和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年08月31日 12時10分46秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月31日(月)より転載】

【勝利島35】

 山本伸一が、台風二十号による種子島、屋久島等の被害状況や、島の学会員の奮闘の様子を聞いたのは、香港の地であった。
 彼は、香港から、鹿児島県の幹部と連絡を取り、直ちに被災地へ激励に行くよう依頼するとともに、伝言を託した。
 家が壊れるなどして、途方に暮れていた同志は、幹部がすぐに来てくれたことに感動した。そして、「必ず変毒為薬できるのが仏法です」との伸一の伝言に勇気が湧いた。奮起したメンバーは、復興の先頭に立った。また、自身と地域の宿命転換を願い、果敢に仏法対話を開始した。弘教は大きく進んだ。
 十月下旬、東京へ来た鹿児島県の幹部から、その報告を受けた伸一は言った。
 「本当に大変だったね。人生には、台風などの自然災害に遭うこともある。ある意味で、苦難や試練が、次々と押し寄せてくるのが人生といえるかもしれない。大事なことは、その時に、どうしていくかなんです。
 “もう、終わりだ……”と絶望してしまうのか。“こんなことで負けてたまるか! 必ず乗り越えてみせる!”と決意し、立ち上がることができるのか。
 実は、信心することの本当の意味は、どんな苦しみや逆境にも負けない、強い自分をつくっていくことにこそあるんです。
 被災された皆さんは、試練に負けずに敢然と立ち上がり、周囲の人びとに、希望の光、勇気の光を、送り続けてほしいんです」
 さらに伸一は、種子島、屋久島の同志への激励として、袱紗を託したのである。
 鹿児島県の幹部は、それを持って島を訪れた。一人ひとりに山本会長の思いを語って励まし、袱紗を手渡していった。島の幹部に委ねることもできたが、それでは、最も大事なものが、抜け落ちてしまう気がしたのだ。
 皆の感激は、ひとしおであった。
 島の同志が受け取ったのは、自分たちを思いやる、“伸一の真心”であった。
 心と心が触れ合い、勇気が生まれ、誓いが生まれ、師子が生まれる。

■語句の解説
 ◎変毒為薬/「毒を変じて薬と為す」と読む。苦しみの生命(毒)が、そのまま幸福の生命(薬)に転ずる、妙法の大功力を表した言葉。     



蜩(ひぐらし)/今日の俳句 ≪第1881号≫

2015年08月31日 06時24分20秒 | 今日の俳句


  呼吸とはこんなに蜩を吸うことです
       金子兜太


  丘は蜩青田に沈む多古の町
       瀧春一


  別れとはひぐらしの音に似たるかな
       山口いさを


  蜩といふ名の裏山をいつも持つ
       安東次男


  蜩やともしび早き峠茶屋
       岩井半四郎


※ 蜩・日暮・茅蜩・かなかな
 半翅目セミ科。からだは法師蝉よりも少し大きい。〈カナ、カナ、カナ、カナ〉と、よくとおる美しい声で鳴くのでかなかなと呼ばれる。
 出現は、他の蝉に比べて、むしろ早く、七月中には鳴きはじめ、早いところでは八月にすでに鳴きやみ、九月いっぱい鳴き声の聞かれる土地はまれで、十月にはいると、もうほとんど鳴かない。
 頭部は緑色、羽根は透明で、他の蝉に比べるとからだの色彩が淡い。腹部は空洞で、あたかもバイオリンの胴のようなはたらきをし、反響して大きな音を出すことは他の蝉と同様、発声の機構は、神経から電流が出て、発音筋がこまかく動いて、鼓膜をひっぱる。二本筋が、一秒間に一万回ずつ、のびちぢみするから、蝉の声は、あのようにジーとつづいた音になるのだという。
 ヒグラシの声は、さわやかに澄んでいて、いかにも秋にふさわしいが、実際は六月末に鳴きだすところもある。その名のように、多く午後から夕暮れにかけて鳴くといわれているが、朝もよく鳴き、伊豆大島の三原山のように群生するところでは、昼間もうるさいくらいに鳴く。
 『万葉集』に「今よりは秋づきぬらし足引の山松蔭に日具良之(ひぐらし)鳴きぬ」の歌があり、また『源氏物語』には「ひぐらしの鳴く声にも、山かげのみ恋しく、おほかたに聞かましものを、ひぐらしの声うらめしき秋の暮かな」とあって、秋の夕暮れとヒグラシの声を結びつけたものが多いが、これは、ヒグラシの声が秋の夕暮れにふさわしいさびしさがあるからで、『拾遺集』には「朝ぼらけひぐらしの声聞ゆなりこやあけぐれと人の云ふらん」などの作例もあって、古人はヒグラシが朝早く鳴くことを観察し詠っている。
→蝉(夏)

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】





     ※わが友に贈る※
 
  「月月・日日に」

  強き祈りで前進だ。

  満々たる生命力を!

