和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

花野/今日の俳句 ≪第.1865号≫

2015年08月15日 21時17分48秒 | 今日の俳句
  東塔の見ゆるかぎりの秋野行く
       前田普羅


  秋の野に鈴鳴らしゆく人見えず
       川端康成


  花野より白根を指せる雲の日矢
       細見綾子


  膝抱けば夕べのごとき花野かな
       山田みづえ


  花野ゆく小舟のごとき乳母車
       八染藍子




※ 花野・花野原・花野道
 八千草の咲き乱れた野をいう。野の花がつけるのは秋に限らないが、新秋を迎えると、目だって草のたけが伸び、わりあいにはでな萩・桔梗・撫子・蓼・女郎花・蛍草などが、いっせいに花を開き、野はきわだってはなやかとなる。野の花にいろどられるのは秋が深まるまえ、八、九月ごろである。高原などでは、八月上旬に早くも花野の景が見られる。

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】






     ※☆*わが友に贈る*☆※


  地上から悲惨をなくし

  自他共の幸福の建設を!

  それが広宣流布だ。

  最も身近な地域から

  和楽のスクラムを拡大!

        2015年8月15日





     ※☆*寸 鉄*☆※


きょう終戦70年。不戦への誓願新た。今こそ青年が三代会長の闘争を継承

        ◇

「随喜するは信心なり」。歓喜の生命こそが広布前進の原動力。勇み共々に

        ◇

諦めなどという言葉は私の辞書にはないー看護士(ナイチンゲール)。不屈の心に人生の充実が

        ◇

夏バテの予防には簡単な柔軟体操(ストレッチ)も有効と。“ながら”運動も可。健康第一で

        ◇

非正社員。育休取得後の復職4%。正社員の1割以下と。政治が対策急げ









     ※☆*名字の言*☆※


北山修作詩、杉田二郎作曲の『戦争を知らない子供たち』。昭和の名曲の一つとして、今でもTV番組で紹介されるフォークソングだ。実はこの歌には忘れられない思う出がある。



中学1年生の秋に開かれた全員参加のクラス対抗合唱祭。生徒数は多く、1学年に9クラスはあったと記憶する。どんな歌でもよかったので、記者がいたクラスは『戦争を知らない子供たち』を選曲。銅賞を取ったのだ。喜びが爆発したのは言うまでもない



曲名にある“戦争を知らない”同世代の多くは結婚。既に二世も育っている。そんな年代に当たる日本福祉大学の学生平和意識調査によれば、終戦の日を正しく答えることができた学生は2008年で51%。12年には26%と大幅に減っていた



戦争の風化は昭和史の研究をも鈍らせる。そう思いがちだが、実際は違う。最新の研究では「幾重にも逆接の重なった複雑なプロセスだということが明らかになっている」(『昭和史講義』ちくま新書)のだ。編者の筒井清忠氏は、「歴史の単純化は単純な人々によって動かされる『単純な歴史』を生み出す」と警告している



終戦から70年。「メディアから自由な大衆というものは存在しない」(加藤周一著『私にとっての20世紀』岩波書店)。単純化に惑わされず、戦争を未然に防ぐ方策と冷徹な判断が求められよう。(田)

【聖教新聞:2015年8月15日(土)付】




☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡


      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡


     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[2] 南無妙法蓮華経

 凡夫も本来は妙法そのもの

 また、凡夫すなわち普通の一人ひとりの生命にも、仏界(仏の生命境涯)は厳然と具わっています。本来は、私たち、一人ひとりも南無妙法蓮華経そのものです。
 ところが、凡夫は、その生命の真実を自覚していないため、内なる根源の法である南無妙法蓮華経の力とはたらきを発揮させることができていないのです。
 この真実を覚っている状態が仏であり、この真実を信じられず、迷っている状態が凡夫なのです。
 ですから現実には、南無妙法蓮華経を信じ、実践する時に、妙法の力とはたらきが現れるのです。



          
  

花野/今日の俳句 ≪第.1865号≫

2015年08月15日 21時17分00秒 | 今日の俳句
  東塔の見ゆるかぎりの秋野行く
       前田普羅


  秋の野に鈴鳴らしゆく人見えず
       川端康成


  花野より白根を指せる雲の日矢
       細見綾子


  膝抱けば夕べのごとき花野かな
       山田みづえ


  花野ゆく小舟のごとき乳母車
       八染藍子




※ 花野・花野原・花野道
 八千草の咲き乱れた野をいう。野の花がつけるのは秋に限らないが、新秋を迎えると、目だって草のたけが伸び、わりあいにはでな萩・桔梗・撫子・蓼・女郎花・蛍草などが、いっせいに花を開き、野はきわだってはなやかとなる。野の花にいろどられるのは秋が深まるまえ、八、九月ごろである。高原などでは、八月上旬に早くも花野の景が見られる。

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】






     ※☆*わが友に贈る*☆※


  地上から悲惨をなくし

  自他共の幸福の建設を!

