和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年08月12日 21時46分36秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月12日(水)より転載】

【勝利島20】

 網元であった佐田太一の父もまた、信心深い人であった。竜神堂を建てたり、地蔵を造らせたりした。また、漁師たちにも、何でもいいから信仰をもつように勧めた。それが、最高の善行であると信じていたのだ。
 佐田自身も、その父の影響を強く受けて育った。「仏教青年団」なるものを組織して、初代の団長になった。島の青年を連れ出しては、座禅や托鉢の修行にも励んだ。
 ところが、佐田家は次第に傾き始め、一九一九年(大正八年)に倒産する。
 跡継ぎの彼は、再起を図ろうと、漁船を率いて、千島の最北端やカムチャッカ沖まで漁に出かけていった。満州(現在の中国東北部)の黒竜江での川魚漁にも従事した。しかし、時代の激流に翻弄されるばかりで、佐田家に逆転のチャンスは訪れなかった。
 三九年(昭和十四年)、父親は他界する。父は、倒産したとはいえ、三万坪の土地を残してくれた。
 佐田は、戦後も漁業を続けたが、思ったほどの漁獲はなく、そこに、海難事故が重なった。気がつけば、莫大な借金を抱えていた。父が残してくれた土地のうち、二万坪は売れ、返済にあてたが、大した金額にはならなかった。残りの土地は、買い手もつかない。
 債権者たちは、連日、借金返済の催促に押しかけてくる。返済の目途は全くない。借金は雪ダルマ式に増えていく。途方に暮れた。
 夜逃げ――それしかないと思った。
 北海道の留萌市に行き、人目を忍ぶようにして暮らし始めた。
 そこで、十年来、疎遠だった友人に出くわした。佐田が、島を逃げ出してきたことを漏らすと、宗教の話をし始めた。
 「佐田さんも、一生懸命に努力し、働いてきたはずだ。しかし、漁はうまくいかず、事故にも遭う。そして、こうして苦しんでいる。それが宿命なんですよ。でも、その宿命を転換できる宗教がある」
 宿命に勝つか、負けるか――人間の幸・不幸のカギは、結局、そこにかかっている。



                                

秋晴/今日の俳句 ≪第.1862号≫

2015年08月12日 06時46分39秒 | 今日の俳句
  サイロより人が首出し秋晴るる
       木村凍邨


  みじろぎにきしむ木椅子や秋日和
       芝不器男


  昼の夢をはりてもなほ秋日和
       日野草城


  なっちゃんもてっちゃんも河馬秋晴れて
       坪内稔典


  秋晴の空気を写生せよといふ
       沢木欣一




※ 秋といえば、台風一過の秋晴れのさわやかな日を連想しがちだが、実際には天気はあんがいよくない。九月中旬から十月の半ばにかけて、秋霖という秋の長雨の時期に入る。
 ちょうど梅雨のころの晴れを(五月晴れ)というように、秋は天気が悪いから、秋晴れという言葉が生まれたともいえる。十月も半ばを過ぎると、天気は定まってほんとうの秋晴れの日がつづくようになる。
→秋の晴れ・秋日和

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】





     ※☆*わが友に贈る*☆※


  苦手な分野にも

  果敢に挑め!

  その勇気の一歩が

  自身を変える。

  常に向上の人生たれ!


        2015年8月12日





     ※☆*寸 鉄*☆※


「教育原点の日」40周年。創価三代の大情熱継ぐ友が奮闘。子の幸福へ邁進

        ◇

民衆を守る事以上に偉大な戦いがあろうかー文豪(ユゴー)。青年よ広宣流布の勇将に

        ◇

「いかなる病さはりをなすべきや」御聖訓。題目の利剣で病魔を打ち破れ

        ◇

国連「国際青少年デー」。励ましと触発こそ最高の滋養。地域ぐるみで育成

        ◇

帰省ラッシュ。交通手段は9割が自家用車と。急がず無理せず無事故第一で

     ※☆*名字の言*☆※


モンゴメリの名作『赤毛のアン』を初めて邦訳した村岡花子の生涯は、ドラマ化され、よく知られるようになった。戦時中の厳しい言論統制、最愛の息子の死……。幾つもの苦難を乗り越え、終生、翻訳家として人々に元気を送り続けた



その胸には“青春の原点”があった。女学校を卒業する時、恩師から送られた送別の言葉である。「今から何十年後かに、あなたがたが学校生活を思い出して、あの時代が一番幸せだった、一番楽しかった。、と心底から感じるなら、私は子の学校の教育が失敗だったと言わなければなりません」(村岡恵理著『アンのゆりかご』)