  冴えわたる智慧を!

  ここに勝利のリズムが。


      2015年8月31日




     ※☆*寸 鉄*☆※


会長(SGI)は平和と非暴力の社会を導く真正の指導者ー大使(ヨルダン)。後継は世界に陸続

        ◇

きょう学生部の日。先駆の使命の若鷲よ!英知の剣で躍進の突破口を開け

        ◇

困難が大きいほど栄光も大きいのだー哲人(キケロ)。わが地区の勝利へ団結の出発

        ◇

日本の高校生、“自分はダメ”と否定的が7割。皆が宝だ。励ましの風を送れ

        ◇

夏の疲れが出る時期。睡眠・食事・適度な運動ー心身を整えて充実の秋へ





     ※北斗七星※


9月10日から5年に一度の国勢調査が始まる。というと「あれ?早いね」と思う人もいるかもしれない。調査は17項目について、10月1日午前0時現在の状態を答える。これまでは9月下旬から調査用紙を配り、10月1日から調査員が回収してきた。早いわけはインターネット回答が、今回から全国で可能になるためだ



まずは9月10日~12日、一人暮らしも含めた全世帯にインターネット回答用のID、パスワードを記載した書類が入った青い封筒が郵便で届く。これを入力すればパソコンやスマホから回答することができる。これが20日まで。忘れないようにしたい



都市部を対象にした昨年の試験ではネット回答が34%を占めた。総務省では今回、全体の2割に当たる1000万世帯以上が利用すると見込んでいる。世界最大のネットによる調査になる。システム開発費を含めても前回調査より経費は節減されるという



ネットで回答がなかった世帯にはこれまで通り、調査員が訪問して調査用紙を配布・回収する。もちろん、郵送も可能だ



国勢調査は唯一の全数調査。このおかげで、他の調査は、抽出した一部の調査でも信頼性が確保されている。目立たないが、さまざまな政策や予算を通して、暮らしやすい社会づくりの基盤になっていることを再確認したい。(繁)


【聖教新聞:2015年8月31日(月)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (2) 立正安国と広宣流布

 立正安国

 「立正安国論」は、直接的には当時の日本の安国の実現のために著された書ですが、その根底となっている精神は、民衆の安穏の実現にあり、したがって、未来永遠にわたる全世界の平和と人々の幸せを実現することにあります。
 大聖人が、当時の人々の苦悩を解決するため、「立正安国論」を著し、権力者を諌められたこと自体、仏法を行ずる者は、ただ自身の成仏を祈って信仰していればよいのではなく、仏法の理念・精神を根本にして、積極的に社会の課題に関わっていくべきことを、身をもって示されたものと拝察できます。
 「立正安国論」では「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を祷らん者か」(31頁、通解ーーあなたは、一身の安堵を願うなら、まず四表の静謐(周囲の平穏、世界の平和)を祈ることが必要ではないのか)と仰せです。
 社会の問題から目を背けて、宗教・信仰の世界だけに閉じこもる利己的な姿勢は、むしろ、大乗仏教において厳しく戒められています。
 創価学会が、今日、仏法の理念を根本に、平和・文化・教育・人権などの分野で、地球的課題の解決に取り組んでいるのも、「立正安国論」の法理と精神に基づく実践にほかなりません。

   



           

8月30日(日)のつぶやき

2015年08月31日 01時46分10秒 | 今日の俳句

新涼/今日の俳句 ≪第1880号≫

2015年08月30日 06時56分50秒 | 今日の俳句




  新涼や白きてのひらあしのうら
       川端茅舎


  秋涼し橋おのおのに湯宿持ち
       河野南畦


  新涼の母国に時計合わせけり
       有馬朗人


  新涼に少しゆがんだ青い月
       わたなべじゅんこ


  新涼のボーイソプラノ運ぶ風
       森景ともね


※ 新涼・初涼・涼新た・秋涼し・秋涼
 たんに(涼し)といえば暑さに対する言葉で夏。新涼は秋にはいって感じる涼しさである。語感にさわやかなひびきがある
→涼し(夏)

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】





     ※わが友に贈る※
 

  報告・連絡は迅速に!