  それが広宣流布だ。

  最も身近な地域から

  和楽のスクラムを拡大!

        2015年8月15日





     ※☆*寸 鉄*☆※


きょう終戦70年。不戦への誓願新た。今こそ青年が三代会長の闘争を継承

        ◇

「随喜するは信心なり」。歓喜の生命こそが広布前進の原動力。勇み共々に

        ◇

諦めなどという言葉は私の辞書にはないー看護士(ナイチンゲール)。不屈の心に人生の充実が

        ◇

夏バテの予防には簡単な柔軟体操(ストレッチ)も有効と。“ながら”運動も可。健康第一で

        ◇

非正社員。育休取得後の復職4%。正社員の1割以下と。政治が対策急げ









     ※☆*名字の言*☆※


北山修作詩、杉田二郎作曲の『戦争を知らない子供たち』。昭和の名曲の一つとして、今でもTV番組で紹介されるフォークソングだ。実はこの歌には忘れられない思う出がある。



中学1年生の秋に開かれた全員参加のクラス対抗合唱祭。生徒数は多く、1学年に9クラスはあったと記憶する。どんな歌でもよかったので、記者がいたクラスは『戦争を知らない子供たち』を選曲。銅賞を取ったのだ。喜びが爆発したのは言うまでもない



曲名にある“戦争を知らない”同世代の多くは結婚。既に二世も育っている。そんな年代に当たる日本福祉大学の学生平和意識調査によれば、終戦の日を正しく答えることができた学生は2008年で51%。12年には26%と大幅に減っていた



戦争の風化は昭和史の研究をも鈍らせる。そう思いがちだが、実際は違う。最新の研究では「幾重にも逆接の重なった複雑なプロセスだということが明らかになっている」(『昭和史講義』ちくま新書)のだ。編者の筒井清忠氏は、「歴史の単純化は単純な人々によって動かされる『単純な歴史』を生み出す」と警告している



終戦から70年。「メディアから自由な大衆というものは存在しない」(加藤周一著『私にとっての20世紀』岩波書店)。単純化に惑わされず、戦争を未然に防ぐ方策と冷徹な判断が求められよう。(田)

【聖教新聞:2015年8月15日(土)付】




☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡


      教 学 入 門
     世界宗教の仏法を学ぶ

☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡


     第1部 日蓮大聖人の仏法(1)

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[2] 南無妙法蓮華経

 凡夫も本来は妙法そのもの

 また、凡夫すなわち普通の一人ひとりの生命にも、仏界(仏の生命境涯)は厳然と具わっています。本来は、私たち、一人ひとりも南無妙法蓮華経そのものです。
 ところが、凡夫は、その生命の真実を自覚していないため、内なる根源の法である南無妙法蓮華経の力とはたらきを発揮させることができていないのです。
 この真実を覚っている状態が仏であり、この真実を信じられず、迷っている状態が凡夫なのです。
 ですから現実には、南無妙法蓮華経を信じ、実践する時に、妙法の力とはたらきが現れるのです。



          
  

小説「新・人間革命」

2015年08月15日 16時59分12秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月15日(土)より転載】

【勝利島23】

 佐田太一は、“島の広宣流布のためには、まず生活に勝ち、実証を示すことだ”と結論し、祈りに祈った。
 唱題は、生命力、智慧の源泉である。
 “漁師のほかにも商売ができないものか”と思案を重ね、住まいの一部を改造して、民宿を始めることにした。民宿といっても、布団は三組しかない。それでも、五月から九月の間、客は、よく来てくれた。
 天売島は冬季に入ると、島を訪れる人は、ほとんどいなくなる。海は荒れ狂い、空は鉛色の雲に覆われ、吹雪は咆哮をあげて襲いかかる。船も一日一往復となり、天候によっては何日も欠航が続く。
 佐田は、“今なら、じっくり対話ができる”と思った。吹雪のなかを弘教に歩いた。折伏をするために字を覚え、『大白蓮華』「聖教新聞」を読み、御書を学んだ。
 島に戻って二年後には、八世帯の弘教が実った。民宿も辛抱強く続け、毎年、少しずつ改修を重ね、設備も整えていった。
 一九六一年(昭和三十六年)秋、天売島が脚光を浴びることになった。ここを舞台にしたテレビドラマ「オロロンの島」(北海道放送制作)が全国放映されたのである。
 ドラマの主役は、島に住む子どもの姉弟である。その弟役には、佐田の息子・一広が起用された。この放映によって天売島は、風光明媚なオロロン鳥の繁殖地として、一躍、名を馳せ、多くの観光客が訪れるようになる。
 民宿の業績も順調に伸びた。しかし、島には水が少ない。六二年(同三十七年)、佐田太一は、客に不自由な思いをさせたくないと思い、裏山の沢から水を引くため、ホースを取り付けに行った。
 三十メートルほどの崖に登って、作業を始めた。その刹那、体のバランスを崩し、真っ逆さまに転落した。意識を失った。本土の病院へ緊急搬送された。検査の結果は、頭蓋骨陥没である。頸椎もずれていた。辛うじて命は取り留めたが、医師は、「命に及ぶ危険があるので手術はできない」と告げた。


