末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

え!靖国神社で競馬?

2011-12-17 18:37:51 | 珍しい事
競馬で思い出すドガの「競馬場の馬車」

競馬には殆ど縁がない小生ですが
日経電子版に出ていた記事にびっくりしましたのでご紹介します。
なお写真はインターネット上の写真を借用させて頂きました。

東京の競馬場と言えば、東京競馬場や大井競馬場の名前が浮かびますが
時代をさかのぼると、あちこちに西洋式の競馬場があった様です。


靖国神社参道での競馬

東京最古の近代競馬は靖国神社で行なわれました。

靖国神社は幕末から明治維新にかけての戦没者を祭るため
1869年(明治2年)に「東京招魂社」の名で創建され
1879年に靖国神社に改称されました。

第1回の競馬が行われたのは招魂社創設の翌年1870年で
年3回ある奉納競馬として実施されたもので
神事の一環でもありました。

競馬は境内の細長い参道の両脇に柵を巡らし
その端を結ぶ楕円形の一周1周約900米の楕円形の周回コースがあり
そこで行なわれたためカーブがきつく、落馬が絶えなかった様です。



この競馬は当初兵部省の主催で実施されていましたが
兵部省が廃止されるとその後を引き継いだ陸軍省が実施しました。


大村益次郎の銅像

多分皆さんご存知の大村益次郎の銅像は1893年にできており
競馬は1898年まで続きましたから、この銅像の周りを馬が走っていたわけです。


戸山学校競馬場

戸山学校競馬場は現在の早大理工学部の敷地と重なるような場所で
1879年から1884年まで存続した競馬場です。

米大統領グランド将軍の来日歓迎行事として
競馬を開催するために設置され、
この競馬大会には明治天皇も行幸し盛大に行なわれました。

この時運営会社の共同競馬会が設立され、近代的競馬規則も定められました。


上野不忍池競馬場

交通不便な戸山学校競馬から、集客アップをねらって、
1884年に上野不忍池競馬場ができました。

池の周り1周約1600米は、カーブも緩やかで良いコースだった様で、
初日には天皇臨席のもと政府高官や財界人がこぞって集ったそうです。

 
以降1892年まで春と秋に競馬が行われましたが
経営難のために止めてしまいました。


吹上御苑の競馬場

明治天皇は、競馬に対し非常に深い関心を持ち
皇居西の丸に円形に近い1周約738㍍の馬場をつくり
1875年に初めて競馬を行い、1884年まで続けられました。

競技としての西洋式競馬は当時社交の場であった様です。


目黒競馬場

目黒競馬場は1907年に日本競馬会により開設され
1932年には第一回日本ダービーが開催されましたが
1933年に府中の東京競馬場へ移転しました。

現在の東京都目黒区下 目黒四〜六丁目付近の目黒競馬場跡には
競馬場外周の曲線部分が現在でも残っており
交差点名やバス停に元競馬場の名があり
馬のモニメントがある記念碑が設置されています。



その他の競馬場

池上競馬場(大田区池上)、板橋競馬場(板橋)、羽田競馬場(羽田)
八王子競馬場があり、府中、大井競馬場のほかに10ケ所ありました。



日本最初の近代競馬は?

日本に西洋式競馬が持ち込まれたのは
江戸時代、開港直後の1860年に横浜・元町辺りで行なわれた様です。

詳細な記録があるのは1862年からで、現在の中華街辺りで行われました。