  連携を密にし

  情報を共有してこそ

  的確な対応ができる。

  スピードで勝て!


      2015年8月30日




     ※☆*寸 鉄*☆※


SGIは世界の人々の新たな心の拠り所となるー芸術家(サイフェルト)。生命の安全地帯

        ◇

「軍(いくさ)には大将軍を魂とす」幹部(リーダー)は生き生きと!生まれ変わった決意で先陣を

        ◇

個人会場の提供者、ご家族に感謝。時間厳守、近隣への配慮ー礼節(マナー)忘れず

        ◇

健康寿命、男女共に日本が世界一。人生謳歌の日々を!皆輝く幸齢社会に

        ◇

きょうから防災週間。災害時の備え、持ち物等を点検。「前前(さきざき)の用心」こそ





     ※名字の言※


本紙読者の介護にまつわる体験談を紹介する「こころの絆」に先日、愛媛の婦人が掲載されていた。彼女は一人娘として13年間、脳梗塞の後遺症と闘う母親を介護した



母親が脳梗塞になったのは、長女が生まれ、これから楽しく親孝行できると思っていた矢先。「子育てと介護、全てが初めてで戸惑うことばかり」の生活が始まった



彼女も母親も一番つらかった時、地域の同志がリンゴを持って激励に駆け付けた。御宝前に供えてあったリンゴで、たくさんの友の“祈りの結晶”だった。「あの時のリンゴの味は絶対に忘れません。母と2人で、感謝の涙を流しながら頂きました」



心は見えない。祈りも見えない。しかし、形あるものの中に、その見えないものを見ていくことが人生を豊かに、美しくする。白米の御供養を受けられた日蓮大聖人は、「この白米は白米ではない。あなたの命そのものである」(御書1597頁、通解)と門下をたたえておられる



13年前、彼女の母親は旅立った。現在、彼女は訪問介護員。2人の子どもは看護師、管理栄養士として病院で働く。「13年間の介護は、家族にとって“心の財産”」と語る彼女に、リンゴを届けた友は「よく頑張ったね。全てに意味があったね!」と、わが事のように喜んだ。(側)


【聖教新聞:2015年8月30日(日)付】




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     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (2) 立正安国と広宣流布


 立正安国

 日蓮大聖人の仏法は、各人の生命境涯を変革し、今世のうちに絶対的幸福境涯を開くことを可能にする教えです。それとともに、各人の生命境涯の変革を通して、社会全体の平和を達成することを目指しています。
 大聖人は、平和実現のための原理を「立正安国論」のなかで示されました。
 「立正安国論」とは「正を立て国を安ず」と読みます。
 「立正」とは、人々が人生のよりどころとして正法を信受することであり、また、仏法の生命尊厳の理念が、社会を動かす基本の原理として確立されることです。「安国」とは、社会の平和・繁栄と人々の生活の安穏を実現することです。
 「立正安国論」における「国」とは、権力を中心にした統治機構という面とともに、より一歩深く、民衆の生活の基盤としてとらえられています。その意味で、人間が形成している社会体制だけでなく、自然環境の国土も含まれます。
 大聖人が民衆を中心に国をとらえられていたことは、「立正安国論」の御真筆において、国を意味する漢字を書かれる多くの場合に、国構えに民と書く「囻」の字を用いられていることにも、うかがうことができます。
 また、大聖人は「王は民を親とし」(1554頁)と述べられ、権力者も民衆を根本とすべきであるとされています。また、国王となりながら、「民衆の歎き」を知らない者は、悪道に堕ちると言われています。(36頁)

   



           

8月29日(土)のつぶやき

2015年08月30日 01時45分57秒 | 今日の俳句

小説「新・人間革命」

2015年08月29日 20時18分14秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月29日(土)より転載】

