和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

厚田(十三)小説「新 ・人間革命」

2012年06月30日 10時43分28秒 | 今日の俳句
    小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2012年 (平成24年)6月30日(土)より転載】

 

厚田14(6/30)
 戸田講堂の開館を記念する勤行会は、山本伸一の詩を歌にした「厚田村」の大合唱で幕を閉じた。

 引き続き伸一は、講堂の前で、北海道の広宣流布に尽力してきた功労者らと記念のカメラに納まり、墓地公園内の管理センター前広場で行われた祝賀の集いに出席した。

 彼は、墓園の関係者らに声をかけ、握手を交わしながら歓談した。 墓地公園の所長である伊藤順次が、目を潤ませながら伸一に語った。

 「厚田村に、こんなに立派な墓地公園ができるなんて、夢のようです。二十年ほど前には、想像することもできませんでした」

 伸一は、包み込むような笑みを浮かべた。
 「厚田が、ここまで立派になったのは、あなたの奮闘の賜物です。ありがとう!」

 伊藤の目から、大粒の涙があふれた。 彼は、一九五四年(昭和二十九年)夏の入会である。小樽で、妻のサダ子と共に美容院を営み、地域に信頼の輪を広げながら、北海道広布を担ってきた壮年であった。

 入会七カ月後の五五年(同三十年)三月十一日、身延の日蓮宗と教えの正邪を決する「小樽問答」が行われた。これは、日蓮宗と日蓮正宗の法論となるはずであったが、結局は逃げ腰の宗門に代わって、学会の代表が法論することになったのである。伊藤は小樽班の庶務係として、その運営に携わった。

 身延の日蓮宗側は、僧籍をもつ大学教授らが法論の登壇者である。一方、学会側の登壇者は、僧でもなければ、仏教学者でもない。

 伊藤は“本当に法論で勝てるのか”と、開始直前まで不安を拭えずにいた。

 そんな伊藤を見て、司会者の伸一は、確信に満ちあふれた声で、きっぱりと言った。

 「大丈夫です。必ず勝ちます!」

 学会は、日蓮大聖人の正法正義を守り抜いてきた。また、身延の信徒の多くが、折伏によって、その誤りを打ち破られ、学会に入会している。それゆえに、伸一は大確信をもって答えたのだ。真実こそ、確信の母である。

聖教新聞/名字の言

2012年06月30日 10時26分40秒 | 今日の俳句
     名字の言

【「聖教新聞」平成24年6月30日(土)より転載


(6/30)
 「釜ケ崎人情」「花街の母」など、数々のヒット作品を生み出した作詞家・もず唱平氏にお会いした折のこと。名付け親は、師匠の喜志邦三氏と聞く。なぜ「もず」か?



戦時中、軍の厳しい圧力のため、喜志氏は、意思に反して戦意高揚の歌を作る。生涯、そのことを悔やんだ。鳥のモズが群れずに一羽で飛ぶように、たとえ一人になっても、平和の大切さを叫び続けてほしい。その強い思いを弟子の名に託したのだ



もず氏は現在、大阪国際平和センター理事を務める。平和運動の重要な視点として、池田名誉会長の提言「持続可能な地球社会への大道」を通して、「一人一人が“なすべきこと”を考える。それが、平和推進の座標軸」と語っておられた



世の大勢に抗って平和を叫ぶには勇気がいる。覚悟が本物であったか否かがあらわになる。軍国主義に抗し、牧口初代会長は獄死、戸田第2代会長は2年間の投獄に耐えた。いかなる時も「正しい」ことは「正しい」と言い切る。その「一人」の勇気が万波と広がり、平和の潮流は生まれる。そうした「屹立した人格」を育むのが宗教であり、教育の使命であろう



なすべき時に、なすべきことをなす勇気。ここに、創価の魂があり、平和創造への道がある。

         (芯)

瓜苗/今朝の俳句 No.965

2012年06月30日 05時30分05秒 | 今日の俳句
瓜苗/今朝の俳句 No.965・2012年(平成24年)6月30日(土)


