和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

秋の蝿/今日の俳句 ≪第.1876号≫

2015年08月26日 07時15分55秒 | 今日の俳句




  上嵯峨や魚屋ありて秋の蝿
       松根東洋城


  秋の蝿売られし牛につきゆけり
       野本マサ子


  この頃のへりしと思ふ蝿を打つ
       三橋加珠代


  焼跡の検証すまず秋の蝿
       藤田子角


  神馬灰色秋蝿に眼をしばたたき
       長谷川朝風


※ 秋の蝿・秋蝿・残る蝿
 八、九月の残暑のきびしいころは、蝿はまだ多く、さかんに飛びまわっているが、気温が下がるにしたがって、数が減ってくる。十月にはいると、めっきり減り、飛び方も力がなく、なんとなく弱々しく見える。
→蝿(夏)

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】



     ※わが友に贈る※
 

  学会の役職は

  同志に尽くす責任職。

  新任のリーダーは

  友の幸福勝利へ

  誠実と率先の行動を!


      2015年8月26日




     ※☆*寸 鉄*☆※


会長(SGI)の人間主義に共感ー韓国区庁長。人間対人間の対話。そこに友誼の道

        ◇

北陸の日。誓願の天地に舞う青年群頼もし。勇敢に広布の新章節を開け

        ◇

会合に集えない多忙な友をどう励ますか。人材発掘。育成こそ幹部(リーダー)の使命

        ◇

若々しい生命で一生を送れる人は最も偉大ー恩師。さあ爽快な勤行から出発

        ◇

児童へのネット犯罪が増加。閲覧制限やルール作り等、保護者が意識高く





     ※名字の言※


「駅」を舞台に、池田名誉会長と同志の出会いのドラマなどを描く、本紙の「広布駅物語」が好評である



「馬偏」であることから分かるように、かつて駅は、街道の主要な場所にあって、馬を乗り換えたり宿泊したりするために設けられた「宿駅」を指した。リレー形式の長距離走を「駅伝」というが、これも宿駅を中継して公文書などを送り届ける駅伝制度に由来する。明治時代に鉄道が導入された際、この宿駅から転じて、列車が停車する場所を「駅」と呼ぶようになったという



旅客や貨物を扱うための停車場にすぎなかった駅にも近年、イメージに変化が見られる。“人々が活発に往来し、にぎわう”こと自体に価値が見だされ、駅構内の商業施設である“駅ナカ”や、駅で開くコンサート“駅コン”などが注目される



快適なドライブを応援し、地域活性化の拠点ともなる「道の駅」も、90年代から整備が進み、全国で千ヶ所を超えている



世代、性別、職業など、あらゆる差異を超えた友が集まり、しばしの語らいの中で決意を新たにし、それぞれの使命の場所へ出発するーー思えば、学会の座談会も、“地域の希望のステーション”とはいえまいか。今週、各地で開かれる座談会から、地域広布へ走りだそう!

【聖教新聞:2015年8月26日(水)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (1) 一生成仏

 煩悩即菩提・生死即涅槃

 即身成仏の法理を、別な角度から表したのが「煩悩即菩提」「生死即涅槃」です。
 小乗教と呼ばれる諸経典では、苦悩の原因は自分自身の煩悩にあると説き、苦悩を解決するには煩悩を消滅させる以外にはないとして、多くの戒律を守り修業を積み重ねて解脱(覚りによる苦悩からの解放)を求めました。
 しかし、煩悩を完全になくした境地として、身心を消滅させ、この世に再び生まれないことを目指す生き方は、結局、生命自体を否定することになります。
 権大乗教と呼ばれる諸経典では、小乗教を実践する二乗や、悪人・女性の成仏を否定します。
 実質的には小乗教と同じく、凡夫と仏の間に乗り越えがたい断絶がある考え方です。
 仏についても、阿弥陀仏や大日如来など、人間を超越し、現実世界から遊離した別世界に住む架空の仏を説きます。
 凡夫が仏に成るためには、いくつもの生(せい)の間、仏の覚りの境地を一部分ずつ順次に学んで修業し、身に付けていかなければならないと説きます。
 また、偉大な仏には自分の力ではなれないと考え、仏の絶対的な力で救われることを強調する考えも現れます。
 これに対して法華経では、慈悲と智慧に満ちた仏の境地が、あらゆる衆生に本来的に具わっていて、それを開き顕すことによって成仏できることが明かされました。(つづく)



           

