和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

若緑/今日の俳句≪No.1537    

2014年03月31日 06時47分56秒 | 今日の俳句


     ☆若緑/今日の俳句☆  

☆★☆*≪No.1537≫☆彡★……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡
 2014年(平成26年)3月31日(月)


○ オーケストラの日
 日本オーケストラ連盟が2007(平成19)年1月に制定し、その年から実施。
「み(3)み(3)に一番」「み(3)み(3)にいい(1)ひ」(耳に良い日)の語呂合せと、春休み期間中であり親子揃ってイベントに参加しやすいことから。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  緑なす松や金欲し命欲し
       石橋秀野



  松の芯中野竹子の叱咤なお
       的野 雄



  海鳴りにはなやぐ岩の若緑
       津根元潮



※<緑なす松や金欲し命欲し 石橋秀野>
松は常緑樹であるが、花の後で蕊が長くのび、若々しい新緑の芽を吹き出す。生命の勢いを感じさせられる。そんな松の様子を、俳句では「若緑」と言ってきた。
この季語は「松」に限定されているのだ。ところで、この句をポンと見せられた読者は、何を感じ取るだろうか。金も欲しいし、命もほしい。……だなんて、ずいぶんとムシのいい作品だと思うのが普通かもしれない。
だが、実は作者が幼な子を抱えて余命いくばくもない主婦だと知れば、おのずから感想は異なってくるはずである。人生の悲しみ、ここに極まれりと感じるだろう。
どちらにでも受け取れる句だ。俳句には、作者の人生がからみつく。句が独立したテキストとして立つというのではなく、人生や時代背景の大きなテキストのフラグメントとして機能する。
このとき、俳句は芸術なのだろうか。そう問題提起したのが桑原武夫であったし、いわゆる現代詩の成立する根拠の一つともなっている。実はこの句は、死の予感のなかで詠まれたものだ。芸術であろうがなかろうが、作者は発語せざるを得なかったのである。
それが「俳句」だ。石橋秀野は山本健吉夫人だった。彼女の生涯については、上野さち子『女性俳句の世界』(岩波新書)に簡潔的確に描かれている。『桜濃く』(1949)所収。
(清水哲男)


【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月31日(月)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 社会に船出する友よ
 朗々たる朝の勤行から
 元気に一日の出発を!
 わが使命の舞台で
 生き生きと舞いゆけ!

     3月31日




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   ■※名字の言※■


(3/31)
昆布は、その名が8世紀の『続日本紀』に登場するなど、古来、日本人の食生活に欠かせない。かつては「ひろめ」と呼び、「広布」と書いた



昆布の製造・卸会社で副社長として活躍する福井の壮年。その名刺には「昆布一筋」とある。仕事に徹する誇りとともに、「昆布」に「広布」の意味を掛け、“広布一筋”の誓いを込めたという



壮年が、社会人となったのは35年前。1979年(昭和54年)4月だった。仕事に、学会活動にと、清新な決意で励み始めた直後、思いもよらない“池田会長辞任”の報に接する



福井は、権威主義を振りかざす宗門の僧らによる学会員への理不尽な攻撃が、とりわけ激しい地域だった。その嵐の中、壮年は同志と共に、正義のたいまつを燃やし続ける。2年半後の81年11月、名誉会長が福井へ。「何があっても信心だけは破られてはならない」との激励が生涯の原点となる。仕事でも何度も厳しい試練が襲ったが、全部、勝ち越えた



かむほどに味が出るのが昆布。人間も、逆境を越えた者にしか出せない味がある。御書に「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり」(御書992頁)と。信心根本に、社会で勝ち、人生に勝ちゆく姿で青年の模範と光りたい。(芯)



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蘖(ひこばえ)/今日の俳句≪No.1536

2014年03月30日 07時18分41秒 | 今日の俳句
     ☆蘖(ひこばえ)/今日の俳句☆  

☆★☆*≪No.1536≫☆彡★……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡
 2014年(平成26年)3月30日(日)


○ 国立競技場落成記念日
 1958(昭和33)年のこの日、神宮外苑に国立霞ヶ丘陸上競技場が完成した。
敷地面積は22000坪で約58000人の収容能力を持ち、1964(昭和39)年には東京オリンピックの開閉会式の会場になった。