■ アインシュタイン記念日
1905年6月30日、アルベルト・アインシュタインが相対性理論に関する最初の論文「運動物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌『アナーレン・デア・フィジーク』に提出した。

■ 集団疎開の日
1944年6月30日、東条英機内閣が集団疎開の促進要綱を閣議決定した。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


   ☆☆※☆☆※

    今朝の俳句

   ☆☆※☆☆※


 瓜苗やたたみてうすきかたみわけ
      永田 耕衣


 瓜苗やたヽみてうすきかたみわけ
      永田 耕衣


 杓の水早く吸ひこむ胡瓜苗

      西尾 北鳴


※ 瓜苗→胡瓜苗
 4月~6月にかけて塊根から発芽、あるいは実生する。
 花期は夏で、7月~9月にかけての日没後から開花する。雄花の花芽は一ヶ所から複数つき、数日間連続して開花する。
 対して雌花の花芽は、おおむね単独でつくが、固体によっては複数つく場合もある。
 花弁は白色で主に5弁(4弁、6弁もある)で、やや後部に反り返り、縁部が無数の白く細いひも状になって伸び、直径7~10cm程度の網あるいはレース状に広がる。
 花は翌朝、日の出前には萎む。 こうした目立つ花になった理由は、受粉のため夜行性のガを引き寄せるためであると考えられており、ポリネーターは大型のスズメガである。
 カラスウリの花筒は非常に長く、スズメガ級の長い口吻を持ったガでなければ花の奥の蜜には到達することはできず、結果として送粉できないためである。
雌花の咲く雌株にのみ果実をつける。果実は直径5~7cmの卵型形状で、形状は楕円形や丸いものなど様々。熟する前は縦の線が通った緑色をしており光沢がある。10月から11月末に熟し、オレンジ色ないし朱色になり、冬に枯れたつるにぶらさがった姿がポツンと目立つ。
 鮮やかな色の薄い果皮を破ると、内部には胎座由来の黄色の果肉にくるまれた、カマキリの頭部に似た特異な形状をした黒褐色の種子がある。
 この果肉はヒトの舌には舐めると一瞬甘みを感じるものの非常に苦く、人間の食用には適さない。鳥がこの果肉を摂食し、同時に種子を飲み込んで運ぶ場合もある。
 しかし名前と異なり、特にカラスの好物という観察例はほとんどない。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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   わが友に贈る/寸鉄

【「聖教新聞」平成24年6月30日(土)より転載


   ☆☆※☆☆※

   わが友に贈る

   ☆☆※☆☆※


 師弟の誓いが輝く

 学生部結成の日

 おめでとう。

 君達の英知と勇気で

 全世界に希望の光を!


    ☆6月30日☆


  ☆☆※☆☆※☆

    【寸 鉄】

  ☆☆※☆☆※☆


SGIは前途光に満ちた哲学で人々の精神を潤すー博士(ロシア)。人間主義の大河



「師弟の日」7月へ。あす東京婦人部の拡大月間が開幕。朗らかに幸の行進



信行学に励み自分の生命に磐石の福運をつけよー恩師。青年時代の鉄則



大なる思想は大なる人間を育むー闘士(マッツィー二)。広布に生き抜く民衆の連帯は偉大



7~12月の潮位高し。被災地は冠水に要注意と。生命守る対策を最優先で

6月29日(金)のつぶやき

2012年06月30日 01時37分09秒 | 御書
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聖教新聞/名字の言

2012年06月29日 06時41分07秒 | 今日の俳句
     名字の言

【「聖教新聞」平成24年6月29日(金)より転載


(6/29)
 「己を知る」ことは難しい。ましてや「人を知る」ことは容易ではない。相手の個性を認め、良さを見いだしていく努力が必要になる



映画監督の山田洋次氏が、著書『「学校」が教えてくれたこと』(PHP研究所)で、養護学校を定年退職した校長の言葉を紹介していた。「教師は教室のゴミになれ」。きつい表現だが、目立たず、じっと子どもを観察すれば、今まで見えなかった子どもの良さが分かるようになる、ということだ