【勝利島34】

 多かれ少なかれ、どの島でも、村八分などの厳しい迫害の歴史があった。そのなかで、学会員は、御本尊を根本に、御書、機関紙誌と、同志の励ましを支えに耐え抜き、試練を勝ち越え、幸の花々を咲かせてきたのだ。
 山本伸一は、島の広布開拓にいそしむ人たちの激励には、ことのほか力を注いできた。
 一九五八年(昭和三十三年)四月、第二代会長・戸田城聖が世を去り、六月末に総務として、事実上、学会の一切を担うことになった伸一は、七月には佐渡島を訪問している。
 恩師亡きあと、悲しみに沈む島の同志を励ましたかったのだ。発迹顕本された日蓮大聖人が、御本仏として新しき闘争を起こされた佐渡で戦う勇者と共に、新しき希望の前進を開始しようと、心に決めていたのである。
 六〇年(同三十五年)五月三日、彼は第三代会長に就任すると、七月には、沖縄支部を結成し、琉球諸島の同志を励ますために、沖縄を訪れた。また、世界への平和旅の第一歩を印し、海外初の地区を結成したのは、ハワイ・オアフ島のホノルルであった。東洋広布への起点としたのも、香港である。
 国内では、徳之島、奄美大島も訪れた。この時、奄美総支部が結成されたのである。
 各方面を訪問した折には、離島から来た友がいると聞けば、会って懇談し、和歌などを揮毫した書籍を贈るなど、渾身の激励を心がけてきた。離島で広宣流布の道を切り開いていくことが、いかに大変であるかを、彼は、よく知っていたからである。
 常に、最も苦闘している人たちの幸せを願い、心を砕き、光を当て、最大の励ましを送る。それが創価のリーダーの生き方であり、そこにこそ仏法の人間主義の実践がある。
 六四年(同三十九年)九月下旬、台風二十号が日本列島を襲い、各地で猛威を振るった。なかでも、鹿児島県の種子島、屋久島に甚大な被害をもたらしたのである。
 種子島では、いたるところで家屋が倒壊するなどの事態となった。また、屋久島では、最大瞬間風速六八・五メートルを記録している。

     



法師蝉/今日の俳句 ≪第1879号≫

2015年08月29日 05時11分39秒 | 今日の俳句



  うちまもる母のまろ寝や法師蝉
       芝不器男


  いっせいに風に立つ葉や法師蝉
       桂信子


  もてあますいとまはありてほふしぜみ
       油布五線


  隣る木の声をうけつぎ法師蝉
       木内彰志


  芳一の空耳に似てつくつくし
       清水基吉


※ 法師蝉・つくつく法師・つくつくし
 正しい名は、ツクツクホウシ。ヒグラシよりもやや小型の蝉で、「オーシイ、ツクツクツクツク」というふうに鳴く。
 北海道から九州まで広く分布し、からだは黒く、オリーブ色の斑紋があり、羽根は透明で、翅脈は淡い樺色。頭は三角形で複眼は黒く、単眼は赤い。
 蝉類のなかでは、鳴きだすのはいちばんおそく、関東地方では立秋前後に鳴きはじめ、九月末から十月上旬に鳴きやむ。冬蝉・寒蝉と呼ばれるのはこの蝉である。その声は、よくとおり、いかにも秋の到来を思わせる。
→蝉(夏)

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】





     ※わが友に贈る※
 

  団結あるところ

  歓喜の前進あり!

  祈りを合わせれば

  破れぬ壁はない。

  共に新たな歴史を!


      2015年8月29日




     ※☆*寸 鉄*☆※


会長(SGI)の対話は人間の内なる価値を輝かせるー博士(カナダ)。開かれた心で友好対話を

        ◇

きょう国際具の日。語学・人格磨く世界広布の賢者新時代躍進の要と光れ!

        ◇

「たじろぐことは、敗北すること」英雄(ボリバル)。挑戦こそ青年の魂。強気で壁破れ

        ◇

ネットでの悪口、高校生15%が経験と。いじめは絶対悪。人権社会断じて

        ◇

自転車の「ながら運転」で摘発増加。“これくらい”が大事故の因。油断排せ





     ※名字の言※


夏休みも残りわずか。未来部の各種コンクールの応募締め切りも近づき、追い込み中のメンバーもいるだろう。その陰には、大人たちの温かい励ましがある



名古屋の男子部員は、英会話コンテスト「Eー1グランプリ」に挑む、高等部員を、こまやかな気配りでサポート。創価ファミリー大会の企画でも未来部員を応援し、この夏、毎日のように後継の友の育成に汗を流した



