで助かった』と思ったくらい」

ーよほど苦しかったようですね。
「すべては身から出たさび。きちんと体調管理して出かけていさえすれば、これまでの経験からして問題ない計画だった。体調に不安を覚えていながら出発したのがいけなかった。60歳を過ぎると夏山での大型山行なんかあと何回できるかわからない。あとないからこそ、歩きたかった。これから一回一回の山行が大事になる。そんな年になったんだと感じるよ。今回はいい経験になったというよりも、失敗したなと忸怩たる思いのほうが強いかな」

ーオクサンも驚いたでしょう。
「帰ってきたときちょうど庭にいた。私の顔を認めたとき幻かと。そうだろうね。すぐに医者に行った。それから2日2晩寝ていた。薬を飲んでも一向に良くならず、帰ってきてからはせき込んで本当に苦しかった。すこしよくなったかなと感じたのは今朝のことかな。だからあのまま進んでいたらどうなったのだろうと考えたくもないね」

ーところできょう、オクサンは。
「けさ早くから1泊2日で登山に出かけたよ。病に臥している夫を放り出して。そろそろ回復するなと読んでのこと。きょうからあすの6食分は用意してくれた。女性は年をとると家に閉じこもりがちになる人が多いから、外で元気にしてくれていたほうが亭主は安心だ。かみさん元気で留守がいい、といったところだね」

ー少しずつ快復しているようで安心しました。
「きょうはわざわざありがとう。かみさんがいないからなにもお構いはできないが、ちょうどブドウが食べごろになったのでどうかな。ところでキミは9月はどこを登るの」
ー平ケ岳にしようかなと。


いつもは無口なBIGFARMさんがここまでしゃべったのだから、少しは良くなってきているのだろう。病み上がりだけに顔色は良くない。まだ熱があるのだろうか、目が充血している。BIGFARMさんはいつも仏頂面というか少し怖い顔している。病み上がりのいまはもっと怖い感じだ。ブドウはうまかったですよ。ご馳走さまでした。またいい山を教えてください。

  


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