一昨日のブログの続きです。
市役所の前を通り、郡山城跡に入ります。郡山城の築城は天正8年(1580年)、筒井順慶が筒井からここに移ったときにはじめられました。天正13年(1585年)に豊臣秀吉の弟、秀長が入城し、城の大拡張工事を行いました。その後徳川譜代の城主等が続き、享保9年(1724年)柳沢吉里が入城、6代145年間続きました。
内堀でしょうか。竹竿の下のイケチョウ貝で水質を浄化しているのだそうです。
天守台への途中に柳澤神社があります。祭神は柳澤吉保公。
天守台です。石垣は修復されましたが、転用石が多いのが特徴だとか。
天守台から東側の眺望です。手前の建物は城址開館(明治の館)です。奥には若草山、東大寺、興福寺、春日大社等が見えます。
北側は薬師寺が見えます。
石垣の中のさかさ地蔵です。お地蔵様を石垣に転用したものです。
西へ進み、富雄川を渡り県立奈良高専の西側の道に入ると500mほどで民族博物館です。
民族博物館から地道を辿ってゆくと、矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)別名「矢落(やおち)神社」が。
楼門には源田実氏が揮毫した「航空祖神」の文字と木製プロペラが。このプロペラは「陸軍九一戦闘機」のプロペラだそうです。祭神である櫛玉饒速日命が天磐船に乗って空を飛んだという、故事により航空祖神として崇められ、毎年9月20日に航空祭が行われるのだとか。
田んぼが広がる道を通り、矢田寺線を西に入るとやっと矢田寺に到着しました。
お寺に入ると急な階段が続きます。庭園に咲く紫陽花は見頃だそうですが、バスが10分後に出るということなので今回は入るのを諦めました。何とか熱中症にはならなかったようです。歩数18,000歩の散策でした。
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