特に知的発達の遅れた子の場合、症状の現れ方は一人一人違う。“その子どもがどう悩み、何に怒り、何をすれば喜ぶのか。子どもから教えてもらう気持ちが大切”と、校長は言う



「人が自分を知ってくれないことを気にかけないで、人を知らないことを気にかけることだ」(金谷治訳)と、『論語』にはある。私たちの活動にも当てはまろう。皆、会合の時に見せる“顔”と、仕事、地域、家庭での“顔”はまた違う。そういう相手の状況を知ってこそ、胸襟を開いた実りある対話ができる



サン=テグジュペリの言葉に「他人の心を発見することによって、人は自らを豊富にする」(「人間の土地」堀口大學訳)と。人と会い、語り、知り、学び、心を豊かにする喜びを味わいたいものだ。
           (敬)

苺(いちご)/今朝の俳句 No.964

2012年06月29日 05時08分12秒 | 今日の俳句
苺(いちご)/今朝の俳句 No.964・2012年(平成24年)6月29日(金)


■ 佃煮の日。
全国調理食品工業協同組合が2004年に制定。
佃煮の発祥の地である東京・佃島の氏神・住吉神社が創建されたのが正保3(1646)年6月29日であることから。

■ ビートルズ記念日
1966年6月29日、人気絶頂のイギリスのロックグループ・ビートルズが初来日した。
翌日から東京・日本武道館で3日間5回の公演を行った。学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導された。


【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


   ☆☆※☆☆※

    今朝の俳句

   ☆☆※☆☆※


 野苺にかしぐ石みな遍路の墓
      品川 鈴子


 苺ジャム男子はこれを食ふ可らず
      竹下しづの女


 ただ苺つぶし食べあふそれでよし

      中村 汀女


※ 苺→覆盆子(いちご)・草苺・苺摘み・苺畑。
 最近では、ショートケーキの上にのっていたり、果実店でも、ほとんど一年じゅう口にすることができるようになり、親しみがあるが、やはり甘酸っぱい味は初夏のものといえよう。
 食卓にのぼっている苺の多くは、和蘭苺で、バラ科の多年草。
 和蘭苺は、幕末に日本に移入されたが、栽培が本格的に始まったのは、明治の末期。静岡の久能山の麓や栃木県などが主な産地である。

【「俳句歳時記・第四版・夏/角川学芸出版」より転載】 


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   わが友に贈る/寸鉄

【「聖教新聞」平成24年6月29日(金)より転載


   ☆☆※☆☆※

   わが友に贈る

   ☆☆※☆☆※


広布の大願にたてば

 勇気と智慧が湧く。

 師子王の信心で

 強盛に祈り抜き

 一切を前進の力に!


    ☆6月29日☆


  ☆☆※☆☆※☆

    【寸 鉄】

  ☆☆※☆☆※☆


SGIの運動の正当性は友(メンバー)の誠実な姿にー市議(ブラジル)。振る舞いこそ仏法の証し



今日を生きよ。一日一日を尊敬せよー文豪(ロラン)。地道な挑戦を!その先に栄光



御書「思い切って強強に申したりき」。躊躇は無用だ!若獅子よ正義を叫べ



この夏は西日本で猛暑の可能性ー気象庁。熱中症に注意。賢く健康管理を



高齢者の交通死亡事故、25%は自宅から500m以内と。慣れた道こそ用心!

妙法を持(たも)つことが最高の親孝行【御書とともに】(83)

2012年06月29日 04時59分10秒 | 今日の俳句
  【御書とともに】(83)


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【「聖教新聞」平成24年6月29日(金)より転載


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  名誉会長が指針を贈る  

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妙法を持(たも)つことが最高の親孝行


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  法華経持(たも)ち奉るを以(もっ)て一切の孝養の最頂とせり
(御義口伝、774頁)


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【通解】
 妙法蓮華経を持ちたてまつることを、一切の孝養のなかで最高としたのである。


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【同志への指針】
 
 妙法を受持することは、自身と両親の生命を無量の福徳で包み、最上の親孝行になる。
 たとえ親が信心をしていなくても、わが子が唱える題目の力によって、必ず成仏へと導き、根本の孝養を果たせる。
 また、亡くなられた親にも、最高の追善回向ができる。
 自分が太陽と輝いていけば、家族も眷属も社会も照らしていけるのだ。
 ともあれ、学会っ子は親孝行であれ!父母に笑顔を忘れずに!