○ マフィアの日
 1282年のこの日、マフィアの名前の由来となったとされる「シチリアの晩鐘事件」が起こった。
当時のシチリア島はフランス国王の叔父であるシャルル・ダンジューの苛酷な支配下にあった。
1282年のこの日は復活祭の翌日の月曜日であり、晩祷の為に教会の前に市民が集まっていた。そこへフランス兵の一団がやってきて、その土地の女性に手を出そうとしたため、その女性の夫はいきなりその兵士を刺した。その場に居合わせたほかの市民もフランス兵に襲いかかり兵士の一団を全員殺してしまった。そのとき晩祷を告げる晩鐘が鳴ったことから、「シチリアの晩鐘事件」と呼ばれる。
この叛乱は全島に拡大し、フランス人は見つかり次第に殺され、その数は4000人以上に及んだ。この叛乱の合言葉「Morte alla Francia Italia anela(全てのフランス人に死を、これはイタリアの叫び)」の各単語の頭文字を並べると「マフィア(mafia)」となり、これがマフィアの名前の由来であるという説がある。
シャルル・ダンジューのアンジュー王家はシチリアから追放され、代ってシチリアの支配者となったアラゴン王家との間に20年に及ぶ戦争が起った。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  蘖や切出し持つて庭にゐる
       波多野爽波



  ひこばえや絵図の小町をたづね得ず
       角川源義



  蘖(ひこばえ)や涙に古き涙はなし
       中村草田男



※<蘖や切出し持つて庭にゐる 波多野爽波>
 季語は「蘖(ひこばえ)」で春。木の切り株から若芽が萌え出るのが、蘖だ。「孫(ひこ)生え」に由来するらしい。
「切出し」は、工作などに使う切出しナイフのこと。実景だろうが、庭に蘖を認めた作者の手には、たまたま切出しがあったということで、両者には何の関係もない。偶然である。
しかし、この「たまたま」の情景をもしも誰かが目撃したとすれば、たちまちにして両者が関係づけられる可能性は大だ。
つまり、せっかく萌え出てきた生命を、これから作者が無慈悲にも切り取ろうとしているなどと。そんなふうに、作者のなかの「誰か」が気づいたので、句になったのだ。
おそらく、作者は大いに苦笑したことだろう。このあたりを言い止めるところはいかにも爽波らしいが、瞬時にもせよ、もう少し作者の意識は先に伸びていたのかもしれないと思った。
すなわち、このときの作者には、本気で若芽を断ち切ろうとする殺意がよぎったということだ。そして、この想像はあながち深読みでもないだろうなとも思った。
実際、刃物を手にしていると、ふっとそんな気になることがある。次の瞬間には首を振って正気に戻りはするのだけれど、鉈で薪割りをしていた少年時代には、何度もそんな気分に襲われた。
いったい、あれは自分のなかの那辺からわいてくる心理状態なのか。刃物の魔力と総括するほうが気は楽だが、やはり人間本来の性(さが)に根ざしているのではあるまいか。『骰子』(1986)所収。
(清水哲男)


【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月30日(日)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 友の心に
 春風送る語らいを!
 人を励ました分だけ
 自身の生命力が強まる。
 大境涯を開きゆけ!

     3月30日




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   ■※名字の言※■


(3/29)
来月、高校へ進学する熊本の女子中等部員。中学1年で脳腫瘍の手術を受ける。成功したが、視力や記憶力、集中力の低下に悩まされ続けてきた。支援学校も考えるほど、両親の不安は深かった



家族を支えたのは同志の祈りだった。「祈っているよ」という言葉だけでなく、父母が同志の家々を訪ねると、娘の名前を掲げて祈念してくれていた。「病気全快」の文字に何度涙しただろう



中等部員は去年、姉が通う創価大学の卒業式に参加し、“私もここで学ぶ”と誓った。勤行・唱題を始め、塾にも通い始める。一歩を踏み出した彼女の勇気が両親や担当医師、学校を動かし、試験時間の延長や問題用紙の拡大が認められた。晴れて普通高校に合格。この例を参考に、障がいのある生徒の受験する道が広がるかもしれないという



「勇気は伝染するものです」。そう池田名誉会長に語ったのは、歴史学者のトインビー博士である。蘇生を願う多くの祈りが、一人を立ち上がらせ、今度は、前へ歩きだした一人の勇気が、多くの人を動かしていく――熊本の少女は、小さくて偉大な、博士の言葉の証明者となった



一人の人間革命は、その人の勝利だけでは終わらない。自分自身が“善の連鎖”の源となりたい。(〓)