「こうやって未来部員と関わることが夢でした」と語る彼。中学時代、いじめに遭い、不登校になりかけた経験がある。その時、地域の“男子部のお兄さん”が足しげく通い、一緒に唱題してくれた。そのおかげで苦難に勝ち、大学へ。社会人になった今、“今度は自分が”と、未来部の友のもとへ足を運んでいる



学会には、脈々と受け継がれる「人材育成」の伝統だある。池田名誉会長は、その要諦の一つに「自らが受けた恩と励ましを何倍にも変え、後輩に注いでいくこと」と。仏法の根幹である「地恩」「報恩」は、人材育成の真髄でもあるのだ



「伝統」を意味する英語「tradition]の語源は「人から人に手渡すこと」。受け取った広布のバトンを次の世代へーーその挑戦を重ね、わが地域の人材の花園を、いや増して豊にしていこう、(潔)



【聖教新聞:2015年8月29日(土)付】




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     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (2) 立正安国と広宣流布

 仏法を実践する目的は、個人の一生成仏を実現するとともに、自他共の幸福を確立していくことにあります。日蓮大聖人は、現実の社会に自他共の幸福を確立していく実践の指標として、「立正安国」と「広宣流布」を説かれました。
(つづく)

   



           

8月28日(金)のつぶやき

2015年08月29日 01時44分25秒 | 今日の俳句

小説「新・人間革命」

2015年08月28日 13時26分59秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月28日(金)より転載】

【勝利島33】

 広布の潮は、昭和三十年代に入った一九五五年ごろから、各島々に、ひたひたと押し寄せ、年ごとに水かさを増していった。
 奄美群島では、奄美大島、徳之島はもとより、喜界島、加計呂麻島、与路島、請島、沖永良部島、与論島などにも、次々に同志が誕生し、学会の組織が整備されていった。
 山本伸一が第三代会長に就任した翌年の六一年(昭和三十六年)には、奄美に支部が結成される。
 奄美大島の南には加計呂麻島があり、さらに、その南方に与路島や請島がある。
 草創期、与路島の同志は、加計呂麻島や請島へは、手漕ぎ舟で弘教に通った。また、奄美大島の古仁屋で開かれる会合にも、手漕ぎ舟に乗って出かけた。四、五人が同乗し、数時間がかりで海を渡っていくのだ。
 皆、雨合羽を着て乗り込むが、波が高ければ、水しぶきで服は水浸しになる。舟を漕ぐ腕は痛み、体は疲れ果てる。しかし、「ひと漕ぎするたびに宿命転換が近づく」と、励まし合い、荒波を越えていった。
 自分たちを運ぶために、自分たちで漕ぐことから、“お客なし舟”と言って笑い合った。
 加計呂麻島の同志も意気軒昂であった。一日に五キロ、十キロと島内を歩いて友人の家を訪ね、仏法対話に励んだ。
 奄美群島の有人島の五つに、猛毒をもったハブが生息し、加計呂麻島もその一つであった。ハブは夜行性で、夜は危険度を増す。草むらなどでは、いつ襲ってくるかわからない。
 夜、学会活動に出かける時には、松明や石油ランプで足元を照らしながら、片手に長い柄のついた鎌や棒を持って、道の草を払いながら進むのである。
 雨の降る日、座談会の帰りに林道を歩いていると、傘の上に、ドサッと何かが落ちてきた。ハブであった。また、雨宿りをした小屋のムシロの下に、ハブがいたこともあった。
 使命に目覚めた民衆には、あらゆる障害をはね返す力がある。友の幸せを願う民衆の不屈の行動で、日蓮仏法は広がっていったのだ。


     



秋の蝉/今日の俳句 ≪第1878号≫

2015年08月28日 05時02分02秒 | 今日の俳句



  秋の蝉まつはる夕日解きがたし
       飯田龍太


  秋蝉の声引く遠き雲の照り
       山口草堂


  秋蝉ふえしづかなる貧来つゝあり
       石田勝彦


  秋蝉や島に古りたる神楽面
       荒川優子


  秋蝉の声の図太さ鞍馬かな
       長倉閑山


※ 秋の蝉・残る蝉・秋蝉
 たんに蝉といえば夏。立秋過ぎてからも蝉の声は衰えない。春蝉をのぞいて、ほとんどの蝉が八月中は鳴いており、九月になって涼しさが加わると油蝉やニイニイ蝉が姿を消し、九月、時には十月にも声の聞かれるのはミンミン蝉と法師蝉である。同じ蝉でも秋に聞く蝉の声はさわやかにひびく。
→蝉(夏)

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】





     ※わが友に贈る※
 

  地域の力を結集し

  徹して青年を育もう!

