和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

草茂る/今日の俳句 

2015年08月07日 04時24分58秒 | 今日の俳句





  屋根の上に草茂り居り薬草園
       桂信子


  墓原や墓低くして草茂る
       正岡子規


  草茂るばかり湖中の孤つ島
       河東碧梧桐


  引潮に酸模(すいば)の茂り人の声
       河野多希女


  牧牛は遥かに散りて草茂る
       滝峻石



※ 草茂る・茂る草
 夏草の繁茂したさま。木々の茂ったさまは「茂り」という。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】





     ※☆*わが友に贈る*☆※


  爽やかな挨拶から

  友情の輪を広げよう。

  清々しい声と

  誠実な振る舞いで

  地域に希望の涼風を!


        2015年8月7日





     ※☆*寸 鉄*☆※


真の祈りは行動しながらの祈りー文豪(ロラン)。妙法の平和の種まく対話の波を!

        ◇

女性に光あて力引き出す学会に共感ー日本の識者。希望の花贈る婦女の連帯(スクラム)

        ◇

いじめのささいな兆候も教員で共有をー文科省。家庭でも子の変化見送り

        ◇

就職氷河期経験の中年フリーターが増加と。安全網(セーフティネット)の整備など支援策急げ

        ◇

熱中症は睡眠中も発症。就寝前にも適度な水分・塩分の補給や冷房利用を





     ※☆*わが友に贈る*☆※


炎天の季節。宮城県では6日から恒例の「仙台七夕まつり」が始まった。朝、優雅に飛ぶ一匹のトンボを見た。思えば「七夕」は秋の季語。まつり最終日の8日は「立宗」である。旧暦の日付で行われる年中行事と、実際の暮らしで感じる季節感には、ずれがある



東日本大震災から、5回目の夏を迎えた。“一日も早く故郷へ帰れるように”と行政が急ぐ復興計画に対し、現在の避難者20万人が実感する復興にも「ずれ」がある。それでも東北の人たちは、不屈の心で日々を生きている



今月15日を中心に、各地で「創価学会諸精霊追善勤行法要」が行われる。大震災の犠牲者をはじめ、亡き家族、同志、友人、先祖代々に追善回向の祈りをささげる
 


回向とは、仏道修行で積んだ自身の福徳を、他者に「回らし向ける」こと。どこからでも、またどこへでも、さらには生死を超えて、祈りは相手に届くと、仏法は教えている。池田名誉会長の指導に「題目は、亡くなった方だけでなく、共に生きゆく人びとにも回向される」とある



心に平和を思い、故郷を思い、共戦の同志を思う8月。それら一切を、希望と幸福の方向へと転じていく“原点”は、自身の一念にある。そう確信し、祈りと行動を貫いていこう。     (白)


【聖教新聞:2015年(平成27年)8月7日(金)付】





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     日蓮大聖人の仏法

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[1] 日蓮大聖人の御生涯


日蓮大聖人の御生涯略年譜 (御事跡の洋数字は月日、▽印は「この年ごろ」を示す)

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西暦  年号      聖寿  月日    出来事

1222年(貞応元年) 1歳  2・16   安房国長狭郡東条郷の片海に御誕生
1233年(天福元年)    12歳       春、安房国清澄寺に登り、修学を始める
1237年(嘉禎 3年)    16歳       清澄寺で得度し、是聖房と名乗る
1239年(延応元年)    18歳       ▽鎌倉などに遊学する
1242年(仁治 3年)    21歳       ▽比叡山などに遊学する  
1246年(寛元 4年)    25歳  3・ 8   日興上人が甲斐国鰍沢で生まれる
1253年(建長 5年) 32歳 4 28   清澄寺で立宗宣言
                     ▽日蓮と名を改め、鎌倉に草庵を構えて弘教を開始する
                     ▽富木常忍が門下となる
1255年(建長 7年)    34歳       ※興福寺衆徒が東大寺を焼く 
1256年(康元元年)    35歳       四条金吾(頼基)、池上宗仲らが入信する
1257年(正嘉元年)    36歳       「立正安国論」執筆について考え始める
1260年(文応元年)    39歳 7・16   「立正安国論」を北条時頼に提出し、諌める(第1回の国主諫暁)。直後(7月または8月)に草庵を念仏者らに襲撃される(松葉ヶ谷の法難)
1261年(弘長元年)    40歳 5・12   伊豆国伊豆に流罪される(伊豆流罪)
1263年(弘長 3年)    42歳  2・22   流罪を赦され鎌倉に戻る
1264年(文永元年)    43歳 11・11  安房国東条の松原で地頭の東条景信による襲撃を受ける(小松原の法難)
1268年(文永 5年)    47歳  10・11  「十一通御書」を北条時宗はじめ関係各所に所に送る
1271年(文永8年)    50歳 9・12   夏、祈雨の勝負で極楽寺良観(忍性)を破る
                     9・12  平左衛門尉頼綱により逮捕され、頸の座に臨まれる(竜の口の法難)。これを機に発迹顕本される。相模国の本間重連の館に移送される
                     10・10 本間の館を出て流罪地・佐渡に向かう
                     11・1  佐渡・塚原の三昧堂に入る
                     「開目抄」の執筆について考え始める
1272年(文永 9年)    51歳 1・16、17     塚原問答
                     2月   「開目抄」を門下一同に与える
1273年(文永10年)    52歳 4・25   観心本尊抄を著す
1274年(文永11年)    53歳 3・13   佐渡流罪から赦免となり、一谷を出発
                3・26   鎌倉に着く
                4・8   平左衛門尉頼綱と会見し、諫暁を行う。年内に蒙古襲来があると予言
                5・17   身延に入る
                10月  10月 第1回蒙古襲来(文永の役)
1275年(建治元年)    54歳       日興上人の教化により、駿河の天台宗寺院の寺僧などが大聖人門下となる。それにより天台宗寺院側からの迫害がおきる。
                     ▽「撰時抄」を著す
1276年(建治2年)     55歳  7・21  「報恩抄」を著す
1279年(弘安2年)     58歳 9・21  数年にわたる熱原地域の迫害(熱原の法難)
1281年(弘安4年)     60歳 5月~   蒙古襲来(弘安の役)
1282年(弘安5年)     61歳  9・8   身延山を下る
                9・18   武蔵国の池上宗仲邸に到着 
                10・13  池上宗仲邸で御入滅


 
  

8月6日(木)のつぶやき

2015年08月07日 01時46分39秒 | 今日の俳句