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3月29日(土)のつぶやき

2014年03月30日 01時40分34秒 | 今日の俳句

ブログを更新しました。 『木の芽/今日の俳句≪No.1535≫  』 amba.to/1jglsuz


宮城まり子とねむの木学園のこどもたち - ママに捧げる歌 DVD予告編: youtu.be/5ig1bOsQ9j0 @YouTubeさんから


ブログを更新しました。 『宮城まり子とねむの木学園のこどもたち - ママに捧げる歌 DVD予告』 amba.to/1me87Tl



木の芽/今日の俳句≪No.1535≫  

2014年03月29日 05時31分37秒 | 今日の俳句


     ☆木の芽/今日の俳句☆  

彡……☆★☆*≪No.1535≫☆彡★……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡

2014年(平成26年)3月29日(土)


○ マリモ記念日
 1952(昭和27)年のこの日、北海道阿寒湖のマリモが国の特別天然記念物に指定された。
同時に、富山湾のホタルイカ群遊海面、鹿児島県出水市のナベヅル、高知のオナガドリ等も国の特別天然記念物に指定された。

○ 八百屋お七の日
 1683(天和3)年のこの日、18歳の八百屋の娘・お七が、3日間の市中引回しの上、火あぶりの極刑に処せられた。
前年12月28日の大火で避難した寺で出会った寺小姓・生田庄之介のことが忘れられず、火事になればまた会えると考えて3月2日の夜に放火、火はすぐに消しとめられたが、お七は御用となった。
当時は放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていたが、17歳以下ならば極刑は免れることになっていた。そこで奉行は、お七の刑を軽くする為に「おぬしは17だろう」と問うが、その意味がわからなかったお七は正直に18歳だと答えてしまい、極刑に処せられることとなった。
お七が丙午[ひのえうま]の年の生まれであったことから、丙午生まれの女子が疎まれるようになった。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  故郷へ骨さげくれば芽吹くなり
       小坂順子



  墓山の芽ぶかんとして佐渡が見ゆ
       黒田杏子



  木の芽風燈台白をはためかす
       桂信子



■ 【季語・解説】
※ 木の芽→芽立ち・芽吹く・芽組む・木の芽時・木の芽雨・木の芽風。
 春になって芽吹く木の芽の総称。木の芽立ちは木の種類・寒暖の違いによる遅早がある。萌黄色・浅緑色・緑色・濃緑色などさまざまに萌え出る木々の芽の美しさは時として花をも凌ぐ。木々の芽吹く時期の雨を木の芽雨。またそのころの風を木の芽風という。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月29日(土)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 世代を超えた
 確かな信心の継承が
 万代の幸の土台!
 子や孫と語り合い
 価値ある春休みを!

     3月29日



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   ■※名字の言※■


(3/29)
夢を持つことは、努力のエンジンになる。その夢が自分のものでなく、誰かと共有できるのなら、人生はもっと豊かになる



自動車整備工場を営む壮年部員と会った。事務室には1枚の絵が掲げてある。壮年が小学生のころ、夏休みの宿題で描いたものという。「将来の夢」と題する絵の中で、彼は父と汗を流して自動車を修理していた



描いた当時、父は経営に行き詰まっていた。絵を見て“息子の夢をかなえてやりたい!”と奮起した。夢は息子1人でなく、父子2人のものになった。やがて父は危機を脱する。発展させた工場を彼に譲り、今も共に働く



先日訪れた宮城県の小学校。廊下に横断幕が掲げてあった。14人の4年生全員の夢が大書されている。親の後を継ぐ漁師、スポーツ選手、ケーキ屋さん……。「子どもからそん敬される大人になりたい」とも。横断幕の結びに15個目の夢が記されていた。「もう一つの夢は みんなの夢がかなうこと」。小学校は大震災の津波で校舎が水没し、移転した。来年、元の場所より高台に新校舎ができる。夢を抱いた子どもたちの元気な姿を、町の大人たちも待ちわびている



夢に進む人の姿は美しい。誰かの夢を懸命に応援する人も、同じように輝いている。  (白)


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木瓜の花/今日の俳句≪No.1534≫

2014年03月28日 07時45分10秒 | 今日の俳句
     ☆木瓜の花/今日の俳句☆  

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2014年(平成26年)3月28日(金)


○ シルクロードの日
 1900年のこの日、スウェーデンの探検家・地理学者のスウェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】