8月25日(火)のつぶやき

2015年08月26日 01時45分12秒 | 今日の俳句

秋の蝶/今日の俳句 ≪第.1875号≫

2015年08月25日 06時25分49秒 | 今日の俳句




  秋蝶の驚きやすきつばさかな
       原石鼎


  秋蝶の黄を強くせり土俗舞
       細見綾子


  ありありと檜山をくだる秋の蝶
       滝春一


  秋の蝶ひとりの旅を常として
       関根黄鶴亭


  秋の蝶山上にしてひくく舞う
       中島水明子


※ 秋の蝶・秋蝶
 秋に見かけるすべての蝶をいう。春に早く現れ、秋おそくまで舞っている紋白蝶は、東北地方では十月末、その他の暖かい地方でも十一月末には見られなくなる。
 揚羽蝶をはじめ、黄揚羽・烏揚羽・青筋揚羽・黒揚羽など色彩の美しい蝶類は、それよりもいくぶん早く姿を消す。春に生まれた蝶が秋の末まで生きているのではなく、東京付近では、四月の中ごろから十月まで、六代の揚羽が交替して現れる。
 サナギから誕生した揚羽の寿命は、わずか二週間たらずである。九月にかえった幼虫は、冬の近いことを知り、サナギのままで越冬し、翌年の春に蝶となる。秋の蝶は、日本海側では早く姿を消し、太平洋岸の温暖な地方では、いつまでも花に集まるのが見られ、時には冬も姿を見ることがある。
→蝶(春)・夏の蝶(夏)

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】



     ※わが友に贈る※
 

  新しい勝利は

  新しい挑戦から!

  「明確な目標」と

  「誓願の祈り」で

  わが最高峰を目指せ!


      2015年8月25日




     ※☆*寸 鉄*☆※


さあ本年の後半戦!各地で出発の集い。85周年の11・18へ黄金の日記共に

        ◇

音楽隊・鼓笛隊が地域行事で活躍!心潤す希望の調べ。文化の英雄に感謝

        ◇

大勇猛心と大闘争心なくして広宣流布はできぬー恩師。幹部(リーダー)が立ち上がれ

        ◇

「顔貌(かおばえ)に色を調べて閑(しずか)に言上すべし」御書。仏法対話は誠実と確信の力で

        ◇

世界の平均気温が史上最高を更新と。国益超えた人類益の英知を結集せよ





     ※名字の言※


終戦記念日は8月15日だが、当時の国内で、その後、約1週間も戦闘が続いた地がある。樺太(現在のサハリン)だ



ソ連軍が攻め込む中、持ち場を離れず職務を貫く、若き女性電話交換手たちがいた。「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」との通信文を残し、彼女らが集団自決したのは8月20日。この言葉は、北海道の稚内公園にある「九人の乙女の碑」に刻まれる



当時、樺太で同じ電話交換業務に従事した婦人部員がいた。彼女には、シベリアでの強制労働を経験した夫と共に聞いた、忘れ得ぬ言葉がある。「どのような苦しい境涯にあろうとも、一切の環境、国土世間を変えていくことができる」「これが仏法の原理です」--1968年9月、稚内で池田名誉会長が語った言葉だ



「一人の人間革命」を出発点にして、「全人類の宿命転換」を目指す創価学会にこそ、最も堅実にして根源的な平和への哲理があるーーこれが、戦争を強く憎む夫妻の確信だった



日本の南端の沖縄にも、乙女を慰霊する「ひめゆりの塔」がある。戦争の最大の犠牲者は常に女性や子どもであり、二度と戦争の悲劇を繰り返してはならないことを、北と南から訴えているかのようだ。戦争の魔性と対峙する、創価の民衆運動の使命を心に刻む。(鉄)



【聖教新聞:2015年8月25日(火)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (1) 一生成仏

 凡夫の身のままで一生のうちに成仏

 これに対して、法華経では、成仏とは「仏という特別な存在に成る」ことではなく、自身のその身に「仏界の生命境涯を開く」ことであると説いたのです。
 大聖人は、あらゆる仏を仏たらしめている根源の法そのものを、南無妙法蓮華経であると明かされました。そして、根源の法と一体となった大聖人御自身の御生命を、南無妙法蓮華経の御本尊として顕されたのです。
 私たちは、南無妙法蓮華経の御本尊を信受することで、だれもが自らの生命に仏界を開き顕すことが可能になりました。
 大聖人は次のように述べています。
 「我らこの御本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(『日寛上人、文段集』)
 御本尊を信受し、広宣流布の実践と信心を貫けば、凡夫の身のままで、胸中の大聖人と同じ仏の生命境涯を開き顕すことができるのです。
 なお、凡夫の身のままで成仏できることを即身成仏、一生のうちに成仏できることを一生成仏といいますが、どちらも同じ法理を表現した言葉です。
 ※日寛上人は江戸時代の学僧で、日蓮大聖人から日興上人に受け継がれた仏法の法理を整理し宣揚した。


           