  信じ励ます声掛けが

  深き使命の炎を

  若人の魂に点火する!


      2015年8月28日




     ※☆*寸 鉄*☆※


創価の運動は平和と人類の連帯広げる変革の先陣ー博士(インド)。正義の潮流更に

        ◇

決意と実践があれば必ず人間革命はできるー恩師。妙法の力をわが身で証明

        ◇

学会活動の根幹は(1)座談会(2)教学の研鑽(3)一対一の個人指導。幹部率先で

        ◇

御書「蘭室の友に交(まじわ)りて麻畝(まほ)の性と成る」。わが地区の善友と広布に邁進!

        ◇

所得・収入に「満足」は45%で微増とー調査。生活向上へ公明が先導(リード)せよ


【聖教新聞:2015年8月28日(金)付】





     ※北斗七星※


10年以上、出し入れが行われていない預金は年間どのくらいあるのか。正解は約800億円。こうしたお金は「休眠預金」と言われ、心当たりのある方もいるのでは。北斗子もその一人



最後の取引から10年を過ぎ、本人と連絡が取れない休眠預金は原則、銀行の休眠口座に移される。銀行にはこうしたお金が、払い戻しをした額を差し引いても、年間約500億円、収入として計上されている。もちろん、休眠口座に入った後でも請求すれば本人に払い戻しを行う



“休眠”になりやすいパターンがある。一定期間が過ぎても残高が1万円以下の場合には銀行から連絡が入らず気付きにくい。払い戻しは口座開設支店だったりして、面倒な手続きを敬遠しがちになる



今国会を視野に公明を含む超党派の議員立法で、休眠預金活用法案を提出する準備が進んでいる。子どもや若者、日常生活で困難を抱えている人、地域活性化などを支援するNPOや民間団体の活動に休眠預金を有効活用してもらうのが狙いだ



主要国の中で、こうしたお金を銀行の利益にしているのは日本しかない、との指摘もある。活用に当たり、透明性ある仕組みを整えるのは当然のこと。行政では賄いきれない共助の流れを、より太くする一つのアイデアである。意義ある取り組みを応援したい。(広)



【公明新聞:2015年8月28日(金)付】




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     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (1) 一生成仏

 相対的幸福と絶対的幸福

 戸田城聖第2代会長は、幸福には「相対的幸福」と「絶対的幸福」があると述べています。
 相対的幸福とは、物質的に充足したり、欲望が満ち足りた状態をいいます。しかし、欲望には際限がないし、たとえ、一時は満ち足りたようでも永続性はありません。外の条件が整った場合に成立する幸福なので、条件が崩れた場合には、その幸福も消えてしまいます。
 これに対して、絶対的幸福とは、どこにいても、また、何があっても、生きていること自体が幸福である。楽しいという境涯をいいます。それは外の条件に左右されることのない幸福なので、絶対的幸福というのです。成仏とは、この絶対的幸福境涯の確立をいいます。
 現実世界に住んでいる以上、人生にさまざまな苦難はつきものです。しかし、山登りに譬えていえば、頑健な体の持ち主が、少々重い荷物を背負っても悠々と山道を登ることができるように、自身の生命に絶対的幸福境涯を確立した人は、さまざまな困難が起こったとしても、その困難をバネとして、強い生命力を湧き出させ、逆境を悠々と乗り越えていくことができます。
 そして頑健な人は、むしろ、山道が険しければ険しいほど、それを克服していく喜びを味わいます。それと同じように、あらゆる困難を乗り越えていく生命力と智慧を身につけた人にとっては、困難が渦巻く現実世界そのものが、充実感に満ちた価値創造の場となるのです。
 また、環境に依存する相対的幸福が「死」によって途絶えるのに対し、絶対的幸福である仏の境涯は、「自身、法性の大地を生死生死と転(め)ぐり行くなり」(724頁、通解ーーわが身が、妙法の大地を生死生死とめぐり行くのである)と仰せのように、死をも超えて存続していくのです。

   



           

8月27日(木)のつぶやき

2015年08月28日 01時44分41秒 | 今日の俳句

小説「新・人間革命」

2015年08月27日 11時34分40秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月27日(木)より転載】