○ 宗因忌
※ 西山宗因 【にしやま・そういん】慶長10年(1605年)~ 天和2年3月28日(1682年5月5日)
 江戸前期の連歌師,俳人。通称次郎作,名豊一。俳名一幽,西翁,梅翁など。号長松軒など。肥後熊本加藤家家臣西山次郎左衛門の子。
加藤家家老八代城代加藤正方の小姓に転じて連歌を愛好する正方の感化を受け,連歌師としての道をたどり始めたのは15歳ごろである。
京の里村昌琢の指導を受けられるよう勤務上の配慮を与えたのも正方で,宗因の正方に対する尊崇の念は生涯続いた。
また公務で正方に供奉するうちに各地の連歌会に出席し,作品を残し始める。しかし寛永9(1632)年に加藤家が改易処分を受けたため,宗因の人生は一変した。
浪人として生計を立てる必要から,上京して里村昌琢の庇護を受け,昌琢の導きによって京の連歌会に出席,また江戸の武家連歌壇とも接触を持って次第に重きを成すに至る。
正保4(1647)年には大坂天満宮連歌所宗匠として迎えられ,本格的に連歌師としての活動を開始する。慶安2(1649)年には天満宮月次連歌再興,5年には菅家神退七百五十年万句を興行するなど,機運にも恵まれて宗因の活躍はめざましく,全国各地の大名にも門人を持つなど,広汎な名声を得る。
内藤風虎との交渉など,その最たるものであろう。有力門人の招きを受けて全国に出向くことしばしばで,紀行も数編残している。
寛文期以降,宗因の関心は俳諧にも向けられて作品を多数残すようになる。談林俳諧の創始者として貞門俳諧側からの攻撃を受けたこと,門下に井原西鶴を擁したことなどがあまりにも有名であるが,彼があくまで連歌師として自らを規定しており,俳諧は全くの余技に過ぎなかったことは確認されなければならない。
著作は連歌,俳諧,紀行などにわたっておびただしく,全集の編纂が切望されている。<参考文献>野間光辰『談林叢談』,島津忠夫「宗因とその後の西山家」(『近世文芸』58号)
(久保田啓一)

【「朝日日本歴史人物事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  木瓜咲くや漱石拙を守るべく
       夏目漱石



  海風に木瓜の朱奪られ善守の堂
       加倉井秋を



  腹空けばそのことばかり更紗木瓜
       八木林之助



※ 【木瓜咲くや漱石拙を守るべく  夏目漱石】
 花そのものではなく、木瓜(ぼけ)という語感に着目した句だ。「拙を守る」とはへんてこな意志と思われるかもしれないが、漱石のような才気横溢した人にとっては、おのが才気のままに流れていくことは、たぶん怖いことだったのだろう。才気には、知らず知らずのうちに現実から遊離してしまうという落し穴がある。
小説家にしてみれば、この穴がいちばん恐ろしい。だから、どうしても「拙を守る」強固な意志を持ちつづける必要があった。「世間には拙を守るという人がある。この人が来世生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい」(『草枕』)。そして漱石ならずとも、現代人の多くはいま木瓜になるべきときかもしれない。
シャープという名の小賢しさが一掃されたら、どんなに気持ちがよいことか。私が俳句を好むのも、俳人には「拙を守る」人がたくさんいるからである。とは、それこそまことに小賢しい言い方かもしれないが……。『漱石俳句集』(岩波文庫)所収。
(清水哲男)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月28日(金)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 信頼の第一歩は
 清々しい挨拶から。
 はつらつと元気よく
 自ら声を掛けるのだ。
 旭日の生命力で進め!

     3月28日



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   ■※名字の言※■


(3/28)
海外の旅行をした婦人に、話を聞いた。若くして、網膜はく離で全盲となった彼女。景色は見えなくても旅を満喫できた、とうれしそう



訪れたのはカナダ。行きの飛行機の中、険しいロッキー山脈を越えている自分の姿を頭に浮かべるだけで、楽しかった。降り立った瞬間、今度は、澄んだ空気が体を包み込んでいく感覚を味わえた。次は、イギリスやインドへ行くのが目標という



自宅では、物の配置を覚えていて、写真や点字の冊子などを手早く取っては、来訪者に見せてくれる。だが、海外ともなれば、同行者がいても、移動やホテルの宿泊などの苦労は並大抵ではない。それでもなぜ、行くのか。「挑戦できることがうれしいんです」と、満面の笑みで彼女は言った。



「心は工(たくみ)なる画師の如し」と仏典は説く。この言葉について、池田名誉会長は論じた。「『心』は名画家のごとく、一切を自在に描き出していく。したがって、人生そのものが、『心』の描く『名画』である。『心』が創り上げる芸術である」



