和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年08月24日 19時07分54秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月24日(月)より転載】

【勝利島29】

 山本伸一から石切広武に届いた葉書には、「上野殿御返事」の一節が認められていた。
 「或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時は・も(燃)へた(立)つばかりをも(思)へども・とを(遠)ざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たい(退)せず信ずるなり」(御書一五四四ページ)
 石切は、“何があろうが、一喜一憂することなく、黙々と信心に励もう。断じて水の信心を貫いていこう!”と心に誓った。
 やがて彼は、苦境を脱し、食品会社を起こして、全国に販路を広げ、借金も返済し、見事に、信心の実証を示していくことになる。
 一九五八年(昭和三十三年)八月、第二代会長・戸田城聖亡きあと、総務として学会の一切を支えていた伸一が、鹿児島を訪問する。石切は、信心に励み、仕事の状況が大きく好転したことを、胸を張って報告した。
 その口調には、必死に生活苦と戦っている健気な同志を、どこか下に見ているかのような響きがあった。
 伸一は、話を聞き終えると、石切の目を見すえ、厳しい声で言った。
 「弘教に励み、事業がうまくいった――それは、ひとえに御本尊の功徳であり、信心の力です。しかし、もしも、慢心を起こし、信心が蝕まれてゆくならば、またすべてが行き詰まってしまう。したがって、自身の心に巣食う傲慢さを倒すことです。
 題目を唱え、折伏をすれば、当然、功徳を受け、経済苦も乗り越えられます。しかし、一生成仏という、絶対的幸福境涯を確立するには、弛まずに、信心を貫き通していかなくてはならない。信心の要諦は持続です。
 ところが、傲慢さが頭をもたげると、信心が破られてしまう。だから大聖人は、『只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこ(幢)をたを(倒)し忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだし(紲)なり』(同四六三ページ)と仰せになっているんです」

              

鰍(かじか)/今日の俳句 ≪第.1874号≫

2015年08月24日 06時20分50秒 | 今日の俳句





  鰍突きまぶしその臀充実す
       加藤楸邨


  磨崖仏河鹿鳴きつゝ暮れたまふ
       水原秋桜子


  河鹿鳴くいつも人なき橋の上
       波多野爽波


  鰍焼く駿雨に赤き火を守りつ
       多田てりな


  水底の雲影乱し鰍探る
       神尾静光


※ 鰍(かじか)・石伏・石斑魚・川をこぜ・ぐず・カジカ・鰍突く
 カジカ科の体長三~五センチ(一寸~一寸七分)ぐらいの淡水魚。川にすむ魚だが、流れの早い水の清らかな渓流を好み、底の岩や砂礫にはりついたようにしている。夏、箱眼鏡でのぞいて、ヤスで突いてとらえるのは、多くこの魚である。
 からだの上部が暗灰色で、下方が白く、川底にすむに適し、一種の保護色をしている。とらえたときに、つかんで手のひらなどを傷つけられるのは、背ぶれの棘に刺さるからである。
 串に刺して、あぶって、醤油をつけてまるごと食べたり、焼き干しにしたものを煮びたしなどにするが、ハゼなどよりもはるかに美味。昔は、この魚は鳴くと信じられていたが、同音の河鹿と混同されたもので、発音器官はない。
 カジカ科に属する日本産の魚は淡水・海水を通じて三十数種に達するが、ガンコ・ヤマノカミ・ナベコワシ・ノロカジカ・イダテンカジカなどこっけいな名のものがあり、習性や生態には興味尽きないものがある。

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】



     ※今週のことば※


  「仏になるみちは

  善知識にはすぎず」

  座談会で励まし合い

  幸福へ 拡大へ 勝利へ

  大歓喜のスタートを!


