【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月20日(木)より転載】
【勝利島26】
人の住む島といっても、その規模は、さまざまである。佐渡島のように、面積も八百五十平方キロメートルを超え、二万数千世帯もの人が住む島もあれば、面積も小さく、数世帯、数十世帯の島もある。
愛媛県の宇和島港から西方約二十キロの海上に浮かぶ嘉島は、周囲三キロほどの小さな島である。この一九七八年(昭和五十三年)当時、嘉島の人口は七十四世帯二百二十五人であった。島には、学校は小学校しかなく、中学校から島を出て寄宿生活になる。
その島に、二十一世帯の学会員が誕生していたのである。地域世帯の三割近くが学会員ということになる。広宣流布が最も進んでいる地域の一つといえよう。
嘉島広布を支えてきた住民の一人が、大ブロック担当員(後の地区婦人部長)の浜畑マツエであった。彼女は六四年(同三十九年)、闘病を契機に、島の学会員の紹介で信心を始めた。小さな島では、皆、仲間である。ところが、弘教を開始すると、人びとの態度は、急激に変わっていった。
島の旧習は深かった。誰かが病気で手術をするなどという時には、“お籠もり”といって、社寺に集まって皆で祈ることも行われていた。人びとは、入会した浜畑が弘教に励む姿を見て、島の秩序を破壊しているかのように感じたようだ。
あいさつを返してくれない人が増えた。なかには、ひそかに、「すまんのぉ。あんたと話しおったら、あんたらと一緒やと思われるけんのぉ」と告げる人もいた。
また、仏法の話を聞いて納得はしても、入会には踏み切れず、こう言うのだ。
「いい教えだと思うけど、ここにおるうちは、信心するわけにはいかんけんのぉ。ここから出たら、信心してもええが」
島が小さければ小さいほど、人間関係は深く、強い。人びとは、すべての面で助け合って生きねばならない。そのなかで学会理解を促すには、日々の生活のなかで、信頼を勝ち取ることが必須条件となる。