人間は、ささいなことで倒れる、アシのような弱い存在であるが、どんな嵐の中でも心の翼を自由に広げていける強さもまた、人間にはある。鍵は、挑戦する勇気。その勇気の泉の源が、信心である。  (将)



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3月27日(木)のつぶやき

2014年03月28日 01時41分41秒 | 今日の俳句

林檎の花/今日の俳句≪No.1533≫

2014年03月27日 07時13分42秒 | 今日の俳句
     ☆林檎の花/今日の俳句☆  

彡------☆★☆*≪No.1533≫------------☆★☆*☆彡------☆☆彡
2014年(平成26年)3月27日(木)


○ 世界演劇の日(World Theatre Day)
 ユネスコの外郭団体である国際演劇協会(ITI)が制定。
1962年のこの日、ITIがパリで第1回シアター・オブ・ネイションズ(諸国民演劇祭)を開催した。

○ さくらの日
 日本さくらの会が1992(平成4)年に制定。
3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二候のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから。
日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】

○ 赤彦忌
※ 歌人・島木赤彦の1926(大正15)年の忌日。
 「 明治9年12月17日(1876年)~ 昭和1年3月27日(1926年)
 明治大正時代の歌人。本名久保田俊彦,旧姓塚原。別号に山百合,柿の村人,柿蔭山房主人など。長野県諏訪郡上諏訪村(諏訪市)に塚原浅茅・さいの4男として生まれる。
長野尋常師範学校卒業。早くから文学に親しみ,小学校で教鞭をとるかたわら,新体詩や短歌を投稿するようになる。明治36(1903)年には岩本木外らと『比牟呂』を創刊,37年には伊藤左千夫門に入った。
38年に太田水穂と合著で刊行した詩歌集『山上湖上』には彼の新体詩が収められている。41年『アララギ』が創刊されると『比牟呂』をこれに合併,以来赤彦は左千夫門下の有力歌人として活躍することとなる。
大正2(1913)年,中村憲吉と共著の処女歌集『馬鈴薯の花』を出版,その後島木赤彦という筆名を使う。翌年上京,私立淑徳高女の講師をしながら『アララギ』の編集を担当,短歌に専念した。
第2歌集『切火』(1915)のころには主情的な作品が多い。その後は『アララギ』の発行に全力を注ぎ,同人の実質的な指導者となっていく。そのなかで『アララギ』の写実的歌風は確立された。
教育者であった赤彦の言説には教祖的な説得力があり,そのことが『アララギ』勢力を強化拡大すると同時に,反赤彦的な気分を育てることにもなったのだろう。
「写生道」を唱え,歌作における「鍛錬道」を説いた彼は,『氷魚』(1920),『太虚集』(1924),『柿蔭集』(1926)で質実な写生と寂寥感を詠じている。<著作>『赤彦全集』全10巻
(平石典子)

【「朝日日本歴史人物事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  朝ぼらけ林檎咲く家へ牛乳買ひに
       松本たかし


  花りんご岩木嶺を雲離れざる
       桜庭梵子



  蜂に蜜我等にむすび林檎咲く
       矢島渚男



※ 【蜂に蜜我等にむすび林檎咲く  矢島渚男】
 林檎の花を見たことがない。正確に言えば、見たはずなのだが記憶にない。敗戦後、林檎がまだ貴重品だったころ、山口県で百姓をはじめた父が、京都の「タキイ種苗」あたりから取り寄せたのだろう。
庭に、林檎の種を何粒か蒔いた。一本だけが小学生の背丈ほどにひょろひょろっと生長し、小さな実を一つだけつけた。だから、当然花は咲いたのであり、私が見なかったはずはない。
秋になって、一つの林檎を家族四人で分けて食べた。ひどく固くて酸っぱかった記憶のほうはある。後年、林檎の研究家にこの話をしたら、当時としては林檎生産の南限記録だろうと言われた。
新聞社に知らせれば、絶対に記事になったはずだとも……。作者は信州の人。この春もまた、可憐な林檎の花盛りを堪能されていることだろう。
(清水哲男)


【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月27日(木)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 新たな出発の時期。
 転出する友に
 心からのエールを!
 転入する友を
 温かく迎えよう!