8月24日(月)のつぶやき

2015年08月25日 01時44分37秒 | 今日の俳句

斎藤佑樹と福井優也が22日に対決 同じ早稲田大学の出身者に明暗 #ldnews news.livedoor.com/article/detail…


巨人戦がCSでも放送されない異例の事態 放映権売った広島カープの思惑 #ldnews news.livedoor.com/article/detail…


ブログを更新しました。 『鰍(かじか)/今日の俳句 ≪第.1874号≫』
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ブログを更新しました。 『小説「新・人間革命」』
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小説「新・人間革命」

2015年08月24日 19時07分54秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月24日(月)より転載】

【勝利島29】

 山本伸一から石切広武に届いた葉書には、「上野殿御返事」の一節が認められていた。
 「或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時は・も(燃)へた(立)つばかりをも(思)へども・とを(遠)ざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たい(退)せず信ずるなり」(御書一五四四ページ)
 石切は、“何があろうが、一喜一憂することなく、黙々と信心に励もう。断じて水の信心を貫いていこう!”と心に誓った。
 やがて彼は、苦境を脱し、食品会社を起こして、全国に販路を広げ、借金も返済し、見事に、信心の実証を示していくことになる。
 一九五八年(昭和三十三年)八月、第二代会長・戸田城聖亡きあと、総務として学会の一切を支えていた伸一が、鹿児島を訪問する。石切は、信心に励み、仕事の状況が大きく好転したことを、胸を張って報告した。
 その口調には、必死に生活苦と戦っている健気な同志を、どこか下に見ているかのような響きがあった。
 伸一は、話を聞き終えると、石切の目を見すえ、厳しい声で言った。
 「弘教に励み、事業がうまくいった――それは、ひとえに御本尊の功徳であり、信心の力です。しかし、もしも、慢心を起こし、信心が蝕まれてゆくならば、またすべてが行き詰まってしまう。したがって、自身の心に巣食う傲慢さを倒すことです。
 題目を唱え、折伏をすれば、当然、功徳を受け、経済苦も乗り越えられます。しかし、一生成仏という、絶対的幸福境涯を確立するには、弛まずに、信心を貫き通していかなくてはならない。信心の要諦は持続です。
 ところが、傲慢さが頭をもたげると、信心が破られてしまう。だから大聖人は、『只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこ(幢)をたを(倒)し忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだし(紲)なり』(同四六三ページ)と仰せになっているんです」

              

鰍(かじか)/今日の俳句 ≪第.1874号≫

2015年08月24日 06時20分50秒 | 今日の俳句





  鰍突きまぶしその臀充実す
       加藤楸邨


  磨崖仏河鹿鳴きつゝ暮れたまふ
       水原秋桜子


  河鹿鳴くいつも人なき橋の上
       波多野爽波


  鰍焼く駿雨に赤き火を守りつ
       多田てりな


  水底の雲影乱し鰍探る
       神尾静光


※ 鰍(かじか)・石伏・石斑魚・川をこぜ・ぐず・カジカ・鰍突く
 カジカ科の体長三~五センチ(一寸~一寸七分)ぐらいの淡水魚。川にすむ魚だが、流れの早い水の清らかな渓流を好み、底の岩や砂礫にはりついたようにしている。夏、箱眼鏡でのぞいて、ヤスで突いてとらえるのは、多くこの魚である。
 からだの上部が暗灰色で、下方が白く、川底にすむに適し、一種の保護色をしている。とらえたときに、つかんで手のひらなどを傷つけられるのは、背ぶれの棘に刺さるからである。
 串に刺して、あぶって、醤油をつけてまるごと食べたり、焼き干しにしたものを煮びたしなどにするが、ハゼなどよりもはるかに美味。昔は、この魚は鳴くと信じられていたが、同音の河鹿と混同されたもので、発音器官はない。
 カジカ科に属する日本産の魚は淡水・海水を通じて三十数種に達するが、ガンコ・ヤマノカミ・ナベコワシ・ノロカジカ・イダテンカジカなどこっけいな名のものがあり、習性や生態には興味尽きないものがある。

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】



     ※今週のことば※


  「仏になるみちは

  善知識にはすぎず」

  座談会で励まし合い

  幸福へ 拡大へ 勝利へ

  大歓喜のスタートを!


