末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

え!「ビルヂング」?

2011-12-12 11:41:11 | 珍しい事
左丸の内ビル、右新丸の内ビル

丸の内といえば、東京駅の皇居側にあり
丸の内ビルや新丸の内ビル等巨大なビル群が聳え立ち
皆さんの何人かはここを訪れたことがあると思います。

現役時代に何年か通っていた旧「新丸ビル」の名前は
「新丸ビル」」とばかり思っていましたがいましたが

日経電子版「なぜ消える?丸の内のレトロな名称ビルヂング」という記事で
正式名称は「新丸の内ビルング」というレトロの名前だったことを知りました。

それによると、丸の内にあるビルの名前には
「ビルヂング」「ビルディング」「ビル」と言った呼び名があり
そこには歴史的背景が在るようですので
その内容を上記記事を参考にご紹介する事にします。


丸の内の変遷

明治維新以降、丸の内がある場所は陸軍省が管理しており
1890年三菱財閥が払い下げを受けた当時は草ぼうぼうの土地で
「三菱ケ原」と言われいました。


三菱一号館の登場

そこに1894年に初めての洋風事務所建築として建設されたのが三菱一号館で
続いて二、三号館の建設が行なわれました。
これらの建物は英国の建築家が設計した赤レンガ造りでした。

なお一号館は1968年に解体されましたが
三菱一号館美術館として2010年に完全に復元されました。


復元された三菱一号館美術館


「ビルディング」と「ビルヂング」の登場

大正時代に入ると近代的、機能的オフィスビルが求められ
その先駆けが1918年に建てられた「東京海上ビルディング」で

外観をシンプルにして実用重視の米国式への転換が行われました。
日本で「ビルディング」の名称が用いられたこのビルが初めてのものです。

当初の東京海上ビルディング


現在の東京海上日動ビル本館

そして1923年には「丸の内ビルング」が登場します。

丸の内ビルヂング

それ以降このエリアで建てられた三菱系の建物は、
「号館」を止めて「ビルヂング」が基本となりました。
「新丸の内ビルヂング」は1952年に完成しています。

新丸の内ビルヂング


その後「丸の内ビルヂング」が最初に「丸の内ビル」と呼ばれる様になり
その他の「ビルディング」や「ビルヂング」も「ビル」と呼ぶようになりました。


「ビルヂング」から「ビルディング」への名称変更

「丸の内ビルヂング」が2002年に新しいビルに建て替えられた以降
次々とビルの建て替えが行なわれていますが

三菱地所では2002年以降、丸の内を生まれ変わらせるという意気込みで
全て建て替え時に、「ビルディング」に切り替える方針との事です。

丸の内ビルディング

それに伴いない既に10棟の「ビルヂング」が「ビルディング」に名前を変えており
丸の内周辺で残っている「ビルヂング」は現在15棟です。

なお正式名称は「ビルヂング」や「ビルディング」でも
パンフレットや表示板等には名称変更による混乱を避ける意味もあり
「ビル」で統一しているようです。


何故「ジ」でなく「ヂ」?

なお皆さんのワープロソフトでは「ジ」は出ても「ヂ」は案外でないと思いますが
何故当時ヂと書いたか疑問を感じますが、当時のローマ字の表記が
「di」は「ヂ」で「ジ」は[zi]で表していたための様です。


最後に羽田空港のターミナルビル等を管理する会社に
「日本空港ビルング(株)」という名前があるのが面白いですね。