                                            

初潮/今日の俳句 ≪第.1864号≫

2015年08月15日 07時32分06秒 | 今日の俳句



  初潮や島を離るる朝の船
       木村蕪城


  隠岐の海やさびしき望の汐がしら
       広江八重桜


  初潮の紺垣間見し峠かな
       岸川素粒子


  初潮や綱引きしめる新造船
       浅野長江


  初潮にものを棄てたる娼家かな
       日野草城




※ 初潮・望の潮・葉月潮
 旧暦八月十五日、名月の日も満潮という。昭和62年名月の日の東京築地の満潮時は、午前四時四十八分と午後五時八分の二回、これはほとんど月の入り、月の出に近い時刻である。
 他地方たとえば瀬戸内海の岸では、これよりも五、六時間おそい。潮の満干は、太陽と月の引力の作用により起こるもので、初月(朔)と望月(十五日)のころは、太陽と月が一直線に並ぶので、干満の時に大きくなり、春秋の彼岸の初月・望月のときは太陽と月も赤道の上にあるので、いっそう干満の差は大きい。旧暦の一日と十五日を大潮というのは、このゆえである。
 俳句では旧暦の八月十五日の満潮に限って初潮というのだが、この日の満ちてくる潮の勢い、あるいは海の潮一般もさし、かなりに広く用いられる。干満の差が大きいので、干潮からあげ潮にうつるとき、潮の流れは速く、干満がたちまち満々と潮をたたえ、海に近い川などは、海水が逆流して、水カサを増すのが見られる。
 古くは「須磨の浦に秋やく蜑(あま)の初汐の烟(けむり)ぞ霧の色を染めける」の歌にあるとおり、製塩のために秋にはじめてくむ潮を初潮といった。
 また季節にかかわりなく小潮の十日の翌日の十一日の潮を(初潮)、十二日の潮を(二日潮)、十三日の潮を(三日潮)といい、いずれも詩語として価値のある言葉だが、季語として熟するまでにいたらない。

【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】






     ※☆*わが友に贈る*☆※


  地上から悲惨をなくし

  自他共の幸福の建設を!

  それが広宣流布だ。

  最も身近な地域から

  和楽のスクラムを拡大!

        2015年8月15日





     ※☆*寸 鉄*☆※


きょう終戦70年。不戦への誓願新た。今こそ青年が三代会長の闘争を継承

        ◇

「随喜するは信心なり」。歓喜の生命こそが広布前進の原動力。勇み共々に

        ◇

諦めなどという言葉は私の辞書にはないー看護士(ナイチンゲール)。不屈の心に人生の充実が

        ◇

夏バテの予防には簡単な柔軟体操(ストレッチ)も有効と。“ながら”運動も可。健康第一で

        ◇

非正社員。育休取得後の復職4%。正社員の1割以下と。政治が対策急げ

【聖教新聞:2015年8月15日(土)付】







     ※☆*北斗七星*☆※


北山修作詩、杉田二郎作曲の『戦争を知らない子供たち』。昭和の名曲の一つとして、今でもTV番組で紹介されるフォークソングだ。実はこの歌には忘れられない思う出がある。



中学1年生の秋に開かれた全員参加のクラス対抗合唱祭。生徒数は多く、1学年に9クラスはあったと記憶する。どんな歌でもよかったので、記者がいたクラスは『戦争を知らない子供たち』を選曲。銅賞を取ったのだ。喜びが爆発したのは言うまでもない



曲名にある“戦争を知らない”同世代の多くは結婚。既に二世も育っている。そんな年代に当たる日本福祉大学の学生平和意識調査によれば、終戦の日を正しく答えることができた学生は2008年で51%。12年には26%と大幅に減っていた



戦争の風化は昭和史の研究をも鈍らせる。そう思いがちだが、実際は違う。最新の研究では「幾重にも逆接の重なった複雑なプロセスだということが明らかになっている」(『昭和史講義』ちくま新書)のだ。編者の筒井清忠氏は、「歴史の単純化は単純な人々によって動かされる『単純な歴史』を生み出す」と警告している



終戦から70年。「メディアから自由な大衆というものは存在しない」(加藤周一著『私にとっての20世紀』岩波書店)。単純化に惑わされず、戦争を未然に防ぐ方策と冷徹な判断が求められよう。(田)

【公明新聞:2015年8月15日(土)付】


          

