「両国花火」
隅田川を挟んで武蔵と下総の二国に架けられた橋ということで両国橋の名が付けられ、その界隈を両国と呼ばれた。両国は江戸第一の繁華地として、見世物・芝居・辻講釈などに屋台店も並び、昼夜の遊興で賑わっていた。江戸時代、花火といえば両国橋近辺での納涼イベントとして有名で、群衆が押し寄せ通行を規制したほどであった。江戸時代は花火の技術が発展した時代でもあり、江戸だけでなく、現在の長野県や愛知県などでも花火が作られ、打ち上げられた。
春日井市在住、1935年私的な挿絵等に全て自由にご使用ください。
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