【勝利島32】

 十島村も三島村も、毎年、台風の通り道となる。石切広武は、地区部長に就任した時から、台風の被災が少なくなるように、島の一人ひとりが幸せになるように、島の広宣流布が進むようにと、懸命に祈り続けてきた。
 当時、十島、三島の両村の主な産業は、農業と漁業である。島での仕事は限られている。若い人の大多数は、中学校を出ると島を離れていく。都会生活への強い憧れもある。本土に行ったまま、戻らぬ人も多い。人口は、減少の一途をたどっていた。
 そのなかで学会員は、強く、明るく、島の繁栄のために頑張り抜いていたのだ。
 周囲の人たちに信心を反対されながらも、笑顔で包み込むように接し、着実に理解者を広げているのである。石切は、その姿に、心が洗われる思いがした。
 硫黄岳が噴煙を上げ、“鬼界ケ島”とも呼ばれる三島村の硫黄島にも、島の人たちの幸せを願って信心に励む婦人の姿があった。夫が病弱で貧しい暮らしのなか、“必ず信心の実証を示し、広宣流布を進めるのだ!”と、懸命に働き、学会活動に励んでいた。
 竹の切り出し作業や、男性に交じって土木工事にも精を出した。新しい衣服も買えず、着物をワラ縄で縛って労作業に励んだ。彼女が仏法の話をしても、皆、蔑み、耳を傾けようとはしなかった。しかし、着実に生活革命の実証を示すにつれて、学会への理解が深まっていった。そして、硫黄鉱山が閉鎖され、不景気な時代が続くなかで、彼女の一家は、立派な家を新築するのだ。
 同じ三島村にある竹島には、かつて他宗の僧をしていた学会員もいた。島で唯一の僧が学会の信心を始めただけに、人びとの戸惑いも、反発も大きかった。しかし彼は、“なぜ、僧であった自分が学会に入会したのか”を通して、日蓮大聖人の仏法の正しさ、偉大さを、厳然と訴え抜いていったのだ。
 石切は、今まさに、地涌の菩薩が躍り出ているのだと、心の底から実感するのであった。
 広宣流布の時は、到来しているのだ。


     



秋の蚊/今日の俳句 ≪第1877号≫

2015年08月27日 06時35分00秒 | 今日の俳句
  一夜二夜秋の蚊居らずなりにけり
       正岡子規


  やせずねに秋の蚊をうつ響あり
       坂本四方太


  畳より秋の蚊たちし豪雨かな
       山口いさを


  残る蚊をかぞへる壁や雨のしみ
       永井荷風


  あぶれ蚊や去り難くゐて翁塚
       見市六冬


※ 秋の蚊・残る蚊・別れ蚊・後れ蚊・蚊の名残
 蚊も涼しくなると発生が急激に減る。蚊帳を用いなくなる時期は、全国的に九月十日ごろから九月二十日ごろまでであるから、立秋以降かなり長いあいだ蚊に苦しめられているわけである。
 八、九月の残暑のきびしいころの蚊は、真夏のそれにおとらず勢いが強いが、十月を越すと、蚊の力は衰え、もうあまり人を刺さなくなる。
→蚊(夏)

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】





     ※わが友に贈る※
 

  友のもとへ足を運び

  語り合うことが

  広布伸展の王道だ!

  組織の最前線から

  希望の波動を起こせ!


      2015年8月27日




     ※☆*寸 鉄*☆※



全国で賑やかに座談会!広宣流布こそ平和の道。堂々と民衆勝利の行進を

        ◇

「総秋田女性の日」。婦女一体のスクラムは磐石。幸福の花園を地域に拡大

        ◇

偉大な人は力強く考え、力強く生きるのだー哲人(エマソン)。青年は有言実行の将たれ

        ◇

火災警報器の普及、8割止まりと。設置は義務。万全の備えで惨事を防げ

        ◇

既卒者の正規採用で企業に助成金支給へー厚労省。公明よ若者支援策さらに





     ※名字の言※


人間が生み出す科学技術は、日進月歩で向上する。だが、人間そのものは、一朝一夕には、“進化”しない



世界陸上・男子100メートルで連覇を果たしたウサイン・ボルト選手。6年前、世界新記録の9・58秒を出した時、ゴールまで41秒で走ったという。平均すると1歩あたり0・23秒になる。1996年につくられた、当時の世界記録が9・84秒。およそ「1歩分」を縮めるのに、13年の歳月を要したことになる