聖教新聞/名字の言

2012年06月28日 08時34分07秒 | 今日の俳句
     名字の言

【「聖教新聞」平成24年6月28日(木)より転載



  ☆☆※☆☆※☆

  【名字の言】

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(6/28)
 大震災の被災地である宮城・石巻で、壮年部の友が作詞・作曲した「水平線を越えて」が話題になっている



震災で逝いた人に向けられた同曲は、ローカル紙や地元FM局でも取り上げられた。果てしない宇宙の海に眠る生命に捧げた追悼の歌は、聴く人の心を揺さぶる。同曲は先日、ある催しで大賞に。9月の東北地区大会への出場が決まった



長年、詩を創作してきた宮城・気仙沼の壮年部員。大津波で家の土台も残らなかった。書きためた詩も全部失ったが気づいたことがある。詩に込める思いが、震災前とは深さが全く違っているという。今、書いている詩は「絆の花――あなたは今どこにいますか」。この題で、連続する詩を残していきたいと語ってくれた



被災地の瓦礫は片付きつつあるが、一家の柱にとって重要な仕事や住宅問題など先行きは全く不透明だ。その中で、歯がみして壮年部は踏ん張っている



■〈歌印〉滝の如く 激しく 滝の如く 撓まず――池田名誉会長は「滝の詩」を東北の地で詠んだ。今、石巻躍進県と気仙沼圏では、この歌を皆で歌おうと、それぞれが壮年部の大会を目指す。震災後初となるその集いは7月1日。■〈歌印〉滝の如く 堂々と 男は王者の風格を持て――思いを込めて歌い上げる。          (濤)

厚田(十二)小説「新 ・人間革命」

2012年06月28日 07時18分29秒 | 今日の俳句
    小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2012年 (平成24年)6月28日(木)より転載】

 

厚田12(6/28)
 歓喜をはらんだ山本伸一の力強い声が、広々とした畳敷きの講堂に響いた。

 「わが同志と一緒に、どこかで静かに眠りに就きたい――この恩師の遺言を、生死不二の原理に照らしていうならば、再び新たなる生命を蘇らせ、共々に広宣流布に戦っていこうとの意味でありましょう。

 その永遠の広布旅、師弟旅の象徴ともいうべきものが、この墓地公園であります。

 ともかく、快晴の見事な慶祝日和に恵まれ、この新たな創価学会の原点の地に、本日、われら弟子が、このように喜び勇んで参集できた事実は、何よりも御本尊の賞讃のしからしむるところと確信してやみません。
恩師・戸田先生のお喜びもいかばかりであろうかと、思わずにはおれない心境であります。

 私自身、会長就任十七年半の間、幾多の慶事を迎えてきましたが、本日は、ことのほか嬉しく、また、晴れがましい慶事であると思っておる次第でございます」

 それは、伸一の偽らざる心境であった。

 彼は、誇らかに、宣言するように語った。

 「創価学会の基盤も、これで完璧に出来上がったと言っても過言ではありません!

