【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月22日(土)より転載】
【勝利島28】
離島本部の総会には、鹿児島県のトカラ列島からも、メンバーが参加することになっていた。トカラ列島は、鹿児島港から約二百キロ南の海上に連なる火山列島である。口之島、中之島など、屋久島と奄美大島の間に位置する十二島から成り、これらの島々で鹿児島郡十島村が構成されていた。
学会では、この十島村と、薩摩半島南南西四十キロにある竹島、硫黄島、黒島等から成る三島村で十島地区を結成。一九六四年(昭和三十九年)三月、石切広武が地区部長の任命を受けた。
以来十四年、彼は鹿児島市内に居住しながら、これらの島々の同志の激励に通い続けてきたのである。
石切の入会は、五六年(同三十一年)十月、四十一歳の時のことである。
鹿児島で生まれ育った彼は、水産会社やアイスクリーム製造業などを手がけたが失敗。多額の借金を抱えていた時、知人から学会の話を聞いた。神秘主義的な教えではなく、生命の原因と結果の法則を説く宗教であることに共感し、信心を始めた。入会後、学会活動に意欲的に取り組み、十世帯、二十世帯と仏法対話を実らせていった。
依然として経済苦は続いていたが、入会の翌年、弘教のため、大阪を訪れた。その折、大阪に来ていた青年部の室長の山本伸一と会って、名刺を交換した。
この年の七月、参議院大阪地方区補欠選挙で支援活動の最高責任者を務めた伸一が、選挙違反という無実の罪で不当逮捕されたことを知った。そして、釈放された伸一から葉書が届いたのだ。
そこには、何があっても決して動揺することなく、広宣流布の使命に生き抜き、悔いなき一生を送るようにとの、烈々たる気迫の言葉が綴られていた。石切は感動した。
“ご自身が最も大変ななかで、たった一度しか会ったことのない、事業にも失敗した敗残兵のような男のことを心配し、励ましてくださる。これが、これが学会の心なのか!”