     3月27日



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   ■※名字の言※■


(3/27)
この冬、大阪・豊中市立中央公民館で開かれた「西村真琴と魯迅展」を見た。公民館には「三義塚」と刻まれた墓石がある。三義は、植物・生物学者の西村が付けたハトの名前である



1932年、第一次上海事変の直後、西村は医療団を率いて上海に渡った。三義里という街で一羽のハトを見つけ、日本に持ち帰って育てた。“子バトが生まれたら、平和の使者として中国へ送ろう”と楽しみにしていたが、三義は落命してしまう



弔う塚が建てられ、西村は自筆の「三義」の絵と共に一首を詠んで、魯迅に送った。「東西 国こそ異へ 子鳩等は 親善あへり 一つ巣箱に」。感激した魯迅は、漢詩「三義塔に題す」を西村に返した。「荒波を渡れば兄弟がいる。会って笑えば恩讐は消える」



同展を訪れ、講演したのが上海魯迅記念館の王?栄館長。68年、非難を恐れず日中国交正常化を提言した池田名誉会長の勇気に触れつつ、「両国の関係が複雑な今こそ、民間の交流を強化し、一緒に荒波を乗り越えていきましょう」と呼びかけた



人間と人間、心と心との間に架けられた橋は容易には崩れない。橋の下で波が渦巻いていても、その橋がある限り、往来は途切れない。先達に学び、受け継ぐべき友好の魂である。  (芯)


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3月26日(水)のつぶやき

2014年03月27日 01時41分48秒 | 今日の俳句

宮崎哲弥 ザ・ボイス そこまで言うか! 2014年3月25日: youtu.be/jmRKnhlGXgE @YouTubeさんから


ブログを更新しました。 『宮崎哲弥 ザ・ボイス そこまで言うか! 2014年3月25日』 amba.to/1h8iS97



杏の花/今日の俳句≪No.1532≫

2014年03月26日 06時52分59秒 | 今日の俳句
     ☆杏の花/今日の俳句☆  

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2014年(平成26年)3月26日(水)


○ カチューシャの歌の日
 1914(大正3)年のこの日、島村抱月と松井須磨子が起こした芸術座が、トルストイの『復活』の初演を行った。この中で歌われた「カチューシャの歌」が大流行した。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  放し飼ふ鶏の遠出やあんず咲く
       和田照海



  燈火ややけがれてともる花杏
       上田五千石



  あんずの花かげに君も跼むか
       室生犀星


※ 【あんずの花かげに君も跼むか  室生犀星】
 季語は「あんず(杏)の花」で春。梅の花に似ており、梅のあとに咲く。主産地が東北甲信越地方なので、雪国に春を告げる花の一つだ。金沢出身の犀星は、ことにこの花を愛した。
「あんずよ/花着(つ)け/地ぞ早やに輝け/あんずよ花着け/あんずよ燃えよ/ああ あんずよ花着け」(「小景異情」その六)。掲句は、瀧井孝作の結婚に際して書き送った祝句。
俳句というよりもすっかり一行詩の趣だけれど、日記に「瀧井君に送りし俳句一つ、結婚せるごとし」とある。後に「邪道」と退けてはいるが、碧梧桐の自由律俳句に共感を覚えていた頃の、当人にしてみればれっきとした「俳句」なのである。
瀧井孝作もまた、碧梧桐の濃い影響下にあった。さて、掲句。「あんずの花」で、新妻の清楚な美しさを言っている。その「花かげ」に、ようやく「君も」まるで幼い人のように「跼(かが)む」ことができるようになったんだね、よかったね……。犀星も孝作も、幼いころから苦労の連続する境遇にあった。
したがって作者は、妻という存在をどこか母親のようにも感じるところがあり、それを率直にいま「君」に伝える。いまの「君」ならば、きっと同じ気持ちになっていることだろう。おめでとう。そういう句意だろう。
日記の「結婚せるごとし」からすれば、二人はさして親密な関係になかったように思われるかもしれないが、こういうことには世間的な事情がいろいろと絡みつく。風の便りに結婚と聞いて、いちはやく句を送ったところに、犀星の溢れる友情が示されている。
句の中身もさることながら、私には二人の友情の厚さが強く響いてきて、余計にほろりとさせられた。北国のみなさん、杏の花は咲いてますか。『室生犀星全集』(新潮社)などに所収。
(清水哲男)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月26日(水)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 生活に根差した
 女性の意見を大切に!
 その豊かな智慧に
 家庭・地域・社会が
 栄えゆく鍵がある。

     3月26日



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   ■※名字の言※■


(3/26)
ある幼稚園の卒園式。名前を呼ばれた園児一人一人が修了証書を受け取り、幼稚園で楽しかったことを元気に発表した。「縄跳びで後ろ交差跳びができたことです」「発表会の劇で○○役をやったことです」「マラソン大会で1番になったことです」



