KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

四十九日法要とお墓事情のはなし

2022-11-27 15:01:31 | 日記・エッセイ・コラム
 先日、抜けるような青空のもとで、父の納骨と四十九日法要を行いました。

葬儀の時と同じお坊さんに、読経をお願いいたしました。


すべてが無事に終わったところで、最後に一つと、お坊さんから「本日、無事に納骨と四十九日の法要を行いましたが、お墓があって、無事に弔いすることを、決して当たり前と思わず、その幸せと、感謝の気持ちを忘れてはなりません」といわれました。

 都会などでは、お墓を持たない、もしくはなかなか持てない家が多いと聞くので、その分感謝の気持ちを持ちなさいということからのお言葉だと思うのだが。墓地は元々父方の祖父のために、父が二十数年前に土地と墓石を購入し、先日所有権を自分に移したが、墓地の抽選は当時でも大変で、当選するまで3~5年くらいはかかったと聞いている。それ以降、祖父、祖母(2010年~)、そして今回の父が眠っている。父が元気だったころは、祖母の月命日やお彼岸の前後に、両親で掃除や墓参を続けていたが、ぼくはここ数年間あまり参加していなかった。

 最近、都会のお墓事情に関するニュース特集を見ることがあった。ビル街の中に、霊堂があり、タワーマンションの入り口みたいに、番号で呼び出してお骨(ご先祖様)と再会(!?)するシステムだったように思うのだが、少しさみしすぎるのではとも思っていた。その一方で「墓じまい」をする家も増えているともいう。お墓を次いでくれる跡取りがいなかったり、その場合は合同墓地にそれまでのお骨を他人とものと一緒に埋葬されるそうだ。霊園の一角にも、合同墓所があり、合同で埋葬される方々の名前と年齢が墓碑に刻まれていた。 

 どの弔い方が正しく、どれが正しくないかは、今のぼくには判断がつかない。今はこれが最善と思っていても。もし今後、事情が変われば、墓じまいも考えることになるかもしれない。お坊さんが最後に仰った、そこにある幸せを忘れないことこそ、今できる供養なのかもしれない、と改めて思う。
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