      2015年8月24日




     ※☆*寸 鉄*☆※


「8・24」。会長(SGI)の68年の激励に感謝。人類の宿命転換へ後継が世界で乱舞

        ◇

北陸で勇躍の男子部幹部会。祈り、走り、正義を語れ!堂々と勝利の魁を

        ◇

壮年部の日。信頼の光を放つ黄金柱万歳!歴戦の将が進めば広布は大発展

        ◇

「小事つもりて大事となる」御書。幹部(リーダー)の祈りと細かな心配りから勢いが

        ◇

生活に苦しむ高齢者の一人世帯増加。経済格差が拡大と。是正へ打開策を






     ※名字の言※


日本文学を研究するドナルド・キーンさんは、戦時中、米海軍の語学士官として、ハワイ州真珠湾の基地に派遣された。任務は、押収した日本軍の文書の翻訳だった



中に日本兵の日記があった。最初は「挙国一致」などの決まり文句が並び、威勢が良かった。だが、形勢が傾き、食糧補給も絶たれると、日記には深い苦悩、家族への切なる思いがつづられていた。キーンさんは、極限に立つ人間の“真情”から発した言葉に、胸が打たれた。この経験が日本文学研究者への原点になった



きょうは「聖教新聞創刊原点の日」。1950年(昭和25年)のこの日、戸田第2代会長は池田名誉会長に本紙創刊の展望を語り、その実現を託した



当時、戸田会長は激動の社会の波にのまれ、事業は窮地に立たされていた。同じ日に、学会の理事長を辞任する意向も発表している、絶体絶命の中で、師が吐露した広宣流布への真情を、弟子が受け継ぎ、今日、現実のものとしたーーここに、本紙の永遠の「原点」がある



言葉にも、さまざまある。空疎な決まり文句、取り繕う言葉、果ては人を傷つける言葉も世に多い。私たちは、真心からの言葉を集め、伝える努力を続けたい。人を励ます言葉、正義を表す言葉、苦悩を乗り越えた人々の喜びの言葉を。(代)




【聖教新聞:2015年8月24日(月)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (1) 一生成仏

 凡夫成仏・即身成仏

 「凡夫」とは、普通の人間のことです。法華経では、凡夫の身に本来、仏の境涯が具わっていて、開き顕すことができると明かされています。普通の人間の身に、偉大な仏の境涯を開いていけるのです。これを「凡夫即極」とも「凡夫即仏」ともいいます。
 成仏とは、人間に具わる本来の人間の境地(本有の仏界)を現すことであって、人間からかけ離れた特別な存在になることではありません。凡夫の身に仏という最高の人間性を原木顕すことが大聖人の成仏観です。
 このような成仏を「即身成仏」といいます。即身成仏とは、衆生が、死んで生まれ変わって現実の凡夫の身を改めることなく、仏の境涯を得ることをいいます。
 法華経以外の諸経では、「成仏」が説かれていても、少なくとも二つのことが条件とされています。
 一つは、二乗(声聞・縁覚)・悪人・女人ではないことです。
 二乗は、自分たちは偉大な仏には成れないと決め込んで阿羅漢(声聞の教えでの最高の覚りを得る人)を目指すにとどまり、煩悩を完全になくした境地として身心を滅することを目指します。このような二乗に対して、大乗の諸経典は、成仏できないと厳しく非難しました。
 また衆生が悪人であるなら善人に生まれ変わることが必要であり、女性であるなら男性に生まれ変わることが必要であると考えられていました。悪人や女性が、その身のままで成仏することはできないとされていたのです。成仏を説いてはいても、現実に成仏できる条件を満たす人は限定されていたのです。
 二つには、何度も何度も生死を繰り返して仏道修行を行い(歴劫修業)、凡夫の境涯を脱して仏の境涯に到達するとされたことです。


           

8月23日(日)のつぶやき

2015年08月24日 01時46分42秒 | 事件

ブログを更新しました。 『落鮎/今日の俳句 ≪第.1873号≫』
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ブログを更新しました。 『在日犯罪?高槻殺人事件の犯人?山田浩二容疑者が帰化人で通名「金浩二」』
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落鮎/今日の俳句 ≪第.1873号≫

2015年08月23日 06時31分45秒 | 今日の俳句





  鮎落ちて水もめぐらぬ巌かな
       芝不器男


  浅間鳴りしきのふや鮎の落ちつくす
       吉田冬葉


  秋鮎をつらぬく串を炉火の上に
       石原舟月


  落鮎の串抜きてなほ火の匂ひ
       黒田杏子


  さび鮎のめつむるごとく焼かれけり
       藤木倶子





※ 落鮎・錆鮎・渋鮎・下り鮎・子持鮎・秋の鮎
 夏、清流にすみついた鮎は、二〇センチ(約七寸)以上に生長し、八月にはいると腹子をもちはじめ、その重みで動きがにぶくなる。川魚のもつ向流性ーー流れにさからって泳ぐ性質も弱まって、早い流れの瀬から水のよどんだ淵へ移り、ときどき瀬にもどったり、それをくり返すようになる。産卵期がいよいよ近づくと、アユはいっせいに下流に下りはじめる。
 九月中旬から十月にかけてが、下りの時期で、このころの秋アユを下り鮎・落鮎、また刃物のさびたような色になるので錆鮎・渋鮎ともいう。おりから台風の季節なので、下りは出水と結びつくことが多く、行動そのものの観察は至難であるので、昔からいわれる、円陣をつくって下るかどうかは不明。
 川口から五〇〇~六〇〇メートルのところで卵を産むこともあるが、淀川では四十五キロメートル上流の宇治付近、利根川では三百キロメートル以上の前橋付近で卵を産む。さらさらと水の流れる、浅い、小石に砂のまじった場所をえらぶ。産卵放精後は、少数の雌と、多数の雄がかたまって行われるが、終わった親アユは、力が尽きて川岸や遠い下流の海岸に打ち上げられて、鳥やその他の動物の餌食となる。
 まれに越冬するアユを見られるが、これら越年鮎は、多くは産卵をしない雌で、水温の高い川に多いという。
→若鮎(春)・鮎(夏)