 この恩師ゆかりの厚田の大地は、私にとって〝心の故郷〟であります。
これからも、この地を訪れ、生涯にわたって同志を守り、恩師の遺徳を偲びながら、広布開拓の歴史を創っていきたいと念願してやみません。

 皆さん方も、苦しい時、辛い時、行き詰まった時には、この地を訪れて墓参し、唱題して、恩師の心をわが心とし、蘇生して帰ってください。
そして、広宣流布への満々たる闘志をたぎらせ、生死不二、師弟不二の旅をしていっていただきたいのであります」

 この日は、戸田講堂の晴れの開館の儀式である。伸一は、“今日は厳しいことは言わず、ここで話を終えようか”と思った。

 しかし、広宣流布の道は常に険路である。この先、何が待ち受けているかわからないのが現実である。そう思うと、彼は、皆の覚悟を促さないわけにはいかなかった。

アマリリス/今朝の俳句 No.963

2012年06月28日 05時44分00秒 | 今日の俳句
アマリリス/今朝の俳句 No.963・2012年(平成24年)6月28日(木)


■ 貿易記念日。
通商産業省(現在の経済産業省)が1963年に制定。
安政6年5月28日(新暦1859年6月28日)、江戸幕府がロシア・イギリス・フランス・オランダ・アメリカの五か国に、横浜・長崎・箱館(函館)での自由貿易を許可する布告を出した。

■ パフェの日。
1950年のこの日、巨人の藤本英雄投手が日本プロ野球史上初のパーフェクトゲーム(完全試合)を達成したことに因み、「パフェ(parfait)」がフランス語で「完全な(パーフェクト)」という意味であることから。

■ 芙美子忌。
小説家・林芙美子 の1951年の忌日。
(はやし ふみこ、1903年(明治36年)12月31日 - 1951年(昭和26年)6月28日)は、日本の小説家。物心ついた小学生時代に貧しかった生い立ちからか、底辺の庶民を慈しむように描いた作品に、ことに名作がある。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


   ☆☆※☆☆※

    今朝の俳句

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 目をあけて見る夢が好きアマリリス
      平井 露香


 アマリリス跣(はだし)の童女はだしの音
      橋本多佳子


 アマリリス過去が静かにつみかさなる
      横山 白虹


※ アマリリス。
 ヒガンバナ科の球根植物。
 原産は南アメリカであるが、いくつかの原種が交雑してできた園芸種。
 六~七月ごろ、三〇~六〇センチの茎の頂に、ゆりに似た大きな花が数個横向きに開く。
 花は六弁で品種によって赤・橙・ピンク・白のほか、白と赤との絞りなどがある。    
      

【「俳句歳時記・第四版・夏/角川学芸出版」より転載】 


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   わが友に贈る/寸鉄

【「聖教新聞」平成24年6月28日(木)より転載


   ☆☆※☆☆※

   わが友に贈る

   ☆☆※☆☆※


 さあ躍動の7月へ

 青年が先頭を往け!

 生き生きと舞い、走り

 希望の沃野を開け!

 大誠実の丈夫(ますらお)たれ。


    ☆6月28日☆


  ☆☆※☆☆※☆

    【寸 鉄】

  ☆☆※☆☆※☆


「確かな哲学を持つ創価の青年は文明建設の力」日本の学者。俊英よ輝け



人は勇敢であればあるほど幸せであるー哲学者(ゼネカ)。民衆勝利へ恐れなく前進



南無妙法蓮華経と唱えるは常楽我浄の四得の香。希望の薫風を友のもとへ



節電は無理なく無駄なく心地よく。室温28度に。適度な水分・塩分補給も



振り込め詐欺の有力情報に報奨金ー某自治体。衆知集めて邪鬼を退治せよ

出來もしない約束を国民としたのは小沢氏だ。正義ではなく普通これは詐欺という」

2012年06月27日 14時36分02秒 | 今日の俳句
土屋正忠のブログにようこそ!
http://blog.m.livedoor.jp/shugiin08846/index.cgi

「衆議院本会議で造反・反対57名、正義は我にあると小沢一郎氏。出來もしない約束を国民としたのは小沢氏だ。正義ではなく普通これは詐欺という」
【2012.06.27】

昨日衆議院本会議の消費税増税の採決で、与党民主党から57名の造反者が出た。
予想された数の範囲だが、これが同じ党なのかという印象だ。

小沢さんは勝ち誇ったように「正義は我々にある」と言い放った。
ならば総選挙の時のマニフェスト「我々が政権を取れば、特別会計の統廃合などにより16兆円の財源を生み出す」を実現して欲しい。
国民に出來もしないマニフェストを掲げて票を取る最低の政治モラルだ。
世の中ではこういう行為を「正義」とは呼ばず「詐欺」またはペテンという。貴方に正義を語る資格はない。