熱戦に沸いた夏の高校野球。準優勝に輝いたチームに高等部員がいた。決勝戦後のテレビのインタビューで、彼の言った言葉が心に残った。「あと一歩で悲願達成だった。その一歩はとても険しくて大変だと思った」



彼は今春の選抜大会にも出場。惜敗した2回戦では、チャンスの場面で凡退し、悔しさが残る大会だった。家族の「ここぞという時に力を発揮できる自分になろう」との激励を胸に、修練を積んで臨んだ今大会。決勝戦の6回裏、二死満塁で彼は3点三塁打を放ち、試合を一時、振り出しに戻した。家族と周囲の励ましに応える一打だった



険難の峰に近づくほど、一歩進むことは難しくなる。しかしそこに、困難に挑戦する人間の気高さが表れる。挑み続けること自体が勝利と。この夏に学んだ。(白)


【聖教新聞:2015年8月27日(木)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (1) 一生成仏

 煩悩即菩提・生死即涅槃
           
(前号より)
 煩悩に覆われ、悪業を積み、苦悩にさいなまれている凡夫であっても、自身の内に仏界が具わっているという真実に目覚めれば、仏の覚り(菩提)の智慧を発揮し、苦悩から解放され、自在の境地を得ることができるのです。
 煩悩に覆われた苦悩の身が、そのまま菩提の智慧に輝く自在の身となるのです。この法理を「煩悩即菩提」といいます。
 日蓮大聖人は、自身の内なる仏界とは、南無妙法蓮華経であると示されています。
 私たちは、南無妙法蓮華経の御本尊を信じて題目を唱え、尊厳なる本当の自分に目覚めれば、生き抜く智慧がわき、苦難に挑戦し、乗り越える確信と勇気が出て、他の人を思いやる慈悲も現れてくるのです。
 「生死即涅槃」とは、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えていけば、生死によってもたらされる苦しみの境涯にある生命に、仏の覚りによって得られる安穏な境涯(涅槃)を開き顕していけることを示しています。
 「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の法理は、妙法の信心に立脚する時、あらゆる苦悩を自身の成長と幸福の因に転じていく積極的な生き方が可能になることを教えているのです。

   



           

8月26日(水)のつぶやき

2015年08月27日 01時45分32秒 | 今日の俳句

小説「新・人間革命」

2015年08月26日 11時26分32秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月26日(水)より転載】

【勝利島31】

 各島々を回る石切広武を、家族は力を合わせ、必死になって支えた。
 島の人びとの暮らしも、学会活動も、本土の都市にいたのでは想像もできない大変さがあった。石切が地区部長になったころ、まだ港が整備されていない島が多く、沖で櫓漕ぎの艀に乗り移って、島に向かわなければならなかった。頭から足まで、びしょ濡れになる。
 船から荷を降ろして運ぶには、島に艀を操れる人がいなくてはならない。たとえば、十島村の臥蛇島では、島民が数世帯に減少し、その作業をできる人がいなくなってしまったことから、一九七〇年(昭和四十五年)に全住民が島を離れ、無人島となっている。
 吐噶喇列島の北の玄関口にあたる口之島で二十四時間送電が実現したのは、七八年(同五十三年)七月からである。それ以前は、島の自家発電所による給電であり、時間制限があった。また、供給が不安定で、座談会の最中に停電することもあった。
 ある時、石切は皆に学会の映画を見せたいと思い、映写機を担いで学会員宅を訪問。スイッチを入れると、映写機の電球が切れた。予備の電球も切れてしまい、上映できなかった。自家発電のため、電圧が本土と違っていたのだ。次回からは変圧器持参となった。
 島内を回るには、二時間、三時間と、ひたすら歩くしかない。真っ暗な夜道を歩いていて、側溝に落ちたこともある。
 石切のバッグには、幾つもの即席麺が入っていた。自分の食事のことで、島の同志に迷惑をかけるわけにはいかなかったからだ。
 海が荒れ、船が欠航すれば、何日も島で待たなければならない。しかし、その間、一人ひとりと、じっくりと対話ができた。
 島では、一人が本気になれば、広宣流布は大きく開かれるが、一人の退転や離反で、組織が壊滅状態に陥ってしまうこともある。
 “不撓不屈の決意に立つ、広布の闘士を育てよう。それには、俺が不撓不屈の人になることだ。師子となってこそ、師子を育てることができる”――彼は自分に言い聞かせた。