末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

スペイン トレドの思い出 その1

2011-12-21 12:39:28 | 海外旅行

 
トレドの町中央の塔は市街中心にある大聖堂
 

旅行の概要

未だ暫くは写真撮りに外にでられませんので
1993年ツアーでのスペインとイタリヤの旅の思い出を掲載します。
 
 字の記録は見つかりませんが
記憶に残っている事も多く写真も残っており
 
スペインでは、バルセロナ、マドリード、トレドを
イタリアでは、ローマ、ベニス、ミラノ等を廻た様です。
 
小生はもっぱらビデオ撮りで、写真は家内か同行者が撮りましたが
9×25センチという横長の変則的なプリントが多いので
出来るだけトリミングして掲載しました。
 
トレド(Toledo)について

先ず古都トレドから紹介する事にしますが
残念ながらトレドの写真は僅かしか残っていません。
幸い現地で購入したトレド紹介本がありましたので
その写真も利用してご紹介します。

トレドはスペイン中央部の都市で、マドリードから南に71kmにあり
タホ川に囲まれた丘の上に位置しており
ヨーロッパでも古い都市の一つで、要塞化した町です。
 

トレドの町
手前がタホ川。中央奥の塔がトレド大聖堂。右奥はアルカサルの城
 
別の角度からのトレドで、何となく要塞を感じさせます。
手前にはホタ川があります
 

トレドの地図  

トレドの歴史

    紀元前192年にローマの軍隊がトレドを征服したことが           
        ローマの文書に残っています。
その後6世紀にはゲルマン文化・ローマ文化・キリスト教文化を融合させ

西ゴート王国の首都となり栄えました。

8世紀にはアラビア人(イスラム教徒)に征服されますが
11世紀にはキリスト 教国となり、スペインの政治・文化の中心的役割をはたし、                                        
16世紀にはスペイン王国の首都となりました。

しかし数年後には首都がマドリッドに移され
トレドは徐々に衰退を始め現在に至っています。

世界遺産登録

トレドは現代化をまぬがれて
古代ローマから2千年紀にわたる文明の痕跡を残していること
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教による異文化の交錯した地となり
「町全体が博物館」と言われておる事から
トレド大聖堂など旧市街全体が古都トレドとして
1986年に世界遺産に登録されました。

門、橋、城砦

要塞の町ですから、町に入るには幾つかの門、橋及び城砦があります。

 
ピサグラの門
 
ピサグラの門はトレドの最も重要な門で16世紀に建てられました。
両側面には花崗岩で出来た二つの塔があり
門上部にはハブスブルグ家の双頭の鷲がはめ込まれています。
 
                                                           
アルフォン6世の門

典型的なアラビア風のこの門は9世紀初頭に建てられました。
この門の当初の名前はピサグラの旧門でしたが
11世紀初頭に3世紀に亘って回教徒の占領下にあったトレドを
アルフォンソ6世がキリスト教徒の軍隊を率いて
入城し再征したためです。
 
 

       サン・マルティンの橋

  このアーチ型の美しい橋は13世紀に造られたもので
右の外側の門は頑丈に要塞化していますが
内側の門は何回かの修復、その様子を失っています。
 
 
                           アルカンタラ橋とサン・セルバンド城 

この橋は9世紀にアラビア人により造られましたが
13世紀にタホ川の氾濫で破壊されたので、その上に建てたものです。
アルカンタラはアラビア語でアーチを意味します。
 


そんな橋の一つで


城 砦 

トレドは自然濠ともいうべきタホ川により
敵の攻撃から市を守っていましたが
北側には川がないため、北の奥の高い丘に城が造られました。
南に向けて無防備の市街が拡張されていったため
市街の北方を囲むように城塞が造られていきました。
 
     町の一番高い丘の上にあるアルカサルの城
 
町の要塞
 
 
町の要塞

市内の狭い道路

ところで市街を歩いてみると、
狭い道で全く要塞を感じない場所があるのが面白いです。


上の写真と余りにも異なった市内の様子


同じ狭い道でも、大聖堂が見えるここらの感じはまた違います



美しいトレドを眺められてご機嫌の二人。未だ小生60代初めだと少しは若い?
この写真はタホ川の対岸にある高台のホテルからの写真


次回は大聖堂を中心にご紹介の予定です。