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】



     ※わが友に贈る※


  新時代の扉を開くのは

  勇気ある青年だ!

  真剣な一人だ!

  「誰か」ではない。

  「自分」が決然と立て!

      2015年8月23日




     ※☆*寸 鉄*☆※


さあ友よ、我々は大いなる旅を始めるのだー文豪(ロラン)。心新たに師弟の勝利峰へ

        ◇

学会の哲学は現代社会の精神的な再生に不可欠ー博士(アメリカ)。民衆仏法の大潮流

        ◇

ドクター部、白樺の友の献身に感謝、創価の医王・薬王よ、益々の活躍祈る

        ◇

「勇んで声を発せば、自分の仏の力が増す」恩師。幹部(リーダー)から!挑戦の対話を

        ◇

高齢者が前向きに生きるには社会参加が重要と。価値創造の日々を楽しく





     ※名字の言※


1945年(昭和20年)8月、陸軍兵器学校の学徒として、広島の兵舎にいた壮年が生前、語ってくれた



終戦直後の8月24日。故郷へ帰るため、広島駅へ向かった。その途中、霧雨が降り出した。突然、周囲の景色が明るくなったように見えた。原爆で亡くなった人々の遺体から、染み出した物質が燃えているのか、赤や青の炎が上がっていた。それは“もっと生きたかった”という無念さを訴えかけるようだった。思い出すのもつらく、長く胸の内にしまっていたという



学会に入会後、8月24日が池田名誉会長の入信記念日と知った。“師匠が人生の新たな出発をされた日。ならば、自分も出発しよう”。あす迎える「8・24」は、壮年の平和を誓う日に変わった。以来、原爆が魔性の産物であることを、地域の子らに伝え続けてきた



生命の尊厳を説いた仏法に巡り合って、背負った過酷な運命を、使命に変えていった友が大勢いる。平和を築くことは、今を生きる人のためだけにあるのではない。平和を奪われ、平和を念じながら逝った人々の願いに応えることであるのだ



「創価の三代の会長に貫かれた平和の精神を求め、行動を続けたことが、私の誇り」と、壮年は笑顔で語っていた。この志を継ぐ不断の努力を誓い合いたい。(芯)



【聖教新聞:2015年8月23日(日)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (1) 一生成仏

 8月23日
(前号より)
 成仏とは、現在の自分と全く異なった特別な人間になるとか、死後に次の一生で現実世界を離れた浄土に生まれるなどということではありません。
 御書には成仏の「成」について「成(じょう)は開く義なり」(753頁)とあります。成仏とは、自身の内に具わる仏の生命境涯(仏界)を開くことにほかなりません。
 「凡夫」すなわち普通の人間である私たちが、その身のままで、自身に仏の生命境涯を開き顕せるのです。それゆえ、「凡夫成仏」とも「即身成仏」ともいいます。
 成仏とは、他の世界に行くことではなく、あくまでもこの現実世界において、何ものにも崩されない絶対的な幸福境涯を築くことをいうのです。
 御書に「桜梅桃李の巳巳の当体を改めずして、無作三身と開見す」(御書784頁、通解ーー桜、梅、桃、李がそれぞれの特質を持つように、私たちもそれぞれの特質を改めることなく、そのままの姿で無作三身の仏であると開き顕れるのである=「無作三身の仏」とは何も飾らないそのままの姿で仏の特質をすべて具えている真実の仏のこと) と仰せのように、成仏とは、自分自身が本来持っている特質を生かしきって、自身をもっとも充実させていく生き方をすることです。
 すなわち、成仏とは、生命の全体が浄化され、本来もっているはたらきを十分に発揮して、さまざまな困難に直面しても動揺しない、力強い境涯になることをいいます。
 また、成仏とはゴール(終着点)に到達するということではありません。妙法を受持して、悪を滅し善を生ずる戦いを続けていく、その境涯が仏の境涯なのです。
 間断なく広宣流布に戦い続ける人こそが仏なのです。


  






           