発言を聞き、あらためて気づいた。「楽しい」ということは、「私はできた!」という達成感だ、と。自分の欲望を満たすだけの一時的な快楽もあるが、考えてみれば、自身が人間として成長すること以上の楽しみはない



達成感を得るには、達成感を得るまで挑み続けなければならない。国際的に活躍する起業家が指摘していた。失敗を恐れるあまり、行動しない人が多い。「失敗」という漢字自体、マイナスイメージが強いが、「失敗」を「経験」と捉え、いろいろなことを、ひたすらやってみることだ――と



失敗をしない人は成功しない。失敗という経験から学び、次に生かしていく心の強さが、人間としての器を大きくしていく。その心の強さをつくるのが信仰である



本当の失敗とは、「失敗を恐れて挑戦しないこと」「自分で自分をあきらめてしまうこと」と池田名誉会長。我らは頭を上げて、常に「さあ、きょうから!」と未来を見つめて進んでいきたい。(川)



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梨の花/今日の俳句≪No.1531≫

2014年03月25日 08時34分13秒 | 今日の俳句


     ☆梨の花/今日の俳句☆  

彡------☆★☆*≪No.1531≫------------☆★☆*☆彡------☆☆彡
2014年(平成26年)3月25日(火)

○ 電気記念日
 日本電気協会が1927(昭和2)年9月に制定。
1878(明治11)年のこの日、東京・銀座木挽町に開設された中央電信局の開局祝賀会が虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)で開かれ、式場に50個のアーク灯が点灯された。日本で初めて灯った電灯だった。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  待つ宵の夢ともならず梨の花
       夏目漱石



  梨の花すでに葉勝ちや遠みどり
       富安風生



  梨咲くと轍(わだち)を重ね砂丘馬車
       神尾季羊





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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月25日(火)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 人と比べるのではなく
 昨日の自分より
 一歩でも前進を!
 わが生命を磨き
 不動の自身を築け!

     3月25日(火)



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   ■※名字の言※■


(3/25)
春分の日を過ぎても、北国では名残の雪が舞う。その寒さを払うように、北海道で熱気あふれる集いが開かれている。30年来の伝統行事「青年主張大会」だ。今年は186会場で開催。青年の信仰体験と社会変革への主張が来賓や地域の友人に感動を広げる。ラジオ放送される地域も



江別市の大会で登壇した女子部員は、アトピー性皮膚炎といじめに苦しむ日々、母がくれた池田名誉会長の本の一節に希望を見た。「だれよりも苦しんだ君は、だれよりも人の心がわかる君なんです」



題目を唱え抜き、病を克服した彼女は、いじめられた時の“友”だったピアノの腕を磨き、欧州の名門音楽院に進学。国際コンクールで優勝もした。「自分のことで精いっぱいだった私が、友の幸せを祈れるようになった」と、信仰と共に生きる喜びを語った



海外の大学・学術機関で名誉会長が初講演して来月で40年。そのカリフォルニア大学ロサンゼルス校での講演では、人間にとって、悩みなどの煩悩は「行動の原動力」でもあるとし、それを人のために生かす「大我」の生き方を論じた



季節が必ず冬を巡るように、苦悩の時を経ない人生はない。しかし「大我」の理想に生きる人は、どんな苦難も感動の劇に変えていく。  (鉄)


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3月24日(月)のつぶやき

2014年03月25日 01時42分03秒 | ことばの玉手箱

ブログを更新しました。 『李(すもも)の花/今日の俳句≪No.1530≫  』 amba.to/1iRCcba


李(すもも)の花/今日の俳句≪No.1530≫

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李(すもも)の花/今日の俳句≪No.1530≫   

2014年03月24日 04時50分00秒 | 今日の俳句


     ☆李(すもも)の花/今日の俳句☆  

彡------☆★☆*≪No.1530≫------------☆★☆*☆彡------☆☆彡
2014年(平成26年)3月24日(月)

○ 世界結核デー(World Tuberculosis Day)
 世界保健機関が1997年に制定。
1882年のこの日、ロベルト・コッホ博士が結核菌を発見した。
医学の進歩で克服されたかに見えていた結核が、再び猛威を振い始めたことから、結核の撲滅を目指して結核抑圧への協力を世界に呼びかけている。
日本では9月24日~30日を「結核予防週間」としている。