小説「新・人間革命」

2015年08月15日 03時46分21秒 | 新・人間革命
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月14日(金)より転載】

【勝利島22】


 佐田太一は、妻と共に信心を始めた。佐田も、妻も、入会すると、無我夢中で題目を唱えた。苦境を脱しようと必死であった。
 学会の指導通りに、折伏・弘教にも駆け回った。すると、妻が苦しんできた心臓弁膜症による胸部の痛みや呼吸困難の症状が、次第に緩和されていったのである。
 二人は、”これが、功徳ということか!”と思った。御本尊に心から感謝した。
 入会五カ月後、佐田は、信心への強い確信を胸に、生まれ故郷の天売島に戻る決意をした。彼には、相変わらず多額の借金があり、取り巻く環境は、何も変わっていなかった。ただし、心は、大きく変わっていた。
 借金苦に堪えかねて、島を出た時とは異なり、胸には、”俺が、天売島の広宣流布をするのだ! 島のみんなを幸せにするのだ!”という、誓いの炎が燃え盛っていた。
 天売島で、佐田は再び漁師を始めた。そして、島中を弘教に歩いた。島民は、皆、佐田のことをよく知っている。代々の網元だったが、借金苦で”行方をくらました男”としてである。折伏をすると、あざ笑われ、塩を撒かれもした。
 人びとは、陰で囁きあった。
 「佐田のオヤジは、遂に頭がおかしくなった。今度は、わけのわからぬ変な宗教に取り憑かれてしまった。惨めなものだ……」
 狭い島のなかである。自分への批判は、すぐに耳に入ってくる。
 悔しかった。地団駄を踏む思いであった。
 島には、相談する幹部も、同志もいない。歯を食いしばって耐えた。
 彼は、懸命に唱題しながら、考えた。
 ”まだ、借金も返せぬ貧乏な状態では、何を言おうが、誰も話を聞かなくて当然だ。実証だ。実証を示す以外にない。御本尊様! どうか、島の広宣流布をしていくために、経済革命させてください”
 実証なき言説は空しい。日蓮大聖人は、「道理証文よりも現証にはすぎず」(御書一四六八ページ)と、断固として仰せになっている。



                                            

小説「新・人間革命」

2015年08月15日 03時35分36秒 | 新・人間革命
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 8月13日(木)より転載】

【勝利島21】

 佐田太一は、疑問をいだき続けてきた。
 “自分は、青年時代から、人一倍、強い信仰心をもち、いろいろな信心をしてきた。自分ほど真面目に信仰に励んできた者はいないとさえ自負している。ところが、災厄が次々と襲い、食うや食わずの生活を送らねばならない。いったい、どうしてなのか!”
 どん底の生活のなかで、彼は“神も仏もあるものか!”と思うようになっていた。
 友人は、佐田の苦しい胸のうちを察するかのように、励ましの言葉をかけながら、宗教の教えに、高低浅深があることを語った。
 「人生は、何を信じるかが大事なんです。たとえば、去年の暦を信じて生活したら、どうなるか――すべてが狂い、社会生活は営めなくなる。また、天売島を歩くのに、隣の焼尻島の地図を見て歩いたら、どうなるか。正しい目的地には行くことができない。
 宗教というのは、幸せになる根本の道を描いた地図みたいなものです。正しい宗教を信じて、進んでいけば、必ず幸せになる。それが、日蓮大聖人の仏法であり、その教え通りに実践しているのが創価学会なんです。
 佐田さんは、これまで、別の島の地図を見ながら、歩いて来たようなものだ。そして、迷路に入り込んでしまった。だから、せっかく努力しても、努力しても、おかしな結果になってしまい、抜け出せずにいる。それが、宿命ということなのかもしれません。
 しかし、創価学会の信心は、間違いない。その宿命を転換することができる信心なんです。事実、私もそれを実感しています。
 佐田さん。人生は、まだまだ、これからですよ。頑張って、必ず勝ちましょうよ」
 佐田は、この時、四十六歳であった。
 友人と話しているうちに、希望が湧いてきた。よくわからないこともあったが、彼を信じて、学会の信心にかけてみようと思った。
 仏法対話とは、希望を引き出し、勇気を引き出す、生命の触発作業である。
 一九五五年(昭和三十年)五月、彼は、晴れて創価学会に入会した。

                                

8月14日(金)のつぶやき

2015年08月15日 01時46分21秒 | 今日の俳句

ブログを更新しました。 『【台湾パイワン族との熱い絆】』
ameblo.jp/hirokiwai/entr…


ブログを更新しました。 『【重要証言】「日本は強くあってください」~台湾から日本へのメッセージ~』
ameblo.jp/hirokiwai/entr…


【重要証言】「日本は強くあってください」~台湾から日本へのメッセージ~ goo.gl/bxz8ez