8月22日(土)のつぶやき

2015年08月23日 01時45分37秒 | 今日の俳句

小説「新・人間革命」

2015年08月22日 20時24分26秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月22日(土)より転載】

【勝利島28】

 離島本部の総会には、鹿児島県のトカラ列島からも、メンバーが参加することになっていた。トカラ列島は、鹿児島港から約二百キロ南の海上に連なる火山列島である。口之島、中之島など、屋久島と奄美大島の間に位置する十二島から成り、これらの島々で鹿児島郡十島村が構成されていた。
 学会では、この十島村と、薩摩半島南南西四十キロにある竹島、硫黄島、黒島等から成る三島村で十島地区を結成。一九六四年(昭和三十九年)三月、石切広武が地区部長の任命を受けた。
 以来十四年、彼は鹿児島市内に居住しながら、これらの島々の同志の激励に通い続けてきたのである。
 石切の入会は、五六年(同三十一年)十月、四十一歳の時のことである。
 鹿児島で生まれ育った彼は、水産会社やアイスクリーム製造業などを手がけたが失敗。多額の借金を抱えていた時、知人から学会の話を聞いた。神秘主義的な教えではなく、生命の原因と結果の法則を説く宗教であることに共感し、信心を始めた。入会後、学会活動に意欲的に取り組み、十世帯、二十世帯と仏法対話を実らせていった。
 依然として経済苦は続いていたが、入会の翌年、弘教のため、大阪を訪れた。その折、大阪に来ていた青年部の室長の山本伸一と会って、名刺を交換した。
 この年の七月、参議院大阪地方区補欠選挙で支援活動の最高責任者を務めた伸一が、選挙違反という無実の罪で不当逮捕されたことを知った。そして、釈放された伸一から葉書が届いたのだ。
 そこには、何があっても決して動揺することなく、広宣流布の使命に生き抜き、悔いなき一生を送るようにとの、烈々たる気迫の言葉が綴られていた。石切は感動した。
 “ご自身が最も大変ななかで、たった一度しか会ったことのない、事業にも失敗した敗残兵のような男のことを心配し、励ましてくださる。これが、これが学会の心なのか!”

木の葉山女/今日の俳句 ≪第.1872号≫

2015年08月22日 04時16分38秒 | 今日の俳句
 


 木葉山女火の山裾は色尽くす
       樋口清紫


  木の葉山女焼く澗籟(かんらい)の緊りくる
       山口草堂


  谷風も木の葉山女も甲斐路かな
       草間時彦


  二の膳に姿焼きなる山女乗る
       岩崎靖子


  山女魚棲む水を唇つけて飲む
       杉本安紀子





※ 木の葉山女
 ヤマメはサケ科の渓流にすむ魚だが、マスやサケとちがって、海へ下らない。秋も終わりのころ、山の落ち葉がはじまると、上流の水がかれてくるので、ヤマメも流れる木の葉といっしょに、豊かな水流へ下ってくる。これを(木の葉山女)という。
→山女(夏)

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】



     ※わが友に贈る※


  自分らしく

  輝くための仏法だ。

  そのために

  挑戦また挑戦の中で

  わが心を磨け!

      2015年8月22日




     ※☆*寸 鉄*☆※


学会の反戦出版は平和を希求する市民運動ー教授(アメリカ)。人間共和の連帯(スクラム)を世界に

        ◇

京都で「レオナルド展」。東京では「器ロマン展」。一流の美と出あう秋楽し

        ◇

上手な相槌は真実を汲み出すー吉川英治。励ましの第一歩は聞き上手たれ

        ◇

家に多くの良書があれば自然と賢い子にー識者。良き環境で未来の宝育め

        ◇

広島土砂災害被災者の8割、不眠・疲労感あると。心の復興へ公助・共助を







     ※名字の言※


陸上の世界選手権が、きょう北京で開幕する。注目は男子100メートル。6年前、ベルリン大会で9・58秒の世界記録を残したウサイン・ボルト選手の走りに期待が高まる



100分の1秒を争う短距離走。特にスタートには集中力が必要だが、気負いすぎても空回りするという。その点、ボルト選手は大舞台に強い。練習を重ねてきた自信もあろうが、『ウサイン・ボルト自伝』(牛島淳訳、集英社インターナショナル)には、強い選手と戦った時ほど、「走りたくてうずうずしていた」とある



“勝負を楽しもう”という気持ちがあるから、重圧に負けずに力を発揮できるのだろう。それは人生にも通じる。「何があっても楽しもう」と思える強さがあれば、前向きに生きられる



「広布に生きるほど境涯が広がる。それが実感できるから楽しくて仕方ないんです」--静岡の婦人部員が語っていた。10代のころは病弱。死を考えるほどつらい時もあったが、学会活動に励む中で丈夫になり、相手を思える自分にまで変わった