○ マネキン記念日
 1928(昭和3)年のこの日、上野公園で開かれた大礼記念国産振興東京博覧会で高島屋呉服店が日本初のマネキンガールを登場させた。
マネキンガールとは、マネキン人形ではなく現在でいう「ハウスマヌカン」のことである。「招金」に通じるということで、フランス語のマヌカンではなく英語のマネキンという言葉を使った。

○ 連子鯛の日
 山口県下関市の下関漁港沖合底びき網漁業ブランド化協議会が2010年に制定。
1185(寿永4)年のこの日の壇ノ浦の合戦で、安徳帝と共に入水した平家の女性たちが連子鯛に化身したという伝承があることから。

○ ホスピタリティ・デー
 日本ホスピタリティ研究会(当時)が1994(平成6)年に制定。
数理学的に、3は新しいものを創り出すエネルギー・創造・自己表現等を、2は調和とバランス・思いやり・協力・理解力・人間関係を象徴し、4は全体をつくりあげる基礎を表わす数とされ、3・2・4はホスピタリティに関連性の高い要素が多く含まれていることから。
思いやりのある社会を築く為に、ホスピタリティを意識的に実践する日。

○ 壇ノ浦の戦いの日
 1185(元暦2)年のこの日、長州沖の壇ノ浦で、源義経が率いる源氏軍が平家軍を破り、平家一門が滅亡した。
人力車発祥の日(日本橋人力車の日)東京・日本橋で人力車の運行を行う「くるま屋日本橋」が制定。
1870(明治3)年のこの日、人力車を発明した3人のグループに東京府から人力車の営業の許可か下り、日本橋で営業を開始した。


【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  熟れきつて裂け落つ李紫に
       杉田久女



  故里の厠の貧し李咲く
       滝沢伊代次



  日も花粉まみれ授粉のすもも畑
       橋本美代子


※ 【熟れきつて裂け落つ李紫に  杉田久女】
 熟しすぎた李(すもも)が紫色に変色して落ちてしまった。よくある光景だが、久女という署名がつくと、どうしても深読みしたくなる。女人の哀しいエロティシズムを感じてしまう。
李そのものが艶っぽい姿形をしていることもある。口にあてるときに、ちょっと緊張感を強いられる。蛇足ながら「スモモモモモモモモノウチ(李も桃も桃の内)」とは、新米アナウンサーが練習用に使う早口言葉のひとつだ。
そういえば、富安風生に「わからぬ句好きなわかる句ももすもも」というのがある。
(清水哲男)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/今週のことば/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月24日(月)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 忙しい時こそ
 信心根本に全ての
 課題に挑みゆけ!
 誠実と忍耐で
 職場の柱と光れ!

     3月24日


 ■※今週のことば※■


 春は行動の季節だ。
 足取りも軽やかに
 友のもとへ!
 「我も唱へ他をも勧ん」
 希望の光風を広げよ!

     3月24日

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   ■※名字の言※■


(3/24)
1914年(大正3年)に東京駅が開業して100年。一昨年、戦災で焼失した部分の復元工事を終えた「ドーム型屋根の赤れんが駅舎」は、新たな観光スポットとなっている



“赤れんがの壁面にドーム型屋根の建物”というと、57年(昭和32年)7月17日、学会の「大阪大会」の会場となった中之島の中央公会堂が思い浮かぶ。実はどちらも、辰野金吾氏の設計によるものだ



日本銀行本店など200を超える建築に携わり、“ヨーロッパ風日本建築の開祖”といわれる辰野氏も、初めから英才だったわけではない。工部省工学寮(現在の東京大学工学部)に最下位で滑り込み、猛勉強の末、首席で卒業。イギリスで建築学を学んだ。そんな自身を「俺は頭が良くない。だから人が一する時は二倍、二する時は四倍必ず努力してきた」と語ったという



人生はしばしば、建築になぞらえられる。それは建築が、力学、デザイン、法律、歴史……つまり人間と環境に関わる万般の知識と知恵を結集した総合芸術だからであろう



英語「アーキテクチャ(建築)」の元来の意味は“最上の技術者”である。最上の努力、最上の情熱をささげたものだけが、時の流れに耐えて輝き続けると思える。建築も、そして人生も。(明)



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3月23日(日)のつぶやき

2014年03月24日 01時42分30秒 | ことばの玉手箱

ブログを更新しました。 『桃の花/今日の俳句≪No.1529≫  』 amba.to/OLooUo


桜梅桃李の部屋 : 桃の花/今日の俳句≪No.1529≫     blog.livedoor.jp/kouki11012wai/…


ブログを更新しました。 『ことばの玉手箱/影法師   』 amba.to/OMEgpE