      2015年8月24日




     ※☆*寸 鉄*☆※


「8・24」。会長(SGI)の68年の激励に感謝。人類の宿命転換へ後継が世界で乱舞

        ◇

北陸で勇躍の男子部幹部会。祈り、走り、正義を語れ!堂々と勝利の魁を

        ◇

壮年部の日。信頼の光を放つ黄金柱万歳!歴戦の将が進めば広布は大発展

        ◇

「小事つもりて大事となる」御書。幹部(リーダー)の祈りと細かな心配りから勢いが

        ◇

生活に苦しむ高齢者の一人世帯増加。経済格差が拡大と。是正へ打開策を






     ※名字の言※


日本文学を研究するドナルド・キーンさんは、戦時中、米海軍の語学士官として、ハワイ州真珠湾の基地に派遣された。任務は、押収した日本軍の文書の翻訳だった



中に日本兵の日記があった。最初は「挙国一致」などの決まり文句が並び、威勢が良かった。だが、形勢が傾き、食糧補給も絶たれると、日記には深い苦悩、家族への切なる思いがつづられていた。キーンさんは、極限に立つ人間の“真情”から発した言葉に、胸が打たれた。この経験が日本文学研究者への原点になった



きょうは「聖教新聞創刊原点の日」。1950年(昭和25年)のこの日、戸田第2代会長は池田名誉会長に本紙創刊の展望を語り、その実現を託した



当時、戸田会長は激動の社会の波にのまれ、事業は窮地に立たされていた。同じ日に、学会の理事長を辞任する意向も発表している、絶体絶命の中で、師が吐露した広宣流布への真情を、弟子が受け継ぎ、今日、現実のものとしたーーここに、本紙の永遠の「原点」がある



言葉にも、さまざまある。空疎な決まり文句、取り繕う言葉、果ては人を傷つける言葉も世に多い。私たちは、真心からの言葉を集め、伝える努力を続けたい。人を励ます言葉、正義を表す言葉、苦悩を乗り越えた人々の喜びの言葉を。(代)




【聖教新聞:2015年8月24日(月)付】




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      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

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     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[3] 一生成仏と広宣流布

  (1) 一生成仏

 凡夫成仏・即身成仏

 「凡夫」とは、普通の人間のことです。法華経では、凡夫の身に本来、仏の境涯が具わっていて、開き顕すことができると明かされています。普通の人間の身に、偉大な仏の境涯を開いていけるのです。これを「凡夫即極」とも「凡夫即仏」ともいいます。
 成仏とは、人間に具わる本来の人間の境地(本有の仏界)を現すことであって、人間からかけ離れた特別な存在になることではありません。凡夫の身に仏という最高の人間性を原木顕すことが大聖人の成仏観です。
 このような成仏を「即身成仏」といいます。即身成仏とは、衆生が、死んで生まれ変わって現実の凡夫の身を改めることなく、仏の境涯を得ることをいいます。
 法華経以外の諸経では、「成仏」が説かれていても、少なくとも二つのことが条件とされています。
 一つは、二乗(声聞・縁覚)・悪人・女人ではないことです。
 二乗は、自分たちは偉大な仏には成れないと決め込んで阿羅漢(声聞の教えでの最高の覚りを得る人)を目指すにとどまり、煩悩を完全になくした境地として身心を滅することを目指します。このような二乗に対して、大乗の諸経典は、成仏できないと厳しく非難しました。
 また衆生が悪人であるなら善人に生まれ変わることが必要であり、女性であるなら男性に生まれ変わることが必要であると考えられていました。悪人や女性が、その身のままで成仏することはできないとされていたのです。成仏を説いてはいても、現実に成仏できる条件を満たす人は限定されていたのです。
 二つには、何度も何度も生死を繰り返して仏道修行を行い(歴劫修業)、凡夫の境涯を脱して仏の境涯に到達するとされたことです。


           

8月23日(日)のつぶやき

2015年08月24日 01時46分42秒 | 事件

ブログを更新しました。 『落鮎/今日の俳句 ≪第.1873号≫』
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ブログを更新しました。 『在日犯罪?高槻殺人事件の犯人?山田浩二容疑者が帰化人で通名「金浩二」』
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