「生命力が強ければ、この苦悩の世界が『衆生所遊楽(衆生が遊楽する所)』の世界に変わる。これが法華経の約束である」と池田名誉会長。我らは「歓喜の中の大歓喜」の妙法と共に、広布の大舞台を駆け抜けよう。(聖)

【聖教新聞:2015年8月22日(土)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (1) 一生成仏

 信心の根本的な目的は、私たち自身が仏の境涯を得ることです。
 御本尊を信受して純真に自行化他の実践に励むなら、どのような人でも必ず一生のうちに成仏の境涯を得ることができるのです。これを「一生成仏」といいます。
 自行化他の「自行」とは、自分自身が利益を受けるために修業すること。「化他」とは、他人に利益を受けさせるために教え導くことです。具体的には、勤行・唱題に励むとともに、仏法を語り、教え導く弘教の実践です。
 日蓮大聖人は「法華経の行者は、如説修業せば、必ず一生の中に一人も残らず成仏すべし。譬えば、春夏、田を作るに、早晩あれども、一年の中には必ずこれを納む」(416頁、通解ーー法華経の行者は、私の説いた通りに修業するなら、必ず一生のうちに一人も残らず成仏することができる。譬えば、春、夏に田を作るのに、早く実る品種と遅く実る品種の違いがあっても、どちらも一年のうちには必ず収穫できるようなものである)と述べられています。
(つづく)
  






           

8月21日(金)のつぶやき

2015年08月22日 01時45分32秒 | 今日の俳句

小説「新・人間革命」

2015年08月21日 20時02分04秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月21日(金)より転載】

【勝利島27】

 浜畑マツエは、島で推されて、掃除、洗濯、食事等の世話をする家庭奉仕員として働いていた。彼女の心配り、仕事への熱心さは、次第に高く評価されていった。
 やがて、“浜畑さんのやっている宗教なら”と、信心する人が増えていった。彼女の周りには、いつも談笑の輪が広がった。
 大ブロック担当員である浜畑の担当範囲には、隣の戸島、日振島も含まれていた。このうち日振島に行く船は一日一便で、嘉島発午後二時、日振島着同四時半。帰りの船が出るのは翌日である。船はよく揺れる。年末、天候の悪化で、船が一週間ほど、欠航になったこともあった。
 大きな会合は、本土の宇和島で行われた。船便の関係で、夜の会合に出席するにも、午前中に島を発たなければならない。また、会合が終わると、戻りの船はなく、翌日、帰ることになる。それだけに彼女は、せっかく宇和島に来たのだから、すべてを吸収して帰ろうと、求道心を燃え上がらせた。
 小さな島では、一人の人の影響が極めて大きい。一人の決意、姿、振る舞いが、広宣流布を決定づけていく。そして、一つの困難の壁を破れば、一挙に学会理解が進むこともある。
 浜畑の存在は、島の広布の一大推進力となっていったのである。
 わが地域の広宣流布は、わが手で成し遂げるしかない。それが、自分の使命である――そう自覚した同志が、次々と誕生したことによって、離島広布は加速度的に進んできたのだ。これは、いかなる地域にあっても、永遠不変の原理といってよい。
 また、嘉島には、本土の宇和島からも、よく幹部が激励に通っている。使命の自覚といっても、そこには、同志の励ましや指導といった触発が不可欠である。
 種を蒔いても、放っておいたのでは、鳥に食べられたり、朽ち果てたりしていく。
 丹精を込め、こまやかな激励の手を、徹底して差し伸べていくなかで、種は苗となり、一人立つ真正の勇者が育っていくのだ。