「一番幸せ」だったのなら、普通は「教育の成功」と考えたくなるところである。どこまでも未来を見つめ、成長し続けてほしい、との恩師の慈愛の発露だったのだろう



仏法は「現当二世」を説く。「今」「きょう」を真剣に生き、充実させれば、「未来」は必ず幸福に輝く。さらには、「過去」さえ価値あるものに転じていける。前に進めば進むほど、希望が広がり続けるのが、信仰に生き抜く人生だ



この“希望の哲理”を胸に、日々新たに挑戦を!『赤毛のアン』を生んだ作家のモンゴメリは、こう呼び掛けている。「人間は成長しなくちゃ」(上坪正徳訳)と。     (誠)


             

【聖教新聞:2015年8月12日(水)付】
http://www.seikyoonline.jp/index.html


☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡


      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡


     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[2] 南無妙法蓮華経

 名前からうかがえる深い意味

 南無妙法蓮華経という名前それ自体から、根源の法の深い意味がうかがえます。
 妙法蓮華経とは、法華経の詳しい名前です。
 法華経で示される根源の法は、なかなか理解しがたい不思議な法であるので「妙法」と呼ばれます。
 妙法の特質を理解するための譬えとなるのが、植物の「蓮華(ハス)」です。
 たとえば、蓮華は、泥沼に生えても、それに染まらず、清らかで香り高い花を咲かせます。それは、妙法を信じ、実践する人が、苦悩渦巻く現実世界に生きながら、清らかな心と行動をたもち、人々を教え導くことを思い浮かばせます。
 また蓮華は、他の花とは違って、つぼみの段階でも花びらの中に果実である蓮台があり、花びらと実が同時に成長し、花が開いて実が現れた時も花びらがあります。原因である花と結果である実が倶にあり、同時です。
 これは、まだ仏の境涯(仏界)が開き顕されていない凡夫の段階でも、仏の境涯は見えないけれども厳然と具わっていること、さらに、仏となっても凡夫の生命境涯が失われないということを示します。
 このように、蓮華は妙法の特徴を理解するための譬えとなっています。
 そして、妙法は、永遠の真実を明かすものであるので、「経」として尊重され信仰されるのです。
 また「南無」というのは古代インドの言葉の音を漢字で写したものですが、その意味を取って「帰命」とも訳されます。「帰命」とは、身も心も帰依する、全身全霊で教えを実践し体現するという意味です。
 南無妙法蓮華経は、あらゆる人々を救おうとする仏の慈悲と智慧の生き方が結晶した、仏の心そのものです。
          
                                  

小説「新・人間革命」

2015年08月12日 05時29分41秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月11日(火)より転載】

【勝利島19】

 北海道の札幌から鉄路二百十五キロ、北海道北部の西海岸にある羽幌に出る。かつては炭鉱の町として栄えたところである。さらに、そこから西へ海路約三十キロ、日本海に浮かぶ周囲約十二キロの島が、「オロロンの島」として知られる天売島である。オロロンとは、オロロン鳥(海烏)のことだ。島への船は、十月から四月の間、一日一往復となる。
 天売島では、毎年三月、オロロン鳥をはじめ、何種類もの海鳥が繁殖のために飛来する。四月から八月の繁殖期には、おびただしい数の海鳥が、島の岩棚を埋め尽くす。
 果てしない群青の海。岩に躍る純白の波しぶき。空を覆うかのように羽ばたく鳥たちの群れ……。その景観は、雄大で美しい。大自然が描いた一幅の名画である。
 港で船を下り、丘の上を見上げると、白壁の二階建ての建物がそびえ立つ。学会員の佐田太一が経営するホテルだ。客室数三十余室の天売島最大の宿泊施設である。
 島の住人は、約二百六十世帯八百人余(一九七八年現在)。その島に、当時、学会の大ブロック(後の地区)があり、六十九歳の佐田が大ブロック長を務めていた。
 彼の人生は、波瀾万丈であった。
 佐田の祖父は現在の青森県出身で、明治初期に天売島に移り住み、開拓を始めた先駆者の一人であった。この祖父は漁業で成功し、彼を頼って、青森や秋田から次々と人が集まり、島に住みついていった。
 佐田の家は、祖父も、父も網元をやり、島の実力者として名を馳せてきた。ニシン漁の最盛期を迎えたころには、島は漁の根拠地の一つとして栄え、人口が二千人近くにまで膨れ上がったこともある。
 海は豊漁を運んでくる。しかし、激しく過酷である。荒海は牙をむき、時として命をものみ込む。豊漁か、命を落とすのか――明日のことはわからない。
 人間の力の及ばぬ大自然を相手に生きるなかで、人の非力を実感する機会も多い。それだけに、強い信仰心をもつ人も少なくなかった。




                                

8月11日(火)のつぶやき

2015年08月12日 01時43分29秒 | 今日の俳句