聖教新聞/名字の言

2012年06月27日 07時01分02秒 | 今日の俳句
     名字の言

【「聖教新聞」平成24年6月27日(水)より転載



(6/27)
 紫陽花には「七変化」の異名があるという。
土壌が酸性度が高いと、花の青色が強くなり、アルカリ度が増すと赤が強く出る。咲く環境によって花の色合いを変える特徴から、そう呼ばれるようになった




人間の心も、縁する環境で、どのようにも変化する。御書に「一人一日の中に八億四千念あり」(471頁)と。
瞬間瞬間、移ろいゆく心をどこに定めるか。それが人生を決めていく



大手銀行に勤める大阪の女子部員。順調に営業成績を伸ばしていた。
だが、2008年のリーマン・ショックを境に環境が激変。成績が伸びないどころか、顧客からの苦情の嵐にあった



“逆境の時。だからこそ、一人一人の顧客に誠実に接することに徹しよう”と彼女は心に決め、真剣に祈った。顧客の話には、誠意を尽くして耳を傾けた。
遠い道程にも思えたが、徐々に成績は回復。営業以外の優れた業績も認められ、このほど全国の行員でただ一人、個人部門の表彰を受けた



紫陽花の語源は「集真藍」、つまり“真の藍色の花が集まる”との説が有力という。
「法華経はあいのごとし修行のふか(深)きは・いよいよあを(青)きがごとし」(御書1505頁)。強い信心でわが生命を染め抜き、日々成長の軌道を進みたい。
          (芯)

厚田(十一)小説「新 ・人間革命」

2012年06月27日 06時36分41秒 | 今日の俳句
    小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2012年 (平成24年)6月27日(水)より転載】

 

厚田11(6/27)
 翌十月一日は、厚田・戸田講堂の開館式の意義をとどめる記念勤行会、祝賀の集いなどの諸行事が行われることになっていた。

 朝、山本伸一は、講堂の窓から外の景色を眺めた。雲ひとつない秋空が広がり、色づき始めた木々が、鮮やかに陽光に映えていた。

 正午過ぎ、北海道の同志の代表らが集い、戸田講堂の開館記念勤行会が、厳粛に営まれた。伸一は、そのあいさつのなかで、戸田記念墓園、並びに戸田講堂の完成を心から祝福するとともに、北海道の同志ら関係者の努力に、深く感謝の意を表した。そして、この墓地公園の意義について語っていった。

 「恩師・戸田先生の遺徳を顕彰する、この厚田の墓地公園は、恩師の遺志を実現したものであります。墓園の構想は、ある時、戸田先生が何げなく語られた、一言に由来しています。先生は、こう言われました。

 『われわれは、未曾有の広宣流布のために、地から湧き出た学会っ子であり、地涌の菩薩である。この末法の現実の世界で、波瀾万丈の戦いをしきって一生を生き、あとは、わが同志と一緒に、どこかで静かに眠りに就きたいものだな』

 この当時は、戸田先生も、まだお元気なころで、広宣流布という長途の旅へ、共々に励まし合いながら進んでいく過程での話でありました。ゆえに、どこという場所の明示はされておりません。

 その恩師の言葉は、私の脳裏に焼き付き、消えることはありませんでした。このお言葉が、一つの重要な構想を芽生えさせていったのであります。

 以来、熟慮を重ね、また、学会の首脳、北海道の首脳幹部とも話し合い、恩師の出獄三十周年の佳節にあたる一九七五年(昭和五十年)、厚田に墓地公園建設が正式決定し、ここに実現の運びとなったのであります」

 伸一は、戸田の言葉を、一言たりとも聞き流すようなことはなかった。すべてを生命に刻み、すべてを実現させてきたのだ。そこに真実の師弟の道がある。