鮭/今日の俳句 ≪第.1871号≫

2015年08月21日 05時09分20秒 | 今日の俳句



  鮭を打つアイヌの眉目兄弟(おととい)かな
       菅裸馬


  ほのぼのとはららご飯に炊きこまれ
       大野林火


  鮭取りの臀濡れて走りけり
       沢木欣一


  鮭番屋柱時計の鳴ってゐる
       加倉井秋を


  手掴みの鮭さげてをり千歳川
       桂信子





※ 鮭・初鮭・鮭漁・鮭打ち・鮭小屋・はららご・鮭飯
 体長七〇センチ(約二尺三寸)に達するサケ科の食用魚。からだの上部はやや暗色。側方は淡く、マスと違って斑点はない。川で生まれ、一生の大半(約四、五年)を海で過ごし、数年後ふたたび生まれた川にもどり、卵を産みおわって死ぬのは同じ科のマスと同様。ちがう点は、マスは二年で成長し卵を産んで死ぬので小型のものが多いこと。大きさとうろこの形で専門家にはすぐ見わけがつく。
 一般には区別がつけにくく、市販している小型の塩ザケは大部分が塩マスであるという。北海道で秋あぢといっているのはサケのことで、昔は、石狩川などでは、のぼってくる鮭で川の水が見えなくなったほどだったという。いまは非常に減り、北海道の各河川でもあまりとれない。北日本の特産魚で、太平洋側では茨城県以北、日本海側では島根県以北にしか産しない。
 サケは、カムチャッカからアラスカにかけてのベーリング海に多くすむ魚で、講和条約が効力を生じた昭和二十七年から、日本では毎年サケ・マス漁に船団を派遣するようになった。
 昔サケの値が安かったのは、日本がソビエトのカムチャッカ半島に漁業権をもち、沿岸に網を張って、産卵に押し寄せてくるサケの群れを一網打尽にとっていたからだという。サケ・マス船団が北洋でとるサケの種類は、普通のサケ以外にはマスと呼んでいるカラフトマスとベニマスが大部分で、ほかにマスノスケ・ギンマスなどもいくらかとれる。ベニマスはベニザケともいい、肉がまっかで、燻製にするとうまい魚だが、もっぱら輸出用にされる。
 サケは北の海では、からだが美しい銀色に輝いているが、川にはいると銀色はうすれ、赤紫色の斑点が現れる。これは産卵期がせまったからで、沿岸に近づいたサケはエサを食べなくなる。産卵後まもなく雄も雌も死ぬ。
 サケは重要な食用魚の一つで、特に塩鮭は正月用には欠かせぬ食品。なまで食べてもうまく、とりたてのものを焼いて大根おろしを添えたのもよい。卵からは筋子やイクラがつくられる。頭は氷頭膾にするほか、サケの肉は用途がすこぶる広い。
→乾鮭(冬)

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】



     ※わが友に贈る※


  水の流れは岩をも削る。

  持続の信心こそ

  幸福建設の直道だ!

  何があっても

  たゆまずに進め!


      2015年8月21日




     ※☆*寸 鉄*☆※


会長(SGI)の言葉は魂がある故に人々の胸を打つー識者(ブラジル)。弟子よ崇高な信念を継げ

        ◇

各地に新幹部(リーダー)誕生。最初の100日が勝負だ。率先の行動で地域に新風を

        ◇

最も大事な人は、いま相手にしている人ー文豪(トルストイ)。友の心包む激励が万波に

        ◇

高齢社会支えるロボット開発が加速。官民で挑み最先端技術を世界へ発信

        ◇

被爆地の高校生が国連会議で訴え。「核廃絶へ大きな一歩を」。若人の使命大

【聖教新聞:2015年8月21日(金)付】




     ※北斗七星※



今月末からの全米オープンテニスを前に錦織圭選手は先のシティ・オープンで今季ツアー3勝目、通算10勝目を挙げ日本中を大いに沸かせた。続くロジャーズ・カップは残念ながら負傷し準決勝で敗れたが、全米オープンでは優勝を期待したい



ところで65年前の1950年の全米選手権(現在の全米オープン)。アリシア・ギブソンという女性プレーヤーがコートに立つと観客席がブーイングの嵐となった。彼女が黒人だったからだ



当時の黒人は人種差別の中で極貧生活を強いられ、テニスは白人のスポーツだった。スラム街で生まれたギブソン選手が幸運だったのはテニス指導者の黒人医師との出会いがあったからだ



彼女は人種差別と戦うように猛練習に励む。その結果どうだったのか。56年全仏選手権シングルスでテニス四大会史上初の黒人選手優勝に輝き、さらには同ダブルス優勝。57,58年ウィンブルトン選手権シングルス優勝、同56~58年ダブルス優勝。57,58年全米選手権シングルス優勝、同57年混合ダブルス優勝。57年全豪選手権ダブルス優勝という素晴らしい成績を残すのだ



後輩のために道を開いたアリシァ・ギブソンは71年に国際テニス殿堂入りした。今年の全米オープン女子シングルスで黒人のセリーナ・ウィリアムズ選手の大会4連覇なるのかも注目だ。(流)


【公明新聞:2015年8月21日(金)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[2] 南無妙法蓮華経


8月21日
 【池田名誉会長の指導から】


 「妙の三義」の結論は何かーーそれは、闇を破る旭日のように、妙法を唱えぬく人生には絶対に行き詰まりがないということである。
 大聖人の仏法の根本は唱題である。朗々と題目を唱える時、わが胸中に太陽が昇る。力があふれる。慈愛がわく。歓喜が燃える。智慧が輝く。諸仏・諸天がいっせいに動き始める。人生が楽しくなる。
 「仏法は勝負」である。「人生も勝負」である。その勝利を決めるいちばんの根本は唱題である。
 題目の力に勝るものはない。題目をあげぬくかぎり、恐れるものは何もない。
     (『池田大作全集』第86巻)