和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年08月04日 08時28分05秒 | 新・人間革命
小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月4日(火)より転載】

【勝利島13】

 島の人びとの心に兆した誤解や偏見は、日蓮仏法、創価学会を、島の風俗、習慣、伝統とは相いれないものとして、排除しようとする動きとなっていく。
 特に、信心を始めた人が、地位も財力もない、弱い立場であればあるほど、周囲の反発、圧力は激しく、弾圧、迫害となってエスカレートしていく。時には、人権を脅かす村八分や暴力事件となることもあった。
 島に逃げ場はない。あまりの非道な仕打ちに訴え出ようにも、駐在所もなく、警察官がいない島も少なくない。また、警察官はいても、島の複雑な力関係のなかでは、法律よりも、島の習わしや無言の掟の方が重く受けとめられてしまうこともある。
 そうしたなかで、同志は、島の繁栄を願って、広宣流布の旗を掲げてきたのである。
 九州北西部の本土から約二キロのところに、人口三千人ほどの島がある。この島で、一九六〇年代に迫害の嵐が吹き荒れた。
 五九年(昭和三十四年)五月、島で最初の学会員夫妻が誕生した。近野春好と妻のマツである。マツがひどい更年期障害で苦しんでいた時、長崎県佐世保の知人から仏法の話を聞き、〝楽になるなら〟と入会した。
 信心を始めた直後から、マツは、体にも心にも、まとわりついていたような重さが抜け、病状の好転を実感した。これが知人の言っていた「初信の功徳」かと思った。
 歓喜した夫妻は、教えられた通りに、弘教に励んだ。精神的にも不安定で、ふさぎ込んでいたマツが元気になり、はつらつと仏法を語る姿に、地域の人たちは驚き、数カ月の内に四世帯が入会した。
 翌年八月、夏季地方指導が行われ、会員世帯は大幅に拡大。当時の学会の最前線組織である「組」ができ、やがて二十二世帯に発展する。さらに、六一年(同三十六年)八月の夏季地方指導では、「班」が結成される。すると、「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」(御書一〇八七頁)の文のごとく、障魔の嵐が猛り始めたのである。
                         

小説「新・人間革命」

2015年08月04日 06時03分22秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月3日(月)より転載】

【勝利島12】

 山本伸一は、懇談の席で、離島の婦人たちの近況に、じっくり耳を傾けた。
 多くの島の暮らしは、決して豊かとはいえない。島を出て、大都市に働きに出る人も後を絶たない。そのなかで、学会員は、人びとの幸せと島の繁栄を願い、ひたすら信心に励んできたのだ。
 伸一は、力強い声で語り始めた。
 「皆さんが、泣くような思いで広布の道を開き、どれほど苦労されてきたかを、私は、よく知っています。さまざまな島の方々から、たくさんのお便りもいただいています。また、全国各地を訪問するたびに、離島から来られた方とは、できる限りお会いして、懇談するようにしてきました。
 皆さんは、偶然、それぞれの島に暮らしているのではない。日蓮大聖人から、その島の広宣流布を託され、仏の使いとして、地涌の菩薩として、各島々に出現したんです。
 仏から遣わされた仏子が、負けるわけがありません。不幸になるわけがありません。
 ですから、どんなに苦しかろうが、歯を食いしばり、強い心で、大きな心で、勇気をもって、頑張り抜いていただきたい。
 私は、離島にあって、周囲の人たちに信心を反対されながらも、着実に信頼を勝ち取り、広宣流布の道を開いてこられた方々こそが、真正の勇者であり、真実の勝利王であると思っています。学会のいかなる幹部よりも、強盛な信心の人であり、創価の大英雄です。
 今日の総会に出席させていただくのも、その皆さんを賞讃するためであり、それが、会長である私の務めであるからです」
 島で広宣流布の戦いを起こすのは、決して、生易しいものではない。島には、それぞれの風俗、習慣、伝統があり、それを人びとは、宗教を考えるうえでも尺度としてきた。
 そのなかで学会員が誕生する。島民は、初めて、自他共の幸福と社会建設をめざす創価学会という躍動した宗教と出合う。当然、それは、これまでの宗教の範疇に収まるものではない。それゆえ、誤解、偏見が生じる。

                         

秋暑し/今日の俳句 ≪第.1854号≫

2015年08月04日 05時46分15秒 | 今日の俳句
  太陽はいつもまんまる秋暑し
       三橋敏雄


  秋暑し気をとりなおす犬の顔
       田沼文雄


  秋暑し女のかこむラフレシア
       内田美沙


  青森暑し昆虫展のお嬢さん
       佐藤鬼房


  秋暑しホームページの風はなく
       久森知子



※ 秋暑し・残暑・残る暑さ・秋の暑さ・秋暑
 立秋を過ぎてもまだ暑さが厳しいこと。一度涼しさを味わってしまった体には、むしろ残暑の方が厳しいものである。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】





     ※☆*わが友に贈る*☆※


  先輩は後輩を

  自分以上の人材に!

  これが育成の魂だ。

  真剣と情熱の言葉で

  心奮いたたせる対話を!


        2015年8月4日





     ※☆*寸 鉄*☆※


現状に甘んじるな。常に新しい何かを見だせー恩師。青年の心で挑戦!

        ◇

東西の創価学園生が文武両道の活躍!創立者の期待を胸に未来へ羽ばたけ

        ◇

「星空に親しむ週間(スター・ウィーク)」。親子で天空見上げ、宇宙と生命の尊厳語らう一時を

        ◇

医療機器AED,一般市民の使用は4%足らず。設置場所・使用法を確認

        ◇

振り込め詐欺、地方の大都市圏で急増と。最大に警戒。人間の絆更に強く









     ※☆*名字の言*☆※



作家・吉川英治氏のもとに、ある時、菓子が届いた。ふたを開けると、菓子に見事な装飾が施されている。氏は、美しいと思う一方で違和感も覚えた。飾りすぎではないか、と。服飾や建築も「過剰なデザイン」を好まなかった。



人についても、氏の見方は同様である。「人間でも、ほんとの人物ほど、ありのままだ」「民衆の素朴さは、それゆえに尊いのだ」(『吉川英治全集52』講談社)。偉大な人は、内面からその魅力が発散しているから、肩書きなどで、過剰に外面を飾る必要がない。そして、市井の庶民の中に、その真に偉大な人間はいるーーこれが氏の信条だった



「大動脈弁狭窄症」で手術を控えていた婦人。その渦中、くも膜下出血で突然、娘を亡くした。術後には夫も病で失う。周囲もどう励ませばいいか分からないほどの、悲しみの連続。それでも、地域の学会の同志は何度も足を運んでくれた



励ましで立ち上がった彼女は今、障がい者の施設で働きながら広布の活動に歩く。弘教も実った。「どんなにつらいことがあっても、人生を楽しくさせることができる。それを証明するのが私の使命です」



諦めず、へこたれず、悲哀を乗り越えていった無名の一女性。「信心の眼」は、その姿に人間王者の輝きを見る。     (芯)




【聖教新聞:2015年(平成27年)8月4日(火)付】





☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡


     日蓮大聖人の仏法

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[1] 日蓮大聖人の御生涯


(前号より)
(7)熱原の法難と出世の本懐
8月4日

 日蓮大聖人の身延入山後に、駿河国(静岡県中央部)の富士方面では、日興上人が中心となって折伏・弘教が進められ、天台宗などの僧侶や信徒が、それまでの信仰を捨てて、大聖人に帰依するようになりました。
 そのために、地域の天台宗寺院による迫害が始まり、大聖人に帰依した人々を脅迫する事件が次々に起こりました。
 弘安2年(1279年)9月21日には、熱原の農民信徒20人が、無実の罪を着せられて逮捕され、鎌倉に連行されました。
 農民信徒は平左衛門尉の私邸で拷問に等しい取調べを受け、法華経の信心を捨てるよう脅されましたが、全員がそれに屈せず、信仰を貫き通しました。
 そして、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人の兄弟が処刑され、残る17人は居住する地域から追放されました。この弾圧を中心とする一連の法難を「熱原の法難」といいます。
(次号へ続く)